地雷女子の事情聴取①
「ちょっといいか?」
休み時間になって、あたしはまっすぐ横野の席に向かった。
「珍しいね、黒河さんが自分から声をかけてくるなんて」
「んなこと言い出したら、横野が黙り込んで自分の席にいるのだって十分レアだろーが」
指摘すると、横野は「それもそうだ」と小さく肩をすくめた。いつもよりずっとこぢんまりとした姿は、昨日までの彼とは別人とまで思わされるほどだ。
ホームルームを挟んでも、教室の空気はあまり変わらなかった。居心地の悪そうな横野を連れ立って廊下に出る。クラスメイトたちがやたらとほの暗い視線を向けてきていることにも気付いていたが、構うつもりはなかった。
廊下にはほとんど人影がなかった。教室に比べて気温が1℃ほど低い気がする。それだけでも粘りつくような不穏な空気感から逃げ出すことができたような実感があった。
「とりあえず状況を整理させてくれ」
力なく笑う横野を真剣に見る。唇が乾燥しきっていて、肌にも生気がない。普段の姿を見ているだけに、小さく縮こまったような態度がどうしても目につく。
「まずは前提の確認だ。あの写真はお前と夕木で間違いないか? どうしてあんな状況になった?」
「……うん、間違いなく俺と夕木くんだ。何があったのか話すのは……ちょっと気が引けるな。あまり楽しい思い出じゃない」
「今話せる部分だけでもいい」
「……まずあの写真を見て一番に考えるであろう誤解は解いておきたい。俺と夕木くんは、その……そういう行為をしていたわけじゃない。これは恥ずかしいから誤魔化しているとか、名誉のために嘘をついているわけじゃない。事実だ」
「だろうな。夕木がお前に襲い掛かるわけがねー。むしろ徹底的に避けるはずだ」
間を空けずに頷くと、横野の顔色が少し戻った。
「信じてくれて助かるよ。クラスメイトの誰にも信用されないと思ったから、言えずにいたんだ」
「クラスの連中は夕木のことなんか全然知らねーだろうからな。もちろんお前のことを嫌ってるなんて想像もしてねーだろ」
「俺もそう思って黙っていた。──この写真が撮られたのは、後夜祭が行われていた時間のことだ」
かさついていた横野の声が、徐々に滑らかさを取り戻しはじめていた。
「俺はあることをして夕木くんを怒らせてしまった。それについては俺がバカだっただけだから、あまり追求しないでもらいたいんだけど……とにかく、その結果夕木くんの感情が爆発して、俺を押し倒して馬乗りになった。殴られるかもしれない、と覚悟したくらい、彼は顔を歪ませていたよ。……そしてその場面を誰かが撮影していったんだ」
「服をはだけていた理由は?」
「……すまないが、明かせない」
「そーかよ」
あたしには明かせない事実が二つ。関係していると見るのが自然だろう。
誠実な横野が少しずつ戻ってきている。僅かな情報だけでも話してくれているあたり、他のクラスメイトに比べて信頼されていると考えていいはずだ。
それでも話せないとなれば、きっとそれは、誰にも明かすことができないのだ。そこで起きていたことを知るのは、横野と夕木の二人だけ。
──いや、もう一人か。
現場を目撃したであろうもう一人にも、後ほど話を聞く必要がある。小さく震えていた眼鏡の女子生徒を思い浮かんだが、あたしはすぐに意識を切り替えた。
「もう一つだけ聞く。今日、夕木は学校を休んでる。織部によれば朝から様子がおかしくて、学校に行かないと言っているらしい。今回のことと何か関係があると思うか?」
「そうだね……この教室にいたくない、って意味では、気持ちはわかるよ。別世界に放り出された気分だ」
横野が苦笑いを浮かべ、閉め切った扉に目を向ける。
「むしろ俺はマシなほうだ。一見すれば完全な被害者に見えなくもない。ただ、俺に覆いかぶさっていた夕木くんは、そうはいかないだろうね。完全に自分の意志で、俺に襲い掛かっているとしか受け取れない」
「その空気感に耐えかねて登校する気が失せた、な……まあ、その線が妥当だろーな」
横野ですらアウェーの感覚を味わっている教室に、繊細な夕木が入ってこられるはずがない。教室中があいつを見る目は今まで、女装という妙な趣味をしている陰キャ、程度のものでしかなかった。それが今日を以て、二人きりの教室で同性のクラスメイトに襲い掛かる変態、という強烈なレッテルを貼られることになったのだ。
もちろん、それが事実でないことは、夕木のことを知っていればすぐに分かる。だが教室の連中はあいつのことを何も知らない。
一度吹聴された噂は、それが事実でなかろうとひっくり返すのは難しい。SNSを生業としているあたしにとっては染みついている常識だ。
「……横野、あんなことがあったあとでも、まだ夕木と仲良くしたいと思うか?」
「え? そ、それは、もちろん」
「だったらできる範囲でいい、あたしに話したことをクラスの奴らにも話してやれ。坂本とか西岡あたりなら少しは夕木のことも知ってるだろうし、すぐに信じてくれんだろ。そこから仲のいいヤツを芋づる式に捕まえて、同じことを繰り返すんだ」
真実を広く知ってもらうには、方法はただ一つ。当の本人が事実を訴え続けることだけだ。広まってしまった噂を根絶することは難しいだろうが、それを目指すのであれば、信じてくれる仲間は1人でも多く必要になってくる。
今のままでは夕木が帰ってくる居場所がないのだ。このままではあいつは永遠にこの教室に入れなくなる。中学時代がそうであったらしいという話は織部からも聞いている。
(いや、なにやってんだあたしは。あたしはなんで、あいつのためにこんなことを……)
夏休み前、夕木にメイク講座をするようになる前のあたしなら、同じことがあっても我関せずの無表情を貫いていられた。わざわざ横野に話を聞いたりなんかしないし、事態を解決しようなどという思考自体に至ることもなかったはずだ。
教室の空気が明るかろうと暗かろうと関係ない。どれだけ周囲から浮こうが孤独で構わないし、一人で生きていける。そう思っていた。
そんな自分が今、こうしていることが信じられない。夕木たちと過ごしていた騒がしい日常が恋しいとでもいうのだろうか。
自分自身の行動に戸惑いながら、あたしは始業のチャイムが廊下に響くのを聞いた。




