八月十三日(後)「日の出を見よう」
「……で、何やってるんですかこれ。ただのお泊まり会じゃ……?」
「ん、すごく良い匂い」
「どうして誰の誕生日でもないのに風船が飾りつけられてるんだろう……」
夕方。
本来、僕らは帰るのにふさわしい時間なのに未だ残り、そして緊急招集を受けた、本日仕事だった面々が一斉に集まってくる。
今日という日は、まだこれからなのだ。
「何って、マテ茶パーティだが」
「しらねぇパーティすんなよ」
「ん、ルカねえ、でもこれすごい良い匂いする」
「フッ、ローストしたからな。飲むサラダと呼ばれる南米の伝統栄養飲料だ」
「……いやもういいですけど。なんでこれやることになったんですか」
「ライトが言ったからだが」
「言ってません」
「言ってねぇじゃねぇかジンごら」
「気性が荒すぎるだろ貴様おい」
「まあまあルカちゃん落ち着いて……。美味しそうだし、ほら、ピザもあるよ?」
「さらにどうしてそんな贅沢なものが……?」
「マテ茶ピザパーティだからだが」
「しらねぇパーティすんなよ」
「えへへ〜、わたしたちが作っちゃいましたあ!」
「え……これいちから作ったんですか!?」
「へへっ、そうっすよ!力作っす!ていっても、あたしたちはトッピングしただけっすけど……ライトくんとルークが生地コネ頑張ってくれました!」
「ふっ、オレの筋肉が生地を叩きつけた」
「主語キモすぎだろ」
「で、我が焼いた」
「主語キモすぎだろ」
「これは普通だろ!?」
「……ん、でもすごい美味しそう」
「だね、ノアちゃん!」
「ふふん、三人を待ってたの!お腹すいた?さっ、はやくご飯食べちゃお!」
サプライズの意味を含めて、僕らは彼らに内緒にして準備を進めていた。総じていいリアクションをもらえたことに嬉しくなって、微笑みが溢れる。
そしてフウカも、この場の全員も、同じように笑っていて、幸せな空間だった。
僕ら九人の自警団は、遥かな未来までも、こうやって一緒に食卓を囲んで笑い合える光景が続くと思った。今のまま、何もかもが変わらないことを、僕は望んでいた。
ふと、僕は意気揚々とピザをカッターで切り分けるジンを見ながら、別の人の方を向いて、そのそばに寄る。
「……ね、ルーク。ピザ、好き?」
話に混ざりつつも、ずっと優しく笑っていた、僕のピザ作りの相棒だ。
皆がわいわいと騒いでいる中、僕は横で彼と話したいと思った。あまり深い意味などないが、『ブラザー』と呼ばれる理由がわかって、さらに親しみやすくなったからなのかもしれない。
「ん?そりゃあ好きだぞオレも。食べ過ぎは筋肉には良くないが」
「あぁあくまでもその目線なんだ……」
「ふはは、オレには力がないといけないからな。全く食べないのも、食べすぎるのもダメだ。健康管理は誰にだって負けん」
「すごいね、ちゃんと考えてるんだ。……じゃあ風邪引いたことってある?」
「ない。一度も」
「そんな人間がいるんだ……?」
「いるさここに。そういうブラザーはどうなんだ?病弱じゃないだろ?」
「うん。体調崩したことはあるけど、まぁ、健康な方かな」
「ふっ、みればわかる。その筋肉量で」
「筋肉と健康関係ある……?あとずっと言おうとしてたけど、僕そんな筋肉ないよね。動くようになったのはこ
こ最近だし」
「いいや。お前には溢れんばかりの筋肉の才能がある」
「なんだそれ」
「表面的に見えるだけでもルカ並にはあるが……、ブラザー、実は昔運動してただろう?」
ついにジンがピザを取り分けて、それぞれの皿に乗せた。僕がそれを受け取ろうとした時に彼はそう聞く。
それに動きを止めて、記憶を遡った。
たしかに僕は良く体を動かしていた。本気でアスリートを目指していたわけじゃないけど、人並みにスポーツに興味はあったし公園でよく……親友と遊んでいた。
でもそれからあの出来事があって、運動から離れていって、一年以上引きこもって、今に至る。
すっかり筋肉量は落ちて、この島に来た最初の頃は島を回るだけで筋肉痛に悩まされたりもした。
でも、もう今は、自警団一の体力自慢のルークに認められるぐらい回復していたんだ。
「……してたよ。よくわかったね」
「ふっ、人の筋肉を見るのは得意なんだ」
「それはよくわからないけど。……、そういえばなんでルークは筋トレが好きなの?」
