八月十四日(前)「学校で学ぼう」
なにか、夢を見てた。
漠然と覚えてる。
夢での居場所は、どこか高いところで、私はそこで、海と、そこから昇る太陽をただ眺めていた。
(綺麗……だった、なぁ)
夢の中の私は、隣に誰もいなくて孤独に日の出を見ていたけれど、その景色は、本当にただ美しくて、“護っていきたい”と思った……気がする。
うーん、自分の感情さえ見失うほど、夢の中の記憶はどんどん、不鮮明になっていく。
それでも忘れたくない気持ちだけは強まっていくから、私は早く体を起こして『夢日記』に留めておかなきゃいけないと、眠り続けたい誘惑に打ち勝って、普段より軽い毛布を押し除けた。
「……あ、あれぇ……?ここ、私の部屋じゃ……ない?」
知らない天井……いや知っているはずだけど見慣れたものじゃなくて、普段は障子越しに入ってくる微かな光も、カーテンによって遮られてるからよくみえない。
どうなっているんだっけ、とまだ半覚醒のままの頭を動かして記憶を整理していれば、ふと、寝息を立てて横で眠る“彼女たち”が目に映った。
「……んん……、もう、たべられない、よぉ……」
メアリちゃんだ。可愛らしいパジャマを着て、くるまっている。
そしてその両手には、まるで等身大のぬいぐるみみたいでもこもこの格好のノアちゃんを抱きしめている。
さらに足元には、毛布を足で蹴っ飛ばしてひどい寝方のレインちゃんが転がっていて。
お布団が二つほど離れた向こうには、安らかな寝息を立てて規則正しい姿勢で幸せそうに目を瞑るルカちゃんがいた。普段しっかりものの彼女だけど、いまはちょっとだけ甘えてるみたいでますます可愛く思えてくる。
そっか、思い出した。私、お泊まり会したんだ。
いつから寝てたのかな。本当は夜更かししたかったけど……この体じゃやっぱりむずしかったみたい。
でも、こうしてみんなと同じ時間を同じ部屋で過ごせて、嬉しいな。
「……ふふっ、もーメアリちゃん、寝言でそんなこと言う子、本当にいるんだねぇ?」
私は思わず笑ってしまう。
自分が寝言を言っているかなんてわからないが……絶対、こんなメアリちゃんみたいにはっきりと口に出してないはずだ。
私は彼女たちより、年上のお姉さんだから、ほんと、可愛く思えて仕方がない。
四人を起こさないように慎重に身体を起こして、昨日持ってきたバッグから二冊の日記を取り出す。
まずは忘れないうちに習慣となった夢日記を書こう。
そして昨日書きそびれた、日々の日記を書こう。
現実に起きたことは忘れるわけがない、目を閉じれば昨日のことが鮮明に思い出されて、乗せたい思いがスラスラと言葉に出てくる。
マテ茶ピザパーティなんて変な食い合わせが、みんなで作った分すっごく美味しくて。
へたくそな人狼ゲームも私がわからないなりにみんながサポートしてくれたのが嬉しくて。
初めて家族以外と同じお湯に浸かった銭湯も、会話するのが楽しくて。
友情崩壊ゲームなんていわれてるサイコロゲームも、いろんな困難があったけどそれを含めて全部面白くて。
枕投げは団長が集中砲火にあって一瞬でダウンして。
あぁ、本当に最高の夜だった。
その時の感情まで思い起こして筆に乗せれば、ふと私は、いつもその中心にいたかけがえのない存在を、思い出す。
「まこと……、どこ、いるんだろう……?」
気になってしまった。女の子だけのこの寝床には彼はいない。
男女差なんてなくみんなで一緒に寝ればいいんじゃない?と昨日提案したけど、やけに男の子たちが譲らなかったから、結局彼らはどこで寝ることにしたのか知らなかった。
私は、彼を探しにいくために部屋を出ることを決める。
だって、誠がいなきゃ、私の朝は始まらないもん。
