七月二十七日 「料理をしよう」
──七月二七日。
「──て。お─て。まこ─!」
いつも、不快な夢を見る。
起きたら内容は何一つ覚えてないけれど、心に残る鬱屈とした重たい空気、きっとそれはあの日の夢。
だが今日は夢を見ていなかった。
いや、見ていたのかもしれない。
でも不快感はなかった。まとわりつく汗を感じなかった。
そして僕を起こす、声が聞こえる。
「おきて、誠!」
「……んっ」と情けない声を漏らしながら僕は目を擦る。そしてぼやけた視界で辺りを見渡す。
知らない天井。
足元にさす窓からの光。
綺麗な女性が僕の肩を揺すっている。
何があったんだっけ。なんで起こされているんだっけ。この子は、誰だ……っけ……って。
「……!」
僕は目を覚ました。目を開けるだけではなくて意識がはっきりとする覚醒のこと。脳が「起きろ!」って叫んでいるみたいで少しの頭痛と共に昨日の記憶が全て蘇った。
そうだ。ここは円海さんの家。夏休みの2日目だ。
「あ、おきた」
「……おきたよ。おはよう、風香」
「っ!うん!おはよう、誠!」
朝だから控えめに一日の始まりの挨拶を交わした僕だったが、それを聞いて彼女は嬉しそうに驚き、控えめとは程遠い朝から元気いっぱいの声で挨拶を返してくれた。
「いま、何時……?」
「んーとね、七時十五分だ」
彼女は部屋の壁にかけられている時計をみて、その針を数えて伝えてくれた。
そうか、七時か。……はやいな。
部屋にこもっていた時はもっと遅い時間にいつも起きていた。
「円海さんがご飯作ってくれたの。お仕事があるから前に家出て行っちゃったけど……。ね、一緒に食べよ?」
遠慮がちに、可愛らしくそう誘ってきた彼女を断る理由はどこにもなかった。二度寝なんてもうしてられない。
「……わかった。すぐにいくよ。先に食卓で待ってて」
布団から起き上がり、彼女を部屋から出して、朝の用意を始める。
和室の窓を開けて太陽の光を直に受け、空気を入れ替える。
ちなみに馴染みの洋室のようにカーテンはなく、スライド式の障子なことに改めて、本当に遠いところに来たのだと実感させられる。
にしてもこんな朝早い時間から仕事、か。
円海さんはいったい何をしている人なんだろう。
そんなことを考えて、僕は支度を終え風香と食卓を囲った。
◇
「「いただきまーす!」」
朝は味噌汁、それとパンだった。フランスパン。
ええ?なんで?
朝は和食か洋食どっちかなでどっちとも来ることあるの??
「いつものご飯だね」
いつものご飯なの?
「先端ちぎって味噌汁につけるとおいしいよ」
ちぎってつけちゃうの?
「うーん!やっぱり焼きたて味噌ンスパンは絶品!」
ネーミングセンスどうなってるの?
正直戸惑いが隠せないが、ええい、郷に入っては郷に従えだ。この千草島が日本とフランスの縁があった可能性もある。いや、ないとか思うな。焼きたてだからなんでも美味いはずだきっと。
実食。
……案外、というかかなり、美味しかった。
昨日の夕ご飯に飲んだ味噌汁を、今日の朝ごはんでそのまま使っているのかと思いきや、昨日より味噌が濃くなっており、フランスパン用に味がチューニングされているのに気付いた。
すごい、味噌って何にでも合うんじゃん。
「「ごちそうさまでした!」」
二人声を合わせて、たまたま同じタイミングで食後の礼を済ませた。重なった声にお互い顔を見合って、少し笑う時間があった。
食器を同じ場所に持って行って、どちらか一方だけが使った皿を洗うのも両方気が引けたので、ふたりで隣並んでシンクに立つ。
昨日の夕飯と早朝の分は円海さん自身がやっていたのか、少ない食器をパパッと洗うだけだったが、そこでの共同作業が楽しく感じる僕がいた。
「そうそう、お昼ご飯は好きに台所使って作っていいって!今日は島の外で外せない用事があるから五時ぐらいに帰ってくるって出かける前に言われたよ」
あぁそうか、昨日僕は彼女に料理を教える約束をしたんだっけ。
