八月十四日(中)「学校で学ぼう」
「わぁ、テイラーが死んじゃったあ」
五限と六限の合間の休み時間。クーラーがまだ設置されていなくて扇風機だけでなんとか温度を補っている教室内。
机に突っ伏したまま沈む彼を見てメアリはなんとも暢気に話しかけた。
「死ん、でない……いしきが……消えかかってる……だけ……」
「そっかあじゃあ大丈夫だねえ!起きて〜!」
「気絶寸前の人間にかける言葉じゃないですよそれ」
「あとは……託した……よ」
「何をですか」
「君たちと出会えてよかった……」
「何がですか」
「テイラーっ!死ぬんじゃないテイラーっ!」
「だから死なないって本人が言ってるじゃないですか」
「強く……生きて……ルーク……っ!ばたっ」
「……ッ!テイラァァァッ!」
「何してるんですかこれ」
そんな寸劇の末に遺言(?)を残し、倒れる効果音を口で表現してテイラーはついに動かなくなった。
メアリが機械を再起動するように雑に頭をぽんぽんと叩いても応答しない。
……しばらくしたら、安らかな寝息が聞こえた。
こんな一瞬で、本当に気持ちよさそうに眠りに落ちてしまった。
「フッ、こいつはずっと寝ていなかったからな。昼も食して、体育も終え、疲れ果てた体が強制的に休息の命を出したのだろう」
「まーずっとテンションおかしかったっすからね〜」
「……あれ?テイくん以外の男の子たちも夜更かししてたんだよね?三人は眠くないの?」
「オレたちは大丈夫だぞ!訓練してるからな!」
「なんのっすか」
「あぁ、我らは平気だ。訓練してるからな」
「だからなんのっすか」
「へぇ……!すごいね訓練!さすがライトたちだね!」
「……いや黙って聞いてたけど僕“たち”じゃないから、我“ら”じゃないから、僕は訓練してないから。肩組んで擦り寄ってこられても身に覚えないから。僕もレインみたいに『なんのっすか』って聞きたいから」
「ん、じゃあ先輩は眠いの?」
「いいや?全然?」
「全然っすか!?」
「五徹ぐらい余裕だね」
「ん、バケモン」
「……嘘。さすがに見栄張りました」
「ふふ、ライトのつよがりだ」
「正直限界は近いんだけどね……」
「先輩の残り稼働時間、どれくらい?」
「四十五分」
「まじ限界じゃないっすか!?」
「ライトー、今日は私と夜更かししよー!」
「いいよ。何して遊ぶ?」
「なんか速攻で矛盾してないっすか!?」
「ん、バケモン」
僕もだんだん彼らのボケた発言に毒されてきたのを自覚しているけど、それでも、彼女が、彼女たちがいれば無限に起きていられると言うのは本音だ。
テイラーを見つめ、全員に聞こえるように僕は騒がしくなくなったタイミングで言った。
「……まぁ、眠いけどさ。それ以上に皆と一緒に面白いことができるのが嬉しくて。だから、寝るのなんてもったいないって、起きていられるんだよ」
「……あは。ライトくん、かわいいですね」
「んふふ、でしょ」
「またフウカにバカにされた……」
「してないよーっ。……ふふ、私もライトと同じ気持ちだな!ルークくんも、だよね!」
「あぁっ!目の前に見えている楽しいことを諦めるなどオレには出来ん。睡魔だろうと打ち勝って、やりたいことをやり続けるのだ!」
僕とフウカによく思考が似ているルークがそう言い切ったことに対し、突然、大きく笑い飛ばした人物がいた。
彼はひとり、席を立ち、もうすっかり慣れてしまったマントをはためかせて黒板の方へと足を進める。
「フハハッ、あぁ良いことを言ったなルーク。俺たちはやりたいことを“自由”にやり続ける。……だが、それには生憎と『節度』が必要だ」
芝居かかった口調、何かが始まるのがこの場の誰にもわかって、彼に言いたいことを“自由”に言わせてあげようと見守って、それを正面から受け止めていた。
彼は、教壇に立つ。
