八月四日(前)「お出かけをしよう」
今日は二本立てで!
蝉が鳴く音がした。
陽炎が揺らいでいた。
誰かが目の前に立っていた。
なんだろう、それらは全て不鮮明で。
モヤがかかったように記憶に定着もせずにこぼれ落ちる。一秒後には忘れてしまえるカタチをしている。
……あぁ、そっか、これは夢。
夢だとわかっている。
でも、起きることなんてできないし、僕は映像として動くそれを、ただぼーっと特等席で眺めるだけだった。
『はぁ、はあ……!』
これは誰の声?
疲れたように息を漏らすのは、僕の喉から……だけど、“僕じゃない誰か”の声色だった。
『ねえ!次はあっちだよ!』
『まってよ……!おいてかないで……!』
『あははっ!もー、しかたないなぁっ!手、握って!』
目の前の誰かが喋りだして、そしてこの夢の主人公である“僕じゃない誰か”が、それに手を差し伸べられる。
なに、これは。
世界の全てが朧げなのに、なぜか、この主人公──僕が感じる“心”だけはハッキリと、自覚できた。
『楽しい』。
人間の四つの基本的な感情が、剥き出しにされる。
“僕じゃない誰か”は、僕のコントロールを超えて、ゆっくりと動きだした。
恐る恐る、何かに怯えている。
それでも、好奇心に勝てなくて抑えきれない衝動。
それが向かう先は、何もかも謎に包まれた目の前の人物──麦わら帽子を被った少女が、差し出した手。
近づくために、ひとつ、またひとつ歩んで──
──そして、手を掴んだから。
世界は壊れたんだ。
◇
──ピピピッ、ピピピッ。
「……ぅ、ん?……、……朝、か」
目覚ましが鳴って、一日が始まる。
叩き起こされるような感覚は苦手だったけれど、この島に来て生活リズムが整ってから、こんなに朝早く─五時前に体を起こしても、なんの倦怠感も生まれなかった。
「……んー……!今日は、随分とスッキリしてるなぁ……」
これはノビをしながらのただの独り言。
僕は自分の気持ちを確認するために、よく言葉を吐いている。誰に当てるわけでもないのに喋り出すのはおかしいと自分でも思うけど。
にしても、今日は本当に気持ちのいい寝覚めだった。
「……良い夢、だったな」
まだ布団から抜け出さないまま、そう呟いたのは──幸か不幸か、なんとタイミングの悪いことだった。
「──おっはよー!まーことっ!」
僕が起きているのを確信して、ガラッと無遠慮に襖を開けたのは、この同居人しかいなかった。
寝癖をつけた、元気が取り柄の僕の太陽。
「おはよう、風香。朝から元気だね……というかよっぽどのことじゃない限り部屋に入るのダメって言ったでしょ」
「えー?でも今日は寝顔みてないよ?それならいいでしょ?」
「いや別に寝顔が問題ってわけじゃ………うん、まぁ、いっか」
無防備な朝に自室に入ってこられるのは気恥ずかしさ以外にも、着替える途中だったらどうするんだとから言いたいことはあった。
でも、僕は、そんなふうに否定の言葉を言いながらも、どうしようもなく自分が嬉しそうな声のトーンに変わっていたことに気づいたから、もういいかと諦めたんだ。
君がいて、『おはよう』を聞いて、僕の朝が始まる。それを僕は幸せなことだと思った。
「いえーい許可もらえちゃいました!」
「はいはい。…‥今日は随分とご機嫌だ」
「ご機嫌だよー!いっぱい理由はあるけどー……、やっぱり、私も、誠みたいに『良い夢』を見られたからかな!」
私“も”とつけたように、きっと僕の独り言は聞かれている。そんなことが些細に思うぐらい、風香が見たその夢の内容を聞きたくなった。
「へえ?どんなのを見たの?」
「んー?覚えてないよ?」
「覚えてないんかい」
「夢って忘れちゃうものだからねぇ……それでも『良い夢だった』って記憶だけ覚えてる!そういう誠はなんの夢みたの?」
やっぱり彼女は自由で奔放だ。過ぎ去ったことを気にせずに前向きに考えられるのは僕にはない長所。
そう思ったあとに、彼女の質問に答えようと、なんの夢を見たのか思い出そうとした。
……。あれ、どんな夢、見てたんだっけ。
さっきまで朧げな話は覚えていた……はずなのに、それすらも嘘に思えるほどに、記憶の塊は霧散していく。考えても何も浮かばなくて、彼女みたいに笑って言った。
