八月八日(前)「お菓子を食べよう」
“僕”はいつだって、甘いおかしが好きだった。
ずーっと、ずっと、それだけを食べていられる。
それに理由なんてない、ただ“僕”が食べて、そして甘さに感動して顔で表現していれば、「うまい」と感想をこぼしていれば、隣で誰かが笑ってくれたのが、どうしようもなく嬉しかったのは本当。
それさえあれば、なんだって愛していけた。
だから、“僕”にとって世界というのは甘さそのもの。
その甘さに、全ての“意味”が宿っていた。
『ねぇ、──。お絵描きはすき?』
朧げな輪郭のあなたは“僕”の顔を見ていた。
ここはどこだろう。
あぁ、そうだ、風鈴が聞こえる畳の部屋だ。“僕”の第二の家で小さくて甘いご褒美が詰まっている。
その座敷のうえで、クレヨンをにぎりしめて、背の低い机に置いた白いキャンバスを書き殴っている。
『うん!だぁいすき!』
『……ふ、そうか、──はやっぱり僕たちの娘だね』
『……そうね、うん、嬉しいわぁ』
気付けば“僕”のまわりにはもうひとり増えていた。
ふたりが、囲い込むように座っていて、それは包んでいるみたいであったかくて好きだった。ずっとその温もりが欲しかった。
『じゃあ、他に好きなものはあるかい?』
なんでそんなことをきくんだろうって思ったけど、はやく答えないとって、必死に考えた。
『おかしっ!それも甘いのがいい!』
『ふふふ〜、もう知ってるわぁ、私も好きだしねえ』
『お菓子ね。……さぁ、まだあるかい?』
『えーっと、お家〜!』
『あらぁ、いいね。ふふ、それはどっちの〜?』
『どっちもだよ〜!とっても安心するの!』
『……ありがとう。それで他には?』
『他ぁ……、あ、この島がすきー!』
『この島、か。どうしてだい?』
『どうして……?うーん、景色がきれいで、優しいお友達がいるからぁ?』
『ふふ、それはいいね』
『あっ、あとおとうさんとおかあさんとの楽しい思い出がいーっぱいあるから!』
『……っ、もうこの子ったらぁ、ほんと、かわいいんだから』
そうやってわしわしと優しく“僕”は撫でられる。そこには確かに愛情があって嬉しくて、幸せだった。
そして気付く。なあんだ、まだ、好きなものがあった、本当にだいすきなものがあった。
『えへへ、あとね、あとねっ、まだあるの!』
『……うん、なにかな』
最後にどうしてもいいたいことがあったのに。
なにかが、だんだん、おかしくなっていく。
『わたしがいちばんすきなのは───』
“僕”はそれを彼らに伝えた。
けれど何を言ったのか僕はわからなかった。
急速に世界は色褪せて、崩壊していく。
これが夢であると気付いたのはその時だった。僕は不思議な感覚だった。とても幸せに包まれた記憶だったはずなのに、なんだかとても悲しくて。
この記憶は、ぜんぶただの妄想だったんじゃないかと思えてしまって。
遠ざかっていく、誰かもわからないふたりの手を、背中を、僕は“僕”は、必死に掴もうと無力に足掻くことしかできなくて。
頬に何かが伝い、そして、何かを知って、この夢は終わる。
◇
縁側。いつもの時間に僕は彼女のそばにいる。
「んー、ね、誠。甘いってなんだろう?」
心愛との回覧板に返信して、夢日記を書いて、君は悩んでいるように唸りながら僕に聞いた。
「え、随分と急だね。普通に、そういう味覚のことじゃない?」
「いやそれはそうなんだけどー…….誠はあまいお菓子好き?」
「まあ好き、かな?ケーキとか美味しいと思うし」
「お、私も私も!やっぱりケーキが嫌いな子はいないよねえ?」
