八月十四日(後)「学校で学ぼう」
走った。まだ太陽は沈んでいなかった。
彼の住む場所は町からあまりにも遠い。
風化した車すら通らない凸凹のコンクリートを駆け抜けて、海にキラリと輝く光の粒たちに背中を押されるように前だけを見続けた。
その先はやがて見えてくる高い灯台で。
気づけば目と鼻の先にあって、見慣れたオンボロな木の扉は手の届く距離にあって、きっとそこにいるだろうと確信して、僕は無断でそれを押しのけて、長い長い階段を、息を切らしながら、登って、そしてついにバルコニーにつながる、最後の扉を、開いた。
「──はぁっ、はあっ!ルークッ!」
呼吸を整えながらも僕はその先だけは目を逸らさなくて、そうしたら、映っていた。
柵に体重をかけて、あのどこまでも続くように思える地平線を眺めていた彼が。
こちらを振り向いて、あまりにもうるさい足音のせいで僕の到来を分かっていたように儚く笑う彼が。
「……っ、ははッ!おいおいなんだブラザー!随分と急いできたようだな。忘れ物か?……ってここにあるわけはないか!ひょっとしてオレの筋肉に会いたかったのか?うむ、いいだろう、ブラザーには特別に触らせてやるぞ!」
彼は一息にしゃべる。
あぁそれは全くいつもみたいにバカみたいな彼の言動だ。
いつもみたいなら、僕はそれに冷たく雑にツッコんでいる。
だけど今は真剣に言葉を返した。
「うん、ルークに会いにきたんだ。その、筋肉じゃなくて、ただのルークに」
彼はきょとんとした顔になった後、そして吹き出す。
「ふはっ、そうかっ、オレに会いにきてくれたのか。……はは、嬉しいな。で、何のようだ」
「……何のようって、とぼけないでよ。気付いてるでしょ」
ようやく脳に酸素が回ってきた。
もう余計な前置きはいらないと思ったから僕は彼へ確信を尋ねるように迫った。
「……灯台のことか?」
声色を変えて確かめるように言ったそれへ、僕は黙って頷きながらその隣にゆっくりと近づく。顔をむき合わせることはお互いにせず、同じ方角を眺めていた。
「オレはもう決めたぞ。というか、悩むまでもなく考えてみれば簡単だったさ」
「……そう、それは、どっちにしたの」
改修を受け入れるか、拒むか。
数瞬も待たないまま、彼はやけに清々しい顔をして、言い切ってしまった。
「──断ることにする。オレは逃げずにこの場所を守っていく」
あぁ、やっぱり、君はそんな選択をしてしまった。
僕はどんな感情で、表情で彼と向き合うべきなのかわからなくて、今は少なくとも喜ばしい顔になんてなれなくて、そんな僕の横顔を見てか、ルークはいつものように笑う。
「おいおいそんな顔をするなよブラザー!むしろ笑ってくれ!オレは決めたんだ、自分の意思で!」
ニカっと白い歯を見せて振り返り、肩に優しく触れながら隣で海を眺める僕を安心させるように言った。
彼の笑顔は、というか自警団皆の笑顔は、僕にとっていつも眩しすぎる。
けれど今のその彼の笑いだけは、どこも眩しいとは思えずに、ただ晴れない想いに包まれた曇天のように思えて仕方がない。
「自動化は確かに便利だが人がいないと出来ないこともある!それに、オレが残れば今までみたいに島の人を守れるんだ!」
彼の仕事はひとくちに灯台守といっても、その業務内容は体験させてもらったとおり少ない。その分彼は島を見回って困っている人を助ける活動をしている。それは街に降りた時に住民からお礼の言葉を言われる姿を見て知っていた。
「この場所を守り続ける。いつかは自警団のあいつらも外に出ていくかもしれないが……、オレはあいつらが安心して帰って来られるように光を灯し続けたい!」
なんとも崇高な考えだろうか。
彼らしく、真っ直ぐで勇敢な心意気。
その言葉には、『嘘』は隠されていないと思えるほどの眩さだった。
「自分がやりたいからやる。最後まで責任を持って。……ふっ、これがオレの『自由』だ。ブラザー」
彼は自らを自由だと言った。
やりたいことをし続けて、今の自分があると言った。
それは確かなことだと思う。
少なくとも、今までこの灯台で過ごしてきた時間があったからこそ、自警団員としてのルークが──人間としての『国見護』が形成されてきたと思う。
でも、それは、それはさ。
君の過去であるだけでさ。
両親からの遺産を残したいのも。
