八月六日(後)「手紙を書こう」
「たっだいまーっす!みんな元気っすかー!?」
外は雨が降っている。
僕と彼女はお互いに酷く濡れて、傘の水滴を落としてからエデンの中へと入り込んだ。
寒い。水が服に張り付いて温度を奪われる。
きっと、君もそうだろうに、突き抜けるほど逞しく快活な言葉で到来を告げた。
それを聞いたメンバーは続々と玄関へ集まってくる。
「おお!帰ってきたかッ!“レイン”!」
レイン──雨宮蒼華。
彼女は現在、トレードマークの帽子をかぶって、自警団の一員として笑っている。
「帰ってきちゃったすよ!いやあすっごい雨で大変でした!クモちゃんも今日は使えなくて、滑って転んで……てんやわんやだったっすよ!」
「おかえりレインちゃん、だからそんな汚れてるんだね……、大丈夫だった?」
「大丈夫っすよテイラーくん!元気しかないっす!逆に雨に濡れたからテンション上がってるっす!」
「そんな雨の日に尻尾振る大型犬みたいな……」
「うんうんっ!わかるよ!水遊びってわくわくするよねー!」
「フウカちゃんもそう思うっすか!よし!午後は泥遊びでもやりましょ!」
「おお〜!わたし泥団子いっぱいつくるねえ!」
「あ、いいっすね!雪合戦ならぬ泥合戦!負けたくない気持ちがさらに強くなるっす!」
「それはやめようよ……服が絶対に終わるから勝っても不幸だよ……」
あぁ、“彼女”はいつも通り。
持ち前のパワーで会話を動かす、きさくなムードメーカー。
皆がこれからの遊びを考えて、幸せに笑っている中、僕だけはどこか愛想笑いしかできなくて、その空間の中心にいるレインをただ茫然と、眺めてしまっていた。
──いつ“大人”になれるんすかね。
そう確かに聞いた彼女の言葉は、もうそれ以上言及されることはなかった。雨の下で立ち尽くしていた彼女が何を考えていたのか、どうしてそんなことを言ったのか、僕は何もわからなくて、そして何も聞けないまま、ゆっくりと歩き出す蒼華のそばについて傘を差し続けた。
僕は言葉をかけられなかった。
そうしたら彼女は玄関の扉を開ける前に、帽子を手紙バッグから取り出して、身につけて、目元を拭って、笑顔を浮かべる。
それは全て見ていた僕には偽りにしか見えなかったけれど、道化のように演じる彼女は、結局誰にも気付かれない。案外、嘘を吐くのが上手いというあまり認めたくない彼女の一面を見てしまった。
「……レイン。ライト。使え」
輪の中から離れた場所にいるジンは、いつもより優しげな表情でゆっくりと近付き、両手に持った乾いたタオルを濡れた僕たちに投げかける。
「わっ、ありがとう、ジン」
「……ありがとっす、リーダー」
礼を忘れずに、僕はその柔軟剤のいい匂いがするふわふわのタオルに顔を埋めて思考する。
彼が僕を外へ連れ出した理由、荷物。
結論から言えば、僕はどこにもそれを見つけられなくて、そして代わりに見つかったのが、蒼華のあの姿だ。
僕があの時彼女を見つけて傘を差していなかったら、さらに強まる雨の中、今も立ち尽くしていたのだろうか。
ひょっとしたら、ジンは僕が彼女を見つけるために誘導して、連れて帰らせるため少し大きな傘を持って行かせたのではないか。
そんなことを考えてしまう。
「ライト、そういえばすまない、宅配の荷物はエデンの裏手側に置かれていたようだ。俺が既にとったが、苦労をかけてしまったな」
「あぁ、いや僕は大丈夫。見つかったのならいいよ」
真相はわからない、けれど僕も彼も、見つける“べき”ものを見つけられたのならそれでよかった。
「ところで……、なんでレインちゃんとライトが一緒に帰ってきたの?ぐうぜん?」
水気を払った僕たちにフウカがそう尋ねる。なんとなく答えづらくなって言葉に詰まった僕より先に言ったのは、レインだった。
「いやあそれがっすねー!ライトくん、あたしが雨で転んでたらたまたま来てくれて傘差してくれたんす!大丈夫かって心配してくれて!ほんと、たすかりました!」