「……覚えてないや」
「覚えてないんかい!」
「あはは、僕も風香と同じだ。『良い夢だった』ってことしかわかんない」
「うんうん、やっぱり夢ってそういうものだよねぇ。……でも、それだけで良いんだよ。覚えてなくても、幸せな気持ちになれさえすればいい」
彼女は僕の部屋に差し込む、まだ早い日差しを浴びて、外を見た。
もう夢の内容なんて一ミリも思い出せないけど、確かに、この胸に残る幸せな気分だけで良いと、彼女の言葉を聞いてそう思えた。
「って言ってみたけど……、んー、夢を忘れちゃうのもなんか勿体無い気がするなぁ」
「ええ?勿体無いって?」
「せっかくの夏休みなんだから、楽しい思い出で埋め尽くしたいでしょ?だったら寝てる時間まで楽しみたいじゃん!」
全く彼女はわんぱくで。寝てる時ぐらいはなんのストレスもしがらみもなく世界から浮いて過ごしていたいと思っていた、“あの時の”僕にはない考えを持っていた。
「だから明日から夢の内容も日記つけてみようかな!」
「あー夢日記……か。うん、科学的に良い影響もあるらしいし、いいんじゃないかな」
「おぉ!よーし!じゃあ新しく日記帳買ったら、明日からやってみちゃいます!」
新しい遊びを見つけたみたいに目を輝かせる彼女が眩しい。僕は昔から『夢』といえば『悪夢』しか見なかったから、それを文字になんて書き起こしたくないと、それには否定派だ。
でも、君のしたいことを妨げたくない。
なにより、僕はもう願っている。
君が明日から夢見るすべてが、今朝の幸せな思い出のように、喜びで溢れていますように。
心を蝕む悪い夢から守ってあげられますように。
「……?ところで、風香。なんかさっきから匂い、しない?」
「え、私?く、臭い?」
「いやそんなわけないから。風香はいい香りだから。……ほら、なんか焼いてるような香ばしくて美味しそうな匂い……」
「え、私?美味しそう?食べられちゃう?」
「いや食べないから……」
実は僕が朝起きた時からうっすら感じていた匂い。
それについて、夢の話を区切って尋ねてみれば彼女はボケた回答をする。彼女の放つ香りは、こんな食欲のそそられるものじゃなくて、どこか甘い花の蜜のような天然のモノだ。
それよりも、この小麦粉が焼けたような香りは……。
と、そこまで考えたことで思いつく。やけに既視感のあった匂いの正体に。
「あ、これフランスパンだ」
「なぁんだいつもの匂いのことかー」
「これが常態化していい匂いなのかこの島」
「……って!そうじゃない!私、今日は起こしてきてって頼まれたんだ!」
いつの間にか僕の部屋に座ってゆっくりしはじめていた風香は、両手をパンとあわせて、この匂いで何かを思い出したようだった。
「頼まれたって、いったい、誰に……」
僕はとりあえず口に出していたが、徐々に覚醒してきた頭で考えればそれはすぐにわかる。
彼女がここにいるのに匂いが強まっていること。
それは第三者がこの家で料理中だということであり。
それはひとりしかいなくて。
今日、結ばれているあの約束。
「──もちろん、円海さんだよ!一緒にご飯食べて〜、島の外にお出かけしに行こっ!」
◇
突き抜けるほどの快晴。吹き荒ぶ突風。
地面が小刻みに揺れている。
日差しだけで暑くはなくて、服に入り込む潮風が清々しかった。
移動する乗り物の中。
だけどここは“大地”じゃない。
「あははっ!きもちい〜!」
──僕らは船の上にいた。
「うわあっ!船ってこんな速いんだ……!」
この島に来るのに僕は船に乗ってきたというのに、なぜ今更そんなことを言ったのか。
それは、僕と風香と、そして彼女しかいない“小型船”には初めて乗ったからだ。
「ふふっ、どー?誠くん!気持ちいいでしょ!」
運転席からの大声。
それはサングラスをかけた美人な叔母──円海さんだ。
声を張り上げるのは窓が全開故に、エンジン音と波の音がうるさいからで。だから僕も負けじと後ろの席で声をかける。
「はい!楽しいです!でもちょっと、風が……!」
「円海さーん!甲板いってくるねー!」
「ええ風香!?今!?」
