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夕木索理は女の子になりたい!  作者: 朔良 海雪
二章

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49/65

女装男子は人込みに呑まれる

 花火はクライマックスを迎えた。最後に煌びやかな輝きを残す黄金色を連発し、やがてはそれも夏の夜空に消えた。


 花火の終わりが祭りの終わりだとでもいうように、人々は祭りの終焉を察して歩き出す。屋台に目を向けてみても、店じまいを始めている出店も少なくない。


「ボクらも帰ろっか」


「そうだな、そろそろ肌寒くなってきたことだしな」


 索理たちも彼ら同様に、どちらともなく立ち上がると、花火を観覧していた人の流れに乗った。


 ──ところまでは、よかったのだが。


 出店の立ち並ぶ参道には、今日一番の人混みが出来上がっていた。行き交う人の流れもさまざまで、時に譲り合い、時に押し合いながら、生き物のように不規則な動きを生み出している。


「ま、真宵……大丈夫?」


「問題ない。索理こそついてこられそうか?」


「うん、なんとか……」


 真宵は人混みの中にも隙間を見つけて、上手く先に進んでいく。彼女が切り開いた道に索理も続いていたのだが、その時、索理の足元でぶちりと、嫌な音がした。


「あっ」


 右足の裏から、下駄の感触が離れていく。


 鼻緒が切れたのだ、と気づいた時には、索理のバランスは完全に崩壊していた。身体が右に流れるまま、誰のものとも知れない背中に倒れ込んでしまう。


「す、すみません……痛っ」


 どうにか地面を見つけ、アスファルトを裸足で捕まえる。だがそこを他人の靴に踏み潰され、索理は思わず悲鳴を上げた。


 体勢を立て直そうとするたび、勝手気ままな動きを見せる人の流れが邪魔をする。覚束ない足元と前後左右からの不規則な力に翻弄され、なかなかバランスを取り戻すことができない。


「索理!」


 真宵が手を伸ばしてくれている。だが彼女は既に、前へと進む人の流れに乗ってしまっていた。索理にその手が届くことはなく、真宵の姿は人波に消えていった。

 真宵とはぐれてしまった索理は、すし詰めの参道から吐き出されるようにして、芝生が茂る沿道に転がった。


「いたたた……」


 一人にはなってしまったものの、ひとまず落ち着くことはできた。腰を落ち着けて痛む右足を確認するが、足の甲が少し赤くなっているだけで、動きには問題がなさそうだった。


 だが、履いていた下駄は目の前の人混みに揉まれ、もはや見つけることはできそうにない。仮に見つけられたとして、鼻緒が切れていては役に立たないだろう。


「どうしようかな……裸足でも帰れないことはないだろうけど」


 アスファルトに触れた冷たい感触を思い出す。太陽の熱線をたっぷりと浴び、目玉焼きが作れるほどの温度が残っていれば難しかったろうが、今は落ちているものにさえ気を付ければ、裸足のままでも家に辿り着くことは不可能ではなさそうに思える。


 スマホを見てみるが、真宵からの連絡はまだない。あの状況では携帯を取り出すことさえままならないだろう。


 と、その時ふと気付いた。


「あ、そっか。誰かに連絡して靴を持ってきてもらえれば、普通に帰れるのか」


 真っ先に思い浮かんだのは藍だった。家も近いし、家族に事情を伝えれば夕木家からいつも履いている靴を持ってきてくれそうだ。


 だがそこで思い出した。藍は急用で来られないと言うことだったはずだ。なんだかんだで手助けしてくれそうな未有も同様。


 他に連絡先を知っているのは家族くらいのものだが、はてさて、誰に連絡を入れたものか、と索理が悩んでいると──


「あれ、夕木くん? 奇遇だね、こんなところで」


 人混みから抜け出してくる、見覚えのある姿があった。最後にその姿を見たのは、夏休み前の教室だ。


「やほ。会うのはお盆のプールになると思ってたけど、まさかこんな人混みの中で会うなんてね」


 声をかけてきたのは、索理と同じクラスで、女子から屈指の人気を誇る茶髪に痩身の男子生徒、横野奏士だった。


 柄なしのシャツにジーンズのラフな姿だ。首からは控えめな装飾のリングネックレスを下げている。本来柔らかそうなウェーブを描いているその髪は、こめかみのあたりがヘアピンに押さえつけられている。


「あ……」


 途端、身体が半ば反射的に跳ねる。


 一瞬のうちに気温が下がった気がした。それなのに、全身から汗が駄々洩れになる。


 これでもか、と胃に詰め込んだものたちが、居場所を圧迫され、出口を求めて昇ってくる。


 逃げ出したい。そう思うのに、手足が上手く動かない。力なく芝生を掴むことでしか、この不快感を表明することができない。


 奏士はそんな索理の様子に気付いていないのか、ゆっくりとしゃがみ込むと、左右非対称になっている索理の足元を見た。


「ありゃ、下駄がだめになっちゃったわけか。大丈夫かい? ここで待ってたら、誰か知り合いが助けに来る?」


「……っ」


「んー?」


 奏士はまるで子供でもあやすかのように、ほとんど寝転ぶように上半身を逃がす索理と目線を合わせてくる。


(近い、近い、近い──!)


 今すぐ気絶でもできたら、どんなによかったか。受け止められない現実に、索理はただ、痙攣を起こす喉から嗚咽を漏らすことしかできずにいる。


 索理の鼻奥にはもう、胃液の不快な臭いが届き始めていた。


 哀れなほどに震える索理を一通り観察すると、奏士はふーむ、と自分の顎を指で挟み込んだ。


「なるほど……俗にいうパニック状態、って感じかな。何があったのかは分からないけど、そんな状態のクラスメイトをこんなところに置いていくわけにはいかないね」


 一度立ちあがると、奏士は索理の腰帯を目印にするように隣に立ち、またも腰を落とした。索理の背中と膝裏に、彼の両手が差し入れられる。


 触れられた瞬間、嫌悪感が臨界点に達した。


 本能的に身体を逃がそうとする動きと、醜態を直視されるわけにはいかないという理性が奇跡的に噛み合い、索理は奏士のいる側とは反対側に身を捩り──


「お、おえええ……」


 ──祭りを堪能した証、ため込んでいた不快感、その全てを、地面にくれてやることになった。

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