「うん。あぁでもあまりにも甘すぎるのはちょっと、って思う時があるかな」
「ええー、私は甘ければ甘いほど幸せーって思っちゃう!」
「……ふふ、風香らしい」
「えへへ、でも誠はすごいよねー、団長のブラックコーヒーだって普通の顔で飲めちゃうし!私苦いの全然飲めないから羨ましいよー!」
僕は食べ物に不得意はない。苦いのだって、酸っぱいのだって程度に差はあれど普通に食べ切れる。まして、
ジンがイチから淹れるコーヒーは砂糖もミルクも入れずとも素晴らしい味だった。
「ちょっと話は戻るけど、甘いのを食べたらどうして笑顔になっちゃうんだろう?」
彼女は本当に至って真剣な表情でそれを考えている。半ば当たり前のように享受していたただの感情を、初心に帰って「むむむ」と分析する彼女があまりにも愛おしく思えてしまって僕は笑ってしまった。
「あー誠笑ってるー!?私知りたいんだよー?他の味覚だっていっぱいあるのに、なんで甘いのだけ、特別に幸せなんだろう、って!」
彼女に責められて脇腹をツンツンされつつも、僕はまだ笑っていた。風香はいつも僕が思いもしなかったアイディアから話を広げるから、一緒になって考えるのはとても楽しいんだ。「ごめんね」と一言謝ってから、僕は咄嗟に出てきた答えを口にする。
「──それは、生まれて初めて、感じる味だからじゃないかな」
どんな哺乳類も、産まれて直ぐは名前の通り母の乳を飲む。ミルクの味を人はなんと形容するだろうか。にがい?しょっぱい?しぶい?多分どれも違う。一番しっくりくるのはやっぱり『甘い』なのだろう。
「……おー、……おーっ!すごい、納得したよ誠!あー!『甘い』っていうのは両親の味なんだね!」
なぜか僕の言葉がクリティカルヒットした風香。自分でもなかなか咄嗟ながら筋が通ったことを言ったなと思うけど、言ってからやっぱりロマンチックすぎたかと恥ずかしくなる。
まるでそれは世界に『甘い愛があふれている』を前提にした考えだったからだ。親は子供に無条件で甘い愛を与えてくれると、無意識に当たり前と考えていたからだ。
「ふふ、誠が言うならそれで確定だね!」
「いややっぱり忘れて恥ずかしい」
「ううん!誠の言葉は忘れないよ私!」
「いつもは嬉しいけど今回ばっかりはそれを恨むよ……」
彼女は上機嫌に足をぶらぶらさせて太陽を眺む。
ふわふわとした、僕だけにしか見せない寝癖が愛おしくて、ずっとその綺麗な黒い髪を眺めていた。
そして、よおし、と何かを決めたかのように立ち上がって、びしっと僕を指差した。君の香りが舞い、自然とその瞳に視線が吸われていく。
あぁ、何よりも遊ぶことが好きな君は、今、予定を決めたんだ。
「──じゃあ、今日は『甘いお菓子』を作っちゃいます!」
◇
「……あれー?ね、みんなメアリちゃんどこにいるの?」
いつもの時間。僕らはエデンに来ていてもう馴染みとなった二人だけのソファに座っていた。玉座やゲーミングチェア、硬めのダイニングチェアに座るそれぞれへ隣のフウカが尋ねる。
「む、確かにそうですね……、今日来ないって連絡来てましたっけ?」
「ううん?ボクは聞いてないよ?」
「えー?今日の遊びはメアリちゃんとやりたかったのに……」
自警団の活動は強制ではないが、バイトやお出かけなどの用事がない限り、皆、ここで過ごすことは最早当たり前となっている。それもだいたい無線機か前日に連絡を入れて休むため、彼女が時間通りにまだ来ていないのは心配となるところだった。
ちなみに今日の本来のメンバーは僕らを抜けば、ジン、テイラー、ルカ、メアリの高校二年生組である。
……え、この人たち僕より一個上なの?