「いいわよー!落ちないように気をつけてねー!」
「はーい!」
「ま、円海さん!危なくないんですか!?」
「大丈夫よ!風香ちゃんなら!」
「それは理由になりますか!?」
そう言い切る、随分と僕の母さんとは異なった、おおらかな性格の円海さん。風香はワクワクした顔を浮かべて、キャビンの戸を開け後方のデッキへと慎重に移動した。
この船は、全長七メートルほどのハードトップ艇と呼ばれる、フィッシングボートに分類される小型船らしい。
もちろん保有者は円海さん。
いったいなぜこんな奇妙な体験をすることに至ったか、頭を回らせていると、外に出ていってしまった風香を眺める僕をチラリと見た円海さんに声をかけられる。
「じゃあ誠くん、助手席、座るー?」
僕らが乗り始めた時、キャビンの後方にあるベンチに並んで座っていた。でも今、風香が果敢に立ち上がって、怖がりの僕が取り残されたから、提案に従って運転中の円海さんの隣に移動する。
そうして円海さんは何やら手元の機械を弄り、キャビン内の窓を閉め始めた。たったそれだけなのに、あれだけうるさかったエンジン音が静かになり、風もエアコンから流れるそよ風だけに変わる。
助手席からその手元を見れば、僕は“船”という車以上に未知なるモノへの興味が隠しきれなかった。
「うふふ、あっちじゃなかなかこんなの見ないでしょ」
あっち、とは僕が住んでいた本州のことだ。
窓を閉めて声を張り上げなくてもいいようにしたのは、きっと運転中でも会話ができるようにだと、そして、風で目が開けられなかった僕に対するさりげない気遣いであると気付く。
「はい。船ってすごいですね。時速三十キロしか出てないのに車より早く感じます」
「あはは、そうね。体感速度は実際の二倍くらいらしいの」
「二倍。それは……」
「ふふ、ひりつくよね」
「ひりつ……え?」
「もっとかっとばそっか?」
「かっとば……え?」
「信号も対向車もないから車より安全よ」
「法定速度は守ってくださいね……?」
「あら、実は船って法定速度ないの」
「そうなんですか……!?」
「だから理論上は百キロでも出せるわ。出してみる?」
「出さないでください?」
「じゃあまずはこのボタンを押して……」
「出さないでください!?」
「あははっ、冗談冗談!そもそもこの船にそんなスペックはないし、風香ちゃんが危ないから」
全く、冗談で良かったと胸を撫で下ろす。
この一週間でのホストファミリー的な生活の中で、僕の叔母さんはからかうのが好きなだいぶ愉快な性格をしているのを知った。
やはり、この千草島のひとらしく、ちょっと変だけど優しくて温かい心を持っている。
くすくすと笑うそんな無邪気な横顔が、どことなくドライブ中の母の表情にそっくりだと思った。
「にしてもびっくりです。まさか、船の運転ができるなんて」
「でしょー、仕事にできるぐらいの特技なの」
慣れた手つきでハンドルを握る、余裕そうな円海さん。
僕は目の前に作られる波を見ながら、午前のことを振り返る。
まず今日の朝食、麻婆豆腐フランスパンを机に囲いながら僕らは初めて三人で朝食をとった。
夜ご飯はいままでずっと一緒で、朝は円海さんの作り置きを食べる生活だったけれど、今日は仕事のない休日。一緒に会話をしながら食べて笑って、僕らは、世間一般では早すぎる朝をゆっくりと謳歌した。
いつも僕と風香は、庭が見える縁側で並んで座る。
でも今日はその隣に円海さんもいたんだ。
そこでたくさんのことを話した。
そのひとつが、円海さんの“仕事”について。
彼女の仕事は『船長』。
具体的に言えば島の生活物資を運ぶ、貨物船の船長なのだとか。
まさか身内にそんなレアな職業の人がいたのか驚き、さらに独特な職業の特性『朝五時から昼の一時まで』という勤務形態にもまさに島社会らしさ全開で新鮮だった。
休日は週に一度だけとかなりハードな仕事のようにも思えるが、「島の人の生活を支えるのだと思えばやりがいしかない」そうやって笑って言うのだから、僕らにはかっこいい大人として映る。
