七月二十九日(前)「灯台に登ろう」
今日は前後編です!
「──おはよっ!誠!今日は〜〜、じゃん!『味噌炙りチーズカレンスパン』!」
……なんて?
時刻は七時。もうこの時間に起きることは苦でもなくなった。
だが今日起こされたのは別の意味で苦しかった。
カレーの風味を増した芳醇な香りが、寝床の隣のキッチンから漂ってきたのだ。
それがなんとも食欲をそそることか。
でもやっぱり、なんて?
「えっへへ〜、円海さん、私たちのカレーすっごく気に入ってくれたみたい!いっぱい作っておいてよかったね!」
今食卓に出された、味噌とカレーと炙られたチーズと、場違いのフランスパンを用意したのは、朝早くから仕事があるのだという円海さんだ。
そしてこのカレーは、風香のいうように三日前に作った僕たちのものではある。
ただお世辞にも料理上手とは言えない二人が作ったそれは、そう考えられないほど美味しく、きっと円海さんが良い具合にチューニングしてしてくれたのだろう。
これで三日連続、朝食はフランスパン。
困惑は当然する。
しないと困る。
でも意を決して食べてみれば、最終的には“おいしすぎる”という結果に落ち着くので、今日の味噌カレーフランスパンチーズエディションは特に騒がず完食できた。
ちなみに組み合わせはすごい合う。
今日も洗い物をしながらトートバックの中身を見たが、ネギのように突き刺さったそいつらは未だ減る兆しを見せなかった。……あるいは、これ昨日より増えてない?
もしかして、円海さんは僕たちをフランスパンなしでは生きられないように洗脳しているのではないかと思い始めている自分がいる。
「誠、今日はどこ行こっか!」
朝食を済ませ七時半過ぎ、僕たちは障子の向こうの縁側で二人並んで座りながら、今日の計画を立てようとしていた。
今日も穏やかな天気。この島に来て四日になるが、まだ雨の兆しはひとつも見えない。
「そうだなあ。茉里から教えてもらったところにいってみようよ」
僕は自分の部屋から持ってきた、昨日譲り受けた地図を彼女と共に見えるように広げた。
結局、昨日は駄菓子屋を出て以降、島の探索には行けなかったのだ。
あまりにも暑すぎたのもあるし、少し筋肉痛が効いてきたのも原因。
じゃあ午後は何をしたかと言えば、駄菓子屋で買い溜めしておいたポテトチップスを家に帰って食べていた。風香と二人で貪りながらトランプをするのは、時間がゆっくりと過ぎ去っていくようでとても楽しかった。
というわけで、まだ茉里がお気に入りの遊び場だといった駄菓子屋以外の五箇所をひとつも巡っていないのだ。
「そうだね〜……、よしっ、決めた!」
彼女は地図の町──から遠く離れた、赤い丸をびしっと指差して言った。
「──灯台に行ってみよう!」
◇
歩く、歩く。
島の外縁を一周するようにコンクリートで舗装された道を二人で登っていた。
そこは1時間も歩いていたのに、ただの一回も車が僕たちの横を過ぎ去ったこともないほどの辺境の地。
日差しを遮る木からも少し遠いこの道は、熱気を反射するコンクリートに立つ僕たちが、まるでフライパンの上で転がされる具材のように思えるほどキツいものだった。
「う、うへ〜、さすがに……、あついねえ、誠……!」
活発な風香も、さすがにこの猛暑には勝てないようで、僕と比べたら遅い歩行速度がさらに遅くなってしまっていた。
体調自体は全く悪くないから心配しなくて良い、と彼女は言ったから、過度にその表情を眺めるのはやめたが、それでもふたり負担が少ないように体力を温存するためゆっくりと、地道に歩き続ける。
夏は長いのだから、どれだけ遅くたって灯台は逃げないか。
「本当にね。……僕も、帽子でもあればよかったかも」
そう言ったのは、隣の風香が家にいる以外はいつもつける麦わら帽子を深く被っていたからだった。