僕らは「いただきます」と言葉を交わして、ピザを食べながらルークと話し続ける。
「前言わなかったか?体を頑強にするのが趣味だって」
「あぁそういえば聞いた気がする……」
「……ふっ、じゃあなんで頑強にしたいのかは言ったことがあったか?」
初対面の時に筋トレにツッコんでそれ以来。今更だけど、僕は最もルークを構成する要素が濃い『筋肉』の秘話について知りたいと興味津々で尋ねる。
「それは知らないな……!聞かせてくれる?」
「いいだろう。といってもたいしたことじゃない。オレは誰かを“護る”ために生きているからな。強くなれば、この体が丈夫になれば、いつだって誰だって護れると思っただけだ」
灯台守。ガードナー。
あまりにも単純な理由だけど、彼らしく、それでいて高潔で、そして聞いてるだけでも笑えてくるような、最高の言葉だ。
「それでオレはいつか、この島を護る盾となって、“必要とされる存在”になりたいんだ」
その時、また彼は今朝みたいに遠い目をした。
なんでかわからない、けど、それを悲しいと思ったから、僕は頬張るピザを飲み込んで彼に告げた。
「そっか。……でも、“いつか”じゃなくてさ、それはもう叶ってるんじゃないかな」
「……?なんだ、ブラザー……」
「僕はもうルークを必要としているよ。それは僕だけじゃなくて、きっと皆も、だよ」
たった一つの言葉に引っかかってしまったのが、どうにも頭から離れなくて僕は否定したかったんだ。
彼は必要のない存在なんかじゃない。今朝、僕らが彼に『お泊まり会に参加しないとつまらない』『賑やかし続けろ』と言ったように、その明るさは眩しかった。
寄った漁港で、感謝と共にアジを渡されたように、その優しさは帰ってきた。
彼はもう、この島になくてはならない存在なのは、部外者の僕でもわかりきったことだった。
「……ふっ、ありがとな、ブラザー」
「いいよ、お礼を言われることじゃない」
「じゃあピザでも食うか?」
「ふふっ、もう食べてるって」
「じゃあせめて耳だけでも」
「貰って嬉しくない部位になっちゃったよ」
いつもみたいにアホらしい会話だが、きっとこれは彼の素なんだろう。どこまでいってもズレて優しい彼と話すのは楽しかった。
「……オレは、必要とされてる、のか」
僕の言葉を反芻するように呟いている。
何か思うところがあるのだろう、完全に信じきれて喜んでいるわけではなかったけど、もう僕は何も言わなかった。これは彼自身に、しっかりと受け取ってほしいだけの思いだったから。
「ライトー、もう食べたのー?おかわりいるっ!?」
僕を探してか、フウカが隣に歩いてきて、もうひとつのピザを差し出してくれる。
彼は優しい子、というか僕を食い盛りの弟のように思ってるだけだ。でも嬉しかったから感謝をしてそれを受け取る。
「ありがとう、貰うよ。フウカはいっぱい食べた?」
「うん!満足ですっ。とってもおいしかった!」
「それなら生地をこねた甲斐があったな。ね、ルーク」
「ん、あぁそうだな!」
「ふふ、ルークくんもありがとね!ライトと楽しそうに遊んでくれてっ!」
「はッ、オレが遊んでもらってる側だ。こちらこそライトを貸してくれてありがとう」
「あ、僕はフウカの所有物扱いなんだ……」
「えへへ、そうなのです」
「違うけどね?」
逆に飼い主側だが話が拗れるためそれ以上言わずにいれば、フウカは軽く笑ってメアリたちの元へ戻っていこうとする。
だがその時、ルークは彼女を引き留め、そして何かを尋ね始めた。
「……なぁ、待ってくれ二人とも」
彼はフウカだけじゃなくて僕の方も向いて、質問をしたいようだった。それは自警団新入りの僕らにしか言えないことか、ジンらの耳には入らない小さな声だ。
「──高校って、いいところか……?」
それは揺らぐような、確かめるような言い方だった。
なんでそのことを突然聞いたのだろう。わからないけれど、これが普通の人たちなら、きっと肯定の意見なり、否定の意見なりは、多様ながらすらすらと出てくるのだと思った。
特段迷うような質問じゃない。
でも。
それは“僕ら”が答えるには難しすぎる話だった。
「……いいところ、なんじゃないかなぁ。きっと!」
僕はフウカの方へ振り向いた。
その言い方から推測できた。
というか、僕は薄々気づいていた。
彼女は、おそらく、学校に。
「なーんて、私、通ってないからわからないんだけどね!
