七月三十日(前)「夜明けに語ろう」
今日も二本立て!
……息が、詰まる。
目の前が真っ暗で。
もがいても、何もつかめなくて。
空気が重たい、まるで深海みたいだった。
「本当に何もできないんだ」。
「信じてくれよ」。
って僕は、光の届かない宇宙に一人っきりなのに、届きもしない言い訳を真っ先に紡ぎあげる。
暑い、暑い、暑い。
遠くで、誰かが泣いているような音がした。
助けなきゃいけないのに、指一本動かせない。
蛇に睨まれたように立ち竦む以外に為せない無力さが、全身に噴き出す気持ち悪い汗が、僕にはひどく既視感があって。
大嫌いだった。
◇
「──っ!……はぁっ、はあっ。………ふぅ、今、何時?」
今日の寝起きは最悪だ。
起きなければならないという強迫観念めいた衝動が急かすように僕の背中を押した。
頭痛がする、気づけば寝汗もかいていた。
……あぁ、あれ、なんだ。
僕はどんな夢を見ていたんだっけ。
人は夢を日記に書かなければすぐに忘れてしまう生き物だ。それは因習では良くないものとされていたが、近年、脳科学的な観点でプラスの効果もあると、どこかで読んだことがある。
しかし、僕はたとえ起きた時に手元にノートがあったとして、夢の内容を覚えていたとしても。
きっと書かない選択をするだろう。
なぜなら僕は、日記に残す価値もないような、悪夢しか見ないから。
「五時半……。もう、寝れないな」
いつもの起床時間より少し早い。かといって二度寝もできる時間帯じゃない。
もとより体にこびりついた不快感が、僕を安眠させてくれるはずがなかったから、僕は伸びをして朝の支度を整えだす。
着替え、布団の整理、廊下に続く襖を開ける。
今日でこの家に来て五日目か。
ほぼ遊んでしかいない毎日だけど、その分この暮らしに慣れ始めてきた。
でも、僕がひとりになれる時間は、寝る前と起きた後しかないから、いまこの瞬間は少し寂しい。
寂しい……か。
この島に来る前はずっと孤独だったことが当たり前だったのに、今更何を考えたんだろうと、無意識の考えに自嘲する。
そうだ、ずっとひとりだった。
ひとりでいることが、僕の罪を赦せる、贖罪だった。
この罰を一生受け入れなければいけなかった。
ため息をつきながら、僕は自分の部屋に居た堪れなくなって、居間を目指している。
特に意味はなく、縁側で朝焼けでも眺めようとした。
けれど、そこには“誰か”がいて。
「──あ、誠?おはよ!どしたの?今日は朝早いね」
僕を“ひとり”にはさせてくれない君が笑っていた。
風香は可愛らしくねぐせをぴょこんとつくって、縁側に座っている。
いつも通りの眩しい笑顔。
……だけど、僕の目がまだ完全に覚めていないせいだろうか。
彼女の肩が、ほんの一瞬だけ、寒さでもないのに小さく震えたように見えた。
その顔も、どこか僕と同じように、冷たい寝汗を拭ったばかりのような──。
「お、おはよう風香。なんだか目が覚めちゃって」
「あはは、あるある。……良い夢の途中でそうなるとちょっと悔しいよね〜」
「……うん。良い夢。目を瞑っても続きは見れないし」
……あぁ、やっぱり僕の気のせいか。
彼女に弱い姿は見せたくないから、僕は小さく息を吐いて嘘をつく。
同じ夢を見ていたなんて、そんな奇妙な偶然があるはずもないのに、一瞬でもそんな錯覚をした自分がおかしかった。
「それより、風香も随分早いね?」
「えへへ〜!まあね!私は毎朝この時間に起きてるの!」
「え、そうだったの?」
初耳。てっきり僕と同じかそれよりも少し早い時間に起きてると思っていた。
……そういえば、彼女はいつも僕を起こしに来る。
あぁ、そして、そうだ。彼女はいつも僕と一緒に朝ごはんを食べる。
円海さんが作り置きしている物。
きっと彼女は出来立てのそれを食べられるはずなのに、わざわざ僕を待っている?