見ているだけで“夏”らしい冷涼感をもたらすそれは、人工の日陰として機能しており羨ましく思えていた。
「あ、そっか誠のほうが暑いのか……。うーん、じゃあ、こうしよ!」
何を思ったか、彼女は自らの帽子を脱いで、僕と密着してその間の頭上に小さな藁を重ねる。
「……!?」
暑さの中で意識が朦朧としかかっていたが、彼女の腕が僕の肩に触れて、覚醒するように跳ね上がった。
「わあっ、ちょっと動かないで!」
「風香!?なにを……」
そしてようやく彼女がこの行動をした意味を理解する。
日傘が頭部を守るように、相合傘が一本で二つを守れるように。
きっと彼女はその麦わら帽子で二人分の日光を遮ろうと考えたのだ。
……でも全く面積が足りていない。
それに、密着すると、もっと熱くなってしまう。
「……気遣いありがとう。でも大丈夫だから。くっついた状態の方が熱はこもるよ」
そんな正論を言ったが、恥ずかしくて顔が赤く染まるのが理由の大半。手と手が触れ合う距離にいる風香と、少し逃げるように僕は離れた。
「そ、それはたしかに……。じゃあ、今度誠の分の帽子も買いに行こっ!私のは円海さんからもらったけど、きっと日傘とか、手持ちの扇風機とか、探しに出かけたら楽しいよ!」
猛暑はこれからも続くから、そんな暑さを凌ぐための道具たちをどれがいいかななんて買い揃えるのも悪くない。
彼女の提案に気持ちよく賛同して、僕たちは地図が示すところへと、ある種の充実感を持ちながら向かっていた。
「……っと、風香!みえてきたね。あれが灯台か……!」
島の端、なだらかなカーブを超えて見えてきた高台は、船の上から見たものよりも随分大きくこの目に映る。
交通量と地図の情報から、灯台周りには人の住む場所がなく、かなり寂しいところであるイメージだったが、誰よりも高く立つ白い塔は見ているだけで清々しく思えるほど立派だった。
「おお!実は町から遠いこのへんは行ったことなかったんだぁ。……よぉしっ!誠、競走しよ!」
彼女は僕より先にこの島へ来たが、それでもまだ未踏破のところはある。
好奇心に駆られた彼女は、誰も止められることのできないほどに興奮して、暑さも疲れも吹き飛んだようだった。
「本当に体調は大丈夫?」
「へっちゃらへっちゃら!」
「……じゃあいいか。わかった。いくよ、風香!」
いっせーので、僕たちは高台の光の方へ駆け出した。
……ああ、自分はこんな性格だったっけ。
少し前は運動するのも億劫だったのに、君が隣にいるだけで、体を動かすことが楽しいと感じられるようになってしまったんだ。
◇
「ふぅ……ッ!462ッ、463ッ、464……ッ!」
結局、競走ではなくて風香と同じ速度で走るだけになった僕たちは、九時過ぎ、灯台へたどり着いた。
……いや正確には、灯台の前、というべきか。
「465ォォッ!」
「………ねぇ、風香。あの人知ってる……?」
そこには先客がいた。
その存在は僕達と同じ灯台目当ての観光客では絶対にないだろうなと、意味深な数字を激しい呼吸混じりに漏らしている。
なんだろう、端的にこの状況を描写するならば。
「うおおォっ!ボーナスタイム突入!467、8、9、10、1、2、──」
……上裸のマッチョが、灯台前の硬い岩で腕立て伏せをしている。
この炎天下の中、日陰に入ることもせずにただ肌を伝う汗を地面へ落として筋肉を痛め続ける。
な、なんだこの人は……?
田舎の島だとこれが普通なのか……?
あと腕立て伏せにボーナスタイムってなんだ動きが早すぎて怖いよ。
「ううん?この人会ったことないよ?……わぁっ、すごいねえ。私こんなに体動かせないよ!」
風香は驚きはしているものの、その観点が僕と微妙に違う。
感心する前に、上裸で筋トレしていることをツッコむべきじゃないか??