また本来、島の外に出るには日に五本程度の大きな連絡船に乗るしかないのだが、風香がどことなく仕事の話を聞いた時から好奇心を隠せない顔をしていれば、円海さんは「私の船に乗ってみる?」と声をかけてくれて、気付けば今の状況になっていたのだ。
「それで、あっちに着いたら何を買わなきゃいけないんですか?」
僕も正直ワクワクしているが、本来の目的──“買い物”を忘れないようにしようと話しかける。
なぜこんなことを改めて問いたのか、それは島外への買い物は普段買えない大きなモノを調達できる数週間に一度のイベントだと本人から聞いたからだった。この船で来たのは、連絡船じゃ持ち運べない量になった時に便利だからってのも理由にあったりする。
「んー、まずは風香ちゃんの携帯ねー」
「はい。それが目的でしたもんね、他には?」
「他ー……、んー、ないわ」
「ない!?いっぱい買いたいのがあるって言ってませんでしたっけ!?」
「ふふっ、“買いたい”のは、あるわ。でも“買わなきゃいけない”のはないのよ」
一体何が違うのか頭にハテナが浮かび、その続きを待つ。
「今日は“お出かけ”、よ。三人でぶらぶらショッピングして気に入ったものがあればそれを買う。“買い物”が目的じゃなくて“お出かけ”が目的だからそう身構えないで、自由に楽しみましょ?」
やはりその言動は僕よりも数段大人であって、余裕に溢れていたから僕の心にすんなりと馴染む。
「そう、ですね。買いたいものって実際に見たらもっと増えちゃいます」
「うんうん。風香ちゃんとか、あれもこれも、全部に興味持ちそうでしょー?」
「……ふふっ、絶対そうです」
「ふふん、楽しみだわ〜。誠くんも、私がなんでも買ってあげちゃうからねー!」
「いや、それはさすがに申し訳……」
僕がその円海さんの過剰な優しさをやんわり断ろうとした時だった。彼女は落ち着いて宥めるように言った。
「──ううん、申し訳なくなんてないよ。遠慮もしなくていい」
「……円海さん」
「私たちはただ同じ家に住んでるだけ?そう思われてたら寂しいなぁ。……私はね。二人のこと、もう“家族”みたいに思ってるよ」
家族。
それはいつの日か風香と交わした会話の中にあった。
僕らは同じ屋根の下に住んで、一緒にご飯を食べて、気兼ねなく笑えて、おやすみ、おはようを言い合う。
それを“家族”と呼ばずして、なんと呼ぶのだろうか。
僕は自分の中で言葉にできなかったこの関係性を、円海さんに導かれて、案外単純だったと、微笑んで知る。
「そうですね。僕らは、家族です」
言葉にすれば驚くぐらいにしっくりきた。
一週間以上島での生活をしていたけれど、決して寂しくならなった。それはここに第二の家族がいたからなんだ。
僕の言葉に「良かったぁ」と円海さんは笑って、幸せそうな表情を浮かべる。
しばらく僕らは家族らしい他愛もない話を、風香があの時どうしたとか、仕事でこんなことがあったとか、運転席と助手席で並びながら交わしたんだ。
そうして、突然。
円海さんは目の前に広がる蒼海から視線を逸らさぬまま、深く、一呼吸をした。
それは何かを切り出す合図。
「……ねぇ、誠くん。この千草島に来て、今、楽しい?」
「え?……それは、はい、楽しいです」
「……そっか。じゃあ、もう、前に進める?」
その声色は、僕を詰めるようなものじゃなくて、どこまでも優しい、実の母に似ていて、ゆっくりとそんなことを僕に尋ねた。
前に進める、って何が。
なんて聞かなくてもわかってるから、僕はなぜか身構えてしまって、この穏やかな空気は変わった。いや、僕が変えてしまった。
きっと、あのこと。
わざわざそう聞いたのは、円海さんなりに考えがあって。この人は僕の“過去”を母越しに聞いているからで。
すぐに言葉を返そうとした。
だって答えは決まっているのだから。
でも僕は、頭では“正解”だとわかってるそれを、声に出せなくて、声に出す資格がないように思えて。
このまま何も言わなければ、一生止まり続けてしまいそうだった。
「……ぅ、ぁ、僕、は──」
僕はまだ言えない。全部を忘れて、前だけを見て、幸せになんてなれやしない。でも言わなきゃいけない。覚悟が決まっていない、薄っぺらい言葉を。
円海さんが静かに聞いている。