──がちゃり、と扉を開ければ、聞き馴染みのある声が少しずつ近づいてきていた。
「フハハ!あの時のルークは傑作だったなっ、虫が出たぐらいでビビって俺とルカの後ろに隠れていたっ」
「くぅっ……!筋肉を手に入れる前のオレは惨めでひょろっちくてカスで蛆虫以下の黒歴史だった……ッ!」
「自分で言ってて言い過ぎだと思わない?」
「今は筋肉を得ているから思わないぞっ!」
「すごいやルーク!筋肉で人格変わっちゃった!」
「すごいことか?悲しむべきじゃないか?」
「虫如きがオレの背筋に傷をつけられるわけがない」
「なんで背筋なんだよ」
「あははっ、そんな自信があっても普通虫取り大会で嬉々として人柱になれないよっ」
「あぁでも無数の蟻が登ってきたのは流石に筋肉でどうしようもなくて怖かったけどな……」
彼らは四人で、遠くから歩いてきてる。
一睡もしていなかったのかな。今まで外にいたのかな。
「ふふっ。……あ、もうここまできちゃったし、そろそろ静かにしよっか。ほら起こしちゃったら──」
私は駆け出していた。
ほぼ無意識に、真っ先に彼の元へ。
わたしの始まりの挨拶を言うために。
「──って、ちょ、わ、わあっ!……お、おはよう、風香……っ?」
走った勢いのまま突進した。
彼は随分と困惑していたけど、忘れずに挨拶をして、そして名前を呼んだ。
その顔を見れて大満足。
今日は、昨日から計画していた“予定”があるんだ。
「おはよっ!誠っ、みんな!」
「おおっ、朝早いなッ!おはよう!」
「ふふん、ルークくんっ!ねぇねえ!今日はやりたいことがあるの!」
約束をした彼と、そして彼の“兄弟”と、みんなを巻き込んで夜まではしゃごう。
私がこれを言っていいのか誠の方を向けば、彼はいつもの優しい大好きな表情をして肯定してくれた。
そしたら私はとびっきりの笑顔が自然と漏れてしまって、彼らに大胆な遊びを話す。
「──みんなで学校に行ってみよっ!」
◇
「ん、ん゛っ!……キーンコーン、カーンコーン」
わざとらしい咳払いの後、絶対に無理をしているか細い裏声がこの部屋の外から聞こえた。
大きな窓からの光が暖かい。
なぜか懐かしい木の匂いがする。
思い返してみればノートだって満足に広げられない狭い机だった。
それでもこの窮屈なのが、心地よかった。
ガヤガヤとした周りの声が次第に収まっていく。
ここで僕は一度だって過ごしたはずはないのに、色んな思い出が一瞬で頭によぎる。
そして、僕の隣の席の彼女を、何気なくみていた。
君はどうしようもなく、ワクワクしているように目を輝かせていたんだ。
「さぁ!貴様ら座るがいい!ホームルームの時間だッ!」
ガラガラと古臭い音を立てて前の扉から先生──役の制服を着たままマントを羽織っている変態ファッションの男が入ってくる。
「……やっぱりその格好なんとかならないんすか?」
「ならないッ!これこそが最もフォーマルな格好!」
「寝言は寝て言えよ」
「おい貴様、俺は先生だぞ、なんて口の聞き方だ」
「はいはい、静かにしますよ、先生」
「……!先、生……!」
「なんで自分で呼ばせて感動してンだよ」
この部屋には、八つの机があった。
そこに全員が座っていた。
『教室』。僕からすればそれでも少なく思えたけど、普段よりこの人数は多いらしくて、他の教室まで行って揃えてきたんだ。
全ては、ただ、みんなで遊ぶために。
「よし、号令をするぞ、今日の日直は……」
先生は振り返って黒板を見た。
右端、その欄には『書記』の僕が書いた文字があった。
ふっ、と彼は笑ってその人物を指名する。
「フウカだな。任せたぞ、やってみろ」
「はいっ!えっと……っ、起立!」