すらすらと彼女は伝える。内容は、間違っている。彼女は雨で転んでなどいなかったし、僕は心配の声をひとつもかけてやれなくて、ただ彼女が濡れないようにそばについているだけだった。
でも、他ならぬ彼女が真実を隠すようにいうのだから、僕はその嘘を肯定する。
「うん。びっくりしたよ。……ねぇ、レイン。濡れて泥だらけだし服を着替えた方がいいんじゃない?」
「あ、はい、そうっすね!びちゃびちゃなのはあんまり……、あ、でも、ここにはないっすよあたしの服……」
「……!レインちゃん、それならわたしについてきて〜!実はこの前家からお洋服持ってきたのお!下着も全部かしてあげるねえ!」
「え、メアリちゃんのすか……!?あ、あたしサイズあいます!?似合います!?」
「似合う似合う!メアリちゃんのかわいい服着たレインちゃん、私、見てみたいなー!」
「え、ええ……、でも……恥ずかし……」
「レイン!あまりにブカブカだったら、オレの上着をやるからそれを羽織れ!恥ずかしくとも、濡れたままの服を着るよりずっといい。肌を冷やすのは筋肉に良くないぞ」
「そうだよ、嫌ならボクたちもあまりみないでおくから」
「……わかったっすよ、みんな。ほんと、ありがとうございます!」
意地が固い彼女も、団員からこうも言われては動かざるを得ない。
僕は防寒の意味と、そして気分のリフレッシュとなるようにという意味も込めて彼女を送り出した。
着替え場所はエデンⅡで、メアリとレイン以外は部屋の外で待っておくことになる。
僕はその部屋に入る直前、彼女が唯一両手で大事に抱えていた“手紙バッグ”がチラリと目に入った。
それは未だ手放していなくて。
そして、あんなに自分が濡れていたというのに、そのバッグは水滴の一つもかかっていなかった。
◇
「……ふむ、ラジオによれば、この雨は五時間ほどすれば過ぎ去るらしい。午後が潰れた。外での活動は今日は無理だな」
今日開設したばかりの円卓の会議室──『エデンⅣ』に僕ら七人は集まっている。
ジンの情報源はラジオのようで、そこから得た天気予報を全員に伝えている。ちなみに、なぜネットではなくて不便なラジオなのか聞いたところそっちの方がカッコいいからだった。
「うわあ、まじっすか!急いで帰ってきたのに!」
「そう悲しむなレイン。中でやれることは山ほどあるぞ」
「まあ、そうっすね。……ん?そういえばみんなは午前中なにやってたんすか?」
「ふっふっふー!今日は“手紙”を書いていたのです!」
レインの質問にフウカが意気揚々と答える。
てっきり僕は、手紙、という単語にレインは反応して目を輝かせて、なぜあたしがいるときにやってくれないんすか、と元気よく文句を言うだろうと、少なからずそんな返答が来るだろうと思い込んでいた。
だが、そんな彼女の反応は僕が描いていたどれとも被らない。
「……手紙、っすか」
いつもより、ほんのちょっと、微々たるニュアンスの違い。僕にしか気づかないぐらい彼女のトーンは静かになって、少し悲しそうな顔になっていたんだ。
「そうそう手紙……今はソウルって言うんだけどね?」
「どういうことすか??」
「魂だからな」
「理由になってないっすよね??」
「ははッ、遅いなレイン。もうオレたちだけじゃなくブラザーまで受け入れてるぞ」
「……たしかに、もう自然と聞き流してたね」
「あのライトくんまでもう……!?」
冗談のように最初はふざけてると思っていた呼び名も、このくらい時間が経って皆が呼び続けていればいつの間にか慣れてしまっていた。
「……手紙はソウル、なんすね」
「慣れた〜?」
「そんなすぐ慣れないんじゃないかな……」
「慣れたっす!」
「早いねレインちゃん!?」
やはりこの自警団の変なノリは彼女が最も適応しやすくて、すぐに誰よりもモノにしていた。
続けてジンは午後の予定を口にする。
「本来はソウルを“届ける”までやりたかったが……仕方あるまい。今日はありったけ書くだけにする。レイン、貴様もソウルを綴れよ」
