246-外伝「対価と、未来と」
本編と言えば本編ですが、外伝付け忘れてました。
「鳥……か」
夜明けの空を、小さな野鳥が群れを成して飛んでいく。
近くには小鳥の好みそうな小さな実を無数につけた木々があったことを思いだし、
そこに向かうのだろうか、と何とはなしに思いながら男は歩く。
向かう先は、外からでもわかるほどの力、魔力がにじみ出る天幕。
魔力以外に、ある物が外にも伝わってくる。
ルミナスの一部地方でのみ生産されるという、特殊な香。
常習性や危険は少ないが、とにかく素材が希少なのだ。
険しい、という表現も生ぬるい崖の中央あたりにある
特殊な地形でのみ繁殖する苔。
それを特別な加工を施し、ようやく完成する。
かつての天帝からのお告げが無ければ、
誰も存在に気が付かなかったであろう一品だ。
その分、効力も強力な物であることを男は知っている。
陣の中央付近にあるためか、護衛の兵もいない天幕。
もっとも、兵士らは別の意味で恐れをなして入ろうとはしないのでちょうどいい。
そんな場所に中の人間の邪魔をしないようにと静かに入る男。
明るい外と比べ、暗めの天幕の中は世界を移動したかのような錯覚を男に与える。
室内にあるのは解体して移動可能であるが丈夫さを考えた構造の机と椅子一式。
いくらかの装飾品と目立つ1つの水晶球と、椅子に座る女1人。
「何か用かい」
静かに、といっても天幕に入れば光も指す。
部屋の主はそれで男に気が付いたが、何かの術の途中なのか、
視線を上げないまま問いかける。
「北の……良いのか?」
その返事、そして目の前の状況に思わず男が心配そうに返答を返す。
何が、とは口にしない。
互いにわかった上で現状があるからだ。
女にとって、止めるという選択肢はないことも。
「今さらだね。私には私の、アンタにはアンタの役目がある。そうだろう、東の」
「それはそうだが……」
なおも口ごもる男、ルミナスに4人いる名付の軍知、東方龍騎。
鬼気迫る形相で、やつれたというべき姿のまま、
人の頭ほどの水晶球に集中する女、北方玄女。
互いの呼吸と身じろぎの音だけが天幕の中で聞こえる音だ。
男の目には、揺らめく魔力が音を立てているかのような錯覚も覚える光景であった。
「そんな顔、外でするんじゃないよ。って言うまでも無いか」
「無論。これは自分の感傷にすぎないこともな、わかってはいるのだ。
とはいえ、西のも、南の……南方雀仙も心配はしていた」
2人のいる天幕の外には、無数とも思えるルミナスの軍勢と、
彼らが簡易的にせよ作り上げた陣地がある。
戦いの時に備え、待機したままの軍勢。
が、不思議なことにその周囲の景色自体は、
彼らの慣れ親しんだルミナスの土地から、
見知らぬ草原地帯へと点滅するように不定期に変化する。
「ウチの男どもは……散々話し合っただろう。
今使わずに、いつ使うんだい? 私はこの力で戦場へ民を、兵を運ぶ。
西が先陣を切り、東が後を詰め、南は土台を支える。
仮に勝てずとも国は再興する。そのための4柱の軍知じゃあないか」
わざと仰々しい言葉で北方玄女の言うことは事実である。
今ここにいない軍知は2人。
そのうちの一人、西方虎砲は既に前線での戦いのために少数の兵と先行している。
戦いの場にいない、という意味では南方を担当する軍知、南方雀仙のみだ。
「力は使ってこそ、か。先祖にも怒られそうだな」
最初の天帝を支えた4柱達。
軍知として後の世に受け継がれた彼・彼女らの力は奇跡そのもの。
おおよそ人の身に余る、とは考えられているが
使えるのならば使う時が来る。
そんな、切り札である力たちであった。
この場にいない南方雀仙が引き継いだ力は戦いの後にこそ光る。
戦いが激しければ激しいほど、使える力も大きくなる、という類だ。
怪物が南に多いというのも、それを怪物どもが何かで感じ取って
奪うべく狙われているという事であるし、
ルミナスの軍部は誰もがそれをわかっているため文句は無い。
むしろ、彼がいるからこそ戦いに集中できるという物だ。
後で国はどうにかなる、と。
選ばれた軍知の4人だけが持つ名。
その名前はそれぞれに強力な力を付与する。
が、強い力には当然、代償がいる。
押せば返す、反動という物だ。
使用条件に既にその代償が含まれている南方雀仙の物と違い、
他3人の力は使用後にその代償がやってくる。
「名付になりながら普通に戦いました、のほうが怒られるだろうさ」
「それもそうだが…その術はお前の」
生命そのものをという言葉を女の指が封じる。
幸いにも、彼女の使っている術は水晶球の前にいる必要がある物の、
手が離せないという訳ではない。
魔力を正しく注げばいいだけなのだから。
多くの修練の結果として、横を向いても魔力の供給は途切らせないという
芸当を披露しながら、女は男を見る。
「どうせ80まで生きようなって思っちゃいないさ。
精々が50か……ここでどうにしかしなきゃ、それも怪しいね」
そうつぶやく女の顔に、男は動揺を隠せない。
正面からみるとありありと消耗しているのがわかるからだ。
出立前と比べ、確実に痩せたとわかる表情だが