紺の長い髪をした、いかにも真面目な生徒みたいな『制服』を着こなした隣の女の子が緊張しながらも声を出す。
僕らはその言葉に従って、席を立った。
「気をつけーっ、礼っ!……着席っ!」
がたがたと音を立てて、誰かがこのおかしさに吹き出すように笑って、それでもその見慣れてるだろう形式をなぞって儀式を終える。
ただの始まりの挨拶だ。こんなの当番制で嫌々やるものなのに、君はまさか、たったそれだけで僕の方をちらりと振り向いて、そしてコソコソと笑って言った。
「……えへへっ、ちゃんとできてた……!?」
「……うん、もちろん。よかったよ、日直さん」
僕は君がそんな笑顔でいてくれるのが嬉しくて、それだけでこんなことをしてる甲斐があると思えるんだ。
──学校で遊ぶ。
昨日、そんな変な提案をしてくれた操舵手のために、僕らはこの場所で制服を着て、ここで集まっている。
「フッ、素晴らしいなフウカ」
「えへへっ!ありがとうございますっセンセー!」
「先……生……!」
「だからその感動すんのやめろ」
またガヤガヤと喧騒を取り戻していく中、僕はひとりだけ立ったままの彼にお礼の言葉を言った。
「……ふふっ、でも本当にありがとう、ジン。こんなとこ、使わせてもらってよかったの?」
「あぁ。今は夏休みだしな。俺たちが日頃から存分に恩を売っていたおかげで大人にも容易く許可はとれた」
「恩を売るって……まぁ、いいか」
「それに、俺たちはここの卒業生だし、ノアに至っては現役生だぞ。仲間の二人ぐらい連れてきても文句を言われることはない」
実は僕もフウカも、ただ学校の敷地内に侵入して、それっぽいことを巡るだけで良いと思っていた。
でも彼の圧倒的な行動力で、今日一日ここを使って存分に遊べることができたんだ。まだ隣で嬉しそうにしている彼女を見ていれば、礼を言わざるを得ない。
……それと、僕もなんだか、ワクワクしてる。
「ふむ、さぁ続けよう……といいたいが、……なぁ、ホームルームって何話すんだ?」
「うーん、言われてみればボクも思い出せないなぁ」
「今日の日課とか話す〜?」
「時間割見ろよって話ですけどね……ま、でも良いんじゃないですか。今日のメニューをお願いします。先生」
「先……生っ!」
「だからそのくだりもういいっつってんだろ」
「よし、いいだろう。はい注目」
ジンは後ろを向いて黒板に向き合い、そして引き出しから一本の短くて白いチョークを取った。
どんな『授業』の順番を予め練ってきたのか、カツカツと音を立てて迷いなく表を描いていく。
それは六つの、本日の時間割。
『社会』、『理科』、『美術』、『家庭科』、『体育』、『道徳』。
異なる教科、そして、異なる“先生”が僕らの指導をしてくれる。
「おお……っ!すごい、全部心踊るッ、なぁっ!ブラザーッ!」
全く、長期休暇の補習授業は、退屈なんてしないだろう。
僕のもう片方の隣にも、『学校』に憧れを抱く可愛い弟分がいるのだから。
「だね、ルーク。全部の授業、寝ないで受けてみようか」
「あぁっ!絶対にできそうな気がしてきたぞ!だって、お前らと一緒なんだから!」
僕らは彼の無邪気な発言に「ふはっ」と笑って、そしてホームルームは無事に終わった。
◇
「ん゛ンン゛!……キーンコーン、カーンコーン」
「ねぇこれいる?」
「きしょい裏声耳障りです」
「語感よく言うな雰囲気作りのために必要だろう」
ジンは今度は入れ替わるように教室にいて、机で足を組んでいつもの偉そうな座り方をしている。
机は八個のまま、それはつまり、“先生”役は別の人になったということだった。
「はーい、テイラー先生でーす、社会の時間だよー。じゃあ……号令よろしく!」