やはりこの島でおかしいのは僕だけなのか、彼女はそんな不審な人物に恐れる様子もなく、ただ純粋に近づいて話しかけた。
「こんにちはー!お兄さん、筋肉すごいね〜!」
「むっ!こんに、ちはッ!オレの筋肉はッ、光り輝いているッ、だろうッ!それにしてもッ、初めて見る顔だなッ!観光ッ、客かッ!?」
果敢に突撃した風香に続いて僕もそのマッチョへ近づいた。
話しかけられてもなお、彼の動きは止まらず、「ふんふんッ」とボーナスタイムを継続しながらなんでもないように会話を交わす。
風香に先を越されてしまったが、折角都会を離れたのだから、僕も挨拶を恐れずに伝えてみよう。
「こんにちは。観光客……みたいなものです。灯台に登りたいなって」
「おおッ!今度はまた見ない顔のッ、男子が来たなッ!灯台か……ッ!そいつは嬉しい!ここの景色は、絶景ッ、だぞッ!」
「……あの、あなたはここで何を……?」
「無論、腕立て伏せだッ!」
だろうね。
「ふッ、客人に対して、筋トレ中とは失礼だったな!少し待っていてくれ!オレがここを案内しようッ!」
そうして、彼はさらに腕立て伏せのスピードを上げて巻きで筋トレを終えようとしている。
……案内?
彼はいったい、この灯台で何をやっている人なんだろう。
「日課の回数をこなすまで、そこで待っていてくれ!」
「わかったー!ちなみにそれって何回なのー?」
「923回だッ」
キリ悪。
「おおっ、たくさんだね!?」
……確かにそっちのツッコミの方が先だった。
「すごい追い込むんですね……。今、何回目なんですか?」
「あぁッ、今は……、……ッ、……ッ」
無言で腕立て継続??
「くそっ!すまない、忘れてしまった!悔しい!一回から数え直そうッ!」
正気か??あと何時間待てばいい??
「さっき、自分で910回だって言ってたよ〜!」
ナチュラルに嘘ついたね風香。さっきその二分の一も言ってなかったよ。
「うおおッ!助かった!911、12、13、14ッ!」
そう、信じるんだ……。
なんだか一度にたくさんのツッコミを考えつくこの状況に、思わず熱が見せた幻覚かと、冷静になるために瞼を閉じた。
「923ァンッッ!」
……やっぱり現実なようだ。
次に目を開ければそこには、やっぱり変わらない上裸のマッチョが立ち上がっていて、気持ちいいぐらいに垂れ流した汗が日の光を反射している。
彼はようやく終わった運動で乱れた呼吸を整えるため全身で息をしていた。
「すぅぅぅ〜〜、はあァァァァッ!!」
深呼吸ってこんなうるさかったっけ。
「よしッ!今日も汗に触れる潮風は気持ちいいな!上腕三頭筋が喜んでいるッ!」
本当にそんなこと言う人いるんだ……。
「な、そうだろう!?」
筋肉に話しかけた……!?
「ウン!キモチイイ!」
今この人筋肉の言葉を代弁した!?
なに!?意外と裏声なの上腕三頭筋!?
「ハハハッ!そんな顔をするな、流石に冗談だ観光客ボーイ!まだオレの筋肉は言葉を話す域に達していない!」
まだ、なんだ……。
この一瞬で頭が痛くなる会話。
彼は一通り落ち着いた後、灯台の日陰のそばに置いてあったタオルで汗を拭き取って、黒いタンクトップをその身に通し始める。
「それで、すまなかったな!見苦しいところを見せた。オレはここで“灯台守”をしている国見護という者だ!よろしく!」
国見護。
自らをそう名乗った、意外と爽やかな顔立ちをしている好青年は僕たちへ向けて手を差し出した。
これは握手の合図。
島でのコミュニケーションは、やはり都会よりも積極性が高い。
それを遠慮なく握り返すことを僕は選択する。
「僕は誠です。よろしくお願いします」
「私は風香だよー!それで……灯台守ってどんな仕事なの!?」
挨拶を手短にすませ、彼女は初めて聞いたその職業に興奮を抑えきれないように尋ねる。
僕もそれが一番気になっていた。
灯台守、まさか現代に実在していたなんて。
「おお!誠、風香!オレの仕事に興味を持ったか!?よしっ!ついてこい!その全てをみせてやる!」
なんと話が早い男なのだろう。
出会ったばかりだと言うのにこんなにも馴れ親しみやすく、冗長な気遣いは不要のようだった。
「登るぞ上へ!さあ階段トレーニングだ!」
