八月六日(前)「手紙を書こう」
共通√が終わり、新たな章に入ります。
まずは、ある誰かの『夢』を。
夢。
全てが朧げに包まれる。
知っているようで、知らない景色。
太陽はこの日も、この島に降り注いでいた。
『じいじー!あたしもやるーっ!』
これは“僕”が出した声だった。もう違和感すら覚えないほど馴染んでいるけれど、これは確実に僕じゃなかった。
『おお!──も手伝ってくれるか!よし、じゃあ後ろに乗れ!落ちないようにしっかり握るんだぞ!』
優しい声。
ずっと“僕”のことを想ってくれる、愛情の声。
それが帽子をかぶっている男の人だというのだけはわかるけど、肝心の顔はわからない、何に跨っているかもわからない。
……あぁ、それでも“僕”はずっと好きだった。
颯爽と流れ行く景色が。抱きついたこの人の温度が。
そして、人を笑顔にする“僕”のお仕事が。
『……ねえ、あたし!大きくなったらぜったいにこのおしごとやるね!』
純粋な将来の“夢”が口からこぼれ出していく。風が気持ちよくて、目の前の人に聞こえるように大きな声を出して、すごく爽快な気分だった。
『……!ガハハッ!そうかそうか!あぁ、楽しみにしとるぞ!』
乗り物は止まって、“僕”の頭は優しく、強く乱暴に撫でられる。それさえも気持ちよかった。
『だがなぁ、この仕事は大変だぞー?』
『大変でもやる!』
『おいおい本当に大変だぞ!ワシらの信条は“どんな場所にも想いを届ける”っつー困難なもんだからのう』
『むむ!……それでもやる!じいじすっごく楽しそうだから!』
『ハッハッハ!なんだワシのせいか!じゃあ頑張るしかないな、──!』
『うんっ!あたしがんばる!おとうさんにも、じいじにも、負けないぐらいがんばるもん!』
これはかつての“記憶”だった。
幼い“僕”の幸せな物語。
でも僕はきっとそのことを忘れてしまう。
朧げだけれど鮮やかな景色が、セピア色の紙写真のようにゆっくりと色褪せる。
これは夢だから、それがもうすぐ覚めようとしているんだ。
『あぁ、強くなるんだぞ。……だが!お前、そんなに人の手紙を握りしめるでない!』
『あー!ごめんなさーい!』
『……ガハハ!──はやる気はあるがまだまだ半人前だな!』
『むー……、ハンニンマエだとおしごとできない?』
夢から覚める最後は、乗り物に跨った大きな背中しか見えない大好きな人との会話だった。
『いぃや?一人前のワシがついとる限り仕事し放題だ!』
『ほんと!?一生やりほうだいだー!』
『ハハッ!あぁ、──が一人前の“大人”になるまで、ワシがそばにいちゃるからな……』
その“約束”を皮切りに、僕と“僕”は離れていく。
浮遊感。心地いい感情と共に、僕はその世界から追い出されていく。
そうして僕は忘れていく。
◇
「ね、ね!誠!今日もいい天気だねー!」
「うん。毎度毎度、この島はずっといい天気だよねぇ」
縁側。僕らが起きてここで駄弁ってもう一時間以上は過ぎたが、全然飽きる気配なんてせず太陽の遅いようで早い訪れを眺めていた。
「風香。今日は自警団で何をしようか」
「んー……!あっ、一個やりたいことあるんだよね!」
動機が無垢な気まぐれでもいい、操舵手の彼女が決めたことは誰もが反対しない。
「それは何?」って皆が集まる前に僕だけ先取りで答えを聞こうとした。たぶん彼女はそれに答えてくれただろう。
でも、その円海さんもいない二人だけの空間に、入り込んだ人物がいた。
──タッタッタ、トントントンッ!
