1.
「レティシア・リンガーホーン!!!俺は、お前との婚約をこの場で破棄することを宣言する!!!」
力強い叫びが、夜会が開かれている大広間の隅々まで響き渡る。
周囲のざわめきの中心にいるのは、この国の第二王子のマックウィルとその婚約者で、たった今、婚約破棄を言い渡されたレティシア・リンガーホーン侯爵令嬢だった。
突然の婚約破棄に驚いたレティシアは頬いっぱいに詰めた焼菓子を慌てて飲み込むも、勢い余って喉に詰まりそうになっていた。
横から水を渡され、なんとか一命を取り留めたレティシアは改めて婚約者のマックウィルと向き合う。
「そ、そんな......わたしの、何がご不満だったのでしょうか」
大きな瞳に涙をいっぱいに溜めるレティシアに、マックウィルは嫌悪の眼差しを隠すことなく向けている。
マックウィル第二王子とレティシアは親同士が決めた婚約者であった。決して優しい人ではなかったが、生涯の伴侶になる人だったので、レティシアなりに一生懸命マックウィルに尽くしてきたつもりだった。
それなのに、こんな公の場で婚約破棄を言い渡されるなんて、あんまりである。
「お前にはほとほとうんざりだ。金輪際、俺の前に現れてくれるな!!」
「どうしてそんな急に...」
「急にではない。前々からお前の行動は目に余るものが多かった。ついに耐えることができなくなっただけだ」
マックウィルのすぐ後ろに見慣れた令嬢の姿が見えた。ここ最近、よく見かけるようになった子爵令嬢だった。
そういえば、最近二人がコソコソと密会している姿を目撃したと親切なご婦人たちがレティシアに教えていてくれた。
しかし、人のいいレティシアはマックウィルに新しい友達ができたとばかり思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
ひどい裏切りに打ちひしがれるレティシアは棒のように突っ立ったまま、ショックのあまり何も言葉にすることができなかった。
マックウィルが勝ち誇ったような笑みで、レティシアを見下ろす。
「おい」
腹の底から湧き上がったような低い声が響く。ざわざわと騒がしかった周囲の声が一瞬にして静まり返る。
後ろに控えていた、レティシアの付き人が主人を守るように一歩前に出る。
「よくも、うちのお嬢を泣かせてくれたな」
「クララ...」
レティシアは涙目で付き人の名前を口にする。
クララはのしのしとマックウィルに近付いていくと、さっきまで余裕の笑みを浮かべていたマックウィルの表情がみるみるうちに恐怖で引きつる。
「ち、近付くな、化け物!!」
マックウィルの叫びにレティシアはむぅっと顔をしかめる。
人の付き人を化け物呼ばわりするなんて、なんて失礼な人!
クララは歩みを止めず、ドレスを揺らしながら真っ直ぐとマックウィルに向かって進んでいく。マックウィルが逃げるように後ずさるも、クララがそれを許さなかった。
マックウィルの胸ぐらを掴み、ひょいっと軽々と持ち上げると、クララはあろうことかそのまま彼を顔面から床へと叩きつけたのである。
一瞬の出来事で何が起こったのか、すぐ理解することができなかった。
気付いたら、マックウィルが顔面から床にめり込んでいた。
「マックウィル様ぁぁぁ!!」
子爵令嬢が悲鳴を上げ、床にめり込んだマックウィルへと駆け寄る。
そこでようやく王子が暴行を受けた事態を把握した周囲がひそひそとざわめき出す。
遠くから、衛兵たちが動き出すのが見えた。
しかし。
「なんだ、貴様ら」
クララが威圧的にじろりと睨むと、しんと静かになる。衛兵たちも畏怖の眼差しをクララに向け、動きを止めた。
静かになった空間に、子爵令嬢の泣き声だけが聞こえてくる。
そんな悲痛な泣き声を背に、クララはのしのしと主人のレティシアのもとへ帰ってくる。
呆然とその光景を眺めていたレティシアはさあぁぁと血の気が引いていく。
自分の付き人が、王族に危害を加えてしまったのだから当然の反応である。
顔を床にめり込ませているマックウィルはピクピクと微かに動いているため、とりあえず死んではいないことに、レティシアは安堵する。
「さすがに、やり過ぎだわ。クララ...」
「手加減はしたつもりだ」
「そういう問題じゃっ...!!」
そこでレティシアは、クララのドレスの袖が破れていることに気が付いた。
「クララ...。あなた、またドレスを駄目にしてしまってるわ」
「ん?あぁ、そうか。気付かなかった」
今更、ドレスの袖が破れたことに気付いたクララだったが、あまり気にする素振りは見られない。
マックウィルを叩きつけた衝撃で破れ、無残な有様になってしまったクララのドレスに、レティシアの胸が小さく痛んだ。
せっかく、クララに似合うであろうドレスを選んだのに、これだと台無しだ。
「あなたも女の子なのだから、もっと見た目を気にしないと」
周囲の視線が一斉にクララへと集まる。
「そうだ。わたしは女だ」
「もう何言ってるの!!そんなことはわかってるわよ!!」
低く野太い声でわかりきったことを口するクララに、レティシアは思わず淑女らしからぬ声を張り上げてしまった。
そこでレティシアはクララの破れたドレスの袖から太くて、勇ましい腕が覗いていることに気が付く。
誰しもが見上げるような長身と、鍛え上げられた立派な身体。そして、それらを覆い包むドレスは大きな身体が動くたびに、今にもはち切れんばかりにミチミチと音を立てていた。
レティシアはちらりとマックウィルを見る。未だに床にめり込んだまま起き上がってこない。
さすがに少し心配になったが、子爵令嬢が必死に声をかけており、遠くから衛兵たちも駆け寄ってきている。
ならば、婚約破棄を言い渡されたレティシアが側にいる必要はないだろう。
正直、今はクララの腕が周囲の目に晒され続けることのほうが気になってしまう。
「それでは、殿下。わたしはこの辺で失礼いたしますわ。今後のことはまた後日、お話致しましょう」
床にめり込んではいるが一応、王子なので礼儀として頭を下げ、レティシアはカーテシーをする。
また周囲がざわざわと騒がしくなる。
そのざわめきの原因が自分たちにあると気が付かないレティシアは自分より遥かに大きいクララの腕を引き、会場を後にするのだった。




