八月十日(前)「お昼寝をしよう」
『あーあ、つまんないなぁ』
気づいたら僕は知らない場所にいた。
全てが朧げで不鮮明で、この場には“僕”ひとりしかいなかった。
さっきの退屈を示す声は“僕”だったようで、それもそのはずだ。ここにはなんにもない。いや、あるのかもしれないけど、“僕”にとって、それは空っぽに見えたから、何もないのと同然だった。
『……いいなぁ、私も、遊びたいなぁ』
“僕”は、体なんて一つも悪くないのに、白いベッドで寝転びながら窓の外を眺める。
学校帰りかもしれない、少年少女が楽しそうに輪を為して、話しながら帰っているのを、ただ羨ましく、眺めている。
『んー、あれ?こんなの、あったっけ?』
ふと、窓から視線を外して隣の棚を見れば、知らない何かがこちらに表紙を向けて置かれていることに気づいた。
本。知らないタイトル。
おおかた、見舞いに来る親か白衣を着たいつもの人たちが置いていったものだ。普段なら、そんなのを読んでもどうせ自分が虚しくなるだけで、あの人たちを心配させないように読んだフリだけして放っていた。
でも、“僕”はそれに、どうしようもなく、惹かれ、腰を上げて、体を伸ばして、手で触れる。
『“夏色”、“紀行”───?』
その題名を読み上げた瞬間、僕はひどく懐かしさを感じて、体が震え出して、そうして夢から覚めていく。
◇
「みてみて……!円海さん、かわいいでしょ……!」
「あら本当ね……、幸せそうな寝顔だわ……!」
意識がぼんやりと戻ってくる。なにか変な夢を見ていたはずだけど、もう忘れてしまった。すぐに思い出せなくなったのは単に夢だからという理由だけじゃなくて、それは別の何かに気が引かれているからだと思う。
「………ぇ?」
近いところ、未だ目を瞑る僕の真上で、誰かふたりがこそこそと内緒話をしているのが聞こえた。
このまま寝ていてもいいが、なんだかそのまま続けていればとてつもなく恥ずかしいものだと直感して、僕は慌てて目を開け、体を起こす。
そうしたら目の前にいた。
いつもの如く、朝から小悪魔に悪戯っぽい笑みを浮かべる、寝癖をつけた風香が。
そして、全然いつもの如くじゃない、しっかり着替えて準備万端な叔母の円海さんが。
「えぇ……?」
「あ、おきた」
「おきたわねぇ」
「起きたよ」
「おはよー!」
「おはよう、誠くん」
「……うん、おはよう」
目覚めれば朝五時のアラームより少し早い時間、それなのにプライバシーのかけらもなく寝顔を覗かれていることに何か言おうかとも思ったが、元気がよろしい二人の笑顔と挨拶を聞けば、もうなんでもいいかと僕は飲み込めて笑えてしまった。
「一応何してたのって聞いていい?」
「寝顔見てた!」
「はは、おっけー」
「おぉ!許可もらっちゃった?」
「あげてないよ諦めの返事だよ許可あげてなくても絶対来るからだよ」
「えへへ、まぁそれはそうなんだけどね〜!」
ここ数日は僕の方が先に起きていたけれど、やっぱり風香は僕より先に起きてまで寝顔を見たいらしい。
ただでさえ朝五時がデフォルトで、彼女に張り合ってさらに早く起きるのはあまりにも不毛だからもう僕の寝顔の防衛は諦めることにする。
「うふふ、ごめんね誠くん。風香ちゃんに連れられて私も寝顔見ちゃったわ」
「まぁ、それはいいですよ。……ところで、円海さんはなんでこんな時間に……?今日は仕事じゃ?」
貨物船の船長という特殊な職業を担っている円海さんはなかなか休みもなく、朝四時にはもう家を出ている。それなのにこんな穏やかな朝を送っていいのかと聞いた。
「うん、今日も仕事だよ。でも今日は午後からなんだ」
「そうそう!だから昨日の夜に一緒に誠の寝顔見よって約束したの!」
「いったいどうして??」
「そしたら二つ返事で頷いてくれた!」
「いったいどうして??」
「ふふ、私も『朝から誠くんと風香ちゃんと喋っていたいから』って言ったらダメかしら?」
「……はは、そんなのダメなわけないですよ」
僕たちは家族だから。
それは最後まで言わずとも、伝わるように目線で送り、僕は朝の支度をし始めた。