毎朝七時の聞き慣れた音。騒がしくて、愛らしい、台風のような彼女の到来だ。
僕らは互いに顔を見合わせて、微笑み扉の前へと歩んで押した。
「おはよーっす!千草急便がフランスパンとついでに朝刊を届けに来ました!」
雨宮蒼華。No.5のバッジをつけていない彼女は、毎朝立派に仕事をこなす働き者の配達人だ。
「おはよー!今日もありがとね!」
「おはよう蒼華。あと新聞よりもフランスパンの方がメインなんだね……。はい、これ」
二人で彼女を出迎えて、そして僕は冷蔵庫からキンキンに冷えた麦茶をコップに注いで彼女に渡した。
これは最近僕が勝手にやり出したこと。このイかれた暑さの中、帽子一本で対処してそれで平気なのだろうか。
嬉しそうに礼を言って、土間と床の境目である上がり框に彼女は腰掛けた。
「……ん、ん。ぷはーっ!あざっす誠くん!水分はいつも帰ってから取ろうとしてるんですごく助かったっす!」
「おーいい飲みっぷりだー!」
「うん、どういたしまして。……でも、それ大丈夫なの?水筒とか持ち歩かないとこの暑さ危険じゃないの?」
「……たぶん危険?」
「たぶんなんだ!?その認識怖いよ!?きっとすっごく危険だよ!?」
「あはは……いやぁ、飲み物の大事さはわかってるんすけど、水筒って重いじゃないっすか。うちのクモちゃん小さいんで、配達に持っていけるほど余裕ないんすよねぇ」
僕らは彼女があまりにも至って当然かのように言うから、自分の安全よりも、仕事の遂行を優先する怖いぐらい健気な人物だということに何も言えなくなってしまう。
「へへ、毎朝大変っすけど覚悟のうちですし、最速でお仕事を終わらせれば水分も飲めてみんなとも遊べる時間ができるんでぜんぜん平気っすよ!」
「……んー。ほんと?蒼華ちゃん」
「ほんとっすよ!平気無敵元気!」
彼女は無理している様子もなく、心から今の仕事に満足しているのだと満点の笑顔で語っていた。
でも、彼女の“心”はそれで良かろうと、“体”はいいわけがない。
「……、水筒も持っていけないぐらいいっぱい荷物があるんでしょ?」
「え?あ、はい、そうっすよ」
「ならさ、僕らの家に来たら蒼華に水筒を渡すよ」
出発時点で荷物が溢れているのならば、それが減ってきた仕事中にそのスペースを埋めてあげればいい。
「ここを中間地点みたいにしてさ。そしたら続きの仕事も頑張れるでしょ?」
「うんうんっ!いいねそれ!私たち朝ならいつでも起きてるし、どんとこいだよ!」
こんな提案に、彼女は目を丸くして驚いて、そして元気よく噴き出すように笑って頷いた。
「へへっ、いいんすかー?ふたりともっ!」
「良いに決まってる。この島の運び人は蒼華しかいないんだから」
「…….あはは!お父さんもまだまだ現役っすよ!」
「それでも蒼華ちゃんが体調崩しちゃったら回らなくなっちゃう、だから遠慮しないで!」
「……そ、それならお願いしても良いっすか?……ありがたく毎日もらっちゃうっす……へへ」
照れくさそうにしても最終的には僕らの提案を飲み込んでくれて、こっちも幸せな気持ちになっていく。
風香はその返事を聞いた瞬間、すぐに廊下を引き返し始めた。
「よーしっ!余ってる水筒あったから私いま持ってくるねー!」
「あ、僕もいくよ……」
「誠はいいの!そこで蒼華ちゃんと話して待っててー!」
そう言って君は颯爽と行ってしまった。
本当に強引な子。取り残された僕らはその背中を見て、共に笑い出した。
「ぷはっ!それなら風香ちゃんの言うようにあたしたちでおしゃべりするっすよ!」
「ふふ、そうだね。そういえば今日は蒼華、自警団には遅れてくるんだって?」