「自由こそ、この自由警備団の存在意義だ。ゆえに、それについて考えなければならない。何が自由か、どこまでが自由か。さぁっ、貴様ら、論じてみせろ──」
彼はチョークを握って、勢いよく音を立てる。
派手に装飾もない、白色の六文字。
──「自由とは何か」。
キーンコーン、カーンコーンなんて、いつからかルカにどつかれてやめてしまったけど、もう休み時間は終わって、始まった。
「フフフ、これから楽しい楽しい『道徳』の時間だ。後悔しない選択をしろ」
最も楽しさからはかけ離れている科目だろうな。
でも、隣の人と──今回はルークと、グループを組んで、ディスカッションを始めろと指示を出されて。
あまりにも彼がその言葉を反芻して悩んでいるから、きっと面白い議論になるのだと、僕は笑ってしまった。
◇
「うーむ……、自由って、なんだろうな」
机を動かして、僕らふたりは向かい合う形で座っている。
彼が黒板に目を向けて、唸っているのを尻目に辺りを見渡して皆の議論の始まりを盗み見る。
今この教室には小さなグループが三つ。
ルカ、ノア、レインの集まりと、メアリとフウカ、あと気絶中のテイラーの集まり。
そして僕とルークはペアとなってこんな『道徳』について話し合うことになった。
自由。僕もその言葉について一般知識以上に知っていることはない。いきなり哲学的考えに持っていこうとしても難しいし、たぶんルークには分かりにくいだろう。
「……最初からゴールを考えても上手く進まないからさ、まずは簡単なことから話してみようよ。たとえば……、身近な行動で何が自由だと思うか、とか」
必要ないかもしれないがアイスブレイクも兼ねた、軽い雑談だ。
僕はこの言葉について、他ならぬルークと、腹をわって話し合ってみたかった。
「いいぞ!オレが自由だと思うのは……、食事、だな!」
「へぇ……、なんで?」
色々想定していた解の中でもそれはなくて少し驚いている。筋肉だの何だのいうと思っていたけれど、彼は考えて発言していた。
「食べるものを“自分”で“決められる”からだ。誰にも文句を言われることなく、好きなモノを選び、そして自分のために料理をする。……これは自由だろう?」
僕はその言葉に引っ掛かりを感じている。なぜならば、僕にとっての“食事”は全てが自由なわけではなかった。家に帰れば親の温かいご飯があった、今だって円海さんの手料理と、昼にはルカが内緒で振舞ってくれる時さえある。
そう、彼はあの灯台の側で、独りで暮らしているからこそ、料理に関しては自由だった。
「……うん、いいね。他には?」
「ふっ、トレーニングだな!」
「あぁ知ってた」
「筋トレはキツイし、テイラーはいつも『よくそんなことできるね』と呆れている。でも、オレがやりたいからやるのだ。強くなりたいからするのだ。これも自由じゃないか?」
「うん、それも紛れもなく自由だと思う」
「……よかった。あとは、そうだな……、この自警団の活動も、自由だ」
彼は自発的に他の自由も考えて、興味深い回答をした。実は僕の解である“自由”とは、まさに自由の権化が身を寄せ集まってできたこの集団だ。
その輪の中の張本人も、自分たちが自由だと思っている。それについて深く尋ねたいと思った。
「だよね。……今までどんな自由をやってきたの?」
「いっぱい謳歌してきたぞ!ははッ、うちのボスはとんでもない気まぐれでな。少しでもやりたいと思ったら迷うことなく勝手に首を突っ込むんだ。それも自警団総出で!」
目を瞑って思い出話を始めるようだ。
僕はそれを止めることなどしなかった。むしろ、その先にこそ、ジンのかつての行動をなぞることこそ、『自由とは何か』について近づけるヒントだと思った。
「行きたいところはどこへだって行った!立ち入りを封鎖されてる危険な島の洞窟だってオレたちを率いて潜った!」
