2.
「ふぅ...」
青空が高く澄み切った秋晴れの下。快晴な空とは裏腹に、まったく気分が晴れないレティシアは一人、屋敷のテラスでため息を漏らす。
「何か、あったか。お嬢」
お盆に乗ったティーセットを片手にクララがテラスへと入ってくる。
慣れた手つきでお茶やお茶菓子の準備を始めると、ものの数分で目の前に見事な午後のお茶会セットが出来上がっていた。
その中からピンクのマカロンを選んだレティシアは、口へと運ぶ。フランボワーズの酸味が口いっぱいに広がり、大変美味だった。
しかし、レティシアの気分は落ちたままだ。
「はぁ......」
「まさか、またあの男に何かされたのか」
お茶の準備を終わらせ、隣に座ったクララの表情が険しくなる。
あの男とはマックウィルのことだろう。
「ううん、違うの。それよりも今日のリボンも素敵よ、クララ。とてもあなたに似合っている」
「お嬢が選んだからな。お嬢のセンスがいいんだ」
「ふふ、ありがとう」
褒められて、素直に嬉しかった。
クララの長くて美しい銀髪が丁寧に編み込まれ、真っ赤なリボンで纏め上げられている。
今日のクララはシンプルな黒のワンピースなので、赤色がよく映える。
レティシアの父親がクララを連れてきたのは護衛として恐ろしい大男を紹介され、怖くて拒否してしまった次の日のことだった。
新しい付き人だと紹介され、部屋に入ってきたクララは先日の大男と同じぐらい大きな身体をしていたが、サイズの合わないドレスを身に纏い、頭に変な角度に曲がったリボンを着けていた。
あまりにも不自然な出で立ちだったので、初対面でレティシアはこの方は女性なのかと、思いっきり失礼なことを聞いてしまった。
クララがレティシアから視線を逸らすことなく、堂々と女だと言ったことに安堵したのをレティシアはよく覚えている。
昔に比べて、クララも随分と身なりに気を遣うようになったものだ。
主人としても鼻が高い。
そんなクララが眉間に皺を寄せて、鋭い眼差しでレティシアを睨んでいる。
怒っているかのように見えるが、この表情はレティシアを心配してくれているのだ。
「実は、あの後、怒られてしまったのよ...」
「何!?お嬢を怒るなんて、どこのどいつだ!!叩き潰してやる」
「マックウィル殿下が」
複雑怪奇の取り決めのもとで結ばれている婚約を王子の独断で、しかも公然の場で堂々と破棄することを宣言したことで、レティシアの父親、リンガーホーン侯爵は怒り心頭だった。
一人娘であるレティシアの名誉を傷つけた挙句、マックウィルが婚約者である娘の他に恋人を作っていたかもという疑惑もあり、夜会の翌日に直々に国王陛下に殴り込みに行ったのである。
国内で有数な軍事力を保持するリンガーホーン侯爵家を敵に回したら、国が転覆しかねないと危惧した国王は息子の愚行を深く詫びたらしい。
おかげで、クララによる暴行はお咎めなしというほどではないが、厳重注意で済み、クララに懲罰が執行されることはなかった。
マックウィルにもキツく言い聞かせるとまで言ってたらしいので、きっと今頃、国王に怒られているのであろう。
つまり、婚約破棄はなかったことになったのだ。一件落着である。
しかし。
「......どうしてマックウィル殿下はわたしと婚約を破棄したかったのかしら...」
今回の騒動で、マックウィルがレティシアとの婚約を破棄したがっていることが明らかになってしまった。
婚約破棄はされなかったものの、その事実がレティシアの胸の中に小さな棘として残り続けている。
「いったい、何が原因だったのかしら...」
あの日から、何度も思い返すも、マックウィルが婚約破棄を望むほどの決定的な出来事が思い当たらない。
「手作りお菓子を贈ったり......」
お高く止まっている令嬢が苦手だとマックウィルが言うから、料理は苦手だったけど、頑張って手作りをしてクッキーを贈ったことがある。
満更でもなさそうに受け取ってくれたので喜んでもらえたと思ったのだが、次に会ったときに「よくもあんな汚物を食べさせてくれたな」と文句を言われてしまった。
味見役として同じものを食べていたクララは大変美味だと褒めてくれたのに、不思議だった。
「殿下に似合いそうな香水を選んだり...」
誰もが振り向く色男になりたいと呟いていたので、巷の女性たちに人気だという香水をプレゼントしたこともある。
こちらも贈ってすぐに瓶を開け、香りを付けていたので素敵ですと褒めたら、得意げに笑ってくれた。
しかし後日、疲れ切った顔をしたマックウィルに「今後、二度とお前からの贈り物は受け取らない!!!」と言い渡されてしまった。
とてもショックだったが、「男ってのは素直になれない生き物なんだ...」と母親と絶賛喧嘩中の父親が部屋の隅で蹲りながらボソボソ呟いていたのを聞いたことがあったので、マックウィルなりの照れ隠しだとレティシアは思っている。
「結構、頑張ってきたのだけど...何が、ダメだったのかしら」
「お嬢に色々してもらえて、幸せなやつだ」
「ふふ、ありがとう。クララ」
改めて思い返してみても、婚約破棄を言い渡される理由がレティシアには見当もつかない。
クララが用意してくれた紅茶を口に含む。温かな紅茶の香りが落ちた気分を少しだけ軽くしてくれる。
「あっ、そういえば」
レティシアは思い出したかのように声を上げた。
「一ヶ月前のことだったかしら。マックウィル殿下に突然、接吻を迫られたんだわ」
「何ぃ!?」
クララが持っていたティーポットの柄をパキッと握り潰す。
「あの男が、お嬢に何をしたって...!?」
「未遂!!未遂よ、未遂!!結局、何もされていないわ」
額に青筋を立て、今にも人を殺さんばかりの恐ろしい形相で勢いよく立ち上がったクララをなんとか宥める。
さすがにあのときは、レティシアも驚いた。
月に一回ある婚約者同士のお茶会の時の出来事だった。
珍しく隣に座ってきたマックウィルが、突然レティシアの肩を抱いたと思ったら、顔を近付けてきたのだ。
ちょうどクララが席を外し、マックウィルの従者しか部屋におらず、彼の行動を止めるものは誰もいない。
突然のことだったので、レティシアは咄嗟に持っていた扇子を口元に広げ、自身とマックウィルの顔の間に隔たりを作った。
そして、こういうことは結婚してからにしましょうとやんわりと断ると、マックウィルは面白くなさそうにレティシアから距離を取ったのである。
そういえば、あの子爵令嬢をちょくちょく見かけるようになったのもレティシアがマックウィルからの接吻を拒んだ後だったのではないだろうか。
「......つまり、殿下は欲求不満だったってこと?」
マックウィルも年頃の男性だから、そういうことに興味を抱くことは理解できる。が。
婚約者と接吻ができなかった。
果たしてそれだけの理由で、マックウィルが婚約破棄という選択を選ぶだろうか。
レティシアはますますマックウィルの真意がわからなくなっていた。




