女装とイケメンと責任の取り方
奏士はまだ、舞台で披露していた王子の恰好をしたままでそこに立っていた。呼吸のピッチが速い。顔には汗もにじませている。
「ようやく見つけたよ。カーテンコールに主役がいなかったから、お客さんも微妙な顔をしていたよ」
「……劇自体は上手くいったんだからいいでしょ」
「最後の拍手に応えるまでが演劇だからね」
「……ボクは演劇部じゃないし、そんなの知らない」
素っ気なく言い放つ索理に、奏士はふっと苦笑する。
「というか、劇が終わったらもう関わらないんじゃなかったっけ? 約束はちゃんと守ってほしいな」
「そうなるのは明日から、って約束のはずだよ。まだ今日は終わってない」
窓の外では太陽がほとんど沈み切っている。索理のそばを通り抜けて校庭を見下ろした奏士は、いつものような優しげな声で語りかけてくる。
「ほら、ここからでもキャンプファイヤーが見える。ちょうど火が灯ったところみたいだ」
「そう」
「体育館では有志のバンド演奏も始まっているみたいだ。ギターの音が聞こえるね」
「うん」
「お腹すいてないかい? 大したものはないけど、カロリーメイトでよければあげるよ」
「いらない」
彼が振りまいてくる気遣いのことごとくを叩き落とす。奏士は気まずそうに後頭部に手を回した。
「……悪かったね」
「何が」
「最後のシーン、俺が君にキスしようとしてしまったこと」
バカがつくほどに正直なのは、彼が備えた美徳のひとつなのだろう。だがその正直さに免じてやれるほど、索理の精神状態は穏やかではない。無理やり押しのけたことを謝るつもりもなかった。
「あれだけ劇に思い入れがあるって言っていたのに、ボクがショックで台詞でも飛ばしたらどうするつもりだったの? それとも最初からそういうつもりでボクを引き込んだのかな? どちらにしても最低だね」
「説明させてほしい。あの時俺が何を考えていたのか、どうしてあんなことをしてしまったのか」
奏士は事実に向き合うように、まっすぐにこちらを見つめてくる。索理は口を閉ざし、続く言葉を待った。
「──まず初めに、最初からそういうつもりだった、という部分についてははっきり否定させてほしい。あれは正真正銘、衝動的になってしまった結果だ」
「……」
「思えば、君が今朝黒髪でやって来た時から片鱗はあったんだ。もちろん君が同性であることは分かっているけれど、普段とのギャップに目を奪われてしまった。学園祭の特別な空気感で少しおかしくなっていたのかもしれない。その時はそう思っていた」
確かに今日の朝に索理の姿を見た時、奏士は妙な反応を見せていた。その時のことを言っているのだろうか。
「あの時は自分でも、何が起きたのかよくわからなかった。だからできるだけいつも通りを装っていたんだ。少なくとも学園祭の間はそのつもりだった。舞台のこともあったし、考えなきゃならないことは他にもたくさんあったからね。──そんな時、白雪姫役の先輩が出演できなくなったことを知った」
奏士は自身の胸元を見つめ、制服がシワになるほどにぎゅっと掴んでいる。
「代役を立てなければならなくなった時、真っ先に思い浮かんだのは夕木くんの顔だった。前に聴かせてもらった歌のことも頭に残っていたしね。これなら上手くいくんじゃないかと思って呼び出させてもらった。本当に、下心なんか少しもなかったんだ」
でも、と奏士は顔を上げた。
「最後のキスシーンの時、目を閉じた君の無防備な顔を間近で見つめた時……自分の中で何かが弾けるみたいな音がした。性別っていう壁がとても小さなものに思えた。この瞬間しかないかもしれない、と思ってしまった」
「それで本当にキスしようとしたって? 身勝手にも程があるとは思わなかったのかな?」
「今となってはそう思うよ。君の気持ちどころか、自分の気持ちすら曖昧なままで取り返しのつかないことをしようとした。君が冷静でいてくれて助かったよ。おかげで劇もぶち壊しにならずに済んだ」
「終わった話みたいに言わないで欲しいんだけど」
「……その通りだ。本当に申し訳ない」
深々と頭が下げられる。薄暗い教室の中、奏士のつむじに索理の目が向く。
奏士はその体勢を維持したままで続けた。
「だから、これは俺なりの責任の取り方だと思って聞いてほしい。後からつじつまを合わせるような形になって本当に申し訳ないけれど、どう思ってくれても構わない」
「……なに?」
「好きだ」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
︎︎なんの脈絡もない告白に、索理の水色をした瞳が揺らぐ。
「……は」
疑問とも溜息ともとれない空気が索理の口から漏れたのを、頭を下げたままで顔が見えない奏士がどう解釈したのかは分からなかった。
「恥ずかしながら、今回のことで初めて自覚した。俺は夕木くんに対して、いつの間にか友達以上の感情を抱いていたように思う。だから……もし、万が一にでも受け入れてくれるつもりがあるのなら、明日から関わらないって約束もなかったことにしてほしいと思ってる」
キャンプファイヤーを囲む生徒たちの声も、響いてくるギターの音も、全てが聴覚から切り捨てられていた。
奏士の声だけが鼓膜を揺らすけれど、その言葉が意味となって索理へ届くことはなかった。
何故ならその言葉には、索理が奏士を嫌う理由の全てが詰まっていたから。
本当に気持ちが悪い。胃の中に何かが入っていたとしたら、この場で全て床にぶちまけていたとしても不思議ではなかった。
よりによってこの状況で、この空気で、よくそんな台詞が言えたものだ。まだ王子役の名残が残っているのだろうか? キスシーンのことも、まだ役に入り込みすぎてしまったという言い訳をされた方が納得できていた。実際索理も、白雪姫という人格と自分自身が溶けあっていくような感覚に陥っていたのだし、索理以上に演劇に打ち込んでいる奏士が言うならば、その説得力に押し切られていたかもしれない。
だが実際に出てきたのは、奏士がどうしようもないほどに身勝手で、ただただ個人的な欲望を満たそうとした、という凡庸で卑劣な理由だった。
索理の中でふつふつと煮えた怒りが、沸点を迎えて静かに噴出しようとしていた。
本当に、本当に、本当に──
「──これだから男は」