「……ふむ、非凡なる我が此度の真相を見通した」
「え、団長わかるのー?」
「寝坊だな」
平凡なる予測。
「まあそうだろうね」
「でしょうね絶対」
「メアリちゃんが寝坊するのは定番なんだ……!?」
「フッ、一月に一回メアリは寝過ぎてとんでもない日がある」
なんだとんでもないって。
「酷い時は十六時間寝てたことありましたね」
とんでもなかった。
「あー……、お菓子パーティ開いた翌日には毎回そうなるよねぇ」
食欲と睡眠欲の権化?
「お菓子パーティって……、もしかして昨日私たちとお菓子いっぱい食べちゃったから!?」
昨日。配達を終えた僕らは、溜まった疲れから午後はずっとエデンにいた。そして珍しく全力で走ったらしいメアリたっての希望から、彼女を癒すためにただひたすらお菓子を食べながらの雑談がメインだった。
僕は普通にお腹がいっぱいで、それほど食べたわけじゃなかったが、メアリ、フウカ、レインの女性陣が飽きもせず頬張り続けていたのを覚えている。
「否。あれぐらいではアイツにとって真に『お菓子パーティ』といえるものではない」
「………三時に始まったおやつタイムが七時に終わったのに?」
「終わったのに、だよライトくん。メアリちゃんはすっごいんだから」
「あぁすっごいんだテイラー……」
「あ、あの、どうかメアリちゃんの前では『体重』については厳禁で……」
「あっ、私の前でもその話は厳禁だよー!?」
「……と、というか私含めて女性メンバーには……」
ルカがもにょもにょと恥ずかしそうに話すのを、意外にもフウカがそういうことを気にしているのを見て、僕は笑ってしまった。バカにする意味合いなんてなく、ただ健康的な体型の彼女たちもそういうことを気にするんだと思っただけ。
「ふふっ、当然そんなこといわないよ」
「あぁ……、ライトくんはやっぱりそんな人でした……」
「フッ、命拾いしたな」
「それぐらいのレベルの話だったのこれ」
「良かったぁ……!人がひとり地面に埋め立てられなくて安心したよ……!」
「それぐらいのレベルの話だったのこれ!?」
「過去に、ね……」
「実際にあった出来事!?」
「かつて勇敢、いいえ蛮勇な少年がいました……」
「おっと何か始まったな」
「彼はお菓子が大好きな一人の少女の食後に言いました……『最近デカくなったな!』と」
「うわあ終わった!最悪だ!」
「女の子はすごく落ち込みました」
もう誰が埋められたのかわかっちゃったよ。筋肉男だよ絶対。
「あれだけ好きだったお菓子を食べる手が止まってしまいました」
「むむむ……かわいそうだね」
「良くないことを言ったと思ったのか、男の子はあわてて訂正します。『き、筋肉が!筋肉がすごい大きくなったってことだ!うんっ、ナイスバルク!よっチョモランマ!』」
「うわあ終わった!考えうる限り最悪の言い訳だ!」
「あの時はルークのご冥福をお祈りしたよ……」
やっぱりルークだった!
