女装男子は朝抜いてきた
朝から汗が滲むような気温となっている中、索理は千鳥足で廊下を歩き、なんとか教室に辿り着いた。
既に半数以上の生徒が登校を終え、朝の時間を使って予習を済ませたり、思い思いにグループを作って談笑したりしている。話題はプールや海、夏祭りに旅行など、夏の間に用意されているイベントに関わるものが多いようだ。
陽気な雰囲気の中、索理は気配を消してそのどれもを素通りし、ふらふらと机の間を縫い歩いていく。さながら体力を使い果たしたマラソンランナーのように、自分の席にぐったりと倒れ込んだ。
そんな索理の丸まった背を、後ろの席に座る真宵の鋭い眼光は見逃さない。真宵が伸ばした指が、つつ、と制服の上から索理の背骨ラインをなぞる。
「おひゃ」
思わず変な声が漏れ、索理はいつもよりもさらに緩慢な動作で振り返った。……のも束の間、今度は真宵の机を占領し、頭を預ける。
今にも眠りに落ちてしまいそうな索理に、真宵から諦め交じりのため息が降ってきた。
「おはよう索理。今日が一学期最後の登校日なのだから、もう少ししゃっきりしてはどうかな」
「んー、おはよう真宵……」
「今日一日頑張りさえすれば、明日からは心置きなく朝寝坊ができる。どうにか夏休み中の補習は回避したのだろ?」
「ん、まぁねぇ……おかげさまで……」
「確かに私も協力したが、結局は索理自身の努力が大きい。全教科赤点ギリギリだったとはいえ、立てた目標を達成したことについては誇ってもいいだろう」
「ありがとお……すぴぃ」
「だから寝るなと言っている。……にしても、朝からそれほど眠そうにしているのは珍しいな。いつもは藍の弁当を食べてから昼寝をしているが……あまり眠れなかったのか?」
索理の美意識には余念がない。この頃は家に帰ると毎日メイクの研究三昧で、索理は慢性的な寝不足に陥っている。いつもはその睡眠時間を授業中に確保することで、健康と肌の質をなんとか保っているわけなのだが、今日の索理には一段と覇気がない。
むにゃむにゃと微睡みながら、索理は言い訳がましく呟いた。
「いやあ、実は今日、朝抜いてきちゃって……」
「ヌ……!?」
妙に大きな反応の気配がして片目を開けてみれば、真宵が後ろにのけ反った体勢で固まっている。
「さ、索理……そういう話は、あまり大きな声でしない方がいいんじゃないか……?」
「ん、そお……?」
夢の世界に片足を突っ込んでいる索理。口から出てくるのは生返事ばかりで、真宵はどこかやきもきした様子だ。
(別に変な話はしてないつもりなんだけど……なんで真宵はこんなにびっくりしてるんだろ……?)
靄のかかった頭でどうにか考えをまとめようとするが、まとめたそばから飛び散っていく。
そうしている間にも、真宵は顔を真っ赤にしながら何やらぶつぶつと呟いていた。
「……索理だって男の子なのだから、そういった行為をするのは当然だ。だがわざわざ私にカミングアウトする理由とは何だ? 女の私に、というか男同士でも、そういう話をあまり公の場ですることはないのではないか? いや、私とて興味がないわけじゃないが、やはり暗黙の了解というか公然の秘密として知らないふりをしておくのが一般的だろう。……そうだ、索理は寝ぼけている。朝寝坊して時間がなかったんだろう。そういう時にしている話をあまり本気にするのは──」
「そうそう、今朝は時間がなくってさ……どうしても抜くしかなかったんだよー」
「ヌくしか!?」
索理がどうにか言葉尻を拾えば、真宵はさらに頬を赤らめて机をバシバシと叩く。藍のお株を奪う打撃音がする。
「そ、そういうものなのか? 時間がない時ほど、その、する場合が多いのか? もっとこう、時間をかけてというか、丁寧にじわじわとやる方が気持ちがいいのではないかと、あいや、これはあくまで私の所見というか予想でだな……」
「気持ちいい……? よくわからないけど、今は疲れちゃって全然気持ちよくない」
「やややはり時間がない時に無理やりするのは気持ちよくないものなのか……そして索理は、朝からヌ、ヌいてきたからそんなにぐったりとしているわけだな」
「そりゃ、朝抜いて元気でいられる人なんかいないよ……真宵だってそうでしょ?」
「私!?」
いよいよ真宵は椅子の上で収まっていられずに、肝という肝を引っこ抜かれたような顔で立ちあがった。頬には大粒の汗が流れ、目がぐるぐると回ってしまっている。
「わ、私は朝ヌいたことなどないがな、うん。経験がないからわからない。わからないが、そういうのは、ええと、よ、夜に済ませるものではないのか。あくまで一般的に、の話だが……」
「あー、夜抜くのはダイエットになるらしい、って聞いたことあるかも。真宵は体型にも気を遣ってるんだ。他のことも頑張ってるのに偉いね」
「私がしているとは言っていないぞ!?」
「あはは、だよねー。育ち盛りの高校生にダイエットとか必要ないよね。真宵はいつも頑張ってるわけだし、欲望には素直になった方がいいよね」
「欲望とか言わないでもらいたいのだが!」
「ご、ごめん……?」
索理には特別目くじらを立てられるようなことを言ったつもりはないのに、何故か真宵からは叱責が飛んでくる。
「……こほん。ともかくだな索理、そういう話はあまり他の人にしない方がいい。あまりこういう場所で話題に上げることでもないだろう」
「そうかなぁ……まあ、毎日朝抜いてる人からしたら当たり前の話だもんね。例えるなら寝てない自慢する人みたいな感じ? 聞いてないのにそんなこと言われても、どんな反応したらいいか分からなくなっちゃうよね」
「どんな反応をしたらいいか分からない、というのは、確かにそうなのだがな……」
真宵はようやく落ち着きを取り戻したらしく、すごすごと腰を下ろしていた。
と、ちょうどそこに、遅れて登校してきた藍が手を振りながら現れた。
「おはよー。珍しく朝からかなり盛り上がってたけど、なんの話してたの?」
「藍おはよー。ボクは朝ごはん抜いてきちゃったって話をしてただけなんだけど、真宵が妙に興奮しちゃって」
「朝ごはん!?」
再度椅子を跳ね飛ばして立ち上がった真宵が、教室中の談笑をかき消すほどの大声で叫んでいた。