「ふふっ、そんなところあるんだね。とっても危なそうだけど、でも……」
「あぁ!ボスはいつの間にかありとあらゆる安全器具を人数分揃えて、それから全員で向かったんだ。命を守った上で全て楽しみ尽くすと言ってな」
「……うん、ジンらしいね」
「洞窟を抜けた先のあの景色は……ふっ、忘れることはないだろうなっ」
彼はまだ思い出を話す。
「そうそう、去年はなぜか『やりたいから』という変な理由で、千草島ゴミ拾い大会のご意見板のポジションさえとってきてしまった!」
「ふふ、だからなにそれっ」
「あれは楽しかったな。……島の皆がお礼を言っていた。終わった後、綺麗な島を見てオレたちもうれしかった」
「そっか。……他の活動は?」
僕が尋ね続ければ、彼はふと、気付いたかのように目を開けて話してくれる。
「他にもいっぱいある…………そうだ、こんなイベントの運営とか、畑の収穫の手伝いとか、迷子の保護とか、勝手な観光客の案内だって、オレたちは全員でやり続けていたんだ」
「……ふぅん、それはお金はもらってたの?」
「そんなの一銭も貰ってないさ。いらなかったからな」
「じゃあ、どうしてそんなことをしていたの?」
「……ふはは、さっき言っただろう、『やりたいから』なんだ。ボスは自分がしたいと思ったことを、ただ自分のためにやっていた。オレたちも、オレたちが楽しむためにやっていた。それだけで良かった。……なぁ、これも全部、自由なんだよな?」
本当、眩しいぐらいに綺麗な組織だ。
闇の秘密結社なんて嘘っぱちなほどに美しい。
だからこそそれは、何よりも輝く『自由』だった。
「……うん。誰に命令されたわけでもなく、ただ『やりたいから』島のために汗を流す。それは、自由だよ」
僕の答えに彼は笑って、そして黒板の文字をもう一度見つめ直す。
今はただ身近な自由を見つめ直しただけだから、その問いを決めるにはまだ早い。
僕が次は何から話そうか考えていれば、彼は率直な疑問を僕にぶつけてくれた。
「……なぁ、さっきボスは『自由には“節度”が必要だ』って言ってたな?“節度”っていうのはやりたいことを我慢しろって言葉だろう?そんなの、“やりたいからやる”自由とは矛盾していないか?」
節度、とはよく聞く言葉だ。
平たく言えば確かにその二つは異なっているんだろう。だが、僕には、そのジンの行動はそれらが重なった末に生まれた結果だと思えて仕方がなかった。
ひとつずつ、言葉にしていく。
「きっと、矛盾してないよ」
「……?そうか?」
「じゃあルーク、もし君が『もっとトレーニングがしたいから』って怪我して動けなくなるまで走ったら、それは自由?」
「ふっ、次なる筋トレに励めなくなるなんてそんなの愚かだ。筋肉は一日にしてならず、自由であるわけがないぞ」
「さすが。そうだよ、自分がその時『やりたいから』、次の自由まで奪ってしまったら、そんなの自由じゃない」
僕も何が言いたいのかわからないけど、ただ思いつくままにしゃべっていれば固まっていくと思った。
「たとえば、他にもね……」
僕は視界の端で、あのグループの中、何かを喋って笑うフウカを見る。彼女と共に経験した自由を思い出して、それを例に出す。
「船を運転するとするでしょ?」
「ん?あぁ、そういえばボスが免許を持ってるらしいな」
「そうだよ。ジンは生存欲が満たされるらしくてスピードを出して走るのが好きらしいんだ」
「ふはっ、ボスらしいな。だがオレも好きだぞ。随分前に本土で電車に乗った時、速さとはいいものだと思った」
「……そうだよ、きっとアクセルを踏みっぱなしで加速するのは誰だって気持ちいい、それに、最も自由に見える」
ルークは「違うのか?」と言いたげに僕を見ていた。