僕は途端に心が締め付けられる想いになった。
気づけなかったことに対しての申し訳なさ。
その風香の健気な気持ちに対しての申し訳なさ。
だから、それに言葉で謝るよりも前に、行動で償おうと誓った。
「じゃあ、僕も明日からこの時間──五時に起きようかな」
「……!え、本当?無理してない!?」
「無理じゃないよ。僕は面白いことが好きだから。風香と面白いことができる時間がもっと増えると考えたら、早起きしたいって思っちゃった」
「……へ、えへへっ、良いこと言うね誠!そうだよ、早起きするだけ、今日という日々が長くなるからお得だもん!」
今僕は恥ずかしいセリフを言ったのだろうか。まだ意識が覚醒しておらず本音がぽろっと意図せず漏れてしまったのかも知れない。けど、彼女はそれを茶化さず喜んでくれたから、言ってよかったと笑う。
「それで、円海さんは?まだ寝てる?」
「ううん?もうお仕事に行ったよ」
「もうお仕事に行ったよ……!?」
「いつも早朝に仕事があるから、超早起きなの!五時前には家出て行っちゃう!」
僕は世話を焼いてくれる叔母さんのことを何も知らない。まさか、そんな早くに仕事があるのに朝食を作らせてしまっていたとは。その恩を伝えたいと思ったから、少しでも円海さんのことを知ろうと先輩居住者に尋ねていた。
「円海さんってなんの仕事をしているの?」
「私は働いているところを見たことないけど……、前聞いたら、荷物を届ける人ってだけ教えてくれたよ」
「配送ドライバー?」
「うん。この島のどこにいるかはわからないや」
「どこに………って、あぁ、そっか。たぶんこの島にはいないんじゃない?」
「どういうこと?」
本人から聞かされただけであまり仕事内容をわかっていない様子の風香に、僕の考えを聞かせる。
「この島は狭いところだから、悪いけど朝から島内で配送なんてそうそうないと思うよ。だから、もしかしたら円海さんは船に乗って物資を運搬してるんじゃないかな」
「あー……!貨物船ってこと!?」
「そうかも。確証はないけど……、船の運転手か船に乗せられるドライバーか」
「どっちにしろ、ワクワクするねぇ!私、船なんてこの島に来た時の一回しか乗ったことないよ!」
「ふふっ、それなら僕もだ。円香さんが帰ってきたら聞いてみようか」
船経由の物資。きっとそれは島のインフラを握る大切な物で、早起きしなければならないほどやりがいのある仕事なんだろう。それを手伝える何かがないか、本人に後で尋ねようと思った。
そうして、朝すら始まらない、穏やかな時間を風香と縁側で座りながら過ごしていた。
そして、なにとはなしに、彼女の僕とは反対側に座る床を見た。
そこにあったのは、二冊の本とペン。
その一冊は、『夏色紀行』というタイトルのそこそこな大きさの本で、もう一冊は表紙が革で作られた題名のないノート。
書きかけだったのか、転がったペンを見つめ、それを思い切って尋ねてみる。
「ねえ、風香。これは?」
「ん?あー!これはね、私の大好きな本と日記!」
なるほど、この綺麗な装丁で包まれているのが日記か。彼女がそんなマメなことを書き込んでいることに驚く僕がいた。
「みたいー?」
「え、いいの?」
「だめー!」
ダメなんかい。
「えへへ、日記は少し恥ずかしいからね、絶対に見たりしないでね!」
「……うん。僕も風香が隠すのなら無理に見たりしないよ」
「えー?そう言われたら言われたで見せたくなっちゃうなぁ」
「どっち……?」
「んー……、じゃあ誠がどうしても見たくなったら見て良いことにする!それ以外は見ちゃいけないからね!」
結構そんなに隠したい秘密でもないのだな、と苦笑しながら僕は頷いた。
「はいはい。それじゃあ、いつか大事なときにみるよ」
「うんうん!心の準備してみてね〜?約束だよ!」
日記に心の準備ってなんだ。
彼女はそのノートを大切に抱えて、傍に置いた後、もう一冊の本を拾い上げて僕へ差し出した。
「でも、こっちは自由に貸し出してあげる!私の大好きなお話!」
「おお、ありがとう。へぇ、『夏色紀行』……、なんだか随分とシンプルな表紙だね」
手渡されたそれをじっくりと眺めれば、新品の文庫本のようにカバーの手触りがなめらかというわけでも、表紙が凝っているわけでもない。
ただ、『夏色紀行』と、わずかに緑を帯びた明るい青色の単色背景に白い文字が浮かぶだけ。ペンネームや、出版社すらも書いていない。
しかしそれでも、僕も強く惹かれる何かを感じた。