彼は勇ましく、その灯台の扉を開けて中に入って行った。
風香とお互いの顔を見合わせあって、僕たちもその中へ入る決断をする。
地図に示されたこの場所。
茉里が赤ペンで横に書いた文字。
『すっごい筋肉〜〜!』
……実はこの不思議な言葉の意味をずっと考えていた。
なるほど、今理解したよ。
きっと茉里は僕たちをこの人に合わせたかったんだ。
◇
「はぁ……はあ……っ」
「ひい〜……!いやあ階段は疲れるね、誠〜……!」
僕たちは二人同じタイミングで、灯台の最上階のその最後の階段を踏み締める。
灯台の中は案外広く、そして高かったのだ。
長距離を歩いてきた僕たちにとって、ここの急な階段はまさにラスボスだった。
でも、そんな僕たちより、明らかに疲れた運動量だと言えるのが……。
「ふうッ!今日の兎跳び階段飛ばしはなかなかハードだったな!足が震えている!」
僕たちを先導して登った護、その人だった。
彼は平常のように交互に足を前に出せばいいはずなのに、「これもトレーニングだ!」といって、両手を後ろに組み、両足タイミングをそろえて階段を器用に登ってありえない跳躍力を試していた。
……いや本当に、いつ後ろに倒れてくるのかと怖かった。
でもこんな無茶は慣れているようで、実際危なげはあまりなかったけれど……。
「護さん。筋トレが、趣味なんですか?」
「あぁそうだな!だが正確に言えば違う!オレは体を頑強にするのが趣味なんだ!」
どういうことだ。
「細胞は壊せば壊すほど強くなるだろう!ならば筋肉を痛めつければつけるほどオレは鋼の肉体に近づく!」
……そうかな、そうかも。
「そうだ、誠!オレのことは、今は護で構わないぞ。呼び捨てでいい。敬語はむず痒くて筋肉が拒絶するんだ」
島恒例の敬語アレルギー。
筋肉の拒絶というワードを初めて聞いたが、もう遠慮しないことにしておく。
「わかった、護。……それにしてもいいところだね。風も気持ちいいし、景色も綺麗だ」
「ね。さっきよりも太陽に近いはずなのに、ぜんぜんあつくないよ!」
階段を上り切った疲労はもう治っている。
僕と風香は、灯台の柵へよりかかって、どこまでも続く地平線のその先を眺めていた。
風が運ぶ塩が、空飛ぶカモメの大群が、水に反射した太陽光が、どれも気持ちの良いものだった。
「ハハハ!この場所は百年前からあるからな。代々受け継ぐ身としてそういってもらえて嬉しいぞ。さ、仕事をするかな」
「お!どんなことをするのー!?」
「ふははっ!見た方が早い!」
そう言って彼は開けた展望台ではなく、室内へ行っていつものように慣れた手つきで箱を開けた。
そこから取り出したのは彼の商売道具──セーム革のクロスと精製水だった。
……え?掃除用具?
「よく見ていろ!塩まみれのレンズを拭くんだ!右に十回、左に十回!ここで広背筋を意識する!そして最後に上から下へ降ろせば……!!完璧な輝きだろう!?!?」
彼は筋肉を見せびらかすかのように、スローモーションで巨大な光源を拭き上げる。
それは灯台という言葉が示す“灯”の部分。
確かにケアする必要がある大事なものではあるが、なんというか……。
「おおすごい!光ってるねー!それじゃあ次の仕事はー?」
「ないッ!」
ないの!?
彼は日課の綺麗となった仕事兼筋トレを終え、掃除用具を元の場所へと丁寧に片付け始める。
「オレの仕事は夜に明かりを灯して朝に消すことさ。霧でも出てなければ日中は磨くだけだ。ははッ!どうだ説明するより見た方が早いだろう!」
彼はこの空とよく似たおおらかな性格で、カラッとした口調に自らを笑い飛ばして見せる。
たしかにこれは言葉よりも早い……。
「そうなんだぁ!じゃあ護くんは日中何をやってるの?」
「フッ!太陽の下で筋肉を動かしている!」
彼は上腕二頭筋に力を入れてポージングした様子を僕たちへ披露する。
……なんだか、やっぱりすごい変な人だ。
筋肉を動かすって普通は言わないよ。
「筋肉はいいぞ!優しいやつだ!」
そんな人間みたいに……。
「町外れに住むオレを孤独にしないんだ!」
そんな人間みたいに。
「寂しい夜を包み込んで抱きしめてくれる!」
そんな人間みたいに?
「マモル、ボクタチガ、ツイテルヨ!」
そんな人間みたいに!?