「はいっ!起立、気をつけー、れいっ!」
そこに立っているのは、テイラー。
自警団社会科目担当(一時間前決めた)の彼は、先生として一段高い教壇の前に立ってチョークを持つ。
「じゃあ、まず教科書を開こうか!」
「……そんなのないですよ?」
「エア教科書だよ。心の目で見てっ、ルカちゃん!」
「何言ってるんですか?」
「うおおっ!みえるみえるぞ教科書がっ!」
「何言ってるんですか?」
「ほらルークを見習おうっみんな!」
「わ〜みえる〜」
「あんま適当なこと言わないでくださいメアリ」
「じゃあ教科書の2ページ目読んでっ、ルカちゃん」
「目次じゃねぇかよ」
……開始早々めちゃくちゃだ。
「な、なんだかテイラーくんがいつもと違う……?団長やルークくんみたいになっちゃってない?」
「ん、わたし知ってる。これハイテンションモードのテイラー先輩」
「なにそれ!?」
「あぁその通りだノア。こいつは寝てないからぶっ壊れてしまった」
「じゃあボスとオレはいつもぶっ壊れてることになるな!」
それは正解。
「あぁ、そっか……、団長たちは夜更かししたんだもんね……!そりゃああんな道化にだってなるね!」
「なかなかすごいこと言ってるねフウカ。夜更かししてもそうはならないからねフウカ」
「ふふっ、道化として爆笑間違いなしの授業をするよっ!」
「それでいいんだテイラー。あと授業は真面目にしてテイラー」
授業中だってのにこのクラスはなんて自由に喋るんだろう。僕とルカとテイラーの三人ツッコミ体制で乗り切ってきたはずなのに一人寝返ってしまったらもう無理だった。
けれどまぁ、さすがテイラー。
気を取り直して、彼らしく、きちんとした授業を組み立て始める。
「……あははっ、じゃあこれまでのは冗談でちゃんとやるよ。ボクが教えるのは、この島の歴史について、かな……!教科書代わりに幾つかの本と新聞を図書館から持ってきたから、これを元に教えていきますっ!」
やはり彼こそ自警団の良心だ。
元気さと思いやりがあって、良い声の持ち主。
読み聞かせでやんちゃな子供の前で話をするのは慣れているのか、最前に座る僕と並んで座るフウカとルークも、ずっとそれに聞き入って集中するようだった。
………
「そうっ、だからこうして、明治時代に島に漂着した『ジャン=ピエール・バゲット』さんのおかげでボクらの時代までフランスパンが深く愛されることとなったんだっ!」
「ほう……む、ンンッ、キーンコーン、カーンコーン」
「だからそれやめろ」
「あ、ジンくんちょうど終わった?」
「あぁ、よく頑張ったな、テイラー」
……な、なんか、すごい話だった。最初はただの軽い島の歴史だけかと思ったけど、途中から謎のフランス人が漂着して邂逅し、そして定住する激面白展開になって目が離せなかった。ありがとうジャン=ピエール。千草島にフランスパンをもたらしてくれて素晴らしいよジャン=ピエール。
「で……どうだったかな?僕の授業はっ」
彼はやりきったようにして、この授業合間の休み時間に“先生”を降りて、フィードバックを求めている。
そんなの一言しかなかった。
皆が彼を褒めていたけれど、やっぱり特に熱がこもっていたのは、隣の二人だ。
「とっっても楽しかったよーっ!歴史って物語みたいで面白いねぇ?」
「だなっ!実はオレの中じゃ社会が一番眠くなると思ってたが……、今日で変わったぞ!面白いな!」
自警団の中で裏表のないツートップに、そんな称賛を真正面から受け止められたテイラーは照れ恥ずかしそうに笑っていた。
素人の授業にここまで言われてはプロの先生が……、なんて彼は卑下していたが、実際、テイラーは教えるのがかなり上手だったと思う。