彼女はそんなデリケートな答えにさえ、明るさを保ったまま、それほどの笑顔で語ってくれた。
僕は知ってしまった。
彼女が学校に行っていないからこそ、先輩呼びに憧れていることに、『夏休みの宿題』という概念に興味を示していたことに。
「……!そうだったのか、それは申し訳ないことをきいたな」
「ううん、全然いいよ。ルークくん“も”もしかして学校気になってるの?」
「え、あ、あぁ。少し、な」
「……ね、ライトはしってる?学校」
照れ恥ずかしそうに顔を逸らしたルーク。
フウカの真実を初めて知った僕は、なるべくそれを気にしないように、そばで寄り添えるように、僕の真実も彼女たちに伝える。
「……実は、僕も学校行ってないんだよ。ルークと同じ通信制。だから……普通の高校がいいところかはわからないや」
こんなの改めて言ったのは初めてだ。
ずっと避けるべき話題だと思っていたから。
でもそんなの気にしないように、彼女は笑ったんだ。
少し驚きはしたのかも知れないけど、とびっきりにポジティブに捉えて。
「えへへっ、それなら私たち三人、まだまだ『学校』っていう特大の楽しみが残ってるんだね!」
なんでそう心から思えるんだろう。
通信制に通っているのならもうそんな華やかなのとは縁がないはずなのに、いつか望んだ青春を、自ら手放したはずの日々を、もう一度掴むことができるはずだと、彼女があんまりにも眩しくいうから僕とルークは呆然として、そして、笑うしかなかった。
「……ハッハッハ!そうだな、オレたちはまだ学校にいけるんだよな!」
「……ふふ、だね。レインたちと同じ高校にだって通えるよ」
「みんなで授業受けれたら絶対楽しいよね〜!」
「フウカは僕たちの二個上でしょ?」
「えへへ、それでも一緒がいいの!逆にライトが先生として教わりたいぐらい!」
「おっ、それいいな!ならオレは最前で授業受けるぞ!」
「あ、僕が教える側なんだ……、いいけど、ふたりとも授業中に寝たりしないでね?」
「ふっ、それは大丈夫だ!腕立て伏せをすれば目を開けていられる」
「授業中に筋トレしないで?」
「終わった……。すまないライト熟睡だ」
「意志が弱すぎる」
「私は寝ないよ!ずっとライトのことだけ見てるからね!」
「………いや板書してください」
「終わった……。ごめんねライト熟睡だぁ」
「意志が弱すぎるって問題かなこれ」
もう、僕には悲しい気持ちなんてなかった。
学校なんて触れたくない話題だけど、彼女たちと一緒ならなんだって愛おしくさえ思えてしまった。
「みんなで通える高校は本当に楽しそうだなっ」
ふと、彼はそんな言葉を、無邪気なぐらいのまっすぐな笑みを僕たちに振り撒けた。
そんな姿を見て、なのか、隣のフウカは何かを考えついたように目を見開いて、そして僕に振り返る。
「……ぁ、そうだっ、ねぇねっ、ライト!ちょっと耳貸して!」
「え?うん、いいよ」
彼女はまだ皆やルークの前では言いたくないのか、小さな約束を交わしてくれる。
片耳だけ、こそばゆく、ドキドキしてしまうけど、それは僕を思わず吹き出させてしまうほど、面白かった。
「明日、みんなで────」
「……ふはっ、いいね。楽しみだ」
「……?おいおいどうしたんだ?ブラザーたち」
内緒話に興味を持ったルークに、僕ら二人は顔を見合わせてそれを秘密にして、そして別の話にそれとなく変える。
単純な彼だから何も訝しむことはなく、ただもうピザを食べながらおしゃべりを続けてくれた。
夕方に、こんな暖かくて大切な会話。
それで笑い合っていれば、よくわからないけど美味な茶も、ピザもどんどん減っていって、立ちながら食べていた僕たちの中心の机も寂しくなっていく。
でも、それをジンはまだ終わらせないように。
全員に聞こえるような声で注目を集めて、時をさらに加速させて。
まるでこのピザパーティを、“お泊まり会”の前座として、次なる余興を宣言した。
「──さぁ、食事は済んだが、まだまだ今日は終わらない!夜を明かす我らの遊び………その先陣は“人狼ゲーム”だ!」
◇
何時間が過ぎたのだろう。
僕らは、一日にやっていい遊び時間を大幅に超えて、このエデンで同じ時を分け合ったんだ。
いろんなゲームをした。
人狼ゲームはテイラーはもちろん上手かったけど、意外とメアリは胆力があって強かで。そしてこれまた意外とルカはそういう嘘が吐けなくて。
まぁ案の定、フウカは嘘もバレバレな上に、ルール理解も乏しくて。あとついでにジンはとりあえず初日に吊られてレインが爆笑していて。ノアはたまに議論をかき乱すようにわざと変な提案をしたりして。