「ははッ、これは言い過ぎかもしれないが、体を動かすのはこの島でいい暇つぶしなんだ。そういう観光客──誠と風香は暇な日中何をしてるんだ?」
未だ心の奥底がしれないが、悪い人ではないということがなんとなく分かる護は僕たちに対してそんな質問をした。
少し考えてみる。
「うーん……。勉強、かも」
「私は読書、だったかなあ」
「おお、そんな奴らレアすぎるな……」
結構多数派だと思うけど。
「……なあ、お前たち、暇か!?良ければ共に運動をしないか!最近ハマっているスポーツがあるんだ!」
護はインドア派の僕たちに提案をする。
もちろん今日一日の予定はないし、暇を謳歌している。
そして運動も、筋肉痛はそこまでひどくないし、体を動かすのに慣れていかなければならないから、僕としては面白そうな嬉しい誘いだ。
でも最終的な返事は、横の彼女に任せることにする。
「運動!?しよしよー!夏を楽しまなくっちゃ!」
「ハハッ!いい返事だ!誰かとやる運動ほど筋肉が湧き立つモノはない!」
筋肉が湧き立つ?
「特に誠!お前には素晴らしい筋肉予想図が見える!オレと共にスポーツで鍛えれば優勝だって間違いない!」
何に?
筋肉予想図も何?
「おお!誠、ムキムキになるんだ!」
ならないよ、なれないよ。
「あぁ!なれる!」
なんで護が言い切るの?僕の意志は?
「……わかった。いいよ、遊ぼう。でもあんまり体力はないから最初は簡単な運動がいいな」
「よしッ!任せてくれ!さぁッ、久しぶりに骨のある遊び相手だ!まずは下へ降りるぞ!」
アクティブな気質の彼。
仕事場である絶景の灯台から背を向けて、ひと足先に階段を下っていた。
……くだりもまた兎跳びだった。
「誠、なんだか楽しいねっ!」
護がいなくなったふたりっきりの展望台で、君は僕の目を見て言った。
まだ遊びを始めてもないのに、彼女はこれから起こるであろう出来事すべてにワクワクして止まらないような表情をしていた。
「そうだね。さあ、降りようか風香」
急な階段。そこから彼女が滑り落ちないように、僕は手を差し出した。
風香はそれを躊躇せず掴んでいた。
◇
「それで護、ハマってるスポーツってなに?」
「よくぞ聞いてくれた!ズバリ、ビーチフラッグだ!」
「………ビーチフラッグ?あの、砂浜でやるやつ?」
「そう!よーいドンで動き出し、フラッグを取り合う超白熱電撃戦だ!」
「その捉え方初めて見たかも……」
「私、名前だけ知ってるけど見たことないなぁ!どうやってやるの?」
「なに、難しい道具などいらん!このマイフラッグと肉体さえあればどこでも楽しめる!」
待って今どこから旗だした!?ポケット!?
マイラケットみたいなノリの競技なの!?
「おお〜!立派だ!早速やってみせてよ!」
「よし!さぁ、誠!伏せろ!風香の合図で始めるぞ!」
「ま、待って!?ビーチフラッグってビーチでやるからビーチフラッグなんじゃないの!?ここ岩肌だよ!?ダイブできないよ!?」
「おお、誠がいっぱい喋った」
「そりゃ喋るよ風香!?こんなところでやったら怪我不可避だよ!?」
「そう。ビーチフラッグはビーチでやるからビーチフラッグ……。だが、ビーチという言葉の定義はどこまでだ?満潮時に海に沈むまでか?それなら数千年後この島はいずれ海面上昇によって陸地がなくなるだろう!よってここもビーチだ!世界も沈むッ!よって世界はビーチだ!全ての競技はビーチフラッグに収束するのだ!」
それはどういうこと!?
悲観的な科学者なの!?享楽的な哲学者なの!?