◇
「んー!今日も気持ちいい天気だわ!」
縁側。三人で並んで座り、朝日を眺めている。
やっぱり僕は、風香とだけじゃなくて、円海さんとも過ごす、世界の時が止まったような、生命は僕らだけのような、この時間帯が好きだった。
「ほんとだねー!うぅん、今日は何をしようかなぁ……?」
両手を床につけながら、空を見上げて目を瞑って、彼女は幸せそうに夢見る。それが僕の今日の予定を決める操舵手の姿だった。
あまりにも穏やかな顔だから、僕と円海さんはそれを静かに見つめていた。
そうすれば突然、彼女は目を覚まして「あ」と呟く。
「よし、決めた!今日はお昼寝しよう!」
「待て待て待て」
「待たないよ!」
「待ってよ!?それは予定と言えるの!?」
「言える言える!だってさ、こんな素敵な空をみながら、風鈴の音を聴いてお昼寝できたら幸せだと思わない!?」
「いやそれは………そうだね、幸せだ」
「とんでもなく幸せ?」
「あまりにも幸せかな」
「じゃあ決定だ!」
「ははっ、おっけーっ!」
「誠くんがツッコミを諦めた上に乗り気になっちゃった……!?」
そうだ、彼女のやることはいつも変な思いつきで、でも、僕は僕の宝物と一緒にいるだけで良かったから、面白いと思えるから、そんなのでいいんだ。
ただお昼寝することでも、風香となら絶対に記憶に残る一日になる。
「えー?羨ましいわ、私もお昼寝したいー……」
「お仕事は午後からですもんね」
「そうなの。あーあ、夏休みって本当幸せな日々ね……」
「な、なんかその顔見てると今のうちに遊んでおかなきゃって気になりますね」
「ふふ、実際子供のうちはたくさん遊んでおきなさい。後悔しないように。……思い出をたくさん残せるように」
やけに達観したような顔で、ぽん、と円海さんは僕の頭に優しく手をのせた。
大人はみんなそういうだろうな、と僕は払いのけもせず「はい」と苦笑しながら言葉を返す。
「んー、それなら円海さんも一緒に寝よー?」
「こらこら風香、そんな引き留めないであげよう。円海さんはこれからお仕事頑張ってくるんだから」
「寝るわ」
「職務放棄?」
「だってそんな可愛い顔で言われちゃったら断れないじゃない?」
「……まぁ、そうですよね」
「寝るわ」
「寝ましょう」
「待って待って待って!?誘ったのは私だけどちょっとは冗談だったよ!?二人は止めてくれないとだよ!?一緒に寝ては欲しかったけどさすがに無理だと私わかってたよ!?」
「あ、風香の長いツッコミだ」
「長くもなっちゃうよ!?」
「……ふふっ、そうね、ちゃんと私は働いてこの家を守らないとね」
その人は最も安らかな顔で微笑んで、そして誓うように小さく呟いた。
「それなら風香ちゃん、私に午後も働ける元気をくれない?」
「元気ー?うんっ、私にできることならなんでもしちゃうよー!」
「やったぁ!じゃあねぇ、今日は一緒に夜寝しましょ!」
……あぁ、この二人は、本当の親子かのようにぶっ飛んだ、実に微笑ましい思考もよく似ている。
「!するする〜!一緒の布団使おっ!」
「うふふ、よしっ、これで夜の楽しみが出来たから俄然やる気も出てきたわ」
「……ふふっ、よかったですね、円海さん」
「ええ!……誠くんも嬉しいかな?私と一緒に寝るの」
「……………え?」
「嬉しいよねー!夜から朝までずーっといれるの!」
「なんか僕も夜寝する流れ?」
「そうだよ?」
「そうなの?」
「だって私たち“家族”だもん!一緒の布団で寝ても大丈夫だもん!」
……なんか、僕、“家族”ってワード出されたら断れない気がしてくる。一緒に寝るのはそりゃまあ楽しいだろうけど、僕と円海さんは親戚同士とはいえ、僕と風香が同じ布団で一緒に寝るのは、……うん、流石にダメだろう。ね、そうでしょ円海さん。
「そうね!ドデカい敷布団三つ繋げましょうか!」
あ、超乗り気なんだ。
「いやいや!小さいのを三人でギュッと固まって寝ようよ!そしたらあったかいよ!」
それは一番ダメだよ。あったかいの嫌だよ茹だる暑さだよ。
「良いね!」
ダメでしょ!?