さらに深く思い出す。ジンも、果てには円海さんもスピードを出すのが楽しそうだった。そこには法律もないからどれだけ出しても構わなかった。
でも、そうしなかったのはきっと“節度”があったからだ。
「もしスピードだけは誰より早くとも、ブレーキもハンドルもない船があったとしたら、それでも自由だと思う?」
「……いや、それは違うな。いつか壁に激突して自由ではなくなってしまう」
「じゃあ、自由でありたいから、安全でいたいから、スピードを我慢してそもそも最初から海に出なかったら?」
「……?そんな諦めるようなこと、自由なわけないじゃないか」
「そうだよ。……だからさ、自由に必要な“節度”ってのは我慢じゃなくて、“自分がどこへ行くかを、自分の手で決め続けること”なんじゃないかな」
なんだか変なことを自分で言ったとも思ってる。
この考えでは他者への思いやりなんて抜けて、究極的な自己中になっている。
でも、自由とは、自律だ。自らの欲望をコントロールしてこそ、その選択肢を己が握り続ける権利をもつことこそ、初めて人間は本当の自由を得られるのではないかと、僕は考えていた。
少しの間、彼には咀嚼の時間があって、そして納得するように深く頷いていた。
「……なんとなく、自由とは何か、わかってきたぞ」
「ふふ、そう。なら良かった」
「……ライト。おまえは本当に、兄さんに似てるな」
彼は目を細めながら、僕に誰かを重ねている。
元気いっぱいな彼らしくない、けれど間違いなく彼そのものである優しい瞳だ。
自由の話は一回終えて、僕は彼と二人きりでただそれについて話したかった。
「兄さんってさ、どんな人?」
僕を“ブラザー”と呼んで重ねる人。彼にとって、両親と同じぐらい大切な人を、今葛藤の中にいる彼の友として、もっと知りたい。
「兄さんは……賢かった。といっても、歳が離れてるからあの時どんなことを勉強していたかなんて分からないが、それでもいつも、あの狭い家で、頑張っていた」
「賢い……ね、僕と似てるかな」
「ふはは、今更何を言ってる。おまえは賢い。ボスに次いで。だから、そっくりなんだ」
「……ありがとう。……兄さんとの思い出はある?」
「いっぱいある……はずだが、オレはおまえらみたいに物覚えは良くないからな。……ほとんど、忘れてしまったよ」
ルークの両親は三年前に他界していて、兄がいなくなったのは少なくともそれより前だ。
それだけの歳月が過ぎれば、当然、忘れたくないものまで、忘れてしまう。
僕は聞いてはいけないことを聞いたと思った。
けれど、彼はそれでも笑っていた。
「でも覚えてるのもある。……兄さんは、ずっとこの島が嫌いだったなっ」
言葉の内容はともかくとして、彼はそれをポジティブなように、笑い飛ばしながら、思い出を振り返ってそう言った。
「……家出をしたって、聞いたね」
「あぁっ。オレには家の中でいっぱい語ってくれた。『こんな狭い島じゃ僕という存在は窮屈だ』って、『灯台守なんてつまらない仕事やりたくない』って」
「……簡単に言えることじゃないかもだけどさ。……その気持ちはなんとなくわかるよ」
「ははっ、ライトもか?オレも、わかるんだ。その言葉が」
「…………え」
彼はあまりにも爽やかに笑っているけれど、同意したのがどんなことなのか、未だその場所で働き続けるルークをみて固まってしまった。
「こんな仕事、オレも最初は好きじゃなかったんだぞ」
「昨日……というか、今日、それも言ってたね」
「あぁ。言った通りだ。そこからオレは、自警団と出会えて、好きになれたんだ。この島を、仕事を」
良かった。もう、彼はそんな考えからは救われていた。灯台守というのは、この島で生きていくというのは、つまらないものじゃなくて、つながりを守っていく大切なもの。その自覚が芽生えていた。
……でも、本当に?本当に、君は、救われた?
