八月四日(後)「お出かけをしよう」
後半!
海岸沿いを歩く。
朝に比べれば随分と落ち着いた潮風、橙に染まった空が綺麗で、その向こうを何気なく眺めていた。
この遥か遠く、遠くに、僕たちの家がある。
あの閉鎖的な、寛容的な、島があるのだ。
そうやって、想いを馳せれば、僕は早くそこへ帰りたいという衝動に駆られていた。
「んー!いっぱい買ったねえ!楽しかったー!」
僕の両手は塞がっている。
片腕はいっぱいモノが入った紙袋の、二つの紐を。
しかしもう片腕は、さらにモノが入った紙袋の、一つの紐を。
一対の紐は僕じゃない誰かが持っている。
それは隣を歩き、僕が選んだ服を着た彼女──風香だった。
「買いすぎちゃったぐらいだね」
「あははっ!でもいいもん!こうやって誠と荷物半分こできるし!」
そう、僕らは浮かれた家族みたいに一つの荷物を二人で持ち上げて、この長いお出かけの帰り道を辿っていた。
夕暮れ時、ロケーション。どこかノスタルジックな気持ちにもなる。
「……これ、そろそろ恥ずかしいんだけど、やっぱり僕が持とうか?」
「だめなのです!『負担は二人で半分こすること』、さっき決めたばっかでしょ!」
「はいはい……」
「うふふ、微笑ましいわぁふたりとも」
「微笑ましいでしょー!」
「それあんま自分から言わないセリフだよ……」
後ろを振り向けば、僕らの少し遠くから円海さんが優しい笑みを浮かべて見つめているのがわかった。
彼女は疲れて歩みが遅いのか、あるいは気を遣っているのか、どちらにせよ離れた位置にいたのだからこれ以上進まず、合流を待つ。
「あら、待ってくれるの?」
「当たり前です。荷物、重たいなら僕が持ちますよ」
「あっ、ううん!全然重たくないよ。フランスパンだし」
「謎理論」
「たしかにデカさの割に軽いよねぇパンって」
「中身スカスカだからね……」
「今フランスパンの悪口言った?」
「言ってないよ風香!?人に対しては悪口だけどパンにとっては褒め言葉だよ!?」
「ふふ、誠くん。実はフランスパンって中身いっぱい詰まってるんだよー」
「え?……え?」
「作った人の真心という名のね」
「あぁボケだった。真剣に考えた時間が無駄だった」
こんなのが今日一日で交わし続けた、くだらない会話。
お茶目に笑う円海さんと風香に突っ込んでばっかりだけど、僕はその瞬間がとても楽しかった。
きっと二人ともそう思っているようで、気づけば円海さんも含めて、僕らの距離は心理的にも物理的にも、近くなっている。
「ねぇね、そういえば二人に聞きたいことあったんだ」
「……?なぁに?円海さん!」
船を停めた係留所まであと数分のところで、円海さんは僕らの目を見て話し出した。
「最近、甚一郎くんたちと遊んでるみたいだね」
僕と風香は目を見合わせて、一瞬慣れない名前にそれが誰だろうと首を傾げる。だが、すぐに思い至った。
その名前は一度だけ聞いて、あとはずっとあだ名で呼んでいる僕らの仲間。
──ジンの本名だ。
「うん!みんなと遊ぶの楽しいんだー!」
「それは良かったわ!島の大人たちの間で話題なの、自警団に新入りが入ったって」
「なんですかその話題……!?」
狭い島社会だから、昨日も一昨日も、僕ら自警団が固まって行動しているのはすでに知れ渡っていたらしい。まあ気付かれないほうが無理があるよな、と思っていたが自警団に入団した時に『島を陰ながら守る秘密組織』とジンが評していたことを思い出す。
……これ秘密組織なのか?
「円海さん、ジンって、というか自警団って大人たちにはどう見えてるんですか?」
「どうって……とっても良い子達だよ!」
え、良い子?