あと少し、僕は口を開く──。
──その瞬間、君はまた間が悪く、扉を開けた。
「ねー!まことーっ!こっちきてっ!イルカっ!いるっ!」
僕は振り返った。
君は興奮気味にキャビンに乗り込んで、風に飛ばされないようにその麦わら帽子を掴み、海を指差していた。
その顔は、今の僕とは比べ物にならないぐらい明るくて、美しかった。
「……イル、カ?」
「そうイルカ!黒いのがデッキの後ろにくっついてきてるの!行っちゃわないうちに誠も一緒にみよっ!」
君はいつだって新しい風を吹かす。
僕の方へ差し伸べられた手。
それはどこかで見たような、デジャブ。
その手を取る前に、僕は躊躇って、横を見た。
「えっと、円海さん……」
「……ふふ、行ってきなさい」
彼女は僕に、僕らに最大限の笑みを浮かべて、背中を押した。
まだ定まらない僕の答えを保留にしてくれたんだ。
「ありがとう、ございます」
「ううん、いいのよ。……忘れないで、私たちは家族。答えが出せるまで、ずっとそばにいるわ」
なんて優しい顔なんだろう。見るだけで穏やかな気持ちになれる反面、僕の心の奥底が理解不能にチクリと痛む。
すぐに出なかった僕の言葉を待たないまま、彼女は次いで僕に託す。
「それよりも!私からのお願い!大変かもしれないけど……、ずっと風香ちゃんの隣にいてあげてね」
それが円海さんの最後の言葉。
お願い、なんてされる内容じゃないと思った。
他ならぬ僕自身がそうしたいと思った。
この言葉には、声では返さずに。
強く頷いて、風香が未だ差し伸べる手を握って。
それを答えとする。
◇
「ひゃー!島じゃ見ないぐらいのでっかいショッピングモールだねー!」
船旅二時間以上を乗り越えて、港に係留し僕らは本州の都市部に訪れていた。
歩いてすぐの距離には数々の店舗がひしめく、見渡す限り人だらけの買い物全般を司る施設があった。
それがすごく、僕になぜかわからない新鮮味を感じさせていた。
「こんなの別に珍しくもなかったのに……、なんか、今日はすごく人が多く見えるな」
世間では夏休みという理由はあれど、きっと、都心部に直近まで住んでいた僕からすればこんな人混みは大したことない部類。
それでも驚いたのは、やっぱり後に円海さんが言った理由なのだろう。
「あはは。うちに住んでる人の数はきっとここで数分間にすれ違ったのと同じかもね」
「えー!?そうなの?」
「参考までに千草島の人口は約二千人よ」
「こういう施設はたぶん一日に二万人以上はいるんじゃないかな」
「十倍も!?やっぱりでかいねぇ……」
「うんうん。島民からすればもちろんびっくりする多さなんだけど……、風香ちゃんも、誠くんもそう思うってことは、二人ともあの島に染まってきたってことなんじゃないかしら!」
それは嬉しかった。
都会に慣れきった僕と風香が、千草島の狭いコミュニティに入って、認められているようだったから。家族の一員になれたようだったから。
「よーしっ!片っ端から見て回っちゃおー!」
「もう、はしゃぎすぎだって言いたいけど……」
「ふふ、見て回っちゃうぞー!」
「……円海さんもそう言うなら。行こう、風香」
「──面白いモノを探しに」
◇
「おお……!これが携帯!思ってたより軽いね?」
「そうねぇ。あんまり機能が入ってない軽量モデルだからってのはあるけど……、本当にこれで良かったの?もっといいの買ってあげるわよ?」
「ううん!これがよかったの!」
「あら、それはどうして?」
「ふふん、誠のとお揃いだから!」
「……ふふ、それならこの機種しかないわね」
「えー……風香ったらそんなに一緒が良かったの?これ連絡ぐらいにしか使ってないよ」
「それでもいいのです!誠と電話するために買うんだし!」
「……そっか。でも、電話なんてしなくてもずっと一緒にいるでしょ、僕たち」
「それは、たしかに!」
「あらあら、随分と仲良しさんね」
「まあね!……あ、でもでもっ!これで夜寝る時、別の部屋にいても声が聞けるよ!」
「確かに就寝前は離れてるけど……」
「えへへ、電話したまま眠っちゃったりしよっ!」