配達はやはり中止。改めてエデンで遊ぶのが今日の予定だと言うことを確認して彼は締めた。
「……あたしが、ソウルを。……はいっす!やったるっすよ!」
「よし、オレたちが多種多様なペンを持ってきたからなっ!誰が最強にカラフルな手紙を書けるか決めるぞ!」
「あはは、わたしまけないよ〜!」
「私も負けない!金色もらっちゃお!」
「わたしは白と黒〜!」
「じゃあオレは虹色をもらう!」
「えええごっそり持っていったねルーク!?ボク何色使えばいいの!?」
「ん?いっぱいあるじゃないかそこに」
「あるけど白と黒と金と虹が抜けた色鉛筆ほどつまらないものはないよ!?主菜がないビュッフェのようなものだよ!?サビがないJ-popだよ!?ボス戦がないRPGだよ!?」
「わ〜テイラーがいっぱいしゃべった〜」
「喋るよ!灰色とこげ茶と薄橙と黄緑でなにが書けるのさ!?」
「未来だな」
「希望の一筋も見えない未来!」
「キウイフルーツとか描けるんじゃないかな?」
「……………うわ本当だ!!書けるよキウイ!うわ!」
「よし描いてみよ〜!」
「………いややっぱりおかしい!僕たちが書くのソウルだから!お絵描きじゃないから!丁寧な文章の横に何の脈絡もないキウイ置かれてたらわけわかんないから!」
「かわいいよ〜」
「かわいくないよ適当すぎだよメアリちゃん!?」
「……テイくんって誰もツッコミ役がいなくなると一気に爆発するねー?」
こうやって、いつも通り皆は喧しく楽しく騒ぐ。
その会話の中でレインは、やっぱり笑っていた。
「あははっ!なんすかそれ!絶対おもろいのになるっすね!」
僕にはそれが偽りのようには思えなくて、少しは楽になったのかなと静かに微笑んでいた。
「……そうだ、ライト。貴様はレインに手紙の書き方を教えてあげてやれ。分かるだろう?」
「え、僕?」
急にジンから話を振られ、僕は頓狂に聞き返した。
彼女は手紙を書くのが好きだと言うし、僕に聞かなくてもそんなのわかっているはず。それに、僕は未だ一文字も手紙を書けていないからこっちが教えて欲しいぐらいだった。
……でも、僕は、彼女のそばにいれる口実が欲しかったから、少し考えてジンの言葉に頷いた。
「わかったよ。……レイン、隣で書こうか」
話は聞こえていたように、「はいっす」と言って僕の横へ移動するレイン。
それに伴って全員が一度、円卓の席をシャッフルすることになった。フウカはメアリとテイラーに挟まれた場所で楽しそうに笑っていたから、安心できて、レインのことだけを考えられた。
◇
ぽつぽつと、雨が静かになって、そして会議室も静かになった。
響くのは隣のレインの筆記音と穏やかな二人分の寝息。
夕方ぐらいか。フウカとメアリはお昼寝を決行。存分に手紙を書き終えたテイラーとルーク、そしてジンはエデンⅢへゲームをしに行ってしまった。
僕は実質二人っきりの空間で、メアリが貸した少し大きな桃色のブラウスを着たレインの真剣な横顔をじっと見ている。
「……ねぇ、レイン。なにを書いてるのか、聞いてもいいかな」
本当はもっと聞きたいことがあるはずなのに、それを隠しながら僕は軽く話しかけていた。
「ん、……いいっすよライトくん。これはいつも配達でお世話になっている人たちへっす。こんな半人前のあたしでもいつもお礼を言ってくれて笑ってくれる、せっかくだからそんな人たちに感謝したいなって……」
彼女はひとり尋常じゃない量の手紙を書いている。千草島全域が仕事範囲で、そしてこの島民の性格を考えれば、蒼華のことを温かく思っている人の数はそのくらいだった。
「もちろん、ライトくんたちにもっすよ」と、恥ずかしそうに笑いながら、今朝渡した水筒を“手紙バッグ”の中から取り出して返却する。
……なるほど、これが不自然な膨らみの理由の一つか。
僕はまだその“手紙バッグ”になにかが入っているのが見えていたが、それにはまだ口を挟まなかった。
「レインはすごいね」