それで彼女は円海さんに許可をとってくれたのか。
料理を作ったことはないと風香はいっていたし、いつも昼ごはんは円海さんが作ってくれるか外に食べにいくかだったのだろう。
「じゃあ、二人で作ってみようか。風香、何がいい?」
「うん!えーっとね……。あ、私カレーライス作ってみたい!」
彼女にメニューを尋ねれば、遠慮なく要望を答えてくれた。なるほどカレーか、と洗い場の後ろに設置されている冷蔵庫を開けて現在ある食材を見る。
人によって大分異なる冷蔵庫のレイアウト。
円海さんはかなり几帳面な人なのか、よく整理整頓されておりすぐにカレーを作る際の工程で足りない食材を探し出すことができた。
「わかった、カレーライスね。足りないのはじゃがいもとカレーライスのルーだけかな」
「わかった!食材を買う場所は私に任せて!」
スーパーの場所は僕にはわからないから、胸を張って答える風香がとても頼りあるものに思えた。
「あと、円海さんがお昼ご飯代としてこれ渡してくれたんだけど……」
そういって、彼女はおずおずと僕に紙幣を見せる。
それは2枚。二人で二千円だった。
都会で一人前を外で食べるとなったら千円以上はかかる。だからそれはお昼ご飯代として妥当ではあるのだが……。
「……なんだか申し訳ないね」
「……うん」
お金の重みがわからない高校生ではない。
円海さんとは血は繋がっているものの、無償の愛を与える親ではない。それに風香からすれば血すらも繋がっていない。
泊めさせてもらっているという立場なのは十分わかっているが、こうやってお金として見せられてしまうと、萎縮してしまう。
「円海さんにはずっと助けてもらってばっかりだから、いつか恩返しがしたいな……」
それは、珍しく元気をなくした風香の声だった。
彼女と円海さんの関係は深くは知らない。
けれどそんな風香の姿を見ていられなくて、僕は提案した。
「だったら、料理を練習して、上手くなって。そして二人で円海さんにそれを振る舞おう。仕事も手伝ったりして、お礼を言おう」
僕もいたずらにこの島に来た身。お世話になるのだから、ここから離れてそれを返せないまま後悔を抱えるより、いまのうちからどうしていくか考えてみよう。
「──!それ、いいね!よーし。美味しいカレー作るぞ〜!はやくはやく!いまからいこう!」
◇
「はい、じゃあまずは……手を洗おうか」
時刻は十二時過ぎ。
まず僕たちは町へ降りてスーパーを見つけ、そこでカレーのルーを調達した。実家の近くの巨大なショッピングモールに内包されていたスーパーに比べれば本当に小さなもので、店員に若者や外国人がいないことは新鮮だった。
そうしてその場所で人参含めた食材を買おうと考えていたのだが、風香は「良いところがある」といってこの円海さんの家の近くの農家へ赴き、無人販売所の中に入ったのだ。
初めての体験。
木箱に入った土まみれじゃがいもを、空き缶に小銭を入れて取引を成立させる。
監視カメラも何もない、ただお互いの善意で成り立つ助け合いだ。
「やっぱり野菜は新鮮な方が美味しいからね」、と笑っていった彼女に同意し、ここでも文化の違いを見せつけられた。
そして買い物を済ませ無事に家に帰り、さぁこれから二人でカレーライスを作ろう、と意気込んだのがつい先程のこと。
朝はフランスパンだったが、ちゃんと米もあり、出かける前に炊き始めたからあとはカレーを作るだけ。ちなみに米は和式らしく土釜……ではなく、ここだけやけに現代チックな最新家電の炊飯器があった。風情よりも利便性……か。
「はーい!手、洗ったよ!」
「よし。じゃあはじめは食材を切る作業からしようか。人参とじゃがいも、玉ねぎ、鶏肉。やったことある?」
「……いや。実は包丁も、使ったことないの」
「そうだったの?……そんな言いにくそうにしなくていいよ。大丈夫。包丁の使い方も一緒に覚えていけばいい。まぁ、最初はピーラーで皮をむぐところからなんだけどね」
「やってみる!……おお!楽しい!簡単!」