死相、というわけではない。
むしろ、やりがいを見つけた労働者のようですらあった。
だが、やはり確実にその力は彼女をむしばんでいるようだった。
──亀門遁航
北方玄女の引き継いだ力は転移、転送。
ゆっくりと、だが音も無く泳ぐ亀のように、移動のための術。
彼らは理屈として理解するに至ってはいないが、
可能性、確率として対象Aがそこにいる・いない、を繰り返し、
そこにいる、を確定させる術であった。
可能性がゼロから微妙に可能性がある、まで
持っていくのに多くの力を使うが、それさえ行ってしまえば
移動先の地点が自由なワープ、転移である。
この術も精霊の力を借りていることには変わりなく、
その精霊を介していった事のない場所でも大概の場所には行くことが出来る。
例外としてはどんな強度であろうと結界の類が張られた場所であったり、
術の使用者が全くイメージできない場所は無理であった。
一言でいえば建物への奇襲、は行えないといった形だ。
逆に、何もないような平原を指定することは容易だ。
そう、それがフェンネル王子らが作り上げたジェレミアの砦からわずかの距離であろうと。
本当はどこかの大国の本土、王城のそばにでも
転移できればよかったのだが、さすがに各所にある
様々な結界の類が邪魔をし、それは叶わなかったのだ。
人数が多くても多少の魔力消費増で済むが、
時間は移動する人数、その候補が増えるほど伸びる。
それが第二の弱点であった。
ファクトは何かを待っている、と予想したが実は違う。
彼ら自身は、単純に確定するのを待っているのだ。
そこに、自分たちがいる、となる術の完成を。
術としては便利ではあるがいくつも弱点はある。
前述の時間、そして出現地点にとっては
そこに出てくるのがわかるということだ。
とはいえ、いつ出てくるかわからないのであれば
警戒を続けることは難しく、事前の排除も困難。
周囲を土壁で覆うぐらいはできるかもしれないが、
そのための労力は果たして見合う物だろうか。
「西のもこの戦いにかけている。アンタだってそうだ。
天帝様は……ご自身の命で決着を付ける気だ。
であるなら、花道は私ら以外、誰が作れるっていうんだい」
「そうだな、そう……だな」
女の言葉に、男も頷く。
彼らの主である天帝。
天帝は2人に戦いの準備をさせ、自分も前線に出ることを宣言したが
それだけではない。
己が、あるいはこれまでの天帝も、何者かに影響を受けていたと告白したのだ。
その何者かはルミナスのためではなく、別の目的のために
これまでを過ごしてきたことを。
失敗しても続く遠征はその氷山の一角なのだと。
「理由が何であれ、賽を振り、矛を抜き放ったのは我らの側。
座して死ぬより、進んで……だな」
天帝自身の預かり知らないところで、
西側には無数の種がまかれており、芽吹いていた。
長い長い時間の中、与えられた命を守り、
ルミナスのために影に、日陰に生きてきた者たち。
指示を出した時は自由意思じゃありませんでした。ごめんね、
などと今さら言ってどうなるというのか。
「そうさ。天帝様をどうにかしていたやつがなんなのかはわからないけど、
戦いに勝ち、そいつもどうにかする。そのための戦いさ」
注がれる魔力の一滴ごとに、己の存在そのものが
消耗していくのを自覚しながら、女は術を止めない。
全て、ルミナスの未来のために。
「聞こえるか、この声が」
ある日、ルミナスの陣にいる全ての人間は声を聞く。
力強いとはいえず、叫びでも、嘆きでもない。
ただ語られる言葉。
だが、それは真横にいる誰かがしゃべったようにも聞こえ、
あるいは遠くからこだまのように聞こえるかのようにも思えた。
その声を聞く兵士達は、緊張に身を硬直させる。
直接声を聞いた者は数少ない。
だが、誰もが天帝だと察したからだ。
「我らは間もなく、西の凶刃を折り、打ち砕くべく進む。
この戦は苦しく、つらい物となるだろう。
だが、進まないという選択は、私にはない。
この体、この魂はルミナスの民、国を背負っているのだから。
だが、ルミナスは私1人の物ではない。
軍知であっても、一兵卒であっても関係がない。
1人1人の……皆のためのルミナスだ。
であるが故、我は……8代天帝、黄龍大人としてここに立つ。
我の進んだ後に、新たなルミナスが産まれよう」
瞬間、空気が変わる。
術が完成し、転移が終わったのだ。
草原が─急に出現した形の無数の人間と物資という質量─により
空気が押し出され暴風が吹く。
それは宣戦布告のようでもあり、戦いの開始でもあった。
空に浮かぶ太陽が既にかけはじめていたことに、
気が付いている人間はほとんどいなかった。
全ては、前を向いていたがため。
徐々に暗くなる空。
だが、動揺する人間はいない。
何故なら、晴れであろうと雨であろうとやることは1つなのだから。
「闇は我らが味方。光と闇は表裏一体。
闇を恐れ、光ばかり求める西の輩に、
人は闇から産まれたのだと思い知らせるがいい!」
怒号のような叫びと共に、世界が闇に包まれる中、
未来のための進軍が始まる。