歴史という集中させ続けるのには難しい授業を、どうしてこんな発展をしてきたのか、生徒自身に考えさせるように隣の人と議論する時間を設けていたからこそ、勉強に慣れていない彼らが起き続けていられたのだろう。
そんな細かい気遣いもまた、テイラーらしかった。
「おっ、そういえば、いまは休憩時間か!?」
「ん、そう」
「なんだ、ドッジボールでもやるか!?」
「次の授業まであと五分しかないっすよ?」
「困ったな、筋トレしかできないか」
「カブトムシ寄ってくる汗が出るっすね」
「それ僕の机につくやつじゃなかったっけ」
「ライトくん何言ってるんですか?」
「ごめん僕もわからないんだよ」
昨日言ったような会話をして、昨日言ったような休み時間を送る。
それは僕の周りを中心として皆が集まり囲んで話す、騒がしいけれど、ずっと誰かが笑ってるような休息だ。
隣でフウカが笑って、ルークが変なことして、僕の後ろの席でふんぞりかえりながらジンが見守っている。
その時間がとても楽しくて。
バカみたいな話を続けたくて。
僕らはあっという間の休み時間が、その合間の五十分の授業時間さえ、加速していくように思えたんだ。
◇
「えへへ、楽しいねぇライトっ」
「ふふっ、そうだね。学校でこんなに笑ったのなんて……、初めてだよ」
四限、『家庭科』。
僕らは今、ルカ先生のもとで調理実習を行っていた。
エデンのキッチンでは狭いけれど、この家庭科室なら材料は持ち込みで皆で別々にコンロが扱える。そしてそのルカの指導のもとでひとりずつ卵焼きを作る授業だ。
食卓には綺麗に巻けた僕のそれと、少し不格好だけれど頑張ったのがよくわかるフウカのが二つ並んである。
まだ僕ら以外の団員はあっちで作っている最中で、離れたところに座り、未だ卵焼きには手をつけず彼女と話をしながら待っていた。
「……ふふ、そういえば、ようやくふたりっきりになれたね」
「え……?あぁ、たしかに。今日は縁側で話してないね」
そうだった。僕と彼女は毎日同じ時間に同じ場所で朝日を眺めているけれど、今朝も授業中も休み時間も、自警団の皆と一緒にいたからフウカと面と向かって話すことはなかった。
何を思ってそんなことを言ったか、彼女の心意は読み取れないけど、その表情に寂しさなんてなくて、僕という存在をただ嬉しそうに受け入れているのが僕は満足するような想いになって笑う。
「ねぇ、みて!あんなにルークくん楽しそうに笑ってるよっ」
彼女は指を差して、遠くで片手だけで卵を割ろうとして、そして失敗しながらもレインに叩かれて幸せそうな顔をするその人を僕に教えてくれる。
その姿を見て僕らはとても、幸せになるんだ。
なぜならそれこそ──。
「今日の遊びはルークのため、だもんね」
「あちゃ、バレちゃってる?」
昨日のパーティの時、僕らはあれだけ学校を熱望してた彼の姿を見ていた。
それを見て、放っておけないフウカは予定表に書いてあった中から、こんな遊びを持ってきたんだ。
日の出の時、ルークの話をしたあの中にはフウカはいなかった。
けれど、あの一瞬で彼の最も大切な“心の鎖”の正体を見抜いていたから、僕は決断を一日だけ待ってみようと言えたし、こうして遠くから笑顔を眺めるだけで、嬉しく思える。
「でもでも、ルークくんのためだけじゃなくて、私もしたかったんだよ?こんな……窓の外からしか覗けないような、青春みたいなこと」
囁くような甘い声で、長い机に肘をかけながら僕の方を微笑みながら言った。
昨日明かされた真実、彼女は“なぜか”学校に行ったことがなくて、全ての当たり前の出来事に心躍る。
その過去に深入りはしたくなかったし、しなくてもいいと思った。