「よくわからない弁解でしたが、その女の子は自分が食べ過ぎだと言われたわけではないとわかり、笑顔を取り戻しました」
「…………え、許されたの?」
「はい。ルークは赦されたのです」
「良かったー!誰も埋められなかったんだね!」
「いや、誰か埋められたのは事実だよ……」
「……………え?」
「再びバクバクと食べ出した彼女に、あるノンデリ激キモカス男は言いました。『いや食べ過ぎだろ、太るだろ、命の危機だろ』」
「うわあ終わった!世界で一番言っちゃいけない言葉三連続だ!」
「フッ、そうして埋められたのが俺だ」
「なんで自慢げ!?一切擁護できなかったよ!?」
「エデンの裏庭に俺が二晩入り続けた穴がまだあるぞ」
「団長、結構粘ったねー……!?」
「死ぬかと思った。空腹で。あの時以上にお菓子を食べたいと思ったことはなかった」
「だから最初命拾いしたなって言ったんだ……、メアリちゃんって結構パワー系?」
「いやいや、その真逆です。何も言葉を喋れないぐらいあまりにもメアリがショックを受けていたので、ノンデリ激キモカス男を全員で埋めたんですよ」
「悪いけど、さすがの親友の僕も埋めさせてもらったよ……」
「……まぁ、うん、あれは我も言いすぎた節もある。未だにすまないと思っている。だから戒めのために穴を残す選択をした」
ジンが皆から雑に扱われるのは慣れた光景だが、彼がこうも非を認めて強く出れないのは珍しい。それほどまでに印象深い出来事だったのだろう。
「埋められてもなお俺に対して中々喋ってくれなくてな、贖罪のため自警団の活動期間中は一月に一回『お菓子パーティ』を開くことにしたのだ」
「あぁそれで最初に繋がるんだ」
「もうあれから俺は人に食という幸せの制限をかけることをやめた」
「トラウマになってるねー……」
「……ふふ、言い方は悪かったけど、でもジンくんはメアリちゃんを心配してそんなこと言ったんだよね」
「まぁな、誰だって健康問題で死んでほしくないだろう」
当たり前のようにいう彼はやはりリーダーだ。それに、ルカが付け足した一言からも、彼の優しさが垣間見える。
「……はぁ、ジン。食事の時には言わなくなったけど、パーティの翌日からは運動系の“遊び”を多めにしてるでしょいつも」
「なんだ気付いてたのか。そうでもしないと、アイツは動かないからな」
「……ま、そうね。それはありがと」
こうして僕とフウカは自警団の過去の思い出に触れて、微笑ましく思っている。
そして、そろそろ行こうかな、とテイラーが立ち上がり外へ出る準備をし始めた。
「じゃあボクが起こしに行ってくるよ、みんなは待ってて」
彼はメアリのバディ。どうやら普段から、なにかとマイペースな彼女を介抱して引っ張る役目はテイラーが担っているらしい。すっかり慣れた様子で今日も彼女を連れてくるため真っ先に動いていた。
「はい、いってらっしゃいテイラー」
「いってらー!……ってねえねえ、メアリちゃんのお家ってどこにあるのー?」
送り出そうとしたその時、フウカは好奇心を隠せないように彼を引き留めて尋ねた。テイラーは笑って答える。
「それは、ふたりもよく知ってる場所だよ」
「え、僕たち?」
「そう、絶対に行ったことがある甘いお家」
彼のからかうように告げる優しいヒントによって僕はなんとなく思い至る。察しの悪いフウカはまだ唸っているようだったが僕はほぼ確信めいて憶測を伝えた。
「もしかしてメアリの家って『駄菓子屋』?」
「あは、正解です。お店の二階に住むところがあるんですよ」
「えーっ!すごい、お店で暮らせるんだ!一日中あの駄菓子に囲まれるなんて羨ましいよ!」