「誠、どうするー?」
「……、三人で敷布団くっつけよっか……」
「決まり!えへへ、お昼寝は誠とふたりで、夜寝は三人で一緒だ〜!」
寝過ぎだよ、と僕は苦笑して折れたように渋々言うけれど、本音をいえば、僕もそうしたかったんだ。
誰かと一緒に寝れば、何かが和らぐ。そんな気だけはいつもするから。
「……あ、そうそう、ふたりとも」
一息をついた時、円海さんが僕らの方を向いて思い出したかのように言う。
「昨日は大きなお菓子のお家、つくれた?」
「ぇ……」
「うんっ!つくれたよー!……って、あれ円海さんに言ったっけー?」
八月九日、メアリと作ったお菓子の家。あれから風香とここに帰ってきて疲れたからすぐに休み、その話はまだしていなかったはずだ。特に隠したい理由もなく、あとで縁側での話の種として使おうと思っていたぐらいだからその話題は歓迎だが、やはりどうして知っているのかは気になってしまう。
「ううん、言われてはないけど……、あ、そっか、二人には伝えてなかったんだねぇ?」
円海さんはにやりと笑って、僕たちに話をしてくれる。
「昨日はとんでもない量のお菓子を使ったでしょ?」
「はい。今まで見たことないぐらいに……」
「ふふっ、実はあれを運んだのは私なのです」
自慢げに言い放ち、円海さんはポケットからふたつの鍵を取り出してクルクルと回した。
あのお菓子を島外から取り寄せたのはジンで、それをエデンに持ってきたのもジンだけだ。僕らはそれを当たり前のように思っていたけれど……。
「……あ、そっか、あの量はジンが一人で運べない……!」
「たしかに……!?わぁ、団長なら車の運転とか馬とか使って持ってきたと思っちゃってたよ!」
すごいわかるけど、あの人実は17歳だった。
「ふふ、実は一昨日から甚一郎くんに頼まれてねー。朝の便に一緒に乗り込んでお仕事を手伝ってくれる代わりに旧天文台まで運んであげたのよ」
僕はいろんなことに驚いている。僕たちの遊びにわざわざ付き合ってくれた円海さんもだけれど、一番はジンが『円海さんの仕事を知っていて』頼み込んだと言うこと。
この狭い島だ。どんな交流があってもおかしくはないが、そうやって頼れるほどにジンと円海さんに繋がりがあったことを興味深いと思った。
「それで、楽しかった?」
円海さんは僕らにそう聞いた。結局、円海さんは僕らの遊びに付き合ってくれただけで特になるようなことなんて何一つない。
それでも、わざわざ仕事の合間を縫って送り届けてくれたのは、その質問の答えを聞きたかったから、それだけだろう。
僕らはふたつ、声を重ねて、感謝を贈る。
「はい、楽しかったです」
「うんっ!楽しかったよ!」
縁側での会話は続く。安らかに穏やかに、鳥の鳴き声がだんだんと増えていくまで。
それは、どんな時間よりもかけがえのない家族の瞬間だった。
◇
「まーことっ、ほらっ、こっちきて!」
時刻は十二時過ぎ。
円海さんは僕たちとお昼ご飯の青椒肉絲フランスパンを食べてもう仕事に行ってしまった。対して、僕らはまだこの家にふたり取り残されている。
いつもならこの時間帯には、十時から始まる自警団の集まりに参加しているはずだった。
それに欠席の連絡を入れてまで、わざわざここに残っているのは、風香が朝の約束を、まさか僕だけに適用しているからだ。
「こっち、って……どこ」
「ほらっ!ここだよー!」
彼女は縁側の手前、僕たちが普段ご飯を食べている畳の部屋、その中心の机を片付けて座り込んでいた。
まるで太陽の光を遮ったうえで、その風の恩恵を存分に味わえる特等席みたいに。
そして“ここ”と彼女がぺちりと叩いて示すのは、隣の畳……ではなく、その、座り込む彼女の、膝。
「…………やっぱりエデンに行かない?」
「えー?うーん、それもいいけど、やっぱり今日のお昼は二人で過ごそうよ!」
僕はすごい恥ずかしくなって、話を逸らそうとするが、君はじっと僕の目を見つめて、照れもせずにそんな恥ずかしい言葉を堂々と言う。僕の反応をみてからかっているのだろうか……。
「あ、誠がそうしたいならぜんぜんいやじゃないし、もちろんついていくからね……!?」
自分の意見は二の次でいいのだと、慌てて取り繕うように言った彼女、僕はそれを見て思わずふっと吹き出し、満たされる気持ちになる。
彼女は裏表のない人。