昨日の別れ際、彼女が言っていたそのことを思い出し尋ねた。
「あ、はいっす。んー、仕事の延長でちょっと隣の島までいかなきゃいけないことになってて」
「へぇ。配達範囲って千草島だけじゃないんだね」
「……基本はそうなんすけどいろいろあってっすねぇ……。まあ、心配しなくても午後には帰ってくるっすよ!」
どんな事情があるのかは、別に首を突っ込んで詳しく聞く必要はないかと控え、その言葉を信じて待つことにする。
「そっか。じゃあ先にあっちで待ってるよ」
「了解っす!到着まで場を盛り上げといてください!」
「ふふ、やってみるけど蒼華の代わりほどの働きは無理かも?」
「えー?あたしの代わりって……あたしそんなたいした盛り上げしてないっすよ?」
「いや、してるよ。蒼華はムードメーカーだね。いるだけで自警団が明るくなる」
「……!へ、へへへ……、そんなことないっすよ、はじめて言われましたし……」
「ううん、きっとみんな思ってるよ、絶対ジンも」
「あの裏切りカス野郎もですか?」
「それ昨日までだからね」
僕の主観として、蒼華の存在があのごちゃごちゃとした自警団特有の雰囲気を醸しているのはお世辞でもない事実だ。なかなか思ったよりも自己肯定感が低い彼女を宥めながら、ただ気持ちの良い朝の時間を会話して過ごしている。
そして、数分もすればバタバタと落ち着かない足音を響かせて、風香が戻ってきた。
「はい、これっ!蒼華ちゃん頑張ってきてね!」
「いってらっしゃい、蒼華」
僕らの水筒に激励の願いを込めて、彼女を送り出す。
彼女は彼女らしく、大声で応えて。
水筒を手紙バッグへ仕舞って。
子供っぽい純朴な笑顔を持って。
大人顔負けの仕事への熱量を携えて。
そしてバイクに乗って走り出す。
「いってくるっす!」
その声と、去っていく小さくて大きな背中は、どこか懐かしくて、ひどく見覚えがあったんだ。
◇
「というわけでー、今日は『手紙』をかきます!」
時刻十時。
メンバーは僕らとジン、メアリ、ルーク、テイラーの六人。
新しくなったエデンの一室、八月五日まで埋まった巨大カレンダーの前で彼女は突拍子もなくそんな遊びを宣言した。
「……えっと、どういうわけ?」
「ありゃ伝わってなかった?」
「何も知らないよ開口一番の接続語がそれでびっくりだよ」
「小説で『というわけで』って言葉使ったら説明が省略されるの便利だと思ってたのに」
「そんな素晴らしい言語は現実で存在しないよ」
「ふぅ、ライトも困惑で良かったぞ。なんかオレの知らない文脈があるのかと」
「ボクも置いてかれたと思っちゃった」
「たぶん誰もついていけてないんじゃないかな……」
「ふむ。なるほどな、フウカ」
「なんかついていけちゃってそうな人いるね!?」
「言ってやれメアリ」
「人任せ!たぶんなにもついていけてなかった!」
「わたし〜?う〜ん……あっ!お手紙を書きたくなったからお手紙を書こうって言ったんだねえ!」
「なぁテイラー、オレは何を聞いたんだ?」
「ボクもわからないやルーク」
「おー!メアリちゃん正解っ!」
「なんでだよ」
「フッ、やはりな」
「ジンくんなんもわかってなかったよね……!?」
……今日は、いつにもましてカオスだ。
残った女性陣がフウカとメアリのふわふわ天然ボケなこともあり、鋭いボケのレインと鋭いツッコミのルカとノアの不在によってあまりにもフリーペースに話が進んでいく。
ジンもその気まぐれに乗っかるため、今日のツッコミはテイラーだけが頼りだった。……ルークはいいや。
「それで、フウカ。本当にそれで正解なの?」
