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夕木索理は女の子になりたい!  作者: 朔良 海雪
三章

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女装男子と演劇部ホープ

 体育館の床に四つん這いになって、茶色でバツ印がつけられた部分に、同じ色のペンキを均一になるよう塗りたくる。原色の茶色が面積を広げていく。


 木材で作られた枠組みに貼り付けられた布は、まだ大半が真っ白だ。その全てに刷毛を滑らせ、やがては全体を色で埋め尽くさなければならないと思うと、今から気が遠くなる。


「ごくろうさま。ごめんね、本当なら演劇部の方で受け持たなきゃいけない作業なんだけど」


 ふと、夏休みの間にすっかり嫌いになった声が耳に届いて、索理は集中力の糸がぷつりと途切れるのを感じた。


「……横野くん」


 顔を上げれば、インナーシャツとジャージというラフな格好をした奏士がそこにいた。


 片手にはやたらと蛍光ペンで線が引いてある台本、もう片手にはキャップが外れた飲みかけのペットボトル。頬や首筋にはわずかに汗が滲み、こころなしか普段はふんわりとボリュームを保っているベージュの髪も、ツヤを増していくらかへたっていた。


「まさかこんなところでご一緒することになるとは思わなかったよ」


「……ボクも、横野くんが演劇部だとは知らなかったな」


「一応、俺がこの学校に入りたかった理由が演劇だからさ。今は部員不足で苦労してるけど、昔はけっこうすごくて」


 索理のじっとりとした視線もなんのその。奏士は作業中の索理の隣に座り込むと、勢いよくペットボトルの中身を呷った。


「俺が小学生の時、親に連れられてここの学園祭に来たことがあってさ。その時に見た演劇部のパフォーマンスが忘れられなくて、その時から決めてたんだ。絶対ここの演劇部に入りたい、ってさ」


「ふーん……」


 聞いてもいないことを興奮気味に話す奏士は、いつもより声のトーンが一段階高い気がする。


 そういえば奏士は、夏休みの終わりに行ったプールで、索理たちに襲い掛かろうとするガラの悪い男たちを相手に、一歩も引かず凄んでみせていた。あの時の奏士は明らかにキャラが変わっていた。怒りや勢いに身を任せていたわけでもない。


 今思えば、あれは演劇部仕込みの演技だったのだ。役柄は、彼女を他の男に奪われそうになった彼氏、あたりだろうか。


 その演技力に助けられたことを思い出し、索理はなんだかいたたまれなくなって、ぼそぼそと言葉を返した。


「夢だった演劇部で、一年生なのにもうメインの役やってるんだ。先輩方にも褒められてるみたいだし、いい調子みたいだね」


「作業に没頭しているように見えたけど、意外と気にかけてくれていたみたいで嬉しいよ」


「そういうわけじゃ……ここで作業してたら、勝手に耳に入って来るだけだし」


 索理がぷい、と顔を逸らすも、奏士はそれすらも面白がっているようだった。


「俺も含めて、まだまだ完成とは言えない出来だけどね。本番も観に来てくれると嬉しい」


「ここで聞いてたらセリフとか覚えちゃうし、大体の中身が分かってたら楽しめないと思うけど」


「そんなことはないよ。演技の伸びしろももちろんだけど、本番はここに照明や効果音の演出が加わるんだ。きっと迫力が桁違いになる。もちろん、夕木くんが担当してくれている背景にも期待しているよ」


 言われて、索理は改めて、自分に割り振られた実行委員としての仕事に目を向けた。


 この間、生徒会所属の生徒と各クラスの実行委員を交えた会議が行われ、まずは準備期間での役割分担をすることになった。索理が迷いなく裏方仕事を希望すると、回ってきたのが演劇部の手伝いだったというわけだ。


 無論、奏士が所属していることを知っていたら、他のところに行かせてくれと嘆願していただろうけれど。


 演劇部が学園祭に向けて用意している題目は白雪姫だ。使われる背景は主に、冒頭で鏡に話しかける女王が住まう城と、白雪姫が暮らす森の中の二種類。索理が担当しているのは森の方で、色の指定は緑と茶色が大半を占めている。ひとまずは単色で塗ってしまって、あとで演劇部の大道具班がディテールを加えるとのことだった。


 ちなみに、奏士は白雪姫をキスで起こす王子様役。ミュージカルの要素を取り入れるのが通例のようで、歌うように声を響かせているのが印象的だった。


 まだまだ完成には程遠い、今のところ森の『も』の字も感じることすらできない巨大なキャンパスを示して、奏士が笑いかけてくる。


「夕木くんが実行委員に立候補するなんて意外だったけれど、案外こういう裏方仕事に興味があったのかい?」


「全然。というか、演劇を見てる時に背景なんて誰も気にしないだろうし、こんなに細かく描く必要とかある? ネットとかで画像拾って、引き延ばしたらよくない?」


「自分たちで手作りすることに意味があるんじゃないか」


 まるで子供に言い聞かせるみたいな言い草に、索理は頭が痛みだしそうになる。


「でも、必死に作ったってどうせ、本番が終わったらこの絵も解体して捨てられることになるんでしょ」


 身も蓋もないことを言っている自覚はあった。気の遠くなるような作業に飽き飽きしていて、そのフラストレーションがそのまま言葉になったのかもしれない。


 さしもの奏士もムっとした表情をしているだろう──そう思い、垂れた前髪の隙間から彼の顔を覗き見てみるが、奏士の柔らかな表情に変化はない。


「夕木くんはあの夏祭りの花火を見ていたかい?」


「見ていたけど……それが何?」


「夜空を彩る花火を見ていて、綺麗だな、とは思わなかったかな。花火も準備にかかる時間の割に、人々の目に映るのはほんの一瞬。火薬が燃え尽きれば夜空に消えてしまうけれど、あれも無駄なものかい?」


「それは……」


 真宵と見上げた打ち上げ花火が記憶の淵から蘇り、言い淀んでいる索理の頭に、反動もつけずにすっと立ちあがった奏士が手のひらを添える。


「多分、学園祭全体がそういうものだと思う。準備は大変で、お披露目は一瞬で、残るのは思い出だけで。でも、だからこそ全力で取り組もうと思える」


「む……」


「いつか夕木くんと思い出話をするときがあれば、ぜひとも今年の学園祭の話をしたいね。いいモノを作ろうとして、一緒に全力で頑張ったよねって」


「……そんな時が来るとは思えないけどね」


「相変わらずつれないね」


 苦笑する奏士の手が、わずかに索理の髪を撫でて離れる。


「さて、そろそろ練習に戻るよ。お互い頑張ろう」


 去っていく後ろ姿に、自分の中からは決して湧き出てこない何かを見た気がして、索理の心中で何かモヤリとした感情が立ち上った気がした。

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