そして誰もがこの遊びを心から楽しんでいた。
いつかのリベンジの乱闘する対戦ゲームだってしたし、ひとつのリモコンを三人で操作して、3vs3vs3の三つ巴で戦う某鉄道会社経営サイコロゲームは十年分もやった。
そろそろ気分転換にでもと、ゲーム機に被害はいかないように突如最下位組からけしかけられた枕投げ大会も、石枕は結局断念して、柔らかいそれで飛ばされても痛くなんてなかった。
そう、僕らは本当にたくさん遊んだんだ。
でも、それは遊び尽くしていてはなくて、まだまだしたいことだって色々ある。
だけど、はしゃぎすぎてしまって寝落ちてしまった君のために、僕らはもう静かに片付けを始めている。
「……すぅ……、……誠ぉ……、ぇへへ……」
“夜更かしをしたい”といった彼女は、その願いを叶えることなく一番に、幸せそうに脱落した。
どんな夢を見ているんだろう。なんで僕の名前が寝言で出てきたんだろう。正直に言えば、嬉しいけど、やっぱり恥ずかしかった。
……だって、この場には、僕と彼女以外の子達がいる。
「フッ、呼ばれてるぞ名前」
「ん、ライト先輩、夢に登場してる」
「あは、本当に可愛いですね、フウカちゃん」
明日の朝のために、今机を整理している彼らはにやりとこちらを見つめ、からかうように小声で言われた。
「ふっ、ブラザーはどうやら夢でも必要とされているようだな」
「そう、なのかな……?……まぁ、嬉しいけどね」
深夜に入って少しした頃という時間を考えれば、あんなに元気溌剌な筋肉キャラでさえも、声を控えめに僕の肩をツンツン叩いて笑う。
今更僕と彼女の関係を邪推してくる彼らじゃないからこそ、そのからかいが恥ずかしいと思いつつも、心から確かな喜びが溢れていく。
静かで穏やかな夜の時間を送っていれば、ひとりの少女が大きなあくびをした。
「ふわああぁ……。……んー、すみません、みなさん、あたしいまがちでねむいっす……」
「レインちゃんはいつも九時に寝るんだもんね……逆によくここまで耐えたよ」
「ほんとは……おきてたいっすけど、ふうかちゃんみてると、ねむさが………」
ルークに次ぐ自警団元気担当は限界のようだった。
これはお泊まり会だから、楽しいのが一番、無理して徹夜する必要もない。
全員、ゲームの合間に歯磨きも、銭湯でお風呂も済ませたから寝るには万全な状態。
彼女たちを遠慮なく寝かしてあげよう、と皆の意見が一致する。
「あは、じゃあそろそろ私たちも寝ましょうか。エデンⅢにお布団は敷いておいたのでレインちゃん、そこまで頑張りましょ」
「ルカちゃん、ありがとうっす……かなり、やばいので、手掴ませてください……」
「はいはい、いいですよ。ほら、メアリも立って」
「ルカ〜……ひっぱってぇ……」
「もうっ、お昼寝してたんじゃないんですか。じゃあこっち掴んでいいですからいきますよ」
「……ん、じゃあ……ルカねえわたしも引っ張って」
「私もう腕ないですよ……!?はい、服の裾掴んでいいですから、ついてきてくださいね」
「ん、……ふふ、ありがとう」
お泊まり会なのだから当然寝る場所は必要であり、そして僕らは性別によって寝床は棲み分けることにした。
女子の布団、五枚分が用意されているのはもうひとつの部屋で、夜ふかしなんて体が追いつかないほど健康的な少女たちは、まるで母親のようなルカにぴっとりとくっついてそこまでの短い道のりを辿る。
やっぱりこういう時に彼女の存在は頼りになるし、本人も頼られるのが嬉しそうで、彼女たちの手を握って幸せそうに顔を綻ばせている。
「あっ、ライトくん。フウカちゃんのこと運んでくれますか?」
ルカは振り返り、僕を見てから、エデンⅡのソファにくるまって寝ているフウカへ視線を移した。
確かに彼女はここで寝ているよりも、きっと女性陣と同じ場所で寝ていた方が安心する。
でも、意識がない彼女に僕が触れて運んでいいものかと、なぜかルカに聞き返してしまった。
「……え、僕が?いいの?」
「いいも何も非力な私じゃ持てませんよ。ほら、“宝物”、なんですよね。ソファじゃ不健康になっちゃいますよ、お布団に寝かせてあげましょ」
「……うん、わかった」
僕にとって彼女が守るべき存在だということを引き合いに出されては、行動するしかなかった。
触れるのは最低限に、でも落ちないように、寝ている彼女のその態勢のまましっかりと僕は抱き抱える。
起こさないことを心がけて、力を入れるための小さな息すらも漏らさいように覚悟していたが、そんなもの考えなくてもいいほど、彼女は随分と軽かった。
僕はそれを無意識に、じっと見つめて目が離せない。
細い腕と透き通るほどの白い肌。