「うん!ふふっ、私が手紙をなんとなく書きたいなって思っただけなのです」
「……まぁ、そんなものか。うん、やろうよ」
遊びを選ぶのに理由なんていらないから、ただの思いつきでも僕らはそれに乗っかる価値がある。
「あぁ、異論はない!手紙を書くのはあまり経験はないがな!」
「ボクもないかも……?年賀状はみんなに毎年出してるけど」
「そうだねえ。ふふふ〜、わたしみんなの年賀状ちゃあんと保管してあるよ〜」
自警団員は距離が近いからこそ、普段手紙を送り合ったりはしないが、もしそれに近しいモノを貰ったとしたら年賀状のように、捨てられない“大切な思い出”になるだろうと僕は考えていた。
「フッ、案ずるな。ならば俺が直々に手紙の書き方講座を開いてやろう」
「えー!団長、お手紙マスター?」
「当然。お手紙マイスターでもありお手紙マエストロでもある」
「それ言語変えただけかな」
「やるぞ。ドキドキ恐怖の漆黒筆法特訓」
「終わってるネーミング……」
「特訓……!どんな筋肉が鍛え上げられるのか!」
「頭〜」
「はっはーッ!究極の脳味噌が生まれるぞ!」
「生まれるかなぁ……」
「よし、やると決めたらやるぞ。場所は……そうだな、昨日整理した空き部屋その2で机を出すとするか」
「机?ボクたちそんな大きいのあったっけ?」
「さっき俺が買ったやつが届いた。円形のやつ」
「ええ、円卓!?」
「フッ、かっこいいだろう」
「円卓の会議室……、カッコいいね」
「ライトくん!?」
「まずは組み立てからだ。ついてこいっ!」
一度方向性を示されればとんとん拍子に話は進み、彼を中心に動き出す。
僕も流されることになんの抵抗もないまま会話をしていたが、ひとつ、気掛かりなことがあって、足を止めさせてまで尋ねてしまった。
「……ねぇ、手紙といえばレインだよね。彼女抜きでやっていいのかな」
僕は彼女が運び人として最初に会った時、“手紙”は書くのも見るのも好きだと言ったことを覚えている。
だからこの今日の予定は、また後日にして彼女と一緒にやったほうが面白いと思ったのだ。
──だが、それを知っているからこそ、これを選んだのだと、フウカは満面の笑顔で語る。
「もちろん、レインちゃんともやるよ!」
「……え?でも……」
「ふふ、ライト、手紙ってのは書いて終わりじゃないでしょー?」
どうやら鈍いらしい僕に彼女がヒントを与えた。それでようやく僕は彼女がいない“午前中”にこの予定を決めたのか、理解する。
「運ばなきゃいけない、ね」
「そうなのです!実はそっちがメイン!」
「フッ、ならば手紙を“書く”工程は早いうちに済ませておこうということだな」
「うん!それに私たち手紙の基本的な書き方から団長に教わらないといけないから、レインちゃんには退屈かなって……」
きっとレインは、手紙を書くところから一緒にやってもムードメーカーとしてずっと笑顔で、退屈なんて思わないだろう。
だけれど、フウカの提案も、それは彼女への気遣いなのだから僕から言うことはなかった。
「よしッ!それならレインがドン引くぐらい手紙をしたためておくか!」
「ドン引くとしたためるが同じ文章で使われることあるんだね……」
「えへへ〜、島の人全員に書いちゃお〜」
手紙を書くのは楽しいこと。
でももっと楽しいことは、人に手紙が渡った時。
その表情を見ることだ。
「午後に配達できるように、みんなでぱぱっと書いちゃうぞー!」
君が号令して、「おー」と元気な声をあげて。
僕らは、紙に思いを綴っていく。
◇
「まずだな。なんだ『手紙』って。ふざけてるだろ」
新設した会議室、開口一番、ジンのバカな言葉から僕らの遊びは始まった。