そもそも『エデンで遊ぼう』と絞り出したはいいが、今日は昨日のお菓子パーティの対価としてメアリを走らせる特別特訓を実施するとジンに秘密裏で教えてもらったから、体力がなく運動が得意ではない風香を、他ならぬ僕が行かせたくなかった。
「……ううん、ごめんね、やっぱり今日は二人で遊ぼうか」
「──!えへへ、うん、そうしよ!」
たかが僕の存在が共にいるとわかっただけで、彼女はその太陽みたいな笑顔を振り撒けてくれる。いったいなにがそんなに幸せかはわからないけど、その顔を見るだけで僕も幸せになれるから、叶うなら、ずっと一緒にいたい。
「ほら、じゃあはやくこっちきて!」
彼女はそしてもう一度自分の膝を叩き、何かを促す。……これは僕でもわかる、八月の五日に、僕が安易に交わしてしまった約束『膝枕』をさせようとしているのだ。
なんか“家族っぽいから”みたいな理由で折れた気がするがやっぱりダメじゃないか?うん、ダメだな。
「……風香、あれは嘘だったってことに……」
「できないよ?」
「できないかぁ」
「ふふっ、そもそも誠に拒否権はー、ありませんっ!」
「え──っ、ちょ!」
いつまで経っても僕が太陽を背に立ちながら話してるのが気に食わなかったのか、風香は案外素早い動きで立ち上がり、そして僕の手を取って、強制的に引き摺り込んだ。
特に力も入れてなかった僕は、彼女に導かれるがまま押し倒すように姿勢を崩す。
咄嗟のこととはいえ、僕はその彼女の細い体を潰さないように片手を畳の方へ打ちつけてそこに体重を預けることに成功した。
だから僕は掴まれるその左手以外、僕の下で仰向けに倒れる風香には触れていない。
けれど。
「……っ、ご、ごめ……っ」
彼女との距離が、これまでの中で最も近くなる。
僕の視界の大半は彼女の端正な顔で埋め尽くされ、そして、他のところに視線を移そうとしても、不可抗力に、その桔梗色の美しい瞳に引き寄せられてしまう。
彼女の静かな呼吸音まで、ほのかな鼻息まで、伝わる。
使ってるシャンプーは同じはずなのに、花のような甘い香りがする。
思わず見惚れてしまって、すこし、ほんの少しだけ、もうちょっとこのままでいたいと思ったけれど、僕は理性的に彼女に謝りながら跳ねて体を持ち上げた。
「ふふっ、私が引っ張ったのに誠が謝るなんて変だねぇ」
僕の動揺とは対照的に、彼女は大きな余裕を持っているように、蠱惑的な笑みを保ったまま、抵抗もせず見つめ続けていた。
「………風香、っ」
「んー?なぁに。ほら、誠。こっち、きて」
こんなに僕は彼女に近づいて、焦るように鼓動が速くなっているというのに彼女は案外“お姉さん”らしく落ち着いて構えていて、僕は戸惑いながら名前しか呼べなかった。
こっちきてと言いながら膝を叩くのは、これで三回目だ。
もう、抵抗はできない。それに、彼女の頼みを僕は断りたくないと思った。
何も言わず、ただその『甘さ』を受け入れるように、僕は息を吐きながら、なるべく彼女の顔を見ないように、その膝へ頭を静かにのせる。
柔らかい、だけでは感想として伝えきれない。これより柔らかくて、僕の頭にフィットする材質は世界に幾らでもあるだろう。だけど、この頭から伝わる温度だけは何にも代え難くて、手放したくなくて、安心する、墓場みたいだった。
「あはは、やったぁ。ようやく、捕まえた」
彼女は僕を寝かせるためか、いつもはうるさいぐらい元気な声のはずなのに、そっと囁くように、吐息を含んで僕の頭に語りかける。
くすぐったい、頭が、身体がおかしくなりそうなぐらい、僕は暑くなって、顔が赤色に染まっているのが自覚できる。
「……これ、すごく、恥ずかしいよ」
「おぉ?恥ずかしいと思ってくれるんだぁ?」
「それは、誰でもこんなのされたらそうだよ……」
「えへへ、嬉しい。……けど、こんなのは私、誠にしかしないからね」
最後の言葉だけ、彼女は屈んで僕の耳元のゼロ距離で囁いたから、ビリビリと電流が走るように、全身が一度だけ大きく跳ねてしまった。
「あは、びっくりしてる、誠ー」
「びっくり、というより……ううん、なんでもない」
「えー?ふふ、可愛いなぁ」
「それ、あんまり嬉しくないってば」
「ざんねん、でも、私は本当に可愛いと思ってるから言い続けちゃうよ」
「……、僕の、どこが」
僕は彼女になんと呼ばれたいのだろう。『可愛い』と称されるのは初めてだけれど、それはどこか年上の“姉”から“弟”に贈るもので家族らしいから、口で言うほど嫌なわけではなかった。