「あぁ、『紀行』だから、これが前に風香が好きって言ってた冒険小説?」
「すごい!よく覚えてたねご名答!」
「当然。それで、この本はどんなあらすじなの?」
「……!お、興味持ってくれた!?」
「そりゃあ、風香が大好きって言った本だから、当然読んでみたいって思うよ」
「〜〜!えっとねえっとね、この本は“夏”のお話なの!夏休み、島に住む女の子が『楽しそうだから』って単純な理由で少年の手を取って、その季節だけの小さな冒険をする。ふたりはいろんな面白いことをみつけてね、おかしく遊び尽くすんだ。それが最高にワクワクして、何回見ても飽きないぐらい、ずっと、好きなんだ」
彼女は目を瞑り、幼き頃から続く思い出をそらんじる。
太陽が昇りかかっていた。
柵の向こう、海の向こうから陽が差し込んで、彼女の表情が、よく照らされる。
それはすごく綺麗だった。
僕は彼女が語る記憶を時々相槌を打ちながら聞いて、ひとしきり彼女が話し終わった後、そこで僕が感じたことをありのまま伝えてみる。
「夏、島、旅。……なんだかそれって、この状況みたいだ」
彼女の大好きな本、そのあらすじは、本来住むべきでない場所から漂着してきた僕たちと似ていて、夏の旅路がテーマだった。
「……!それ私も同じこと思ってた!こんなことあるんだって、懐かしくて読み返してたの!!」
彼女はとびきり興奮したように、声を一段階あげて幸せに笑う。
「だからそこにあったんだね。……僕も読んでみるよ。いつか貸してもらえる?」
「もっちろん!」
幸せなモノは共有したい。
それは僕の願いでもあるし、それこそが僕が果たせなかった、“後悔”だ。
◇
「そういえば、風香はこの時間に毎日何してるの?僕が起きるまで本を読んでるだけ?」
現時刻朝七時。
ご飯を食べるにはまだ早いね、と意見が一致して、もう少し朝日を眺めていようと並んだまま座っていた。
「まあ基本はそうだけどー……、実は朝には朝で楽しみもありまして!」
彼女が笑う、朝の楽しみとは。
なんだろうと声をかけるよりも前に、僕たちだけの静かな世界は、あるひとりの異音で鍵を開けられる。
──タッタッタ……、トントントンッ!
はじまりは地面を軽快に駆けるような、靴が鳴る微かな音。
そして次には、何かを手で鳴らすはっきりとした音。
きっとそれは……この家の扉を叩いている。
「おっ!きたきた……!よーし、誠!ついてきて!」
彼女はこの音の正体を知っているようで、縁側から立ち上がって玄関へと向かうその背中を不思議に思いながら僕はついて行った。
引き戸の扉。インターフォンがないからこそ原始的に扉を叩くしか来客を知らせる方法はないのだろう。
こちらはインターフォンのカメラ機能はおろか、ドアスコープすらなく相手の顔は想像できない。
だが縦状に入った厚い磨りガラスは、その扉の向こうの人物がどんなシルエットなのかだけを書き表す。
それは背の低い、女性だ。
風香はついに鍵のかかっていない扉を横へ押した。
「いらっしゃ──」
「──おっはよーございまーす!今日もお届けに参りましたー!千草急便でーっす!」
開けるや否や、風香が歓待の言葉を言うよりも前に、その女性──ボブカットに帽子を被った元気な配達員は目的のモノを僕たちに差し出した。
それは彼女の言葉通り、厚紙の集合体。
『千草新聞』と銘打たれたローカル新聞だ。
「今日もありがとー!蒼華ちゃん!」
「いやいや、こちらこそ毎度どうもっ!風香ちゃん!今日も元気っすね!」
風香は差し出されたそれを貰い受けて脇にしまい、彼女と対話する姿勢に出た。
その子は、見たところ僕と同じぐらいの年齢の子。
風香が『蒼華ちゃん』と名前にちゃんを付けて呼ぶことから、茉里のように僕がここに来る前に先に知り合っていた関係のようだ。
新聞配達員らしき彼女はその仕事を無事に終えたが、まだ帰ろうとする様子はなく、対話を望む風香に満更でもなく付き合おうとしていた。
「ふふふ〜、夏だからね。やっぱり朝から元気じゃないと!」
「あははっ!それ昨日も言ってたっすよ!」
「いいのいいのー!元気なんてあるだけ良いんだから!」
「それもそうっすね!よーっし!それじゃああたしももっともっと負けないぐらい元気になるっすー!」
「元気になれー!」
朝とは思えない衝撃の会話。
僕は朝からお腹いっぱいになりそうだったが、すっかり覚醒した目を擦って情報を整理する。
動作をするたび揺れるサラサラの短い髪。
その頭部を暑い日差しから隠すために被る、キャスケットと呼ばれる形の帽子。