「だからただのわがまま。ライトたちを付き合わせちゃってごめんね?」
「……ううん、謝らないで。……僕も、ずっと、もう一度、こんなことをしたかったから。僕のための、遊びでもあるから」
今が楽しい。日中にまともな学校に再び通うなんて、この島に来なかったら、彼らと出会わなければしようとさえ思わなかった。
でも、だから、この瞬間の喜びは、自分自身と立ち向かわなければ、続けられないことだってわかってしまった。
知ってしまった『あったかもしれない』喜びは、現状と向き合うことでしか、何かを“変える”ことでしか、埋められてあげられない。
それは逃げる足を縛り付けて、辛いことから目を逸らす選択ができなくなるかもしれない。
だけど僕はそうしなければいけないとわかっているから。
“彼”に、そうさせてあげたいと思っているから。
この一日の後半も、皆と居続けたいと願うんだ。
「──ブラザーっ、フウカーっ!おいおい出来たぞオレの卵焼きっ!みろっ!完璧だろう!どうだ姉御!」
「あんたって結構器用ですよね……」
「まぁ自炊はしているからな!焦がして真っ黒にしたレインよりは上手い」
「ちょっ!言うなっすそれっ!ぜったい次やったら成功するっすから!あとあとっ、卵割るのに失敗して五個の卵を犠牲にしたテイラーくんよりは上手いっすから!」
「え、えぇ……!ボクも次やったら一発で成功するよ!殻は後で取り出せばいいし!」
「ん、どんぐりの背比べ」
「ははッ、いつもの不器用コンビだな!ふたりまとめてかかってくるがいい!」
「いいんすか、ボコボコにするっすよ!?」
「ルーク!先輩の意地をわからせてやるんだから!」
「その三人は何で戦おうとしてるんですか……」
「ふふ、楽しそう。ルークくーんっ!今から行くね!ほらっ、ライト!」
遠くから興奮した声が聞こえて、僕らを呼んだ。真っ先に動き出したフウカは、僕だってもう動いてるっていうのにさらに急がせるように、この手を掴んで引き寄せて走る。
僕らはその輪に飛び込んで、そしてその輪を大きくしていくんだ。
もう、こんな青春は窓の外の光景じゃない。
当事者は、僕たちだ。
◇
「ブラザー。そのおかず交換しないか?」
昼休憩。
こんな茹だるほどの暑さの中、僕らは校庭の大きな木の下でレジャーシートを広げて座っていた。
手に持っているのは、弁当。
僕はルークからのその提案に答えてあげるが、言うことはあった。
「……入ってる内容物は同じなんだけどね?」
今朝学校に行くと決めて、ルカと僕とジンが協力して九人分の弁当を作った。
味に偏りもなく美味しいのが作れたと自負できる出来栄えだ。
「ふふん、じゃあ私これもらいっ!」
「えっ、ちょフウカ!ウィンナー……!」
「お返しにこの私のウィンナーをあげちゃいますっ」
「えええなんの意味が……っ!?」
「意味なんて『楽しいから』以外にないよ!ねっ、そうでしょルークくん!」
「あぁ!これは高校生っぽいだろ!?」
同じモノを箸で交換してるだけ。でもそれが心底楽しそうに二人は笑うから、僕らも笑ってしまった。
「よくわかんないけど……、楽しいね」
「あは。ですねっ、ノアちゃん、私とも交換しますか?」
「うん、じゃあ……さっき作った、この卵焼き、あげる」
「おおっ、はいじゃあ私のもどうぞ」
「……ん、美味しい……っ、さすがルカねえ」
「ん〜、ノアちゃんは砂糖多めで甘くて美味しいですねっ」
「あーっ!あたしもふたりの食べたいっす!」
「いいですよレインちゃん。ほら、こっちきて」
「へへっ、やったっ!……う、うーん、あたしからもお返ししたいっすけど、もうこのダークマターと化した卵焼きしか……」
「……ん、わたし、それたべたい」