呑気にそう言うフウカ。確かに記憶にある駄菓子屋は大きかった。そこはメアリのおばあちゃんの店であるし、その代理店長さえ務めるほど彼女はあの場所に馴染んでいるからそれはおかしくなんてない。
「むむ……、よしっ、テイくん!私たちもついてくよ!駄菓子屋に!」
「おお、きてくれるの?少し遠いから嬉しいよ!」
「三人で行けば楽しいよー!」
「あ、なんか僕も自然と着いていくことになってるな」
「えへへ、拒否権はないからね!」
「……まぁ、最初からついていくつもりだったけどね」
「えぇっ、みんないくなら私も行きますよ!」
「あはは、いいのルカちゃん?」
「もちろん!あとこの部屋にこいつと二人っきり何もしないまま残ってるのが嫌ですから」
辛辣。
「フッ、照れ隠しか」
すごいよ何も言わないけど本音の顔してるよ。
一度メアリの家までついていくと決めたのだから、僕らはそれぞれ立ち上がって準備をする。
まだ同行に賛成していなかったジンは、玉座に座ったまま顎に手を当て、彼女に問うた。
「……ふむ、なあフウカ。今日選んだ予定は決まっているだろう?それはなんだ」
「ふっふっふー!それはね、お菓子を作ってみんなで食べることだよー!」
「わぁ、いいねそれ!絶対メアリちゃん喜ぶよ!」
「でしょでしょー!だから主役を連れてこなきゃ!」
今朝からのその予定。改めて聞いた僕も面白そうだと思う。何かを考えたジンは、それを聞き「ふっ」と笑って提案をする。
「良い遊びだ。ならば、いっそのこと今日はお菓子パーティをも併合して開こうではないか」
「おー!私、気になってたよそれ!」
「僕も興味あるよ。メアリがどのくらい健啖家なのか」
「えっ、そんな突発的に……!ジン、満足できるほどのお菓子がこの島にあるの……!?」
「おっと規模がおかしいな」
「フッない」
「即答が怖い」
「それでも掻き集める努力はしよう。それに如何にメアリと言っても『お菓子作り』とあらばそう易々と食い尽くせないだろう」
「易々とじゃなかったら一応食い尽くせるんだ」
最後にジンが金の玉座から立ちあがった。
彼はもうすでに列の先頭へ移動していて、片手でこの部屋の扉を押し、そして僕たちの方を振り返って言った。
「よし。今日はエデンを閉めるぞ。本日の遊び場は──『駄菓子屋』だ」
◇
「おはようございます、おばあちゃん!」
僕らは五人揃ってメアリの職場兼住居に足を踏み入れた。
そのスライド式の戸をあけて、奥の人物へ挨拶を真っ先に交わしたのはテイラー。それに追従するように続々と僕らは親しみを込めて「おばあちゃん」と同じように呼び到来を知らせる。
店の奥のレジで座ってテレビを眺めていた店主は、大きな声でこちらに気づいたのか、ゆっくりと穏やかな声で言葉を返した。
「おやおや、凪沙くん。今日も元気だねぇ。それにみんなも揃っているじゃないか。もしかして茉里に用事かい?」
「はい、そうなんです。今日も寝坊なのでボクが起こしに来てて……」
「ふふふ、そうか。夏休みだというのに、いつもすまないねぇ」
「いえいえ!ボクがしたいだけですから。……それで、今日も部屋に入ってきていいですか?」
「あぁもちろんだよ。行ってきな、茉里も喜ぶさ」
駄菓子屋のおばあちゃん。その人は随分凪沙──テイラーと仲がいいようで、店の奥まで彼が入ることを許していた。
寝顔を全員で見に押しかけるのはどうかと、その役割を任せて、僕らは棚のお菓子を手に取りながら、彼がメアリを連れてくるのをここで待っている。
「ねぇねルカちゃん、いつもって本当に毎日テイくんが起こしに来てるの?」