平均的な女性の体重なんて知らないけど、たまに変にお姉さんぶる彼女は、やっぱり僕にとっては小さな存在のように思えた。
「……まこ、と……っ」
また名前を呼ばれた。
起こしてしまったかとドキッとしてその瞼を見るが、開かれてはいなくて、ただの寝言だった。
僕はその、両手に抱かれた安らかな寝顔を見て、どうしようもないほどに嬉しいと、愛おしいと思えた。こんなに近いのに、劣情など、邪なことは何も頭になかった。
ただ、またこうして彼女の寝顔を見続けていたいと思っただけだった。
ゆっくりと忍足で歩みを進めて、ルカの遥か後方からエデンⅢへと向かおうとした時に、まださらさら寝る気のない男性陣は僕へ小さく告げる。
「フッ、早く戻って来い。俺たちの夜は──まだまだこれからだ」
どんなことが待っているんだろう。
僕は自警団の中で最も安心できて、そして笑わせてくれる彼ら三人との夜を過ごしたいと、心から思っていた。
◇
「うおおおッ!夜更かしってテンション上がるなッ!筋肉が蠢くッ!!」
「だねっ!わあっ!こんなにいっぱい星空が輝いてるよっ!」
「フッ、漆黒の帷を埋め尽くす、光の刻印」
「何言ってる?」
「綺麗だッ!うおーっ!みろテイラー!あの星とあれとあれを結んだら筋肉座だ!筋肉すぎるぞ!美しいなッ!」
「ごめんっ!ボクには筋肉が見えない!けど美しいのはわかるよっ!いっぱい星座があるんだろうなぁ……!」
「フッ、筋肉の銀河、か」
「何言ってる?」
深夜……四時ぐらいか。
意味わからないぐらいテンションの高まったルークとテイラー、そして厨二病に拍車のかかったジンは、それぞれ大声ではしゃいでいる。
ルカが聞いたら頭痛でもして飛び起きそうな会話だが、この場に彼女らはいない。
今僕らは、エデンを抜けて、ルークの棲家である“灯台”の下で話している。
「ねぇねえっ!なにやるジンくん!ボクまだ遊び足りないよっ!」
「フッ、ドッジボールでもやるか」
「この時間にこの明るさにこの人数で?」
「ええいライト、俺たちに不可能はない。筋肉で紡がれた我らの絆があるなら出来る」
「何言ってる?」
「良いこと言うなボス。オレたちは筋肉でつながっているんだ。だから怪我を負いそうになった時は全員で庇って守り合う!」
「じゃあドッジボールは試合できないよ」
「ジンくんの言うとおりだよライトくん!やると決めたらボクたちは最後までやり遂げるんだっ!」
「テイラー!?なんかキャラ変わってるよね……!?」」
「あぁ、こいつは深夜テンションになると面白さに拍車がかかるのだ」
「誰が道化だって!?」
「言ってないぞ」
「言ってなかった!ひゃっほう!」
「うおお!オレもひゃっほう!」
「フハハ!まるで意味がわからん!ひゃっほう!」
彼らはこの島で仲良しの男子三人組。
今までも、彼女たちがいなければこんな無茶苦茶な会話をして笑い合っていたこともあったのだろう。
僕は、そんな三人の輪の中に有無を言わさず巻き込まれて、そしてなぜか、訳もわからずに笑ってしまった。
「……ぷはっ、あははっ!もう、なんでもいいかっ!やろうよ、ドッジボール!」
「やったね!ライトくんがやる気になった!」
「ははッ、そうこなくっちゃなブラザー!よしっ、ボスっ、ボールはどうする!?」
「ククク…………、実は既に持ってきている」
「さっすがジンくん!で、どこに!?」
「マントの中」
「うわぁっ!さっすがぁ!」
「物理的におかしい話はもうしなくていい?」
「そうだぞブラザー!いつだってボスのマントの中身はよくわかんないからな!考えたって無駄だ!」
「考えるのをやめようよライトくん!ドッジドッジ〜」
「本当にテンションおかしいね?」
「ちなみに避けるのはナシだ」
「ドッジできないドッジボール」
「海にボールが落ちたら困るからな。受け止めるか、止むを得ず外してしまったらボールごと抱きしめて海に落ちろ」
「海に人間が落ちても構わないもんね!」
「構ってください」
「さぁっ、ペア分けだ!グッパーでもいいが……」
「はいはいっ!ボク、ジンくんと組みたいな!」
「……!いいだろう!我が親友!」
「おおっ、ならばオレはブラザーと組みたいぞ!」
「わかった。一緒に頑張ろうか、ルーク!」
「あぁっ!二人をけちょんけちょんにしてやるぞ!」
「フフフ、フハハハッ、フゥアハハハッ!」
声デカ。
「やってみろ貴様ら!テイラー、俺がボールを受け止めるから攻撃は任せたぞ!」
「うんっ!がんばるねっ!」
男子高校生らしく。
有り余った元気を使い果たすように。
こんな夜中にバカなことをやっても灯台は街から遠すぎるから誰だってやってこない。