「何が??」
「名前だ名前。『手』に『紙』て。あまりにも貧弱すぎる。なあそうだろテイラー」
「そうかな……」
「差し出された手から零れ落ちるようなパルプの切れ端の如き響きじゃないか。締まらん」
「そうかも……」
「わあ、テイラーがジンくんのよくわからない理屈に負けちゃったあ」
「あと『手紙』という漢字は中国語で『トイレットペーパー』を意味する」
「それは確かに嫌だねえ!?」
「というわけで、はい、俺たちはこれから手紙を『魂の弾丸──ソウルバレット』と呼ぶことにします」
「ええええどういうわけ!?」
「なんだライト、お前話聞いてなかったのか?」
「聞いてたよ!?余すことなく!」
「団長のいまの『というわけで』は使い方あってたよねー?」
「使い方はね!?あとは理論がなかっただけだね!?」
「人に想いを詰めた文を送ると言う行為は、いわば誰にも共有することなどできやしない感情の根源──『魂』を少しでも分つ為、相手の『魂』へと狙いを定めて射出し、我が情操をその胸に刻ませることである。すなわちその文は、“弾丸”なのだ」
「なあテイラー、オレは何を聞いたんだ?」
「ボクもわからないやルーク」
「……なるほど、一理はあるか」
「ライトくん!?もしかして理論さえあればよかったの!?」
「ふふ、ライトはカッコいいのに目がない男の子だからねー」
「あれがカッコいいと……、ブラザーはマジでボスと相性がいいんだな」
「カッコいいとは言ってないかも。フウカのその目嫌かも。ジンと相性よくてもあんまり嬉しくないかも」
「……フッ、照れるな我が盟友」
「うわあ肩組まれちゃった」
「じゃあソウルバレットで行くぞ」
「いやまぁ呼び方なんてなんでもいいけど……」
「うーん長いからソウルで!」
「うむ、許可しよう」
「結構ジンもなんでもいいんだ……」
〜〜
「まずは見本がこれだ。テイラー、読み上げろ」
「わかったよジンくん。ええと……『血脈を分けし天から舞い降りた親愛なる使者よ──』」
「はいストップ」
「おいなんだライト」
「出だしからトップスピードだね!?」
「?まずは宛先から書くのは普通だろう?」
「これ誰のこといってる!?」
「ノアだが」
「じゃあその二文字でいいじゃん!二十文字序盤に使う意味ないよ!」
「ふむ、仰々しく書くのは、相手へと礼儀を伝えるためのソウル作法だ」
「へー!」
「そんなのないよフウカ……」
「あはは……続き読むね、『拝啓。焦熱の巨星が天頂より容赦なき劫火を注ぎ、全生命がその肉体を沸騰させている、まさに滅亡の如き猛暑の候──』」
「長い長い長い」
「よく噛まずに言えたねえ、テイラー」
「おい貴様らいちいち止めるな。これは前文といって時候の挨拶を挟む必要があるのだ」
「へー!」
「いやそれは正解だけどこの語彙センスは参考にしなくていいよフウカ……」
「じゃあ本文が……『さて、愛してる』」
「………えええ終わり!?短っ!内容こわっ!」
「おお、簡潔だな!わかりやすい!」
「その通りだルーク。本文はまず起語から入る。そして一通の手紙に要件を二つ以上入れるのは好ましくないため、伝わりやすいように内容を絞るのだ」
「へー!」
「あってるんだけど、あってるんだけどフウカ……!なんか全部が間違ってるよ……!こんな内容なんでもない日に妹に送り出したら怖いよ……!」
「バカ言え。ソウルなんてなんでもない日にこそ送るものだ。めでたき日にだけ送るのなぞ言語道断。どんなつまらなき日もソウルをしたためてそれが届けば互いに価値ある日へと変わる」
「……あぁ、たしかに。そうだね」