「あは、そうですよ。夏休みが始まってからもですけど、学校がある時は船に乗らなきゃいけないので毎回朝早いんです。その時にテイラーはいつもここに寄ってメアリを連れてきます」
「へぇー……!ふたりはいいバディだね!」
「ですね。……まぁ、テイラーが一方的にお世話係をやってるだけとも言えるんですけどね」
「フッ、だがアイツが楽しんでやっているから良いだろう」
「……ほんと、健気で可愛いです」
テイラーはメアリのことがそれほど心配なのか、学校のある平日でも休日でもそのそばに居て、同級生のジンとルカはその様子を微笑ましく眺めているようだ。
「ところで甚くんや」
「ん、はい、なんですかおばあさん」
彼らを待っている間、僕とフウカがどの駄菓子が美味しそうだとかを話していると、その様子を和やかに見ていたおばあちゃんが突然ジンを手招いた。
その彼はというと、いつもの尊大な厨二病の喋り方ではなく、おそらく外部用の親しみやすい生徒会長モードで素直に言葉に従って接近していく。
……なんかすっごい違和感。
「今日は午後から島の外に行かなきゃいけなくてねぇ。茉里に店番を任せようと思ったけれど……みんながあの子と遊んでくれるなら今日は店じまいにするよ」
「すみません、お気遣いありがとうございます」
「いいんだよ。あの子にはこんな寂しいところで待っているよりも、あなたたちと遊んでいた方がいいんだから。茉里を、任せたよ」
「……ふっ、はい、任されました。……島の外。それならおばあさん、折り入って相談があるのですが──」
ジンはそう言って何かを頼み込むようにおばあちゃんに話しかける。それはなんだろう、と興味本位で耳を傾けていれば、遮るように横から誰かが僕の服を引っ張った。
一旦その会話を聞くことは後回しにして、僕は後ろを振り返る。
「わあ……っ!ライトっ、これ、みて!」
当然、僕を呼んだのはフウカだった。彼女はこの駄菓子屋の壁を見つめ、そして感嘆するように目を開いて、指を差し僕に共有する。
それは壁に掛けられた何か。
一枚の小さくて精巧な──絵画だった。
「わ、すごい上手な絵だね。前来た時は気づかなかったな」
「ね!こんなところに飾られてたんだ!……それでこれは……お菓子の家ー?」
なぜ目立たないその場所にあるのか。
そんなことを考えるよりも、僕らはその絵に注目する。
表現されたのは、森の中に佇む幻想的な建物。
壁はクッキー、屋根はチョコレート、装飾はホイップクリームの『甘さ』で包まれたお菓子の家。
まるでヘンゼルとグレーテルのヘクセンハウスを想像させるけれど、おどろおどろしい雰囲気なんて一切ない、幸せな空気を纏った色彩の作品だった。
「……あ、懐かしいですね、これ」
「ルカちゃん?」
「この絵、メアリはずっと好きなんですよ。小さい頃なんてここに住みたい、って口癖のように言ってました」
ルカはその絵を優しい笑顔で見つめ、在りし日の彼女を思い出しているようだ。
本当に綺麗で、幸せに満ちた甘い絵画。
フウカはそれの前で考え込むように、顎に手を当てていた。僕はそんな真剣な顔を見て、何を思っているか簡単に予想がついたから先に答えてみる。
「確かに、もしここに住めたのなら幸せそうだ。……けど、それを僕らの手で『作れた』のなら、もっと面白そうだ」
「……!ライトもそう思うっ!?ね、今日私たちで作ろうよ、これ!」
やっぱり君はそんな夢みたいなことが大好きなんだ。僕はそれが子供っぽくて馬鹿馬鹿しい提案だと思っていても、その笑顔のためなら手伝ってみたいと心の底から思っている。