「まじっすか!?ノアちゃん、これ食ったら死ぬっすよ!?毒っすよ!?」
「……一応過程は見てたので、死にはしませんよ」
「いやいやそれでも……」
「大丈夫。わたし、胃は強い。レイン先輩の暗黒、興味ある」
「胃が強いの初めて知ったっすよ……!?」
「……あは、私も食べていいですか?」
「え、えぇルカちゃん!?」
「ほら、せっかくのお弁当なんですから、みんなで食べあいっこした方が楽しいです。ね、ノアちゃん」
「そう。なんでも、分け合お」
「……もー、優しいっすねっ、ふたりとも!じゃあ命にだけは気をつけて召し上がれっす!」
「テイラ〜わたしたちも交換する〜?」
「うん、いいよメアリちゃん」
「じゃあこのクッキーあげるねえ!」
「なんかもう食後のおやつ食べてない??」
「えへへ、美味しかったので吸い込みましたぁ」
「よく噛もうね……、ぁ、じゃあボクこの量食べきれそうにないから手伝ってよ。はい、どーぞ」
「ありがと〜!えへへ、貰っちゃうねえ、いただきますごちそうさまあ!」
「うわあ本当に吸い込まれちゃったよ」
いつも賑やかなお昼だけど、今日はさらにピクニックしているみたいな気分で楽しかった。
ひととおり全員が食べ終わって弁当箱を片付けはじめれば、ジンは学校の話題について話す。
「……ふむ。それにしても貴様ら、授業上手いな」
五限までまだ時間はある中で、太陽を木陰から覗き今日の予定を振り返る。
「あははっ、何度もありがとね、ジンくん」
「ん、わたし、理科なら高校物理までよゆー」
「美術なんて学校まわっててきとうにスケッチしてただけなんだけどね〜?」
「調理実習もレインちゃん以外教える必要なかったですし、みんながそもそもできてるんですよ」
一限『社会』、担当はテイラー。島の歴史を学んだ。
二限『理科』、担当はノア。中学生ながらも高校レベルどころかその範囲にすら収まらないほどの工学的な分野。彼女の私用のドローンを分解し組み立てる、実践形式の教え方で正直に言えば難しかったけれど、楽しかった。
三限『美術』、担当はメアリ。いつかのお絵描き大会みたいに、僕らは集団で校内を探索し、同じモチーフを全員でスケッチした。描き方の指導は曖昧すぎて感覚派だったけれど、すごく巧くてそれを見てやる気になれた。……なお、テイラーは続行し続ける深夜テンションもあいまってとんでもない絵を披露し続けた。
四限『家庭科』、担当はルカ。栄養バランスを学ぶと言う名目で、弁当講座から始まり、そしてその弁当にいれるための卵焼きを皆でつくった。実は授業中にそれを一切れいただいていたけれど、やはり料理人の娘だと思えるほどに手際が良くて、とても参考になった。
「メアリ、ルカ。せっかく褒めているのだから否定してくれるなよ。貴様らは良い授業をしたのだ。だろう?ルーク」
彼は静かになりつつあった彼に話を振り、賛同を促す。
というか促されなくとも、彼は心から伝えるつもりだったのだ。
「あぁ!四人のおかげでこんな楽しく学べているんだっ!本当にありがとう!」
「あーっ!私もお礼言いたい!眠気なんてひとつもないほどずーっと面白かったよ!」
まだ見ぬ授業、五限の『体育』、担当レイン。六限の『道徳』、担当ジン。
六つの時間割に六人の先生。
つまり、三人は授業をしない“生徒”役がいて。
それが僕と、フウカと、ルークだからこそ。
普通の高校に通っていない僕らだからこそ。
当たり前のかけがいのない日常へ導いてくれる彼らにお礼を言うんだ。
「ありがとう、皆。午後も楽しみだね」
レインが先導する『体育』のフィールドはこのまま校庭で、暑苦しさの中、僕らは大地をかけ始めた。
学校イベントやってなかったですね。