「兄さんは島から逃げた。会いたくないと言ったら嘘になるが……、会いにはいかない。オレは、逃げないから。いつか、ここへ帰ってきて欲しい。オレはずっとこの島にとって、『必要な存在として』、居続けるから。両親の存在を遺し続けるから」
必要な存在。いる、いらない。
僕は、そんな物差しで彼を証明して欲しくないんだ。
一体いつから、ルークは人を──いや、おそらく自分だけを、その基準で判断するようになったのだろう。
兄と別れた時から、両親がいなくなった時から、違う、その根底は、この島で生まれた時からだ。
「ルークはさ」
勝手に口が動き出していた。
こんなの、そうだ、と答えられるに決まっている。今までその話をしていた。でも、だからこそ、彼の口から聞きたかった。もう一度、彼の置かれた状況を、考えてみて欲しかった。
「──自分が、自由だと思う?」
僕の質問に彼はピクリと反応する。それは一瞬のことでどんな表情をしていたかは、すぐに隠されてしまったのだろう、僕がみた頃には彼はいつもみたいに自信満々に笑っていた。
「──あぁ!オレは自由だぞ!“やりたいこと”を選んだ末に、今のオレがいるからなっ!」
彼は自由だと言った。
僕にはそれが自由なのか、わからなかった。
でもきっと自由とは、自分で定義するものなのだ。
だから彼の自由を、僕は否定できない。資格がない。
「……そう、なんだね」
そんな嘘みたいに清々しい彼の顔を見て、言葉に迷って、曖昧な顔で笑ってしまった。
彼は僕との会話を受けて、一度考える時間が欲しいように目を瞑って悩み始めた。
それをじっと待っていても良かったけれど、僕はなぜか、今、彼の顔を直視できない。目を逸らす。フウカさえも今だけは僕の表情を見て欲しくないから窓の外へ顔を向ける。
見るだけで暑さを感じる明るい空だ。
風に吹かれて砂埃が舞う校庭だ。
その下でお弁当を食べた一本の大樹だ。
そして、外の世界の端に、ボールを見つけた。
あれは、五限の体育で使ったテニスボールだ。
全員でランダムにペアを組むダブルスをして、たくさんのボールを使った。授業の終わりに全員で片付けたはずなのに、あのボールはぽつりと段差に隠れていた。戻し忘れ。それはただひとつ、集団からあぶれて太陽の元に晒されていた。
変なことを思う。……あれは、自由なんだろうか。
モノに自由なんてあるわけないけれど、僕はそれをみて、何かを感じ取ってしまった。あぁ、これは浸っている?どうしてだろう。自分でも気持ち悪いと思いながらも、それを見続けていれば、ついに対面の彼が口を開いた。
「……なぁ、ブラザー。オレは決めたぞ」
何を、だろうか。
それを口に出して問うよりも先に、教室内に大きな声が響き渡る。
「フッ、貴様らタイムアップだ!答えは出たか。それでは各自発表してくれ」
担任役のジン。彼は時間を与えている最中、教卓の横に椅子を置いて座り、腕を組みながら僕たちを見守っていた。
彼は今一度見回して、グループごとの答えを聞き始める。
答えは代表制。そこで出たのをジンが黒板に書く。
フウカの班はメアリが答えて。
ルカの班はレインが答えていた。
そして、僕ら二人のペアはルークが答える。
「──自由とは『やりたいことをやりながら、その責任は自分で持つこと』だ」
決めた、とはこのディスカッションの結論だったのか。
僕が静かにしている間、ずっと考えて、そして答えを出した。その答えは素直に良いと思ったから肯定して頷いた。間違っていないはず。そう思った。
「………それが、自由……」
でもやっぱり、何か思うことがあったから、僕はまだその答えに引っかかっているんだろう。
◇
「まーことっ、どーしたの?ねむい?」
ただ茫然と俯いて歩いていたら、僕の頬はツンと二回突かれた。それだけで塞がりつつあった僕の意識は覚醒した。
「……風香。ごめんね、ぼーっとしてた。眠くはないよ」
嘘だ、ちょっとだけ眠い。
今は夕方、帰り道の最中。
学校が終わって、本当は放課後まで模擬部活だなんだとか言って自警団の皆と一緒に過ごす予定だったけれど、テイラーがあまりにも疲れていたから解散することにしたんだ。
もう今日の活動は終わり。だから僕は団員を示す腕章はポケットにしまって、風香も律儀に麦わら帽子を手に抱えている。
「えへへ、今日は楽しかったねぇ」