「お菓子の家を作る……!そんなの、やろうとしたことなかったです!いいですねフウカちゃん、メアリは絶対やる気になりますよ!」
ルカはこんなおかしな言葉にも、否定せずただ楽しんでくれている。それなら、今日の予定の具体性はさらに定まったようなものだった。
あとは今日の主役とも言うべき少女の返事を待つだけ。
そこで、僕たちが絵画を見るその背後から、見知った柔らかな声がかけられる。
「──みーんな〜、おはよ〜!」
ぱたぱたと聞こえる擬音語を立てて、桃色のパジャマを纏った彼女が、長くてふわふわの癖毛の髪に豪快な寝癖をつけて奥から走り寄ってくる。
眠気なんて微塵も感じさせないほど元気な彼女は水無瀬茉里。
時刻はもはや十一時。遅めのおはようを僕ら全員に投げかける。
「おはようございます、ようやく起きましたねー?」
「いやあぐっすり気持ちよくてえ……えへへ」
「すごい幸せそうな顔してるねメアリちゃん……!」
「ふふふふ〜、良い夢見たから四度寝しちゃいました」
「寝すぎと言うか逆に起きすぎじゃない?」
「フッ、まだマシな方だ」
「そうだね……八度寝より半分だよ」
「それは才能じゃない?」
寝て元気満タンな茉里の後ろからテイラーがゆっくりと帰ってくる。その表情はどこか疲れたようにやれやれと微笑みつつも、少しだけ頬がピンクに染まっていた。
「みんなあ、遅くなってごめんね〜?こんなわたしを待っててくれたのが申し訳ないよお……」
「否、今更そんなことを気にするな。欠席の連絡もないしな、貴様抜きで遊ぶのはつまらないと思っただけだ」
「ですです。早く遊びますよ、メアリ」
「そうだよ!一緒に遊ぼ、メアリちゃん!今日はとびっきりワクワクすることをするの!」
フウカのその言葉に、彼女とよく似た思考体系を持つメアリは、目を輝かせて飛びついた。
「え〜!なになに、どんなこと〜!?」
「ふふ、はいはいメアリちゃん。それを聞く前に早く着替えよ?先に身支度、でしょ」
「あっ、そうだねえ。この格好じゃ外歩けないやあ」
「じゃあまずそこ座って。寝癖直してあげる」
動きはスローだけれど心意気はなんともわんぱくな彼女を、まるで母のように宥めるテイラーのやりとりはなんとも微笑ましい光景だった。
遥か昔から続いて習慣となった朝の一幕のように、テイラーはどこからか霧吹きとドライヤーを準備して、櫛で髪を梳かしている。
「おお……!メアリちゃんって私と同じで寝癖すごい暴れちゃうんだねぇ」
「そうなの〜!癖毛だから爆発しちゃうんだあ。テイラーがいてくれていつも助かってるんだよ〜」
「どういたしまして。はい、もうちょっとで終わるからジッとしててね」
「はあい!」
「あは。本当毎日頑張りますね、テイラー。メアリはさらに髪も長いから大変でしょう?」
「だよねえ?テイラーに迷惑はかけられないし、私、髪短く切ろうかあ?」
「あ、自分で毎朝髪を梳く発想はないんですね」
「ふっふっふ〜、それはないのです。テイラーにやってもらえるこの時間が気持ちいいんだからあ」
「……だそうですけど、いいんです?テイラー」
「……ふふっ、うん、いいよ。僕も全然大変じゃないし、メアリちゃんはせっかく綺麗な髪してるんだから切るのなんて勿体無いよ」
「えへへ、やったねえわたし。これからもやってもらお〜」
「……あは、二人がいいならいいですよ」
すごく穏やかな雰囲気。
彼らの支度が終わるまで、僕らはこのお店の中の探索をしようと席を立つ直前だった。
「……もしかしてテイくんも寝癖フェチ?」
何聞いてるんですかフウカさん?