その代わり、僕は無意識に変なことを口走った。ずっと考えていたことがぽろっと出てしまったように、でも言ってしまったことは取り返せないから今更取り繕うことはしない。
「え、ええ……!?急になんでっすか、あたしそんな大したこと……」
「あるよ。今朝も言ったでしょ。『この島の運び人は蒼華しかいない』、実際はお父さんもいるんだけどさ、僕にとっては少なくとも“仕事熱心で働き者でムードメーカーな運び人”は蒼華しかいないんだ」
「……ライト、くん」
僕は突然なにを言い出してるんだ。なにも考えてないのに、すらすらと伝えたい言葉が浮かんできていた。
「……まあ、なんだっけ、その。……本当にレインはすごいってことをただ言いたかった、だけ」
なんとも締まらない。
僕はただ“あたしは半人前だ”と君が自嘲しているように見えたから、それを否定したかったんだ。
「あざっす、ライトくん。……ねぇ、聞かないんすか」
彼女はぴたりと手紙を書く手を止めた。
聞こえるのは寝息だけ、そして、その寝息すらも聞こえなくなるほどに僕は緊張していく。
なにが?なんて言おうとしたけど、彼女は恐れず踏み込んだ。
「あたしが雨の中立ってたこと。あたしが、泣いてたこと」
やっぱり、君は泣いていたんだ。
ここには僕しか聞いていなくとも、僕はその理由を知りたいと思っていても。
それでも僕は情けない選択をする。
「……聞かないよ。レインが、言いたくないなら」
人間、幸せな過去だけ持つなんてありえない。掘り返されたくない忘れたいものもあると思うから、僕がフウカにそうするように、フウカが僕にそうするように、自分が言いたいと思えるまで聞くつもりはない。
これで話はおしまい。そうされても僕が望んだことだから、これからもいままでと変わらぬようレインと接しよう。
そう思っていたのに、君は「ふはっ」ところころと鈴を鳴らすように笑って、僕の目を見た。
「じゃあ、聞いてくださいっす。あたしが、ライトくんに言いたいんで」
悲しむ理由を人に打ち明けること、それは僕がしようと考えたこともなかった。出来る勇気がなかった。
これから彼女の涙に触れる。
僕はなにが言えるだろう、なにに寄り添えるだろう、唾を呑み込んで、構えて見守った。
「──あたしはだいすきな人がいます」
レインはペンを置いて、さっき水筒を出したばかりの手紙バッグを机の上に広げた。
そこから、ひとつ、また大きなものを取り出す。
それは、頭頂部にボリュームがあり、短いツバが前についた帽子。
ハンチング帽、キャスケット帽、いわゆる──ニュースボーイキャップだ。
「それはあたしのおじいちゃん。千草急便の先代代表っす」
これはレインのかぶっている帽子より、少し大きくて、長年使い込んだように、色褪せていた。
彼女がそれを持っていて千草島の運び人は、レインとその父しかいないというのなら、その人はもう。
「一年前に亡くなりました。今日は、隣町まで病院に行って、その遺品整理をしてたんすよ」
やはり、もうこの世にはいない“だいすきな人”。そう語るレインは明るい風を装っていたけれど、いつもの雰囲気とは全く違くて、虚勢を張っているだけの、すごく小さな女の子のようだった。
「そっか、それは……大変だったね」
辛かったね、とは僕は言わなかった。小さなニュアンスの違いだけど、そう易々と人にかけられる言葉ではないから。
「はい、大変だったっすよ。病院の人にも別で荷物は届けたんすからちゃんと仕事でしたし、それにおじいちゃん、昔からいい加減で頑固で雑な性格で、自分の荷物をいっぱい病院に残しっぱだったんすもん」
冗談めかしながら笑いつつも、僕はまだなにも言わず聞いていた。彼女は勇気を振り絞っていた。
「でも、そんなおじいちゃんも、運び人の仕事だけはいつもすごくて、はやくて、ていねいで。あたしの誇りでした。……この帽子は、遺品整理でお父さんがあたしにくれたっす。お前が持っているといいって」