くだらない遊びだ。
でも僕は、くだらない遊びだからこそ、この場所で全員で笑いながら走って飛んで、地面に倒れあったこの瞬間を、何年経っても色褪せず絶対に忘れないだろう。
◇
「はぁっ……はぁっ!勝っ、たぁっ……!」
「ブラザー……っ!オレたちの勝利、だぁ……っ!」
ダブルスドッジボール、十五分という驚異の試合時間。
夜中にはあり得ないぐらいの滝汗を流して、僕とルークはハイタッチを交わす。
実力は完全なる拮抗だった。運動神経がわずかに劣るテイラーだが、回避不可で受け止めるしかできない特殊ルールではジンの鉄壁の守りが崩せず、球の挙動が読めずに不意打ちを喰らって、そしてこっちが負けじと当て返して外野から戻って……の、大接戦。
その末に勝ち取った栄光を僕らが分かち合っていれば、彼らは称賛しながら握手を求めてくる。
「強くなったな、ルーク。フッ、自警団のアタッカーとして申し分ないフィジカルだ」
「……!はは、そうか、オレは強くなれたかっ!」
「あぁ。俺を越したぐらいにな。……それと、ライトも凄まじいな。貴様を自警団のバッファーとして任命しよう」
「どうして」
「どうしてって、ライトくんがルークを補助してたからこそボクたちが負けちゃったんだよ!ほんと、手強かった!」
「その通り。ライトがいるからこそ自由に暴れられてしまった。……それに、ルークは護るべきものがあると強くなるからな。貴様ら、いいコンビだぞ」
「……ふふ、そっか、嬉しいね。ルーク」
「あぁっ!ブラザーとの友情がまたひとつ、深まってしまった!」
眩しく笑う彼を見れば、こんな暗い、それこそ灯台の光しかないような真夜中でも、踏みしめるべき大地が照らされていく。
息を整えた僕らは、次なる遊びを探そうとしていた。
「よぉし!次はなにやる!?」
「テイラーはまだまだテンション高いままだね……」
「……ふむ、俺とテイラーがやりたい遊びはだいたいし終えたな。……よし、ルーク、ライト。何やるか決めていいぞ。なんでも言うがいい」
僕は彼らのように遊びを考える才能がないから、受け身で付き合っていた。こうして考える時間を与えられてもすぐには出てこない。
でも、遊びじゃないけど「したいな」と思うことがあったから、僕は彼の方を見つめていた。
灯台の壁に寄りかかる、いつのまにか上裸になっていたその兄弟を。
「……むむ、オレは……、なんにも思い浮かばないな。ブラザー、先に言ってくれ。どんな変な遊びで難しくても、絶対に付き合うと約束する!」
彼もまた僕の方を見て親指を立てた。
僕はそれに、違和感を覚えた。
だって、覚えていたから。
彼にやりたいことが思い浮かばないわけがなくて、おそらくずっと“それ”をしたかったようで、そして少しだけ寂しさを堪えるような、苦しそうな表情が、逞しい笑顔から垣間見えてしまって。
その訳を知りたくて。
僕はこんなことを、三人の前で提案する。
「──じゃあ、日の出を見ようか、皆で」
「……っ……!」
それは朝に聞いた願い事。
今はそんな素振りは見せないけど、時折ぼーっとすることが多かったルークが、ふと漏れたささやかな言葉。
何も言わないままルークがこちらを見て、驚くように目を開けている。
言葉を探すように口を少しだけ開けた彼より先に、僕らの団長が、大きく笑って、歩き出した。
「フハハッ、それはいい。時刻的には丁度。さぁ、特等席で臨むぞ。案内しろ──ルーク」
ジンも僕と同じことに気づいているかのように、さりげなく彼に役割を与えて前に進ませる。
指を差したのは、この高い、灯台のテラス。
この島と、そして大海を、一望できる最高の場所だ。
〜〜
「……あー……、ブラザー、覚えてたのか?オレが朝言ったこと」
階段を登りながら、今日は珍しく兎跳びをしないで普通に歩き彼は言った。
「もちろん。あ、でも気を遣ったとかじゃなくてさ。僕も見たかったんだよ、日の出を、皆で」
「うんうん、ボクも見たかったよ!ルークも水臭いよ、やりたいことあったんだよね」
日の出は縁側で風香と共に見ることはある。
でもこんな海の向こうから立ち上る瞬間なんて、一回も見たことはない。
どれだけ素晴らしい景色なのか、僕は、このメンバーで見れれることを望んでいた。
「……あぁ、そうだ。やりたいことは、これだったな」
「フッ、そんな顔をするな。貴様は元気に笑っていろ」
ジンは階段を登りながら、まだ言葉を続ける。逃さないように、僕とは違って踏み込むように。
「そして──話せる時に、話せばいい」
今、バルコニーに繋がる扉を開けた。
どこまでも広がる海が見えた。