「やっぱり理論さえあればライトくんはツッコミを諦めるんだ……」
「ええい!テイラーもう最後の結びまで言ってしまえ!」
「わかったジンくん……『末筆ながら、釣魚に連日励むマイリトルプリンセスは我が誇りではあるが、熱中症で倒れた場合多数の精神が崩壊するので、たまには我が胸の中に帰還するがいい。エデンは涼しいぞ。トリニティフェザーが踊り狂っているぞ。地面に穴開けて釣り場スポット作ってもいいんだぞ。世界一の兄より。敬具』」
「これ破っていい?」
「いいわけあるか?」
「こんなソウルが存在してたまるか」
「たまるだろうたまってくれ」
「ふむ、オレの頭の弱さのせいだろうか、本気で言っている意味がわからなかった」
「私もわからなかったよルークくん!」
「あぁよかった。でもなんかテイラーの声のせいでなんかいい感じに聞こえてしまった。ラブレター?」
「まあそうともいえるねえ?」
「ジンくんは昔からノアちゃんへの愛が重いね……」
「重くてなんぼだ。末文は相手の健康や無事を願う言葉が正解である」
「へー!」
「いやまぁ本当にそうなんだけど……ちがう、ちがうよフウカ……」
「さぁ、これで俺が教えられることは伝え切った」
「……これで!?何もわからなかったよ!?」
「なるほど!私、ソウルの書き方わかったかも!」
「逆にわからないで欲しかった!」
「……でもオレもなんとなくわかったぞ」
「ルーク本当……?」
「ソウル作りはパッションが全てってことだろう?」
「いや……でも……うん、すごい!奇跡的に否定できない!確かにソウルなんてパッションが全てだ!」
「ふふふ〜、それならわたしもできそお!テイラー、一緒に書こ〜!」
「うん、いいよメアリちゃん」
あぁ、こうして、僕らは集まって、バカみたいな会話を続けて、紙に何も着飾らない想いを綴っていくのだ。
僕はそのみんなが騒ぐ様子を俯瞰するように眺めていたら、気づけば心の底から笑っていた。
「ね、ライト。楽しいね」
意気揚々と真っ先にペンを握り、文字を書きながら君は僕の目を見た。
しばしば尋ねられるその言葉に、僕は「そうだね」と僕もその目を見ながらいつものように返して。
そして、机に置かれる僕の分の『白紙』に視線を戻す。
僕は何を、誰へ、書こう。
◇
時間が過ぎた。
ずっと僕らは新生エデンの会議室の中で遊んでいた。
「はッ、みろテイラー!オレのパッションを!」
「うわあすごいねルーク。文字のサイズがデカすぎるよ。筆圧で光沢がとんでもないよ。これ何往復なぞったの……?」
「これ一枚で鉛筆がすり減るぐらいか?」
「パッションすぎだね?」
「逆にテイラーは筆の圧がなさすぎる!見た人をビビらせる圧が!」
「筆圧ってそういうことじゃないね」
「もっとギャリギャリ書くぞギャリギャリ!」
「それをいうならガリガリ……いや手紙にガリガリも変だな……?」
ルークとテイラーは男同士、性格的には正反対のようにも思えるが存外とても仲がいいようで、互いの手紙を見合っている。
「フウカちゃ〜ん、『かんしゃ』ってどんな漢字だっけえ?」
「お、私わかるよ!えーっとね……はい、これ!」
「あ〜!それだあ思い出した〜!ありがと〜」
「ふふふ、役に立てて嬉しいなぁ。……こほん!これからはいつでもお姉さんに頼りなさい!」
「お〜!頼もしいねえ、フウカおねえちゃん!」
「〜〜!もうなんでも教えてあげるんだから!」
メアリとフウカは波長が合っているようで、あそこだけ時の流れが遅くなっているみたいに和やかに進行している。
四人は特に何も困ることがないみたいに、ただ誰かへと手紙を書くことができていた。
僕はその様子を一人で眺めている。