「フハハッ、だが訓練を積んでいない誠に岩盤フラッグは危険が伴う……。仕方あるまい砂浜へ行くぞ!」
岩盤フラッグって、なんだよ……。
「あははっ、護くんはここでやっても怪我しないの?」
「あぁ、鍛えてるからな」
鍛えてもそうはならないでしょ……。
「オレは鋼の肉体を持つ男」
……なるほど、この人が筋トレをする理由って……。
いや、いいか。もう、突っ込むのをやめよう……。
◇
「よおい……っ、どんッ!」
「──っ!よしここで……って速ぁっ!?」
「フハハハッ!素人に速さでは負けん!……だが、良い反応速度だった!お前ならビーチフラッガーになれる!」
ならないよ初めて聞いたよ。
「はぁっ……はぁっ……、でも、結構慣れない動きで、面白いかも……、これ」
「そうなの?誠。たしかに起き上がってすぐ走る動作ってやったことないなぁ……!」
「まだキツさの方があるけどね……」
「おお!興味を持ったか!?それなら次はハンデありで勝負しようじゃないか!オレが十メートル後方に下がろう」
「……ふぅん?……よし、護、もう一回しようよ!風香、合図お願い!」
「ッ!誠、いい目をしているな!全力をぶつけ合うぞ!」
「当然!次は負けないよ!」
「……ふふっ、なかなか誠も負けず嫌いさんなんだねえ」
◇
「はぁッ、はあッ!獲った、獲ったよ、風香!」
「くそーーっ!負けた!」
「すごいすごい!誠、最後、ばーって飛んでキャッチするのとってもかっこよかったよ!」
「まさか土壇場で覚醒するとは……っ!」
「覚醒って……、……まあ、なんだろう。……ビーチフラッグ、なかなか楽しいね」
「……!そうだろう誠!オレには見る目があった!お前はオレと共に全日本ビーチフラッガー選手権に出るべきだ!」
でないよ!あとそんなモノはないよたぶん!
「楽しかったけど……、ちょっと一回休ませて……!距離は短いけど砂に足が持っていかれる……」
「あぁそうだな、ゆっくり休むといい」
「……風香もビーチフラッグやってみる?今度は僕が審判をするよ」
「ほんと!?実はやってみたかったんだよね〜!……でも、私水着持ってないしいまはちょっと難しいなぁ……」
……そういえば彼女の格好は白のワンピースの一張羅だ。砂塗れになることが確定するそんな姿でビーチフラッグができるわけないし、なによりさせたくなかった。
「……ふッ、それならビーチフラッグはまたの機会にしよう!なぁにここは砂浜、運動せずとも楽しめるスポーツは山ほどある!たとえば──砂遊びとかなっ!」
◇
「へえ……!それが護がビーチフラッグにハマった理由なんだ」
「なかなか面白いねー!」
「だろう!あれから数ヶ月が過ぎて、今やオレは電子レンジのチンの音だけで体が反射的に後ろへ走り出すようになってしまった」
「それは重症だと思うよ……」
「………。よーいどんっ!」
いやいや風香、それはいくらなんでも。
「ふうゥッあァアッ!!」
──ザっ、ザッザッ!
本当に走り出しちゃったよ!?
──ぽちゃぁん。
海に頭から突っ込んだよ!?
「……っく、まさかオレが騙されるとは……!」
さすがに今のは騙される側も悪いよ……。
「あははごめんごめん〜!……っていうか、誠。砂のお城つくるのうまいね……!?」
「……え、そう?」
「ふむ、ブラザーは四肢だけでなく、頭にまで筋肉が詰まっているとはな……!」
それはギリギリ悪口だよ?
……あとブラザーって誰!?僕!?