この島の民らしく太陽を浴びて小麦色になった健康的な肌。
そして短い言葉だけでもわかる『っす』という強烈にラフな語尾。
僕は新たな“変わった”人の登場に、驚くような、それとも嬉しく思うような、未知と触れ合う気分に包まれる。
「っと、あれ?風香ちゃん、その男の子ってもしかして……」
配達員の彼女は玄関に知り合いではない誰かがいることに気づいたか、僕の方をまんまるの瞳で不思議そうに見つめた。
もしかして?ひょっとして風香は僕のことを彼女に話したことがあるのだろうかと、その表情を確かめる。
「うん!前に言った一緒に住んでる誠くん!」
「ど、どうも……。はじめまして、葛城誠です」
彼女が流れるように僕の背中を押したので、自己紹介せざるを得なかった。もとよりいつしようか迷っていたのでこれは丁度良く、この短期間にする機会の多くなった挨拶を行う。
「おー!誠くんっすね!どもっす!……へへ、風香ちゃんがいっぱい話題に出してるからよく知ってるっすよ!」
「え、風香が?なんだか恥ずかしいですけど……ちなみになんて?」
僕のいないところで変なことを言っていないだろうかとドキドキしていたが彼女はニッコリと笑顔のまま言った。
「とっても良いことっす!遊び相手ができて最近お昼でもやることいっぱいで楽しいって!」
僕が来る一ヶ月前に滞在していた風香。
最近は毎日二人で遊んでいるからこそ、その前の生活の彼女の寂しさが垣間見えていた。
その彼女の遊び相手として満足いく役割を果たせていたことが、人伝いに教えられて、僕は正直に嬉しかった。
「もー恥ずかしいから内緒だよー!蒼華ちゃん!」
「へへ、ごめんごめんっす!……あっと、誠くんだけでまだあたしの名前ちゃんと伝えてなかったっすね!あたしは雨宮蒼華っす!この島の運び人!呼び方はなんでもいいっすよ〜!」
雨宮蒼華。夏が似合う美しい名前だ。
差し出された手を僕は軽くお辞儀をしながら握り返す。彼女はほんのり温かい体温をしていた。
「……じゃあ、雨宮さんで……」
「あ、それは嫌っす」
なんでもいいとは?
「ちょっと距離感じるんすよ……、っていうか風香ちゃんから聞いたっすよ!誠くん高一なんすね!?あたしも同じっす!歳は16っすけどタメっすよタメ!」
……まさか、同級生だった。
てっきり背も低いし、風香よりも幼い顔だし、謎に後輩口調だから中学生だと思っていた。
……というか、運び屋とやらでアルバイトをしているなら高校生じゃなかったら法律が許してくれなかった。
「そうなんですね。……えっとじゃあ、蒼華さん?」
「いやあまだ距離感は感じるっすけど……いまはそれでもギリ……っと、でも、その敬語だけはやめてほしいっす!せっかく同級生なんで!敬語つけて喋られると……」
「ムズムズする?」
「……!そうっす!風香ちゃん!落ち着かないっす!」
どうなってんだこの島の敬語アレルギーは。
「……じゃあ、ありがたく、こうやって喋るね蒼華」
「うおお!落ち着くっす!」
元気よく叫びながら落ち着くな。
やかましさが朝から飽和するようで、心地は良いモノだったが落ち着きたくて、息を吸いながら玄関の天井を見つめた。
「……………いや待って」
頭に何かがひっかかる。
「え、何がっすか?なんでも待つっすよ!待つしかできないっす!いややっぱり嘘っす!待つ以外ならできるっす!走るのとか得意っす!」
喋りすぎ喋りすぎ。
一人でどんだけ喋るんだとその内容を思い返した後、ようやくその違和感を突き止められた。
「敬語嫌だって言ったのに、蒼華は敬語使ってない?」
『〜っす』という口調。これは世間一般ではギリ……敬語か?舐め腐ってはいるがうん、敬語だ。
「あ〜……!」
「前に私が外してって言った時は、癖だから抜けないって言ってたよねー?」
「そうっすそうっす!あと年上相手だと自然にそうなっちゃうっていうか……」
「でも、僕とは同級生だ。というか15歳で厳密には歳下だ」
「うーん……。誤差、かも知んないっす」
誤差はどう言うことだよ。なんの文脈だよ。
「あたしの中の敬語センサーがぶっ壊れたとしか」
敬語センサーってなんだよ。知らない単語だよ。
「っていうか、そもそもあたしの口調は敬語なんすかね?」
自分で言っちゃうのかよ。
言ってる本人が敬っていればそれは敬語だよ。
「あたしの舐め腐った口調は日本敬語連盟に認めてもらえるっすかね?」
舐め腐った自覚があるのかよ!
それは敬語じゃないよ!
日本敬語連盟はそれを敬語と認めないよ!