楽しくないわけじゃなくて、話に参加できないわけでもなくて。
目の前には白い紙切れ。
僕はいまだに最初の一行も、誰に送るかすらも、思いついていなかったから、なんとなく、焦っていた。
フウカたちにはそれを心配させないように「手紙を送りたい相手が多過ぎて絞っている」と言ったけれど、実際は、いざとなれば手紙を書くその行為自体が怖くなってしまったからなんだ。
手紙──ソウルは、僕の魂を写しているとなればそれはもちろん躊躇する。
体裁上ペンを持ってはいたものの、結局何も思いつかず僕はそれを優しく置いて机に突っ伏した。
そうして九個ある皆一様の硬めの椅子、そのひとつの空白を眺め、僕は彼へ想いを馳せた。
ジンはこの場にいない。
見本として出したノア宛の手紙だけでなく、もう一枚の誰か宛の手紙も早々に書き終え、指導も果たしたジンはひとりやることがあるとモニター室『エデンⅢ』へ行ってしまった。
いったい何をするのか、というか彼のことだからカッコいいセリフだけ吐いてしょうもないことをしているに違いないと薄々思っているが、やっぱり騒がしいこの空間に彼がいないことはなぜか寂しく思えた。
「……ん、みんな?何か聞こえない?」
そうして僕が考えごとをしていると、フウカが耳を澄まして聞こえた違和感を伝えた。
彼女に倣って外の情報に敏感になっていれば、「ぽつり」「ぽつり」と遠くの音を捕まえる。
「あれえ?雨降っちゃったあ?」
「みたいだね。今日は晴れだっていってたのに……まぁ、すぐに通り過ぎるでしょ」
窓の向こうをみれば、灰色の入道雲が近づいている。 おそらくこれから本降りになるだろう。
うざったいぐらいの暑さがこの島の特徴で、僕もそれに辟易していたのだが、こうしてその太陽が顔を隠していくとなるとやはり陰鬱にもなる。
そんな感情の理由。それは雨が降れば午後は外で遊べなくなること。
つまり『手紙の配達』がまた後日に延期してしまうことが残念だった。
「ほう。……ならばッ!今日はまだまだソウルが書けるな!よし、オレは向こうから追加の鉛筆を持ってくる!」
「あ〜、じゃあわたしもクレヨンでソウルにお絵描きしちゃお〜!」
「ちょっとまって、二人とも置き場所わからないでしょ!ボクもついていくよ」
三人はそんな雨でも特段沈み込んだ気分にはならないようで、雨だからこそ遊べる何かを模索して、楽しんでいる。
それこそ彼ら自警団の前向きさを象徴しているように思えた。
一気に会議室から人が消え、僕とフウカはふたりっきりになる。
鼻唄を歌いながら熱心に手紙を書き続ける彼女。増していく雨の勢い。
二人だけの静かな空間だから、僕はその分妙に雨音が気になって、何か気をそらせないかと、彼女に話しかけようと口を開けた時だった。
「──ルーク、いるか?」
彼らと入れ替わりに入ったのは、ジンだった。
ジンが辺りを見回して部屋の状況を確認するよりも先にフウカは答える。
「ルークくんは今いないよー?ペンを探しに向こうのほうにいるかも!」
「そうか。……じゃあ、それならライト。お前に用がある」
彼に固執するわけではなく、不在を知ってジンは僕に向かって指示を出した。
「え?う、うん。なにかあるの?」
「そういえばエデンの外に配達が来ていたのを思い出してな、持ってきてくれ。俺は今手が離せん」
「あぁ、なんだそんなことか。わかった、今行ってくるよ」
彼がいろんなものを買いまくる性格だと言うのは分かっていたため、荷物が外に放置されていてもおかしくない。
ここにいても何も書けないままだろうから、僕は嫌がりもせず喜んでその雑用を請け負うことにした。