「怪我はしないと思うよ。あ、人参の皮剥き二周しちゃってる」
「え!?ほんとだ」
「ふふっ、まあ赤くて似てるもんね。じゃがいもはよくできてるよ」
「やった!第一関門クリア♪」
「……カレー作るのに関門って何個あるんだろう」
「まってまって!猫の手解けてる!あぶないよ風香!」
「わ、わっ。まつよ私!まった!」
「左手。指伸ばすのは本当に危険だから気をつけてね」
「むー……。納得はするけど、やっぱり難しい……。固定しようとしたらつい癖で手で掴もうとしちゃうんだよね。少しずつスライドするのも苦手」
「わかるなぁそれ。……じゃあ、はい。風香の上から手を添えるから僕が動くタイミングで一緒に動かしてみて。正解の動きをトレースしてやっていけば、すぐに慣れてうまくいくよ」
「…………手、重なってるっ。意外と、大胆だねぇ……」
「風香?固まってどうしたの、大丈夫?」
「い、いや!なんでもないよ!ありがとう頑張ってみる!」
「うん頑張ってみて」
「…………よし、できた。ふぅ、ご飯作ってくれてた人たちは毎日こんな死の恐怖と対面してたんだね……」
「……それは流石に大袈裟じゃないかな」
「まこと〜……。目が、目がぁ……!」
「ふふっ、玉ねぎ切るとそうなるよね」
「本当に涙が止まらないよ〜……!私、ちゃんと包丁で切れてるぅ……?」
「うん。猫の手も守れてるしよく切れてるよ」
「ほんとう!?……でも、もうむり!誠おねがい変わって!──って遠っ!遠いよ誠!ずるい!玉ねぎから逃げるな!」
「あ、今気づいたか。ごめんごめんって。変わるから。待って。本当にごめんって。危ないから泣きながらナイフ持ってこっち向かないで。怖いよナイフ置いてください」
「フライパンに油をちょっとかけて、さっき切ったのを全部入れてこのノブを回してみて」
「はい!回転!おお、火が出た!」
「火を使うときは換気をしようか。えーっと換気扇は……ここか」
「火事になっちゃったら大変だから気をつけないとね。……ところで、本当にこれがカレーになるの?」
「いまのところただの鶏肉と野菜炒めだからね。この状態はこっからカレーにでも、別の料理にでもなれる分岐点なんだよ」
「え!他の料理もこんなかんじなの!?」
「まあたとえばシチューだけど、これにカレーとは別のルーをいれるだけで作れちゃう。野菜炒めのままおかずとして食べても美味しいと思うしね」
「へぇ〜……。お主たちはまだ何にでもなれるんだなぁ。自由に生きるんじゃぞ……」
「達観した年寄りみたいなこといわないで。これら全部勝手にカレーとして成長させようとしてる僕たちが悪者みたいだから」
「よし。ここまできたら次は弱火で二十分ぐらい煮込む作業だ」
「二十分……。ちょっと長いね」
「そうだね。……何して待つ?」
「んー、じゃあ会話して遊ぼうよ。もっと仲良くなりたいから〜…….お題は『死ぬ前に食べたいお昼ご飯ランキング』!」
「この島の人たちは日常会話でテーマ決めてフリートークするもんなの??」
「うん、みんなしてるよ」
「本当にしてるの!?」
「私はフランスパンかな」
「それはお昼ご飯なの?最後の昼餐がそれでいいの??」
「おお……!ルーを入れたらもういつもよく見る色になった!」
「……うん。味もおいしい。ルーが完全に溶けるまでもうちょっと火をつけてよう。もうすぐ完成するよ」
「はーい!やった、もうすぐ完成〜♪」
「僕はお皿に米をついでおくね」
「ありがとう誠!……本当に、ありがとうね、誠」
「はい持ってきたよ。……今なんか言った?」
「いやっ、お礼の言葉を言っただけ!もういけそう?カレーよそっちゃっていい!?」
「うん。最後、こぼさないように気をつけてね」
「まかせ──わっ!あぶな……、セーフ!」
「食卓に運ぶのは僕がやるね……」
◇
「「ごちそうさまでした!」」
料理初挑戦の風香と共に、トラブルを少し交えつつも、無事に完成したそのカレーライスは、僕の記憶に残り続けると確信するぐらいとても美味なものだった。