……日本敬語連盟ってなんだよ!
「へへ、やっぱりこれが染み付いて抜けないっす……!勘弁してください」
いや全然勘弁するよ!?なんで急に塩らしくなったの!?
「……わかったよ。僕も呼び方なんでもいいから」
「ほんとっすか!?まこちゃんとかも!?」
「あ、それは嫌っす」
「なんでもいいって!?あと口調パクられた!?」
そんな呼び方人生で初で、柄にもない口調で思わず断ってしまった。
実際そこまで嫌なわけではな……いや結構嫌かもしれないからやはり否定だけはしておこう。
こんな調子の狂わされる僕を見ていた風香は、けらけらと面白そうに笑っていた。
「ふふっ、まこちゃん。かわいいねえ」
「……やめて風香。ふうちゃんって呼ぶよ」
苦し紛れのカウンター。
「ん?私はそれでもいいよ?まこちゃん」
「ごめんなさいそんな呼び方はしないので、まこちゃんよびはやめてください」
カウンター失敗。撤退。
「……そうだ。蒼華はどんな仕事をしているの?運び人って、なに?」
話を早く変えたいからと、強引に僕は蒼華という人物のことについてもっと知ろうと質問をした。
実際、疑問が残る。新聞配達をするのならばそう言えばいいはずなのに、わざわざ変な言い方をする。
「それはそんまま運び人っすよ!うちが代々継いでる『千草急便』って会社で、島のひとたちの荷物を運んで届けるんっす!ほら、あの子に乗って」
彼女はそういうと、僕たちから視線を逸らして、後ろを振り向いて指差した。
玄関の向こう、そこには、庭先までソレに乗ってきたであろう二輪の鉄塊が存在する。そう、あれは。
「わっ、バイクだ」
「そうっす!うちのクモちゃんです!」
きっと自分の大切にしたい相棒には名前をつけるタイプなのだろう。彼女はバイクを“クモちゃん”と呼んで紹介した。
世の人は無機物に名前をつけることを厭うかもしれないが、僕は愛情のために名前をあげることはとても素晴らしいことだと思う。
だから馬鹿にしたりなんかせずに、真摯に笑った。
「そっか。おお……、色味が良くてかっこいいね。結構僕好きかも」
「……!え、わかるっすか!?誠くん!雲っぽい色してかっこいいっすよね!!」
彼女のクモちゃんは、“雲”と本人が言ったように、灰色と透き通った白色が共存したカラーリングをしており、なんというか夏の“入道雲”のような渋いセンスをしている。
雲といえばで思い浮かぶ白単色ではないのが、僕には深みを感じてみせていた。
そして彼女はそのバイクを褒められ慣れてないのか、そのテンションはとびっきり最高潮にのぼり、腕をブンブンと振って共感を喜んでいる。
「そっかそっか〜!誠くんはわかるんすね、この良さが!」
「誠は意外と男の子だからね〜」
「どういうこと風香。……あと、そこまでバイクに興味があるわけではないよ。なによりまだ原付すら運転できないし……」
そう言った時、僕は彼女の年齢についてもう一度考えてみることにした。
「って蒼華は16ってことは、原付の免許取り立てなの?」
「そうっす!誕生日は早い方で、つい二ヶ月ぐらい前に取れたばっかなんすよ!そっからこの子を乗り回して、じゃんじゃんいろんなものを運んでるっす!」
彼女は僕と同世代なのに、免許をとって仕事も励んでいる。
……風香とは別ベクトルで、眩しい女の子。
全てから逃げてきた僕は、彼女がどうにも輝いて見えて、僕の影が濃くなっているような卑屈な気持ちにもなる。
「それは、すごいね。……ねえ、配達ってどんなものを運ぶの?」
「あ、私も気になるなぁ。うちは円海さんが新聞読むの好きだから毎日来てくれるよね」
彼女の口ぶり的に、『新聞配達』だけが仕事ではないようで、それならいったい他に何を運ぶのだろうと疑問が湧いて尋ねていた。
「うーん……、島のみんながウチの店に依頼したものをなんでも届けるのが仕事なんで、ほんとにいろんなものを運ぶんすけど……。萩原さんが定期契約してるみたいに新聞を運んだり、島の外から来たAm◯zonが港に置いた荷物を代理で運び届けたり……」
本当にすごい仕事だ。
都会では考えられない、なんでも屋的な存在。
それをとても面白いと思う。
「あ、あと人とかっすかね」
人……!?配達員が人を??