フウカに一言添えて、立ち上がる。
会議室を出る直前、壁にもたれかかるジンが最後に伝えた。
「傘、持っていくといい。ほら」
外は雨が降っている。
荷物を受け取るだけの少しの時間とはいえ、勢いが強いのは音から分かっているし濡れるのは好きじゃない。
彼の気遣い、いつのまにか片手に携えていたそれを僕は受け取って感謝を伝える。
その傘は通常よりも重くて、大きいサイズだった。
「うん、ありがとう。すぐ戻ってくるね」
「あぁ」と返事をする彼を背に、天文台を出る。
外への扉を開けた瞬間、土の匂いと嫌な湿気を感じた。
視覚的な情報も含め、朝のあの快晴はどこに消えたのかと、立派な雨の日だ。
これが続くならもう午後は室内にいるしかないな。
……さぁ、はやく荷物を見つけてアジトに帰ろう。
僕は分かりやすく置かれているであろうダンボール箱を探しに、少し大きな傘を刺して地面を注視して歩き始める。
すぐには見つからない。
なんだ届け先が家じゃなくて施設だとはいえ、そんな不親切なところに置かれているだろうか。
強く、早く、大きくなる雨音に急かされながら僕は、ずっと地面を見続けていた。
ちゃぷちゃぷと靴を汚す泥は不快だった。
でも進み続けなければいけなかった。
そうして、ひとつ、見つける。
荷物……じゃない、靴を履いた“誰か”の足元を。
見上げる。
それは今朝も見た、見覚えのあるパンツスタイルだった。
元気の象徴である褐色の肌も見えた。
僕は、時間的な読みも含めて、その“誰か”が誰なのか、すぐに思い至っていた。
当然声をかける。
「──!レイ…………っ?」
そう、僕はそれが誰なのかを知っているんだ。
でも、その名前を最後まで呼ぶことができなかった。
呼んでいいのかわからなかった。
だって彼女は傘を刺さずに突っ立っていて。
いつも肩にかけたバッグだけを大事に抱えていて。
濡れた髪で表情がよくわからなくて。
頬から雨の雫が溢れていて。
そして、団員番号を冠するバッジがつけられたトレードマークとも言える“帽子”が、外されていたから。
「……蒼華?」
なんと名前を呼ぶのが正しいかわからなくなって、コードネームじゃない本名で呼びかける。
どうしたんだろう、近づく。近づかないと、僕は後悔してしまうと思ったから、そのそばへ歩き出す。
とりあえず、僕はその小さな肩が、もう雨に曝されないようにと開いた傘で守ることを選択していた。
自分が濡れるのなんてどうでもいいほどに、僕は、僕を見ないまま俯いた蒼華の顔を見つめる。
まだ彼女の顔は雨と暗さで完全には読み取れない。
だが、近づいたからこそ、肩が小さく震えているのが分かった。
両手で大切に抱える手紙バッグに、不自然な膨らみがあったのも分かった。
「………ね、ねえ」
僕はその姿がなぜか不安でどうしようもなくて、変な呼びかけだけを雨空にこぼしてしまう。
きっと、午前に何か、あったんだ。
そうに決まってる。
なら、僕。それがなにか聞いてやれよ。
気の利いた言葉も一つ言えなくて、ただ困惑してるだけなら、僕はいらない。
もっと彼女は沈んでしまう。
……そうやって、頭では幾十にも思考が混ざるけど、僕は結局固まったままで。
ついにレインは、ジンが持たせた傘の中で、小さく、弱く、泣き出すように、呟いていた。
「ライトくん、あたしは、バカなあたしは──」
「──いつ“大人”になれるんすかね」
ということで、エピソードのトップバッターを飾るのはレインです。
そしてあまりにも文字数が多すぎるので一日1話になります………。許してください。1話10,000字目安です………………。