「……そんなに遅くまで電話するのは、やめとこうよ。ほら、夜更かししたら朝早く起きれないし」
「む、それはそうだ……。だけど、やっぱり楽しみだね!どこにいても誠と双方向に会話できるのは!」
「うん、無線機よりは便利だ」
「二人だけの回線!」
「皆に筒抜けにならないね」
「……あ、あと電話だったらお風呂中でも話せる!」
「それはダメ。携帯が壊れちゃうでしょ」
「ぐぬ、壊すのはいやだからやめるー!」
「うん。せっかく買ってもらったんだから長く使わないと。風香」
「……長く。そうだね、ずーっと先まで使うよ、私!」
「そこを突っ込むのね誠くん……。ふふ、やっぱり仲が良くてなによりなにより。ふたりとも、ずっと笑っていてね」
「えへへっ!誠の番号だ〜……!私のはじめての電話、あげちゃうね!」
◇
「みて!わんちゃんがいるよー!」
「本当ねぇ。大きなペットショップだわ」
「わぁっ……かわいいなー、撫でてみたいなー……」
「風香、犬が好きなの?」
「うん!もふもふで大きな犬種が特に!」
「うふふ、それなら店員さんに言って触らせてもらおうか?」
「あ、それは大丈夫!犬はアレルギーで……見ているだけで十分だから」
「……そうだったんだ、風香」
「少し寂しいけど、身体のことは仕方ないしねぇ」
「……じゃあ、これ見ようよ」
「んー?あっ、サモエドの写真集だ!」
「それと、あとこのクッション」
「……!すごい、もふもふだ!これ!」
「どう?本物じゃないけど、撫でる気分にはなれるかな」
「──!うんっ!ありがと〜まことーっ!」
「わっ、ちょっと、急に僕を撫でないで!?」
「ざんねーん、撫でまーす!」
「僕はもふもふじゃないよ!?」
「そこに突っ込むんだね誠くん……」
「誠の髪はサラサラで、乃彩ちゃんのもふもふとは違うけど……、良い撫で心地なんだよ」
「……そっか。でも、撫でるのはもうやめて。外だから、また今度ね」
「……!うん、また今度、撫でさせてもらうね」
「うーん、にしても風香ちゃんは大きい動物が好きなのねぇ」
「そうだよ!可愛ければなんでもいいけど!」
「大きくて、可愛い……。帰ったら飼ってみようかしら」
「え?何をですか?」
「イノシシ」
「正気ですか?」
「大きくて可愛いわよ?」
「かわ……かわいい?可愛いんですかアレ」
「ウリ坊はね。お目目がくりくりでもふもふ」
「もふもふ!」
「それでもいいんだ風香……」
「成獣になるとゴワゴワになるけど」
「ごわごわ……」
「やっぱりダメだった風香」
「でもイノシシの姿ってよく思い出せば可愛いかも!」
「おっと?」
「実は家の裏の山に結構いるのよねぇ。よりどりみどりだわ」
「野生を捕獲するつもりですか」
「おお!やろうやろう!」
「やらないで興味を持たないで」
「トラップ仕掛けたりね」
「ハンター?」
「島の大人を呼んで囲ったりね」
「猟友会?」
「ウリ坊をちょっと拝借させていただきましょ」
「の割に規模が……あとたぶん怒った親に襲われますよ」
「……う、親と離れ離れにさせちゃうのは嫌だから、やっぱりやめよ!円海さん!」
「そこなんだ風香……。まぁ、その通りだね」
「うふふ、それならざーんねん。ペットは誠くんで我慢するしかないわね」
「ちょっと円海さんー?」
「うん、我慢する!」
「風香も受け入れないで……」
「きっと、良い遊び相手になるから」
「……全く、円海さんはどこまでが冗談なのか」
「それじゃ、私は誠の飼い犬で、誠は私のペットね!」
「あぁなんかややこしくなってきた……」
◇
「美味しかったねぇ!」
「ええ!やっぱりうちの島のも良いけど、外のも新鮮だったわー!」
「……そんな、変わりましたかね。味」
「すごい変わるよー?」
「フランスパンが?」
「フランスパンが!」
「本場でもないのに?」
「違うわ誠くん。フランスパンは名前にフランスがつくだけでその土地に根差した文化を汲めば作られたどこでだって本場よ」
「おー!深いこと言ってるね!」
「風香、本当に理解してる……?」
「感動した!」
「そのレベルで!?」
「それで午後はどのお店に行きたい?」
「んーとね、円海さん!私、お洋服見てみたい!」