「さすがにクモちゃんじゃ厳しいっすけど、父さんの車は人の運搬もしてます。観光客を神社まで送り届けたり」
もうタクシーだよそれは。
「腰の悪くなったおばあちゃんを病院へ送り迎えしたり」
もうデイサービスだよそれは。
「怪我人を島の外まで運んだり」
もう救急車だよそれは!
「人以外だとなまものも運ぶっすよ。魚とか」
冷凍車!?
「稲とか」
米収穫前!?
「それとフランスパン」
やっぱりかよ!来ると思ったよ!ついでのように来るなよ!米は稲なのに小麦は加工済みかよ!フランスパンの出前なんて頼む人いないよ!
「フランスパンは結構萩原さん頼んでくれるんすよー!新鮮なのがいいらしいっす」
身近にいたよ!新鮮なフランスパンってなんだよ!あのネギみたいにトートバッグに突き刺さってるフランスパンが一向に減る兆しを見せないのはそういうことかよ!
ふぅ、と僕は深く一息ついて、やっぱりこの島の異常性を再確認する。
心愛さん……。こんな環境で生きてきたんですね……。
「じゃあさ、蒼華ちゃんが運んでて楽しいものは何?」
どんな質問だ。
「……ん〜!そんなこと考えたことなかったっす。……あ、でも、やっぱり“手紙”は嬉しいっすよ」
彼女は目を瞑って、静かに笑いながら、肩にかける郵便バッグを抱きしめていた。
そこに入っているのは、やはり手紙なのだろう。
その理由を彼女は続ける。
「島の外からよく来るんすけど、遠く離れた場所な分、届けた先の人が受け取って笑顔になるんです」
「……へぇ、そうなんだ。それは確かに嬉しいね」
僕は案外そのまともな答えに感心していた。
手紙。人と人とが離れていても繋がれる、ネットがない時代には唯一の手段。
それはとても温かい人の営みだと思うし、僕は年賀状含めて、そんなやりとりを大切だと信じている。
「ですです。見るのも書くのも好きですけど、運ぶのは……なんだか幸せのお裾分けをさせてもらってる気持ちになって、もっと好きなんすよね」
「させてもらってるー?」
「はい。どういうことって言われるとむずいっすけど……本来二人だけの会話を、あたしが橋渡しをして、手間賃がわりに断片を覗かせてもらってる、っていうか。もちろん実際は手紙の中身なんて見たこともないんすけど、それにすごくやりがいを感じるっす」
「……うん。とても素敵な考え方だと思うな。運ぶ者がいなければ届かなかった想いが、自分の力で渡された。……きっとそうなったら、とても嬉しく思うだろうね」
「お、おお〜!その通りっす!!誠くん、すっごく言語化上手いっすね!」
「ふふっ、そう?僕も運び人って仕事に興味が出てきたかも」
「ほんとっすか!!よし!いつか一緒に配達するっすよ!二ケツで!」
「……免許とってないからわからないけど、それって犯罪じゃなかったっけ」
「うーん!ギリ誤差でおっけーです!」
誤差ってなんだよ!
※原付二ケツは法律上ギリ誤差でオッケーですが、免許取得一年以上が条件なので彼女はギリ誤差でダメです。
「……あ!手紙で思い出したっす!!!ちょっと待っててくださいふたりとも!」
突然、彼女は手と手を合わせて飛び上がり、颯爽と玄関から走り去っていった。
なんだ忘れ物か?と僕と風香は同じことを思っていたようで、顔を見合わせていた。
そして案外すぐに、彼女は息を切らしながら玄関の敷居を跨ぐ。
彼女がさっきまで何も持っていなかった右手には、ひとつの硬質なボードが握られている。
どうやら彼女はクモちゃんの元まで急いで走り寄って、忘れかけていた荷物を取ってきたらしい。
「あの、これ!」
彼女は風香にそのボードを両手で贈呈する。
これは円海さん宛の新聞でもフランスパンでもない、風香への荷物。
……あぁ、そうか。と僕は誰よりも早くその正体を勘付いた。
人へ想いを届ける手紙。それを聞いて思い出したというそれは、きっと同じ役割を持っている。
彼女は昨日約束したじゃないか。
些細なことを記録する、住民たちの絆を可視化したソレを交換し合うことを。
「……わあ!これ回覧板だ!」
風香は彼女が約束を忘れていなかったことに、すごく嬉しそうに顔から笑みを隠さずにいる。
風香にとって、はじめての回覧板。その感動を味わわせてやりたいという想いが、しばらくなにも口を挟ませなかった。
「……ふふん、あとでじっくりよんで返しちゃお〜!」
「うん、それがいいね。風華の楽しい話を聞かせれば、きっと心愛さんも喜ぶよ」
僕は彼女が友達から貰った文通のようなものを尊いと思ってそう言った。けれど、彼女たちからすれば、それは僕の思ったようなものではなかったようだ。