レインは目を瞑って、その色々な景色を見た“生き様”をただ抱きしめる。どんな感情が宿っているのか、たかが僕には読み取ることは烏滸がましかった。
「ね、ライトくん。あたしは変っすかね」
「……なにが、かな」
「一年前、大好きだった、おじいちゃんが死んだんですよ。でも、その時、あたしは泣かなかったんっす。なんでかは、わかんないっすよ。泣かないほどに強くなった?ちがう、あたしは苦しかった、胸が痛かった、でも、泣かなかった、なけなかった、なにも、かんがえられなかった」
彼女はただ小さく、鋭く、言葉を連ね、声が震える。
メアリから借りた趣味じゃないスカートを、つよく、震えるように握りしめている。
「なんで、あの時、なけなかったのに。一年経って、この帽子を受け取って、おさがりのバッグをもって、ライトくんからの水筒をのんで、傘をさしてもらって、免許を取る前から、あれがほしいって、買ってもらったクモちゃんにのって、じいじがずっといた、あの病院の、からっぽのベッドをみて」
「──あたしは……っ、泣いて、るん、すか……」
人は悲しい時に涙が出る。
でも、悲しい時だから涙が出るわけではない。
大切な人の喪失は、僕たち“子供”には耐えられなくて、心に大きな傷を残す。
そうした時に、ふさぎこんでおかしくなってしまわないように、心は無意識に自分自身を守ろうとする。
感情を一時的に麻痺させる。
脳が現実を処理できなくなって、何かやらなければいけないこと、託されたこと、『使命』に己の全てを費やして逃げ道を作る。
それは決して悪いことではなくて、時間が経ってようやく、心の余裕が生まれて、日常のふとした瞬間に、君がいない現実に気がついて、そして、涙となって溢れ出す。
彼女は、それが今日だった。
「……ぅ、ぅあ、ぅあぁぁ……」
ここにはフウカとメアリが穏やかに寝ているから、大きな声で泣き出さなかった。泣き出したかったろうに、仲間のことを考えて、彼女は自らの口を、自分の帽子で抑えて蓋をしたんだ。
そうだ、彼女はとても優しい子。
皆を心配させないために、弱い自分を隠せる健気な子。
僕はなにができるだろう。ただ泣いている彼女になにが言えるだろう。きっと、なにも言えない。
人を失った悲しみは、自分の力で乗り越えなくてはならない。心に折り合いをつけていかなきゃいけない。
だから僕は、なにも言わないけど、ただできることがある。
「……!まこと、くん……?」
肩に触れる。
それ以上のことは僕にはできない。
なんの下衆な思考もなくて、ただ、僕の体温を彼女に伝えたかっただけ。
『そばにいる』それだけはできる。
泣き止ませることはしない、ただ泣いていればいい。いつかは、涙が枯れてくれるから。
◇
「……っん、ありがと、ライトくん。ティッシュ、こんなに使っちゃって申し訳ないっすね……」
「いいよ、そのくらい。もう、涙はおさまった?」
「……はい、水分なんてすっからかんっすよ」
「ふふ、じゃあ僕らの水筒を飲んでよ。まだあるでしょ?」
「へへ、そうさせてもらうっす」
どのくらい時間が経ったのだろう、測ってなんていなかったが、それほど長くもなかった気はする。
僕はそばにいたけれど、救ってやるような強い言葉を一切かけることはなかった。
さっきだって、「涙はおさまったか」なんて聞いて、「もう平気?」とも「大丈夫?」とも言わなかった。
だってそのくらいで人は全てを割り切ったことになんてできないから。
「……よぉし、あたしはもう、なかないっすよ!あんな姿、もう自警団のみんなにも、みせないっす!」
小さくパンと自らの頬を両手でたたいて意志表明をした。強くなるために、自分にルールを課すのはそう悪いことじゃなくて、むしろいいことだと思う。
けど、やっぱり僕は泣かないことを強さだと思いたくなかった。
「また、水分が溜まったらさ、泣いてもいいんじゃない。……それに、他の皆にも隠さなくていいよ、きっと誰も嫌なことなんて言いやしないよ」
