女装男子とスライダーの終点
どぼん、という音を最後に、索理の世界から音が消えた。
コースを滑りきり、終点のプールに投げ出されたのだと気づいた。自分の感覚が身体に追いついてくるまでの少しの間、索理は浮力に身体を任せてふわふわと水中を漂っていた。
(ゴムボートから放り出された時はどうなることかと思ったけど、なんだかんだ楽しかったな)
ジェットコースターとの違いがあるとすれば、速度では到底及ばない代わりに、煩わしい安全器具を装着することもなく、自分の身体ひとつで滑っていくスリルだろう。
流されている間ずっと抱きしめていた藍の身体から、優しく腕を解いていく。今更になって、彼女の身体とは正対する形になっていたことに気付く。
足が届かないほどの深さではない。索理がそこに足をつけて顔を出すと、ほどなくして、藍も同じように水面を割り、ぷは、と息継ぎをした。
水滴が滴る髪をかきあげもせず、呼吸を整える時間もよそに、藍は耳まで真っ赤になった顔で叫び散らした。
「ちょっ、サク! な、な、な」
「な?」
「なんで抱きしめたの、途中から! そんなに怖かったなら言ってくれたら──」
「くれたら?」
「──手、とか、握っ……なんでもない!」
藍が両手を激しく暴れさせ、バシャバシャと水しぶきを飛ばしてくる。
「わぶっ……し、仕方ないじゃんか。むしろしっかり怖がってたのは藍だし、ちょうど危ない時に目つぶってたから……何があったのか覚えてる?」
索理が落ち着いた声を意識して問いかけると、藍は憤慨しながらも記憶を漁る。
「えっと……あれ? ボートが左右に振れて、いきなり逆さまになったところまでは……」
無理もない、と索理は苦笑する。藍は終始黄色い悲鳴を上げながら、滑る人のことを一切考慮されていないコースに翻弄されていた。ボートから投げ出されたことなど気付いてもいないし、仮に気付いていても彼女にとっては些細なことだったかもしれない。
索理が事のあらましを説明すると、藍はきょろきょろと辺りを見回した。ウォータースライダーの終点のためだけに用意されたプールのようで、二人の他に水に入っている人はいない。
プールの端では、索理たちを無責任に放り投げたゴムボートが、係員の手によって回収されていた。文句をつけていいのなら、少なくとも人数分の取っ手くらいはつけるべきだと、索理は真剣に考える。
「あれ? 何か流れてきたよ?」
藍の言葉に振り返ると、今しがた滑ってきたコースから何か布のようなものが流れ落ちてくるところだった。
ぷかぷかと水面に浮かぶそれは、薄手なのにフリルのようなものがついていてボリュームがある。一見極ミニのスカートのようにも思えるが、左右にそれぞれ一つずつ、スカートには不要な穴が空いている。
そう、それは例えるとするならば、索理が更衣室で格闘していた、オフショルダーの水着とよく似ていた。
「サク……む、胸が」
「胸?」
言われてみれば、先ほどから胸元がやや不安な感じがする。
見下ろしてみれば、そこにあるはずの水着はどこへやら。代わりに、露わになった薄い胸板があった。
「あちゃ、流されてる途中で脱げちゃったのかな」
オフショルダーの水着は一見、肩からずり落ちたような位置で支えられているように見える。だが、実際に身体から離れないよう作用しているのは、内部にあるタイトなインナーだ。見た目とは裏腹に、そうそう脱げるようなものではないのだが、今回はウォータースライダーの異次元さが水着メーカーの想定を上回ってしまった、ということなのだろう。
とはいえ、慌てることはない。索理の中身はあくまで男だ。胸を見られて恥ずかしい、という感情は存在しない。
浮遊する水着を目指して悠然と歩きだすと、遠くで見ていたらしい係員が声を上げた。
「危ないですから、ウォータースライダーの出口に近付かないでください!」
「あっ、す、すみません」
係員の言う通りだ。今頃は真宵と未有がウォータースライダーの理不尽な軌道に悲鳴を上げている頃だろう。今その出口に近付いては、衝突事故になりかねない。
索理は水着の回収を一旦諦め、二人が滑り終えたらすぐに水着を回収できるよう、スライダーの出口に横付けするような位置で待機した。
やがて、太いパイプの中からは反響する悲鳴が聞こえ始めた。それはどんどん大きくなり、程なくして無人の転覆したゴムボートが流れ着く。
やっぱりどう乗ってもこうなるよなぁ……そんなことを考えていると、続いて真宵と未有がほぼ同時に滑ってきて、それぞれ足を思い切り上げてみたり、海老反りになってお腹で滑ってみたりと、独創的な体勢でもって水しぶきを上げた。
「ぷはあっ……こ、これはあれだな。先が見えず予測がつかない分、ジェットコースターよりも恐怖感がある」
先んじて顔を出した真宵が、索理や藍と目を合わせ、滑り終えて一安心、といった表情で息をつく。
が、同時に滑ってきたはずのもう一人がなかなか顔を出さない。水面はゆらゆらと揺れるばかりで、水しぶきが上がる様子すらない。
不思議に思って索理が水に潜ってみれば、そこに未有の姿はあった。
「がぼぼぼ」
──ただし、口から白いあぶくをぼこぼこと漏らし、水底近くで手足をばたつかせた状態で。
「ねぇ黒河さんがヤバい! 二人とも手伝って!」
すぐさま顔を上げ、藍と真宵に協力を仰ぐ。
幸いにして未有のそばにいた二人は、すぐに行動を起こしてくれた。空気を求めて暴れまわる未有を藍が背中から捕まえて浮上し、藍もそれを補助しつつ、水を飲まないように口を塞いでいる。
「ぶふぁあっ⁉ はっ、げほげほっ! ごぼっ!」
引き揚げられた未有は、少しの間咳き込んでは大きく空気を吸うことを繰り返していた。藍が背をさすり、落ち着きを取り戻せるよう促している。
泳げないとは言っても、プールは深くない。姿勢が安定すれば、この中では一番背が低い未有でも水面から首を出すことができる。
「黒河さん、泳げなかったんだ……」
「げほっ……だ、だからあたしは……温泉で大人しくしてるって……げふっ」
「その有様でウォータースライダーに挑んだ、黒河の勇気だけは認めよう」
「まぁ、ゴムボートに乗ってたもんね。普通は泳げなくても確定で安心だと思うよね……って、それよりサク!」
「え? ボク?」
突然の怒声じみた叫びに、索理はややたじろいだ。
「水着水着! 胸隠さないと!」
「あ、忘れてた。でもそんなに焦らなくても、こんな見た目でもボクは男なんだから何の問題も──あ」
気付いて手を動かし始めたころにはもう、索理を直視してしまった真宵の鼻血が中空に弧を描いていた。