彼女は僕の前に出て、平凡なあぜみちを弾むように、なんとも嬉しそうに渡っている。
僕もそれに迷わず賛同した。
「うん、楽しかった。学校って……やっぱり面白いね」
それを聞いて、彼女は素早く振り返る。その表情はいかにも彼女らしく、笑顔に満ちていた。
「〜〜!そうだよね!改めて思ったもん、私も学校通いたかったなーって!」
無邪気に風香は感想をこぼしたけど、それがどうしようもなく悲しいことなのはこの場で僕だけが知っていた。当たり前のことを経験していない彼女。
でも、僕にはまだそれに触れる勇気がなかった。
黙っていれば、彼女は僕に向けて尋ねた。
「ね、誠も思った?──学校にもう一度行ってみたいなって」
萩原家に向かうこの足が止まった。
再び前を見た。彼女は僕の双眸を真っ直ぐに穿っている。
今日学校で遊ぶことを決めたのは、操舵手が舵を切ったのは、自分自身には与えられなかった時間を、モノをその我儘で体験するためじゃなかった。
彼女は誰かのために、今日の“予定”を決めたんだ。
それは失われてしまった願いを、取り戻すため。
つまり、彼女は、僕の背中を押したかったんだ。
「……思ったよ。学校に行きたいって。家で教科書を見ていたって経験できないものが、今日、あの場所にはあった」
「……っ!ふふっ、よかったぁ」
これは僕の口から出た真実だ。
本当に楽しかった。風香の言葉の意味に気づいて出した嘘じゃない。僕は、この島の興味深い歴史が、ドローンの内部構造が、ありふれた景色に隠された美しさが、弁当作りの優しさが、分け合ったおかずの愛しさが、いつもとは違うペアで遊ぶ球技が。
全部新鮮で楽しかった。
あれは全部、ただの夢じゃなくて、本当は、僕が体験する“はずだった”ささやかな幸せなんだ。
もちろん、君たちがいなければつまらないだろうけど、それでも学校というのは行けば楽しい何かが待っているんじゃないかって、今日を振り返って思えてしまった。
あの罪のせいで、もうまともにそれには通えないと蓋をしていた。
今でも、少しはそう思ってる。また繰り返してしまうことを恐れている。
でも、通いたいんだ。
僕は、皆がいるはずの学校に。
当たり前をなぞりたい。
ここまで思って僕は気付く。
そして誰よりも優しい風香は、僕より先に、気付いていた。
「……ね。ルークくんも、そう思ってくれてたかな」
そうだ。
この学校体験は風香のためだけじゃなくて、僕のためだけでもなくて、ルーク──僕の弟分のためでもあったんだ。
彼は憧れていた。学校に。
直接聞いたわけじゃない。だが態度を見れば誰だってわかった。
彼は外へ出ることをやめた、学校に通うことを諦めた、レインの通う全日制を突っぱねて、通信制を選んだ。
なぜ?仕事があるからだ。
彼は灯台守に誇りを持っているから離れられない。
それは悪いことじゃない。
通いたいのに通えない。
それは悩みだ。紛れもなく悩みだ。
きっとずっと誰にも言えず抱えていた。
そして、ついに灯台を治すチャンスがきた。
自分を縛る楔を抜く時が来た。
だけどまだ迷っている。
伝統を失わせたくない。
両親の遺産を残したい。
兄と違って逃げないでいたい。
“必要な存在”になりたい。
矛盾する欲望。
抗っていたから君は僕らに日の出を見ようと言った。
答えは、出たのか。
思い出す、道徳の時間の最後。
「オレは決めた」と言ったあの顔を。
彼はもう決断したんだ。
どんな道を選んだのか、わからない。
嘘だ。薄々気付いている。
彼は自らを自由だとして歩き出した先を。
それはもう、変えられない。僕らには変えられない。
──でも。
「ごめん、風香っ、僕……っ」
身体が勝手に動いていた。
足が来た道を辿るように方向を変えていた。
まだ踏み出しはしないけど、最後に彼女に言っておかなければいけないと思った。
僕の行き先を。
だけどやっぱり君は、僕より先に知っていた。
「──うんっ、いってらっしゃい、誠!」
彼女は手を振って、満面の笑みで僕を送り出す。
あぁ敵わないな。君には。
僕はその桔梗の瞳を見て、「いってきます」としっかりと言葉を返して、ありがとうと想いを込めて、笑いかけて、今、走り出す。
目指したのは当然。
全てを見守る灯台だ。
前後編のはずがまた中編になってしまった……。