兄と違ったところを見せたいのも。
役に立つ存在になりたいのも。
全部、君の過去なだけでさ。
「……ちがう、ちがうよルーク……っ」
僕は本当にお節介で迷惑な存在だ。
これもわがままで、僕は顔を俯けるのをもうやめて、海に向けていた視線は全部、彼に注いだ。
「ちがうって、なにがだ?ブラザー」
脳裏によぎる。
校庭にポツンと放置されたテニスボール。
ひとりぼーっと僕らを眺めていたルーク。
それがうっすらと重なって、僕に言葉を与えてくれる。
海沿いに薫る潮風ですら、僕の背中を押してくれる。
だけど、結局僕は、それを飲み込んだ。
(──君は、自由じゃない)
もう揺るがない考え。でも面と向かって伝えようとは思わない。こんなこと言われたって、あぁそうだよな、って受け入れる訳がない。
僕が何と言おうとしたのか、おそらくルークはわかっていて、なおも優しい目をしている。その目はダメだ。嘘をつくように、強がりのように自分を納得させようとする目だ。
「……ねぇ、ルーク。君は──」
だから“過去”の話はしない。
鎖に縛られた話はしない。
今の君が、心から望む願いを聞きたい。
「──今日が、楽しかった?」
僕は自分ができるありったけの微笑みで、風香に教えてもらったその表情で、なんとか作り続けて、語りかけた。
そうしたら、対して君は、その優しい顔がぴくりと固まったようにみえた。
覚悟が、揺れ動くようにみえた。
でもすぐに取り繕って、言葉を紡ごうとする。
「ぁ、あぁ!そんなのもちろん、たのしか──」
彼が言い切るよりも、というか、それを遮るようにして僕は続ける。君が楽しかったか、なんて聞かなくたってわかっていたんだよ。
「──ね。しってる?ルーク」
まだ僕は微笑み続ける。目を瞑りながら君との今日だけを思う。彼は静かになって、僕の言葉を待っていた。
「君は、ずっと、笑ってたんだよ。全部の授業でさ、全部の休み時間でさ、僕の隣で宝物を見つけた子供みたいに、すっごく幸せそうに、笑ってたんだよ」
思い返せばルークといえば、あの暑苦しい筋肉よりも先に、輝くような笑顔しか再生されない。
それが君の全てなんだ。
「でも今は、その笑顔と違う」
鈍感な僕でもわかる。隠しているかもしれないけど、今の君は絶対に、無理をして笑っている。
現に今、僕の言葉で息が詰まって、大きな身体がかすかに震えている。
「『やりたいこと』を選んだ“末”にここにいるって言った。じゃあ、今から『やりたいこと』を選んだ“先”は──ここでいいの?」
僕が話をしたいのは過去じゃない。
君と二週間前に出会って、これからも友達で、ブラザーで居続ける未来のことだ。
「……ライト、オレは、笑えてない、か?」
ようやく、彼はその顔を僕から背けた。
逃げるように、深く地面に俯けた。
声色から元気が消え始めた。
それでも僕はまだ向き合い続けた。
正直に言おう。くしゃくしゃな顔をする彼に。
「僕には、泣いているように、見えるよ」
「……ぁぁ、あぁっ、そうか……っ」
堪えるように肩を震わしていた。拳を握りしめた。しかしそれでも抑えきれないように、右目から一粒水滴が落ちた。
彼はその性格に反して、思い切り泣くことなんて出来ない。僕の知らないいつか、強くあろうと誓った日があったからこそ、弱さを曝け出すことができないんだ。
「オレは……っ、オレはわからないんだっ、ライト」
何を、なんて聞かずにただそばに居続ける。
「オレは正しいことをしているはずだろう……?この灯台を残す。その理由は全部、本当で、心から『やりたいこと』なんだ……、自由なはずなんだ……っ」
きっとその通りで、守りたい気持ちは嘘じゃない。
「だけど……ッ、時々、あぁ、なんでだ。オレは、オレがそれは自由じゃないって、思うんだ……!」
一度落とした泪の流れは簡単には止められない。
右目から、左目から、今度は大粒のそれが抑えきれなくなって、石の床に落ち、痕が広がる。シミになっていく。
「言わせてくれ、ライト……ッ!」
彼は動き出す。顔を上げる。
僕の肩を痛いぐらいに掴んで、そして至近距離で、堂々と彼らしく、全てを伝える。
「オレは、オレはッ!楽しかった!今日という日が、楽しかった!忘れたくないと思った!あんなのが続けば面白いんだろうって思った!難しいこともあるかもしれない!オレは、バカだから、ついていけなくなるかもしれない!……でも、……でもっ、楽しかったんだよ……っ、通いたいって、思ったんだよ………ッ」