レインには側に寄り添ってくれる仲間がたくさんいる。無理に強い自分になる必要はないと言った。
それでも、彼女は首を振った。
「いぃや、みんなには内緒っす。みんなが優しいのはわかってるっすけど、あたしは、大人になんなきゃいけないっすから。……だから、これはあたしとライトくんだけの秘密っすよ〜?」
仲間には涙を流す姿を見せない誓い。僕はその理由にひっかかって、興味を持って、そして反対してやる言葉を持っていたけれど、彼女があんまりにも気高く、僕に「しーっ」と指で口を塞ぐ仕草をしたからなにも言えなくなってしまった。
「……うん、秘密ね。その代わり、僕にいつだって相談しに来ていいから」
「へへへ、その時が来たら、そうさせてもらうっすねっ」
純粋に、力になりたい。なにも言えない僕だけど、同い年で仲間のレインの笑顔をずっと見ていたかった。
「さっ!手紙の続き書くっすよ〜!」
「うん、がんばって、レイン」
やる気を出せた彼女を見て、僕は自分の席へ戻ろうと背を向けてその側から離れようとした。
「……ぁ」
その時、きゅっと、服の裾が掴み返される。
「……やっぱり、待つっす、ライトくん」
「……?なに、レイン?」
まだ何か泣きたいことがあったのだろうか、そう考えて、彼女の方へ向き直した。
そして、僕は、たじろいでしまう。
なぜなら彼女が、助けを求めるような悲しい表情じゃなくて、あんまりにも真剣な眼差しで、僕の心を覗くように見つめていたのだから。
「ライトくんは、手紙を書くのは好きっすか」
「……あぁ、うん、好き、だったな」
「手紙を読むのは?」
「同じくらい、好き、だったかも」
彼女はなぜか僕を追い詰めるように迫るから、変に考えもせず口に出し続ける。
そして、レインは、ついに僕に聞いた。
「じゃあなんで、なにも書けないんすか」
「──っ」
彼女は午後ずっと、僕の隣にいた。
だから、僕が何かを書くふりをして、なにも書けていないのも気付いていた。
フウカにかけた嘘も、彼女には通じていなかった。
僕がどうしても手紙を──魂を書くことができなかった理由なんて、自分でとっくにわかっていた。
「……なんか、あるんすよね。……やっぱり話したくないなら言わなくていいっすよ。ライトくんも、ライトくんの過去が、あるんすから」
そしてレインは苦しそうな表情の中、僕をじっと見ていた視線を外す。
彼女の性格上、全てを知っておきたいだろうに、言わなくていいと言ったのは、きっと僕がその選択をしたからだ。
人がそうする理由は、人がそうされたくないから。
それに気付いて、彼女は最後の一歩を踏み出すのをやめた。
……なら、僕はどうすればいい。
決めた。僕は言えばいい。
彼女がそうしたように、心の内を吐き出せたように。
「──親友が、死んだんだ」
はじめて、親じゃない誰かに言った。
全てを伝えはしないしできないけど、それでも、はじめてあの子のことを、誰かに打ち明けた。
「……はい」
彼女はこちらを向いて、また、その優しい瞳で僕を穿った。
「僕に友達と呼べる子は、その子しかいなかった。だから、手紙も年賀状も、その子宛にしか送らなかった。でもその子はもういない、いなくなってしまった」
ほぼ頭が真っ白だ。けど、今日一日、白紙の手紙と向き合い続けていた、あの窮屈さが、すこしだけ、楽になっている気がする。
「だから、手紙で思い出すのはあの子しかいなかった。あの子宛以外に書きたくなかった。……もう、届かない、っていうのに」
死んだ人宛の手紙なんて、意味がない。
送っても、どれだけ伝えられなかった感謝を謝罪を言葉にしても、届くことがない。
それがどれだけ虚しいか、想像すらできないから、僕はただ紙の前でペンをもって、たちどまるしか、できなかった。
「手紙を読むのは好きだった。でも、もう好きじゃない、二度と新しい文字を読めなくなったから。手紙を書くのは好きだった。でも、もう好きじゃない、二度と返信はこなくなったから」
僕の身の上話はこれでおしまい。