「まぁ、砂遊びは小さい時によくやってたからね……。風香もすごくうまいと思うよ」
「えへへ〜!ありがと!わかるかな、犬、つくってみた!」
「うん、わかるよ。目元がとってもかわいい。……で、護は何を作ってるの……?」
「筋肉だ!詳しく言えば腹筋だ!」
「砂遊びでシックスパックを作る人見たことないよ……」
◇
「おっと、もうこんな時間か!」
太陽から逃げ場のない砂浜で遊び始めて、僕たちは二時間が経過しようとしていた。
慣れない猛スピードのダッシュと暑さで、いつもよりも空腹感が強く、僕たちは足取りを重くしながら再び灯台へ登っていた。
やはりここから受ける潮風は抜群に気持ち良く、そして眺めは最高だ。
「お腹が空いてきたな……。すまない二人とも。なにかもてなしてやりたいがこの灯台にはもう一人分の食材しかないんだ……!」
時刻は昼時。一度腹を満たすために帰らなければいけない時がやってきた。
「いやいや、そんな気にしないでいいよ」
「そうそう!私たちはここに遊びにきただけなんだから!」
「……そうか。それなら、何か食べるもののアテはあるか?」
僕たちが変に落ち込むマッチョを慰めていたら、彼はこんなことを伝えてきた。
「アテ……。うーん、風香、何か食べたいものあった?」
「ううん?誠と食べれるならなんでもいいよ?」
「……そう」
なにを恥ずかしいことを言っているんだ、と声に出したくなるが、僕も特に食べたいものがなく風香が食べたいと言ったものを選ぼうとした末の質問だったため、どっちも同じことを考えていたようで押し黙る。
「ハハハッ!仲良しだなお前たち!……それならオレのおすすめの食事処があるんだ!そこに行ってみろ!きっと気にいるはずだ!」
おお、それはなんとも嬉しいことか。島民が直々に紹介するほどの名店。期待せずにはいられなかった。
「何か地図はあるか?言葉で伝えられないことはないが、オレは方向音痴なんだ」
「そうなんだ……。じゃあ、はい、これ」
僕は、ズボンのポケットに入れた畳まれた状態の地図──茉里からの贈り物を彼に渡す。
「おお?これは随分と丁寧な……、うん?この字、茉里か?」
「え!そうだよ!私たちのために描いてもらったの!ひょっとしてふたりはお友達なの?」
茉里がこの灯台を、遊び場として赤丸をつけてくれていたから、この二人が知り合いだということは薄々勘付いていた。
「あぁ、仲間だな!」
……仲間?友達といえばいいはずなのに、わざわざそう言い換えたことに僕は少しの疑問を抱いていた。
だがそんな些細な違和感は、すぐに別の話題に移り変わって記憶から忘れ去られてしまう。
「にしてもいいチョイスだ。……オレが改めて紹介するまでもない。素晴らしいお店が書かれているぞ」
彼は豪快にニヤリと笑って、地図の一点を僕たちに見えるように指差した。
「“海の家”?」
響きだけで夏らしさ百点をとれる、浜辺の飲食店。
そこが僕たちの次の目的地になっていた。
「あぁそうだ。ここはすごい美味いぞ!おすすめメニューは店員に聞くといい!」
「……そっか、ありがとう、教えてくれて!」
「楽しそう……!早速誠と行ってみるね!あ、護くんも一緒に行く?」
「いや、オレはいいさ。実は減量中なんだ。あそこへ行ったら食べ尽くしてしまうからな!我慢のためにも筋肉を鍛えることにする!」
そうして、海の家に対する期待感を限界まで高めながら、気の良い青年、護と別れて行くことが決まっていった。
「じゃあここでお別れだね……。護、楽しかったよ」
「……!なあにブラザー、そんな顔をするな!一生の別れじゃないさ、まだこの島に残るんだろう?」
「……うん、そうだよ」
正直、彼と過ごしたこの二時間は都会で得られたどんな出会いの場よりも短く、濃厚に感じられた。だから僕はその別れを無意識のうちに寂しく思っていたのかもしれない。
そんな僕を、彼は、彼らしく励ましてくれた。
「オレたちは筋肉だ」
うん……?うん。
「日々の出来事の積み重ねが、傷ついた細胞を修復して新たな肉体に変わる。遠く離れた場所へ行ったとしても、培った筋肉が失われるわけじゃない。……それでもビーチフラッグをしたくなったのなら、またいつでもここに来い!オレはこの土地が海へ沈むまで灯台に居続けるぞ!」
多少、彼の世界観に飲まれて「ん?」と思うことがあったが、言っていることは至極真面目な優しい心遣いからだった。
そんな姿に僕は思わず笑顔になる。
「……ふふっ、なにそれ。……またいつか会いに来るよ。じゃあね護!」
「ばいばーい!今度は私もビーチフラッグやるからー!」
ついに僕は、風香の手を取って、高い高い、島唯一の灯台を降りていた。
「あぁまたな。………なるほど、あれが茉里の言ってた奴らだったか。フッ、絶対、ボスも気に入るだろうな」
その言葉は、ひとり、潮風にさらわれて消えていく。
彼の商売道具の傍には、ザーザーと音を立てる黒い機械が立てかけられていた。
国見 護
バカキャラですね。キャラクターの性格と背景を決めてから喋っている姿を想像して小説を書くのですが、この子は変なことをずっと言っているのでかなり愉快です。
書いてて好きなキャラです。