野菜の新鮮さを確かに感じ、直売所の存在もこの味に影響するとは思うが、やっぱりいちばんの理由は“誰かと”作った。ってところにあるのだろう。
単純なものだと自分でも理解している。
けれどやっぱり楽しくて、そうやって作り上げたものが誇らしくて美味しく感じてしまうんだ。
ただ腹を満たすために1人で作っていた頃とは違う。目の前でほっぺたを抑えながら食べていた風香を見て、僕もつられて笑顔になっていた。
「ねぇ。風香はここに来る前は何をしていたの?」
「……何を、って?」
食後、使ったお皿や鍋を二人で洗いながら、会話の話題としてそんなことを聞いた。
夏の間だけ円海さんの家にいる。
僕は彼女のことを名前と年齢とそんな些細な情報しか知らない。
だから夏が終わったらどこに帰るかだとか、もっと具体的な彼女についてのことを知りたかったのだ。
「別になんでもいいけど……、じゃあ、元の家で遊んでたものとかあった?趣味みたいな」
「うーん。本はいっぱい読んでたかも。冒険小説が好きなの!熱中して丸一日、本を開いてる日もあったよ」
意外。長時間それに費やせるのは随分な読書家だ。性格的にもっとわんぱくな外遊びをしていると思ったけれど違っていた。
「ふっふっふ〜。私は真面目ちゃんなのですっ。そういう誠の趣味はないの?」
「まぁ僕も読書かも。暇な時は、ずっと勉強してる」
「もっと真面目ちゃんがいた」
自分の生活を振り返ってみたが、家に籠り始めてからはネット上の娯楽が全てつまらなく感じて、寝るか食べるか以外はすべて焦るように勉強していた。
悪く言えば、ただの無趣味。
……自分がないのなら、人に振る話じゃなかったな。
「あ!勉強といえば、夏休みの宿題ってやつ!誠はあったりするの!?」
いったい何が気になるのか、やけに興奮気味に尋ねてくる風香。珍しい言葉のように扱う彼女を不思議に思う部分もあるが、僕はその違和感をしまって、質問に自慢げに答えた。
「あったよ。もうここにくる前に全部終わらせたけどね」
「ちぇー、せっかくならここは先輩の風香さんが後輩に勉強教えてあげようと思ったのにー……。でも、もう終わらせてたんだ。えらいね」
通信制の高校に通っている僕は、夏休みの宿題といってもほぼ自宅でやる授業と変わらないため案外簡単なものばかりだった。
なるほど彼女がやりたかったのはそういうことだったのか。
先輩風を吹かされながらそう聞いた僕は、一緒にやってもらうために少しぐらい宿題を残しておけばよかったと後悔する。
一方でえらいねと褒められて嬉しくも思う。
複雑な感情。
「じゃあ風香先輩には、島のことをもっと教えてもらおうかな」
「…………先輩。〜〜!もう一回、もう一回いって!誠!」
「え?島のことをもっと教えてもらおうかなって」
「ちがうその前!私のこと!」
「風香先輩?」
「風香先輩!」
「風香先輩!?」
「はい風香先輩です!よーし!島のことだね!昨日時間が足りなくて回れなかったところ案内してあげる!あ、町をまるごと一周してみる!?ん〜!いこいこっ!はやくはやく!」
どうやら先輩呼びが気に入ったのか、惚けた顔で笑っている。呼び方一つでこんなに上機嫌になるなんて。
最後のお皿を拭き終えて、棚に戻し、彼女は僕の腕を引っ張って外へ連れ出そうとする。
流されるがままその勢いにひかれていって、「待ってよ」と苦笑と共に口では言いながらも、満更でもない僕がいた。
縁側に放置されたトレードマークの麦わら帽子を手にとり、本日二度目の外出をする。
照らす太陽はさっきよりも熱量が増していた。
そうだ、まだ午後は始まったばかりなんだ。
一日が長く感じる。
ぼーっとするだけで終わっていた日々。
早起きのかいもあるのか、僕は今この瞬間を非常に濃密な時間として送っている。
風香という、元気で正直で、ちょっぴり世間知らずな変わった子。
二人は何も知らないけど、でもきっと、仲良くなれる。
まだ夏は、終わらないから。