同情も激励も優しい言葉もかけてほしくない、いや、本当はかけてほしいのかもしれない、僕はそうなったら泣いてしまうかもしれない。
でも、これは僕の問題だから、僕しか抱えて行くことはできない。
君は、そんな僕の突然の告白にも、いっさいふざけることはなく、真剣に、寄り添った。
「……わかる、っすよ」
レインは意外にも、“共感”の言葉をかける。
彼女は僕と、同じ経験をしたことが、しているかのように。
「届かない手紙は。届けられた言葉は。自分のなかで、かくして、持っていたほうが楽っすから。死者に手紙は、届かないんすから」
隠す。そうだ、僕宛のあの手紙たちは、実家の僕の部屋の奥に、鍵をかけてしまっている。
もう二度と見たくないと思ったから、封印したんだ、自分自身が。
僕は、少しは吐き出せて、胸が楽になった。
でもその分、まだレインのことが、そんなことをいえる彼女のことが気になってしまった。
返信が来ないから、手紙を送らない。
送る場所がないから言葉をしまったまま。
それは僕が抱えていた立ち向かえない弱さであった。
でも、僕じゃない“誰か”がその問題に悩んでいると思えば、なぜか僕は、それがひどく『さみしい』ことだと思えてしまった。
「……そっかあ、そんなことがあったんすね。……話してくれてありがとっす。それならソウルが書けなくて当然っすよ。これは、みんなには内緒にしとくっすね」
随分と辛気臭い話をした。それが終わって、彼女の秘密だけじゃなくて、僕の秘密もお互いに共有した。
「うん、頼むよ。特にフウカには、言わないでくれると嬉しい」
幸せな夢を見続ける、綺麗な寝顔の彼女を見ながら、彼女にはこんな嫌な話を聞かせたくないと二人だけの内緒だと決めた。
「はい。……あ、いつのまにか、雨、やんでるっすね。ボスたち、よんでくるっすか?」
「そろそろいい時間だしね、ふたりも起こそうか」
午後七時が近づく。
雨も止んで解散の時間。
今日を過ぎればまたいつも通り。
でも、僕はまだ最後に聞きたいことがあった。
「その前に、レイン」
「ん?なんすか?」
「その手紙バッグ、まだ何か入ってる?」
ずっと、見えている。
ポケットの隙間から、一枚の白い封筒が。
水筒でも、帽子でもない、配達の仕事を終えた彼女が持っているのがおかしい、一枚の手紙が。
彼女が雨の中、濡れないようにと大切にそのバッグを抱えていた理由。
それは帽子ももちろんあるだろうけど、きっとそれだけじゃない。
その手紙を濡らしたくなかったんだろう。
レインは、ふっと、目を丸めて、そして悲しげに微笑んだ。
「──入ってるっすよ。あたしの、大事なお守りが」
それ以上は言及しない。
聞くのは野暮だ。けど、それは“今”だから。
僕は“まだ”聞かない。
資格がない。
放っておいていいわけがない、いい表情じゃない、だからその資格を手に入れるために。
僕は誓う。
「ねぇ、書くよ。僕は」
何を?脈絡もない僕の言葉に思わずレインは尋ね返した。
「君も、書いてよ」
何を?レインは尋ね返さなかったけど、やっぱり僕の言葉の意味が伝わってなかった。
それでもいい。明日、伝えればいい。
僕は今日しなければいけないことがある。
だからこれ以上彼女とは話せない。
「……さぁ、ジンを呼ぼう。今日はおしまい。みんなで、帰ろうか」
フウカをゆすって起こして、メアリはゆすっても起きなくて、ルークは筋トレで体から蒸気を出して、テイラーはジンをゲームでボコして喜んでいて、それにジンはありえないほど悔しがっていて。
そしてレインは、帰り道も、まだ僕を不思議そうに見つめていた。
なんだかシリアスになってきましたが………、ギャグもどうか楽しんでいただけたら嬉しいです。
ぶっちゃけテイラーの色鉛筆のくだりが気に入ってます。勝手に話し始めて書きながら笑ってしまいました。
それとライトの過去話もちょくちょく出てきましたね。
ここは笑いを挟まないし、挟めるわけないです。