彼は今、初めて仲間の前で──親の前でも言えなかった“本音”を話せた。
それはアホらしさの中にやけに大人びて達観する灯台守のルークじゃなくて、ただの十五歳としての国見護の言葉だった。
「……はは、ははッ、言ってしまった、こんなこと。でも、もう、取り消さない、オレは行きたいんだ、学校に。この島の外を見てみたい」
肩を掴んでいた手は次第に緩まっていったけど、まだ言いたいことがあると思ったから、それを払いのけずに、瞳を見続けて待っている。彼は自分の視界が潤んでいることに気付いて手で拭うけど、それでも感情の濁流が止まることはなかった。
「どう、すればいい……?オレは、自分に素直になって、灯台を全部捨てて、学校に行って、そんな『自由』になったとしたらさ……それで、うまく笑えるのか……?」
力が弱まる彼の腕。
僕はそれを取って、今度は反対に、僕が力を送り続ける。
「……?ライト……?」
彼は勘違いしている。
過去を守れば、未来は捨てなければいけないと思っている。
未来を望めば、過去は捨てなければいけないと思っている。
一方の自由を取れば、もう一方の自由を捨てることになると思っている。
二者択一。
自由って、そんなものなのかな。
ルークが決めた自由はそうなんだろうな。
「ちがうよ、ルーク。自由は、もっと“自由”なんだ」
僕はそういえば道徳の時間に、一切僕の考えを答えていなかったことを思い出す。うっすらと脳の奥ではあった、でもカタチにはしようと思わなかった。
そんな自分を壊して、言うならば、今しかない。
「……、なぁ、ライトが思う、自由って──」
ジンはあの道徳の時間で、どんな自由を自らの“解”として持っていたんだろうか。
きっとそれは自警団の長なのだから、僕らが考えつくにはあまりにも突飛すぎて枠にハマらない“自由”なのだろう。
まだ彼のことはよくわからない。
けど、彼によく似た“自由”な人間を。
いつだって思考外の提案をしてきた彼女のことは、不思議とわかってきたのだから。
僕は、『風香』の思考をなぞり、そして一番“自由”な答えを放つ。
「──後悔をしない選択をすること。どちらを選んでも、後悔するなら、両方選べばいい」
これはあの頃の僕一人じゃ絶対に思いつかないこと。
あまりにも欲張りすぎて傲慢だ。
でもこんな考えをしそうなのが、身の回りに二人もいるんだから、適応できて当然なんだ。
「両……方……っ!?そんなの、いいのかっ、それはあまりにもわがままじゃ……」
「ふふっ、わがままでいいんだってば」
いつも奔放に振る舞うルークなのに、今だけは僕に振り回されているようでちょっと面白い。僕はそんな彼の戸惑う顔をみながら、とびっきり、笑って伝える。
「聞いてよっ、僕も楽しかったんだ。今日のことが!」
僕は罪を償うためにそんなの行ってはいけないと思ってた。だけど相反するように普通の学校に通いたいとずっと思っていた。
……僕の罪は重い、でも、今日、許されざることを償いながら、やりたいことはできるのだと背中を押された。
それこそが自由なのだと思った。
それに導いたのも全部、明日の自分が後悔しないように、人生のハンドルを握り続けようとしたのは絶対に、ルークと出会えたおかげなんだ。
「だから、この島を出たら、僕は学校に通う!すぐには決まらないかも知れない、親には迷惑をかけるかもしれない、でも、それが、僕らの自由だから」
あぁこんな決断、本当にここに来なかったらしなかった。今日という日がなかったら足を踏み出せなかった。
さぁ、僕は言い切った。
「……ルークは、どうしたい?」
次は君の番だ。
少しの時間も待たない。
彼の顔を汚していた涙はもう、おさまっていた。
彼は勇気を得ていた。
生まれた時から縛られた環境で、鎖に巻き付かれて、挙げ句の果てには自分自身でさえ強く蓋をした、その楔を外す時が来た。
不恰好な願いでいい。
ありのままを願えばいい。
後悔しない選択を、望めばいい。
「オレは……、……っ、決めた。受ける、受けるぞ、灯台の改修案を……!自動化して、オレは自由になるッ!学校に通うッ!」
それは一つ目の自由。
