女装男子の理論武装
更衣室にもまばらだが人がいる。徹底的に孤独を求め、まっすぐにトイレに向かうと、一番奥の個室に飛び込んでドアを閉めた。
「最悪だ……」
閉じたままの便座に腰かける。水着越しにひんやりとした温度に触れながら、項垂れて頭を抱える。
見通しが甘かったことは認めよう。ボクは横野くんと対面する前に逃げ出しておくべきだった。いや、そもそもプールで遊ぶ約束すら、ドタキャンでもしておけばよかった。
ここまでの時間で藍たちと楽しんだ時間。それら全てを諦めてしまったとしてもお釣りがくるくらいだ。そのくらい気分が悪い。
祭りの夜、横野くんがボクを背負いながら言っていた、好意的な言葉の数々。あれはその場限りでも、場繋ぎでも、社交辞令でもなかった。彼は本気で、ボクと友人になりたいと考えている。
そして横野くんの考え方は、ボクの考え方とはまったくの正反対を向いている。それはあの夜に宣言した通りだ。
普段の教室でのふるまいをちゃんと知っているわけではないが、周囲からの人望は間違いなく厚い。ボクや黒河さんを除いたほとんどのクラスメイトと交流を持っているはず。そんな横野くんが、ただ話し相手に困ってボクに声をかけているわけがない。
大体、人数が増えた方が楽しい、いろいろな人と友達になって話した方が楽しい、などという思考回路自体、脳内がお花畑にでもなっているとしか思えない。それが真理だと言うのなら、世界はもっと平和になっていると思う。
「合わない人間とは合わない、だからお互いのために関わらない、それでいいじゃないか……」
ぶつかり合って互いに痛みと傷を残すくらいなら、初めから触れ合わない方がマシだ。実際、多くのクラスメイトはそう考えているからこそ、女装男子という腫れ物である索理には近づこうとすらしない。
だがそれは平和を維持するためだ。理解できない異質なものが自分のそばにいるとしても、見ないふりをすることで共存は可能だ。
現実的に考えて、彼よりもボクの方が正しい。本気でそう思う。間違っているのは横野くんのはずだ。
でも彼は諦めてくれない。明確にNOを突きつけても、ボクがどれだけ逃げ隠れしようとしても、見つけ出して寄り添おうとしてくる。
閉ざした心の前に陣取り、開けてくれないかとノックを繰り返す。彼自身には一切の非がない、という免罪符を貼り付けて。
──そうだ。横野くんのふるまいで一番気に食わないのはその部分だ。
彼の言動は理想論、実現することなどできるはずがない。けれども客観的に見て悪でないことだけは、ボクにだってわかる。
だからこそ、ボクは彼を拒絶できない。
どんな小さな綻びだっていい。彼に非があるのなら、それが気に食わないのだとはっきり明示して、正々堂々、彼の好意ごとバッサリと切り捨てることができる。
だが彼は、あたかも本気で誰とでも仲良くできる思っているとでもいうように、自分のスタンスを崩さない。彼の普段のふるまいがそう裏付けている。柔和な雰囲気を漂わせておきながら、その芯だけはしっかりと保っている。それが、横野奏士という人間なのだ。
彼が正しいのが気に食わない? そんな論理が成り立つのだとすれば、それはボクが間違っていると認めるようなもの。
耳障りのいい正論ばかりを吐く横野くんを面と向かって否定すれば、悪者になるのはボクのほうだ。
「じゃあどうするかっていうと、それとなく距離を取って、興味をなくしてもらうのを待つしかないんだけど……」
そう、ここで話は一周する。
ボクにはボクの考え方がある。横野くんにも横野くんの考え方がある。この二つが交わることは、これまでもこれからもあり得ない。
そしてボクの考えに基づくのなら、合わないもの同士は関わり合いにならない方がいい、という結論になる。
横野くんが彼自身の考えを曲げないのなら、ボクも自分の考えに一貫した態度をとらせてもらう。
相手を正面から否定するのではなく、ただ隣を素通りするように静かに回避して、余計な軋轢を避ける。
これだけが、ボクにできる最大にして唯一の理論武装だ。
どうせこんな思いをするのは今だけだ。今は新しいおもちゃを見つけた時のようにはしゃいでいるだけ。彼にはボク個人に固執する理由がないはずだ。
ちょうど、お腹を冷やしたという言い訳であの場を離れてきた。徹底的に逃げるのなら、いっそこのまま帰ってしまうのがいいだろうか。
横野くんはまだプールに来たばかりだ。これからみんなで楽しく遊ぼうというタイミングなのに、一人の体調不良者のためにそれを諦めるような真似をするだろうか。
……いや、今の彼ならやりかねない。ボクとは正反対のロジックを軸としている以上、ボクの思考回路の中であり得ないと割り切ったことも、横野くんの中では当たり前のことかもしれない。
ちょうどそこで、コンコン、とトイレのドアがノックされる。
「夕木くん? なかなか戻ってこないから様子を見に来たけど、大丈夫かい? 無理そうなら大事をとって帰ろう。俺も付き添うから」
ほら来た。聞きたくもない優しい声。無下にするわけにもいかない提案。
聞きようによっては仮病を遠回しに責める皮肉のようにもとれるが、恐らく彼にそんな意図はない。ただ本気で心配しているだけだ。
その一切裏のない台詞がどれだけ、ボクの心労になっているかも知らずに。
「……大丈夫。もうすぐ戻るから、外で待ってて」
消え入るような声で返す。
「わかったよ。更衣室の前で待ってる」
ドアの向こうから人の気配が消えたのを確認して、張りつめていた息を吐く。
「……あと五分だけ」
便座の上で膝を抱え、自分を守る理論武装を再度構築する。メンテナンスをするみたいに。
ボクはこんなところで、自分を曲げる訳にはいかないんだ。




