女装と地雷と混浴温泉
いよいよ行き場を失った索理はとぼとぼと歩き、このプールにおける最後の砦とも言える場所を訪れていた。
『水着のまま入れるのでご家族にオススメ』が謳い文句の、透き通った色をした湯の混浴温泉だ。
他のプールも温水仕様ではあるのだが、目の前にある温泉のようにもくもくと湯気が上がってはいなかった。湯舟の形は大まかに四角形を描きながら、ところどころに膨らみがあって不規則な形をしている。とはいえそれが唯一見られた遊び心で、特に遊具のようなものは見当たらない。かといって、一般的な温泉のように身体を洗うスペースが用意されているわけでもないので、プールで遊んで冷えた身体を暖めることがメインの利用法なのだろう。
つまるところ、ここは遊び疲れた人が辿り着く休憩所のようなものだ。そして多くの利用者は、昼時の食事がてらの休憩を挟んだばかりだ。
誰もいない訳ではないが、人の姿はまばらだった。
それでも、索理は確信していた。彼女も自分と同じように、人の群れを避けてこの場所に逃げ込んでいると。
きょろきょろと辺りを見回すと──やはりいた。トレードマークのハーフツインをぶら下げて、見覚えのある黒とピンクの水着を身に着けている彼女が。
「やっぱり、黒河さんはここにいたんだね」
「あ? ……なんだ、夕木かよ」
隣に腰を下ろすと、未有は一瞬、身構えるような仕草を見せる。だが索理の顔を確認すると、すぐに全身を弛緩させた。
既に長い時間浸かっているのだろう、未有の肌は心なしか、いつもよりも紅潮しているように見える。ほとんど半身浴みたいな体勢で、水面から出ている胸元には玉のような汗が溜まっていた。そんな中でも地雷メイクと重い前髪には一切乱れた様子がないのは、彼女の矜持がそうさせているのだろうか。
「お前ひとりか? 横野はどうした。確かトイレに行ったお前を待つっつー話で、あの場に一人で残ってたろ」
「どこかではぐれちゃった。人がいっぱいいたんだし、仕方ないよね」
「そうかよ」
未有はさぞ興味もなさそうに、片足を伸ばしてぱしゃりとお湯を蹴った。
「黒河さんも、人を避けてここに来たの?」
「あたしは邪魔そうだったからこっそり抜けてきただけだ。カナヅチが仲間にいたら心置きなく遊べないだろ」
「流れるプールなら、浮き輪を使えば安心だと思うけどね」
「浮き輪が身体から離れたら死ぬんだぞ。こんなところで命をかけてられるか」
「珍しく大げさだなぁ」
索理は何気なく言葉を交わしながら、えも言われぬ心地のよさを感じた。温泉の温かさに気持ちが緩んだこともあるだろうが、索理はそれ以上の理由を自覚していた。
自分が場違いだと感じるところにばかりいたせいだろう。未有と話していると、まるで住み慣れた家に帰ってきたかのような安心感がある。
女の子にしては粗野な言葉遣いながら、その台詞には、索理の神経を狙い撃ちにする鋭利さが微塵も含まれていない。
過度に踏み込んでくることもなければ、気を引こうと思わせぶりなことを口にすることもない。一緒にいても気を遣わなくていいという点においては、未有はいつの間にか、索理の中でかなりの上位に位置していた。
(きっと、黒河さんとボクが似たような性質だからなんだろうな……お互いに友達とか少ないタイプだし)
特に積極的に関わりを持とうとしてくる奏士とは、対人理論の組み立て方に絶対的な乖離がある。孤独が悪いことであるという前提そのものが、索理や未有の思考と根本から食い違っているのだ。
肩と肩の適度な距離感。互いが不快にならない程度の歩み寄り。そして──人は結局一人きりである、という事実の共有。
互いに孤独であることに変わりはないのに、それが理由になってある種の連帯感を覚えるというのは、矛盾しているだろうか。
「ねぇ……このまま二人で帰っちゃおうか?」
「あ?」
索理の唐突な提案に、未有は訝しげに首を傾げた。
「夕木はあたしと違って泳げねーわけじゃねーだろ。もう一通り遊んで回ったのか?」
「全然。途中からは横野くんから逃げることばっかり考えてたし」
「はぐれたんじゃなくて逃げてんじゃねーか」
失言に指摘が入るが、索理は軽い苦笑いで流し、再度繰り返す。
「もう二人で帰っちゃおうよ。黒河さんだってもう泳ぐつもりはないんでしょ?」
「いや、勝手に帰ったら織部や伊澄が心配するだろ」
「連絡入れておけば後で見るはずだよ。それよりも、ボクはまたメイクの指導してほしいなぁ。ウォータープルーフの化粧品も一通り揃えたんだよね」
「それは別に今日じゃなくてもいいだろーが」
「あ、この前みたいに配信もやろっか? ちょうどお盆時期だし、暇してる人も多いんじゃないかな。ほら、まいんちゃんのアカウントにも、『またさくたんとコラボしてください』ってよくコメントがついてるじゃない」
「お前なぁ……」
未有が呆れた声で苦言を呈そうとした、その時だった。
「なーあ、そこのねーちゃんたち?」
索理たちの背後から、見知らぬ声が投げかけられた。低く荒っぽそうな声を無理やりフィルターに通したような、耳に触る声だった。
「誰だ?」
振り返ると、そこには大柄な男が二人、肩を並べて立っていた。二人そろってどことなくいやらしい笑みを浮かべている。一方の派手な色をした髪は逆立ち、もう一方は引き締まった体躯を自慢するかのように腰に手をあてている。
「オレらは二人で遊びに来たんだが、こんな場所で男二人ってのも味気ねぇだろ? んで、ちょうどいいところにねーちゃんたちを見つけたってワケだ。これも運命ってことで、どうだ。オレらと一緒に遊ぼうや」
索理たちの返事も待たず、彼らは腕を掴んで持ち上げてくる。強制的にお湯から立ち上がらされた索理の華奢な身体つきを舐め回すように見て、彼らの口角は吊り上がった。
隣では、未有が同じような目に遭っていた。
「おい、勝手に触んな、離せってんだよ!」
「あんま騒ぐなよ、反響してうるせぇだろうが」
「お前らが離せば済む話だろうが! おい夕木、お前も何か──夕木?」
未有の叫び声が、索理の耳にはどこか遠く聞こえた。
「──ぁ」
急速に索理の身体から体温が、感覚が、失われていく。
世界が上下をぐるぐると入れ替わり続けるような錯覚を味わい、皮肉にも握られた腕を支えにするようにして、索理は呆然自失のまま立ち尽くしていた。