強欲な僕らはまだ望む。
「それでもこの灯台は残して、オレの、『島を護る』役割も勝手に続ける!オレは、オレから逃げずに、新たな道を進む!」
二つ目の自由だ。
二択で悩んでるのなら、両方取る、あらゆる悩みを解決する第三の選択肢。
僕は笑って肯定した。それこそ僕ららしい。
「……ふはっ、はははッ!なんだ、こんなことだったのか、オレの悩みは!ちっぽけすぎるぞ!この鍛え上げた筋肉の細胞にも及ばない!」
バカな例えだ。
でも彼らしい。いつも通りの、眩しい笑顔に、心からの笑顔に戻っている。
気付けば僕も彼みたいに、周りを一切気にせず「なんだよ筋肉って」って思いっきり笑ってしまっていた。
僕らはもう向かい合うのをやめて、互いに同じ方向を見つめる。
彼が好きだと言った、守りたいと誓った、僕らと見たいと言った、この高台から見える絶景を。
果てなき地平線を。
あの時みたのは日の出だった。
でも今は夕方、日の入りで。
昇る太陽は希望を与えて。
沈みゆく太陽もまた、僕らを見つめ返して。
また明日、未来への希望を与えてくれる。
「………なぁ、ライト」
「なぁに?……というか、もうブラザーでいいよ」
「……!ふはは、じゃあブラザーだ。……全部選んで自由になると言ったが、具体的には何から始めればいい?」
柵にもたれかかって潮風を浴びながら、僕らは本当の自由を歩んでいくための道のりを話す。
自由は選んだ瞬間に決まるものではなくて、それを叶えるために努力し続けなくてはいけない。
望む自由が欲張りであるほどに、立ちはだかる困難は大きい。
でも大丈夫。
もう彼は迷っていない。
そして僕がいる。
「何から始めればいいか、なんて僕でもわからないよ」
「……む、いやまぁそうか……。これはオレの問題だからな……」
「あははっ、そういうことじゃなくてさ、僕は、そんなこと考えるの得意じゃない。……でもさ」
彼には僕がいる?
違う。僕“ら”がいる。
「──君の仲間なら、助けてくれる人がいるでしょ?」
目を瞑る、思い返す。
彼が選択に迷った時、僕はその選択の背中を押そうとした。
その一方で、選択には関与しないことを誓った人物がいた。
その人はドライか、冷たい人か?
そうではない、彼は、誰よりも君のことを考えて、そして、その選択の先を手助けしてくれることを約束していたんだ。
「──フハハ!その通りだライト!ルーク、貴様の“ボス”は誰だと思っている!」
勢いよく扉が開いた。
全て知っていたみたいに、予定調和のヒーローが暗闇を打ち破った。
彼は誰よりも自信満々に、自由な顔をしていた。
やっぱりこの無茶苦茶さがこの奔放集団、自警団のリーダーだ。
「……ッ、ボスッ!いったいいつから……!」
「おいおい、そんなのどうだっていいだろう?貴様はもう選んだのだ。ならばその選択はボスとして俺の願いと最早同然!俺は俺のために自由に動く」
美味しいところを全て持っていかれた。
でも、そんな自己中心的で傲慢な彼だからこそ、僕はこの集団が大好きになれた。
片付け忘れたボールも、いつかは、あの自警団の誰かが拾いに来るんだ。
「さぁ、そのために、手を取れルーク。町長への直談判。このわがままは俺一人では難しい。だから、助けろ」
ルークは震えていた。
己の無力さに嘆いているわけでも、悲しみに満ちているわけでもない。
誰かに頼られることを、それこそが自分の役割だとでもいうように、心が燃えて、たまらないんだ。
「──俺たちには貴様のような人間が必要だ。……強くなったか?」
差し伸べられた手。
ついに葛藤を乗り越えて。
自らの意思で、その手を取った。
「──あぁ!オレは、自警団の、この島の、ガードナーだッ!」
もうこの先に言葉は必要ない。
彼の決断を各所に話して、そしてわがままを伝えて、そのために出来ることをなんでも聞いて、ついに、君は、二つの自由を勝ち取った。
ルーク√、了。
劇的に何かが動くことはない。
けれど、確実に、ライトがいることで登場人物の心が変わっていく。決断の背中を押す。
それだけの話を書こうと思っていました。
また、ルークのお話ではあまり家族のことについて深掘りしようとはしませんでした。
あくまでも彼自身の気持ちの話。
……ちなみに、自警団メンバー家族亡くしすぎって思ったからだったりもします。