「何言ってるの!誠も、書くんだよ!心愛ちゃんにお返事!」
「……え、僕も?」
「もちろん!昨日回覧板やるって言った時に誠もいたでしょ?だから私たち三人でやるってことに決まってるよ!」
僕はてっきり、女子二人だけの会話だから挟まれない方が気を遣っているだろうと考えていたが……。
「ほら心愛ちゃんも、『二人のお返事待ってます』って書いてある!」
……その厚意は無碍にする方が、悪いか。
「わかった、僕も書くよ。あとで見せて」
「うん!じゃあ誠の書く担当は今日の献立ね!」
「はいはい。どうせ三食どれかフランスパン」
「あははっ!だろうね。今日は何味食べるかな〜」
フランスパンに味ってなんだよ、といつもなら突っ込んでいたが僕はもうそれに慣れてきているように、嬉しい気持ちでいっぱいだった。
つい二人だけの空気になりかけていたところ、除かれていた彼女が声をかける。
「へへ、こんなに喜んでもらえたらきっと心愛ちゃんも嬉しいっすよ」
「嬉しいって思ってくれてるといいなぁ。……あれ?蒼華ちゃん、もしかして心愛ちゃんと知り合い?」
「はいもちろんっす!大切な大切な、かっこよくてかわいい仲間っすよ!そもそもこの島の住民で顔知らない人なんて絶対にいないんで、そう聞かれたら誰でも等しく“知り合い”なことは確定してます!」
狭い社会だ。“普通”の物差しが狂った心愛が外の世界を目指す理由もわかる。
けれど、喋っているだけで愉快なこの運び人が、真面目な彼女を『仲間』と呼ぶのは、やはり気が合わないなんてことは絶対にないと思った。
「昨日の朝、心愛ちゃんから緊急の連絡があってこの回覧板を届けに行くように言われたんっす。もともと友達の風香ちゃんの家でしたし、これ渡すの楽しみだったんですよ!」
「ふふふ。……ねえ、明日心愛ちゃんの家までこの回覧板届かせたいなってなったら、今日の夜に千草急便に電話をかければいい?」
「もちろんっす!庭先に置いてくれれば朝一番にここに来て、海の家まで届かせに行きますよ!」
「うん!おねがいね!」
「わかったっす!他にも届けたいモノがあったらなんでも言ってくださいね!絶対に運び切りますから!」
職業:運び人。この千草島でしか見られない便利屋はとても頼りになる光の笑顔でそう言った。
◇
「あれ、朝日がまぶし……ってもうこんな時間っすか!?」
彼女と出会って数十分が過ぎた頃だった。
ずっと玄関で立ちながら会話を交わし、彼女の話しやすい雰囲気から僕たち三人はより仲を深められていたような気がした。
蒼華の愉快な運び人トークは時間を忘れさせてくれるほど、かけがえのなく興味深かったが、彼女は太陽の光線が影を超えて目に直撃したことで、ようやくその時間という存在を思い出しはじめた。
「八時か〜、結構話したね!」
「本当だ。いつもならこのくらいに起きてたなぁ」
お腹も気付けば空いてきた。
活動時間が遅い今までだったら、きっとこうして早朝に有意義な時間を過ごすことはなかったのだろうと、今までを憂い、これからを待ちきれないほど楽しみに思えている。
「……あれ、蒼華ってそういえば仕事中じゃないの?こんなに止めさせちゃって大変なんじゃ……」
彼女は千草急便の配達員。そのベルトコンベアを私情で止めてしまったとなれば、荷物を待っている他のひとたちに申し訳がない。
そう思って不安になったが、彼女はそこには全く焦っていない様子だ。
「それは大丈夫っす!ここが最後の配達の場所っすから!あの回覧板で今日の仕事は終わり!」
「ここは町から離れてるからね〜、蒼華ちゃんはいつも最後に来てくれるんだ」
「なるほど……。考えてるんだね」
「へへへー!風香ちゃんとお話しする時間残すためっすけどね!」
『宅配の仕事を残しておくことでどれだけ話し込んでも大丈夫』、というのは時給性の雇われだとすればあり得ないことだが、ローカルな島の事業だとすれば、随分と自由で安らかな営みの一種だろう。
「でもさすがに長話しすぎちゃったっすね……、父さんが家で朝ごはん用意してるんすよ」
「あぁ、それは一緒に食べてあげなきゃね」
「もう高校生だから大丈夫って言ったんっすけどねぇ……。子離れできてないんっす」
むむむ、と唸りながら彼女はその父に対して、困ったもんだと微笑んでいた。
「うちの父さん、運び人の仕事手伝うって言った時も心配してやまないみたいで、いっときアタシを追ってきたことがあったっす」
まぁ娘の初めての仕事なら当然か。
「全身黒タイツ着てサングラスして」
ストーカー?