でも、少し胸に違和感を覚えて、別のところで褒められたいと思ってしまったから、まずはどこが可愛いと思われてるのかを尋ねた。
「全部ー?」
「終わった」
「撫でていい?」
「………拒否権は?」
「ないでーす」
「……いいよ、好きにして」
優しく撫でるその手は、最初はぎこちなくて、僕も恥ずかしさが勝っていたけれど、今、こうして風香と密接に触れて、僕と彼女だけが止まった時間の中で、同じ方向を向いて、庭の太陽と植物を眺めていて。
不思議と慣れてきてしまい、それをすごく心地よいと感じられるようになってしまった。
「……ふふ、でも特にっていうなら、あんなに大人っぽい誠が、私に甘えてくれてる、ってことかな。ギャップですごく可愛く見えるの」
「えぇ?……僕、大人っぽくないよ」
「ううん、誠は立派だよ。子供っぽい私よりも」
彼女の撫でる手が少しだけ強まる。それでも控えめで気持ちいいぐらいだけど、距離が近いからか、彼女が何かを言おうとしていることがわかって、何も言わず待っていた。
「……蒼華ちゃんと茉里ちゃん、元気にしてくれたのは誠でしょ?」
風香はいつだかも、全て見通しているように、僕にそう言ってくれたことがあった。
きっと彼女たちの過去にまつわる異変を、直接的に顔に出さないながらもずっと考えて抱え込んで、心配し続けていた風香は、もうすっかり二人が笑顔で前を向けたことを僕のおかげだと思っているんだろう。
「ううん、僕じゃない。……あのふたりは、自分の力で乗り越えたんだよ」
これは本当。
最終的に、僕らじゃ知り得ない彼女の心の悩みを吹き晴らせたのは他ならぬ彼女ら自身だ。
僕がその選択まで導く役割を果たしたのかもしれないけれど、それはそもそも僕だけじゃなくて“僕ら”で、その計画の発想の要はきっとこれからも風香である。
「いぃや、誠だよ」
「いや僕なんて──」
「……うーん、えい」
「っ、ちょ、もう、風香……!」
僕のことを過大評価し過ぎる風香にどう言い返そうか起きようとすれば、その瞬間、特になんの脈絡もなく、膝枕される僕の頬はつんとその人差し指で押されてしまって行動を止められてしまう。
痛くはないけれど、僕のターンは奪われてしまった。
「誠はね、自分に厳しいんだと思うよ」
「……ぇ」
彼女はまた僕の耳元に口を近づけて、囁くように、祈るように呟いてくれた。それは僕が自分に対して一度も当てはめたことのない評価だった。
「ぃ、ぃゃ……」
ちがう、僕は、ぼくに甘過ぎる。
ぼくはこのままでいい、と逃げている。
人の優しさをただ享受しているだけ。
自分を、よくやってるなんて、がんばったなんて、褒めたことは一度もない。
ぼくは、そんな、君が言うほど良い人間じゃないのに。
「誠、こっち、向いて」
君は頭を撫でるのをやめて、顔を逸らすように外側を見続けた僕に両手で触れた。
今、自分がどんな顔をしているかわからなくて、そんなの見せたくなかったけど、逆らえなくて、顔を天井の方に向けた。
──潤んでボヤけた視界、だけどそれだけはハッキリと、君の桔梗の瞳が映っている。
「誠はすごい優しいね。頑張ってるね。だから、もっと、甘えていいんだよ」
彼女はどうして、いったいいつから、こんなことを言おうと思ったんだろう。
それはまるで、今日はその言葉を伝えたいために、わざわざ二人きりを願ったようで、確かな想いを感じ取ってしまった。
僕は、しばらく何もいえなかった。泣いてたわけじゃない、君の前で心配させるように泣きたかったわけじゃないから、せめて心臓から溢れる何かを堰き止めるように、僕はただ、君が撫でる温かさを感じるためだけに、目を瞑っていた。
「あれ?眠っちゃった?……ふふ、ほんと、可愛いなぁ。いいよ、ゆっくり眠ってね。私がそばにいるからね」
こんな格好で目を瞑れば眠ってしまったと、当然に勘違いされてしまった。
でも今更起きだすのもなんだか恥ずかしくて、その甘い言葉通りに従ってやろうと、信じてみようと、風香の存在に文字通り身を任せていれば。
だんだんと、僕の意識はうつらうつらと、細くなっていって、まるで、彼女という存在に夢が吸われていくような満たされた気分になって。
そして、ついに、二度目の眠りに堕ちていく。
この日は彼女のお話。