「いいわね!今、風香ちゃん似たようなワンピースしかないでしょう?誠くんも夏っぽいの少ないし、ふたりの買ってみようか」
「良いんですか?……じゃあ、ありがたく見させていただきます」
「いいのいいの!あ、でもその代わり、私にコーディネートさせてちょうだい!」
「え、円海さんに選んでもらえるのー?やったあ!」
「ずっと娘を着せ替えさせたかったのよ。……うん、腕が鳴るわ。風香ちゃんと誠くんの良さを引き立てる服、選んでみるね!」
「えへへ、楽しみ〜!……ね、誠も私のコーディネートしてみる?」
「え、僕?女の子の服選ぶのなんて初めてやるけど……それでもいいの?」
「それがいいんだよ!誠が選ぶ“私”、見てみたいな!」
「……うん、わかった。一応やるけど、嫌だったら着なくていいからね」
「ううん、着るよ。誠が私に合うって思ってくれたんだから!」
「そっか。……じゃあ僕のも選ぶ?」
「……!選ばせて!何にしようかなー!」
「ふふ、もう。ちょっと落ち着いて、風香」
「男の子の服装かぁ……身近な子を参考にしよっと!」
「…………うん?」
「わかった!マントとブーツだ!」
「本当に落ち着いて、風香」
◇
「〜〜♪ふふん、次はあの文房具屋いこ〜!」
「あらご機嫌ね。荷物も多くなっちゃったけどやっぱり選んだ甲斐があったわ!」
「うんっ、ご機嫌!円海さんの服は帰ったら着るけど……ほら、みてみてこの服!誠が選んだくれたの!どう!?」
「ふふっ、うん、とっても似合ってるわよ」
「でしょー!えへへ、お出かけ楽しいな〜!あっ、あのノート、可愛い!夢日記にいいかも……!先に見てくるね!」
「……喜んでくれて良かったね、誠くん」
「はい。ちょっと安心しました」
「薄紫のシャツと白のズボン……、素敵だと思うよ。ちなみに、誠くんはなんでこれを選んだの?」
「うーん、シンプルに運動しやすそうだからですね。ほら、風香はあんなに元気なのにワンピースだと走りにくそうでしたから」
「……ふふ、誠くんはそんなにいっぱい風香ちゃんの活発な姿を見ていたんだね」
「……?ええ。むしろおとなしかった瞬間なんて少ししかなかったぐらいです。朝も夜も、いつだって走り回って笑っていました」
「うんうん。それは、やっぱり嬉しいことだね。……風香ちゃんがあんなに笑顔なのは、きっと誠くんのおかげだよ」
「えぇ?それは言い過ぎですよ、絶対。僕なんかいなくても風香は……」
「ううん、そんなことない。……ほら、見てごらん。風香ちゃんが手を振ってる。あれは誰に向けているの?」
「……円海さん、ですよ」
「ふふ、不正解。私“たち”よ。ねぇ、誠くんは次に何がしたい?」
「……僕は、まだまだ風香を楽しませてあげたいです」
「……はぁ。……全く、考えモノね」
「わっ、な、なんですか円海さん!?頭を撫でて」
「可愛くて、つい、ね」
「え、えー?風香みたいなこと言って……」
「あのね。私も風香ちゃんを楽しませたいわ。でも、風香ちゃんだけじゃないの。──誠くんも。君も楽しんでくれると私はひとりの“家族”として、嬉しくなるのよ」
「……円海さん」
「さ、誠くん“は”何がしたい?」
「僕は、──もっと、話したい、です」
「……!ふふ、いいわね」
「変じゃない、ですか。買いたいものは特にないけど、こうして前を行く風香について回って、円海さんがそばで見守って、時には子供っぽくはしゃいで。……今、三人で行動できる時間が楽しくて、“お出かけ”なんて理由がなくてもずっと一緒にいたい、って思うんです」
「全然変わってなんかないよ。その願いはきっと普通のこと」
「……そう、ですか」
「うん!ふふ、私、嬉しいな。誠くんが風香ちゃんだけじゃなくて私も混ぜてくれたこと!」
「?当たり前です。だって、その、僕たちはもう、家族なんですから」
「──!そう、だね。私たちは家族。ならこの後も、お出かけが終わっても、今日が終わっても、この夏が終わっても。ずーっと、話し合っていきましょ!」
そういえばキャラ紹介
萩原 円海
風香と誠の母的存在です。
結構ぶっ飛んだ性格をしてはいます。
書いててやっぱり楽しくて好きなキャラです。