「十メートル後ろを」
いや近いな?
「振り向いたら木のフリしてました」
お遊戯会?
「前向いてまた後ろみたら、接近してました」
だるまさんがころんだ?
「後ろ向きながら歩いたら、小刻みに走ってきておもろかったっす」
父で遊ぶなよ。
「バイク走らせたら、猛スピードでダッシュしてきて超おもろかったっす」
父で超遊ぶなよ。
「また別の日は届け先の人の家に先回りして、娘が来るから丁重にお願いしますって頼み込んでたり……」
荷物より先に人が着く宅急便!?
「最近はこんな過保護なのなくなったんすけど、帰るの遅くなるとめっちゃ心配されるんっすよー……」
やれやれ、というように彼女は頭を振って、身内の変な行動の数々を思い出して吐露していた。
「あたしは一人前になるために頑張ってるのに……」
ぶつくさと顔を赤くしながらそうこぼす彼女。それは確かに聞いてるだけで娘としてはうんざりするだろうなという行動だ。
……でも、僕たち外の人からすれば、それはとても幸せなモノのようでいて。
「ふふっ、良いお父さんだと思うなぁ私」
そんな感想を風香と僕は抱いていた。
彼女の父の姿は、娘を想う微笑ましい心温まる家族のワンシーンとして容易に想像できる。
僕たちは奇しくも、親の庇護下から離れた状態。
ゆえに、きっとそんな父のことが娘への愛に溢れているだけなのだと目に映る。
「へ、へへっ。まぁ、悪い父さんじゃないことだけは確かっすね」
蒼華は僕たちの感想を聞いて、少し恥ずかしいように目を背けて笑っていた。
一種の反抗期、父のことをうざったく思うこともあるのだろう、けれどそれは本心からの拒絶ではないということが、こうして同じ朝食を食べようと靴紐を結び直し、帰りの支度を進めている蒼華を見て汲み取れた。
「うんうん。ほら、行ってあげて!」
「わかったっす!……じゃああたしはこれで帰りますね!また明日も来るっすよ!」
「ふふっ、楽しみにしてるよ蒼華」
「楽しみにされとくっす!バイバイ!誠くん、風香ちゃん!」
僕たちは玄関から動かないまま、ただ朝日の方に走っていく元気な少女──蒼華がクモちゃんに跨って、後ろ姿が見えなくなるほど遠くへ行くまで、手を振っていた。
「……お父さん、かぁ」
「……?どうしたの風香」
彼女を見送りながら、風香がそんなことを呟いたのを僕は聞き逃さなかった。
横を向いて確かめた表情は、淡く憂いを帯びていて、儚い印象を与える。
「いやあ、寂しいなって、思い出しちゃって」
「……うん、そうか。僕もだ」
風香の実の血縁はこの島にいない。
彼女がどんな故あって地元を離れたのかはわからないが、そう漏らした本音は、僕にもようやく理解できる。
僕の家族はいつだって優しかった。
けれどその優しさに甘えたくないから逃げてきた。
離れたことで喪失した愛情は、ふとした時に心を苛む。その痛みは旅人の僕たちだけが分かち合えるから、君を笑わせるために僕は言った。
「でも寂しくなんてないでしょ?僕がいる、円海さんがいる。それに……島の皆も風香のことを見ているよ」
それは彼女に気付かせたいからじゃなくて、僕が彼女を寂しくさせないようにしようと誓いたかったから出た言葉だった。
そしてまた、無意識に、もう忘れてしまった朝の“夢”を否定したくてからも、まろび出ていたんだ。
「……!うん、そうだね!やることはまだまだいっぱいだし、やっぱり寂しくなんてないや!」
「そうだよ。まだ七月も終わってないんだ。ご飯を食べて、それから今日も遊びに行こうよ」
朝は始まったばかり。夏は始まったばかり。
僕は未来のことを夜明けに語る。
「行く行く!今日は〜、釣り、しよっか!」
堤防、心愛がお薦めしてくれた場所へ。
僕たちは時計の針をゆっくりと廻す。
雨宮 蒼華
バカキャラその2
単純で一途で仕事熱心。
ナメくさった敬語ですが、文の会話だけで誰が喋っているのかわかりやすくてかなり助かります。
こういう性格の子、書いてて楽しくて、好きなキャラです。