「ええ!?ボクはそういうのじゃないよ!?」
「ありゃそうなの〜?てっきりそうかと思ってた〜」
「メアリちゃん!?ボクそう思われてたの!?」
「だって毎朝やってくれてるしぃ……」
「それはメアリちゃんがお願いしたからでしょ……?」
「えへ、そうだったあ」
「……この二人はいいとして、ところでフウカちゃん、“も”って他にも寝癖フェチがいるみたいな言い方ですね?」
「うん、ライト!」
「違います」
「違わないよ!」
「いや違うよ!?そんな自信満々に返されると思ってなかったよ!?」
「え、そうなんですかライトくん……!?」
「違うよルカ……」
「でも、ライト、今日も私の寝癖ずっと見てたよね〜?」
「…………いや、うん」
「あ、そうなんですかライトくん」
「待ってルカ!違わないけど違うから!」
「……なるほど、それなら私も寝癖のままエデンに来ましょうか?」
「何がなるほどなの!?それはどういうことなの!?来られても困るよ反応できないよ!?」
「フッ、『寝癖フェチのライト』の称号をやろう」
「いらない!すごいいらない!」
「ふふ、ライト!私も今度寝癖直して欲しいなー!」
「なんで!?いや……まぁいいけども!」
「やっぱりフェチなんですね……」
「違うから!『直して』に『いいよ』と答えたらそれは寝癖フェチじゃなくて直った寝癖のフェチだから!ひいては普通の髪フェチだから!」
「フッ、『普通の髪フェチのライト』の称号をやろう」
「いらない!とてもいらない!悪化した!」
「代わりに空いた称号を『寝癖フェチのテイラー』として授けよう」
「うわあボクに飛び火した!」
「テイラー……」
「どうしてそんな目でボクを見るのルカちゃん!?『あぁ、そうだったんだね』みたいな優しい笑顔やめてよ!?」
「あぁ、そうだったんですね」
「もうダメだあ!この認識は覆らない!」
「はは、ドンマイテイラー」
「ライトくん!?『道連れにできて良かった』みたいな顔して笑ってる!?」
「道連れにできて良かった」
「もうダメだあ!フェチが捏造された二人で傷を舐め合ってるだけだ!」
僕らのこんなくだらない会話は、エデンじゃなくなっていつも通りだ。
僕の声が枯れてしまうぐらいのツッコミどころしかない空間だけど、やっぱり少しだけ居心地が良かった。
逸れてしまった軌道は、僕らがわいわいと騒いでいる間、少し離れて着替えが完了した茉里──いつものバッジ付きのエプロンをつけた『メアリ』が戻す。
「よぉしっ!おまたせ〜!さ、みんなで今日も遊びに行こ〜!」
彼女は寝ていたから、僕たちの今日の予定を知らない。それが何で、どこで行われるのかも。
指揮を取ったのはジンだった。
「フッ、今日は外には出ん。メアリ、腹の準備はいいか?」
「え〜?うんっ、お腹すいた!……ってもしや〜!?」
「そのもしやだ。踊り狂え!これから『お菓子パーティ』を開くぞッ!」
並々ならぬテンション感に、いとも容易く付いていくメアリは全身で喜びを表現してテイラーにタックルする。
あ、吹っ飛ばされた。可哀想。
「おち、落ち着いてメアリちゃん……」
「あっ、ごめんねえテイラー?嬉しすぎてぇ……」
そこまでの熱意なんだ。
「いや痛くないからいいんだけど……」
あ、いいんだ。
「それで会場は秘密基地じゃないの〜?」
「あぁ。場所はこの駄菓子屋を借りさせて貰おう。先ほど貴様のお婆様から許可を得たぞ」
用意周到にジンは、僕らが絵画に見惚れていた一瞬で話をつけてきてくれた。
それならあとはもう食べるだけだと、メアリはまたも嬉しそうに跳ね上がる。
そうしてさらにもう一段階喜びをあげるような言葉をフウカが最後に投げかけた。
「それとね!今日はみんなでお菓子を作ってみよっ!」
「作る……!うんっ!やってみよ〜!わたしの家のキッチンはなんでも使っていいからねえ!ねえねえ何作る〜?駄菓子じゃなくてケーキもいいなぁ!レシピはどうしようかぁ!」
これほどテンションの上がったメアリは見たことがなかった。お絵描き大会でも見せなかった、無邪気な欲望。彼女のありのままの姿を見せるモノ、それはきっと甘いお菓子なのだろう。
「フッ、やる気になったな。さぁ、メアリ、まずは準備段階だ。貴様には買い出しを命ずる」
ジンはいつものように、役割を分担し始めた。
いつだって正しいそれには誰もが従うんだ。
「──同行メンバーは、フウカ、ライト、それとテイラーだ」
僕らのお菓子パーティはその一言で動き始めた。
メアリ√です。
なかなか可愛くて好きです。