まだ、太陽は登っていないけど、でも近いうちにそこには橙の光が顔を出すと、確信できていた。
僕らが全員同じ方を向いて、年季の入った柵に身体を預けて、何も言わずに黒と黄の空を眺めている。
皆は何を思っているのだろう。
やがて観念したようにルークは口を開いた。
「……ふっ、やれやれ、なんだ、ボスにはお見通しか。……迷ってたんだ、言うの」
なんのことやら、とジンはのらりくらりと交わして、互いに顔を見合わせないまま、静かに待つ。
テイラーも僕も、今だけは口を挟まずに、微笑みながら海を、この島の誇るべき壮大な景色を、眺めていた。
「……実はな、この灯台に、改修案が出たんだ」
ルークはそうやって、僕たちに真剣な話を切り出し始めた。
「見たらわかるだろう?ここはもう百年前から建っているんだ。だからあちこち、老朽化も隠せない」
「そうだな。言ってしまえばボロボロだ」
「まったくだ。……今朝、町長から話があった。『ここを新しくして最新の灯台を設置したい』って」
それは、一見すれば喜ばしい提案だと思った。
古くて使い勝手の悪かったものが、新しく便利になって。そうして街は変わって、だんだんと暮らしやすくなっていく。
どうして言いにくそうなんだろうって、僕はなんとなくわかっていたけれど、テイラーは遠慮なく、友人の距離感として尋ねていた。
「へぇ……!ねぇ、それって良いことなんじゃないの?」
「……良いこと、ではあるんだろうな」
そこで一度言葉を止めた。
僕らはまた、彼が話すのを待った。
「今時、灯台守なんて職業が古いのは知ってるか?」
「うん。というか、僕はルークに会うまでもう日本から消えた職業だと思ってた」
「そうだ。……もう、本当は、消えてる職業なんだ、それは」
「……え」
僕は振り向いてしまった。
彼は地面に顔を向けていた。
「オレが生まれる前に、この灯台は一度改修された。国の監修のもとで、光をつけるだけのこの仕事を“自動化”しようとしたんだ」
「……あぁ。それは、されるだろうな。その時代でもそれぐらいの技術はある」
「……そうだ、“自動化”されるべきだったんだ。──でも、オレの父と母は、どうやら反対したらしくてな、祖父母以前の代から続くそれを残しておきたいのだと、せめて人のチェックが必要なようにと“半自動化”となった」
彼の、ルークの両親は、改修されると聞いて、どんなことを想ったのだろう。
僕なんかじゃ、到底推し量れない。
「国にとっても、島にとっても、もしかしたら有人の灯台として観光地になるかもしれないなんて思ったんだろう。こんな我儘は許されて、そして“灯台守”という職業は残ったんだ」
聞き続ける。彼の話を。
「その後にオレや兄が生まれて、この簡単な仕事を叩き込まれてな、小さい頃から二人の仕事を手伝っていた。やがて兄は、退屈な暮らしに飽きて出て行ってしまったけど、それでも、オレは手伝った。それしかなかった」
彼は遠い目をして、そして、僕が決して踏み込むことのできない“過去”さえ告げる。
「──そして三年前。親が死んで、オレだけがこの灯台に取り残された」
僕は言葉を失う。何も言えない、彼がどんな顔をしているか、見たくもないけどそれでも言ってくれたのだから、見なければいけないと思った。
彼は、僕の瞳を優しく見つめて、そして笑っていた。
「……ははッ、そんな顔をして欲しいんじゃない、ブラザー。もう親のことはいいんだ。そもそもこれは周知のこと。自警団どころか千草島ならみんなが知っている」
「ルーク……、でも……そんなの……っ」
ジンとテイラーは、それを知っているかのように何も言わない。
僕はそれでも言いたいことがあったけど、きっと、ルークが話したい本題はこのことじゃないから、噤んで、彼の瞳を、逃げずに向かい続ける。
「……ありがとう、ブラザー。……話の続きだ。親が死んですぐ、仕事を継いだオレは……ぶっちゃければ、嫌いだったんだ。灯台守という仕事が。この窮屈な島が」
「……フッ、そうだったな。あの頃貴様は荒れていた」
「うわぁ、懐かしいね。三年前ってルークが自警団に加入した時だ」
自警団の知らない時代の話。
僕は興味深く思って聞いていた。
「でも、オレはここでボスに拾ってもらえて、みんなと出会えて、こんな島を……、こんな職業を、好きになれたんだ」
彼が島を好きなことぐらい、一緒にいればわかる。そして、彼が島の人に愛されていることも、魚を貰うくだりなんかなくたってわかっている。
「“灯台守”という職業に、オレは誇りを持っている。そう簡単に失いたくない、一生ここで縛られていたっていいとさえ思っている。……だけど、そこで来たんだ。『改修』の話が」
もうこの流れがあれば、どんな要求をされたか、どんなことで迷っているのか、容易く理解ができてしまった。
「『改修』といってもな、ここは古いから、全てを取り壊して建て替えることだ。開くだけで音が立つ木の扉も、苔のついた外壁も、異常に熱くて電気代も喰いまくるメタルハライドランプも、不安定な柵も、この直撃する潮風が染み付いたバルコニーも、全部取っ払って、そして──ついに“自動化”される」
それはつまり、簡単なことだった。
「オレは……百年続いたこの灯台をなくして、さらに、“灯台守”という職業を歴史から消すことを選ばされている」
十五歳の少年に背負わせるには、あまりにも重すぎる選択だった。
「……ふむ、町長からなんと言われた?期限は?詳しく教えろ」
「あぁ、ボス。この灯台の所有者はオレしかいないから決定権はオレだけが持っている。期限もまだある。……でも、できるだけ早く、決断したいと思う。……誰も悪意なんてなくて、船乗りの命を守る灯台なんて、こんなオンボロより最新なモノの方が頼れるからな」
「……そうか。それじゃあ、貴様はどうなる。職を失った貴様はどうなる」
ジンは問う。全てを吐き出させるように。
「……オレは、自由になる。わざわざこんなところに暮らさなくたって、どこへだっていける。“学校”にだっていける。………そして、オレはまた、必要とされない存在になる」
「──っ!」
そんなことない、って強く、胸ぐらを掴んでいってやりたかった。
でも僕はしなかった。
そんなの言っても、彼の心に届かなければ意味がない。今言っても届かないことぐらいわかっていた。
これは彼自身が乗り越えなきゃいけない、僕らが毛ほども知り得ない、深く刻まれた傷だから。
「あいつらが寝ていてよかった。……オレは、こんなのを言うために日の出を見たかっただけだからな」
全ての悩みを彼は吐露した。
今朝、その話を聞いて、彼は今日一日中、一人で抱えて悩み続けていたのだろう。悩んでいくうちに、やがて相談すら僕らに迷惑だとして秘密にしていこうとでも思ったんだ。
でも、まだ、彼は決めきれていない。
悩む理由はもう彼が語らなくても理解できている。ずっと自分を縛り付けて、憧れた学校さえも仕事を理由に諦めて、それでもだんだんと好きになれてきたその仕事が、家族の思い出ごと突然奪われてしまうなんて。
そんなの、僕たちにだって選べないじゃないか。
「なぁ、オレは……、どうしたらいい……?」
でも彼は聞く。大きな体格だけど、実は僕よりも年下で、ノアに次ぐ年少の彼は、僕たちを頼り、すがるように、小さくなって。
「……俺から言ってやろうか」
ジンはまだ、ルークの顔を見ていない。
遠くを眺めている。
「それは俺には決められないことだ。自分で考えて、そして『後悔しない選択』をするべきだ。そうすれば、どんな結論になったとしても、貴様は貴様らしく生きることができる」
「……そう、だな。あぁ、だよな」
「……こんなボクでも、ルークに言えることがあるなら、それはジンくんと同じだよ。ボクらはどんな選択をしたって責めたりしない。むしろ、笑い飛ばして、楽しんでやるぐらいにそばにいつづける。だから、ボクらの心配じゃなくて、自分の心配をして」
テイラーもまた、遠くを見ていた。
このふたりは、僕らより一個上の代ということが、その大人びた解答で改めて気付かされてしまう。
「俺が力を貸すのは、貴様が選んだ道の先だ。それまでは俺は何もいわない」
ルークは考える、悩む。
自分の意思で、自分一人で、重たい選択を。
もちろん、僕らはどんな選択をしたって笑ったりしないなんて言わなくても彼は知っているから、彼は、ずっと、漠然とした答えだけはあったんだろう。
それを、今、僕らに向けて言葉にして、そして確かな宣言にしようと、ゆっくりと、口を開く。
「……オレ、は……、この場所を………」
僕は、どうする。
何を言ってやれる。
千草島に来て、たった二週間の部外者の僕が、選択できるわけがないさ。
でも、言ってやるべきだ。支えてやるべきだ。
その選択は出来ずとも、選択の、“葛藤”の、背中を押してやることは僕らに出来るから。
「──待って、ルーク」
彼の背中に触れた。
言葉を止めさせた、前を向けさせた。
そしてその時──太陽が登り始めた。
「もう一日だけ。僕と一緒に、考えてくれないかな」
ジンが取る行動と、ライトが取る行動は違う。
なんでこう考えるんだろうと想像するのは楽しいです。
あとシリアスな場面ですが、深夜テンションテイラーがかなりはじけてて好きです。