やかましくて個性的なメンバーと共に遊んできて、そう評価される疑問に立ち止まらざるを得ない。そんな僕を置いて円海さんは話を続ける。
「いつもみんなで島を巡回してくれて、困ったことがあったらなんでも助けてくれるのよ」
「……へぇ」
「海の掃除も迷子の案内も、町のゴミ拾い大会のご意見番だってしてくれる」
そういえば言ってたなそんなこと。
「本当に素敵な子たちだよ。人を笑顔にしてくれる、優しい子たち」
円海さん含め、大人から見た自警団の評価はかなり高かった。
活動内容自体は一昨日にジンから聞いていたから知っている。けれど、それは結局『自由を望み』、『退屈な世界を嫌っている』からにすぎないと彼は言った。
まるで子供の悪巧み。お遊びの延長線。
しかしそれでも、彼らの長年にわたる活動がこうして島の人に認められていたというのは。
もうすっかり一員となった僕らにとって、とても心が温かくなることだったんだ。
「えへへ、なんだか嬉しいなぁ〜」
「ふふ、ふたりともこれからもあの子たちと仲良くね」
「はい、もちろんです」
きっと彼らといれば退屈しない。
それは遠く離れた今でもそうで、彼らとのつながりは絶たれてなんていない。
実は昨日、すでに「今日は生憎と島の外に行くから活動に参加できない」と欠席の連絡をしていた。惜しまれながらも彼らは了承しつつ、それなら逐一こっちの様子を送ってやる、と当時携帯の持っていなかった風香以外の全員と連絡先を交換したのだ。
そうして、七人から多種多様なメッセージが一日中送られてきている。
仕事がなくて暇なメンバーはアジトに集まっていて、ルークがなぜか変顔しながら三点倒立して爆走してるのを爆笑してる動画を。
仕事があったメンバーは勤務時間外に軽い雑談と何を買ったかのトークを。
そうやって僕と風香は時々一緒に返信を考えて、自警団の絆を感じたまま、お出かけしていた。
「うんうん。自警団の中でも特に……甚一郎くんは優しくて丁寧で……頼りになる完璧な子だよね」
円海さんが目を閉じて、その顔を思い浮かべるようにしながら言ったのを、僕と風香はつい固まってみていた。
なんでって?
それは、あまりにも僕らのイメージと乖離しすぎていたからにない。
団員のこと有象無象って呼ぶのに。
団員からコケにされまくってるのに。
「優しくて、丁寧……?」
「うん。いつも敬語で笑顔だよ。頭も良くて子供たちのリーダーで。まさに超人って感じだなー」
復讐心に身を任せて人をねずみ花火で追いかけ回そうとしてたのに。
『フッ』って人を小馬鹿にした笑みがデフォルトなのに。
そう思ったところで初対面のことを思い出した。学校内での生徒会長モード。おそらく、あれを僕ら以外の者に向けているのだろう。
「あはは……、たぶんそんな完璧なやつじゃないですよ」
「えー?……私だけにそう見せてくれるのかなぁ」
「そうですよ、きっと。……でもジンの、ありのままの姿は意外と愉快で、やんちゃで面白いんです」
まだ出会って三日目。だというのに人見知りな僕が彼を「完璧じゃない」とか、フランクに言える理由。
それはそれほどまでに仲良くなって軽口を叩けるようになったからであり。
「完璧じゃない」ところまで、彼の良さを知ったからだ。
「ジンは頼りになる僕らのリーダーです。明日もまたその次も、彼の下で集まろうと約束しましたから」
「うんっ!団長はとっても良い団長なんだ!」
ジン本人の前では僕が、というか団員全員が言わないようなことを円海さんに伝えて、清々しい気持ちになった。
円海さんはそうやって話を切り出した当初の目的を果たせたように、笑っていた。
もうすでに見える距離にある船。
いよいよ、あと数メートル。近づきながら円海さんは独り言のように喋る。
「……やっぱり、流石だね。甚くん」
それはタイミング悪く海鳥が鳴いたことで、僕の耳にははっきりと聞き取れなかった。
何が流石なのか、微かに聞こえた確信がないそれを質問するよりも、無言を選べば、もうこのお出かけは最後の帰路を辿る。
「とうちゃーく!落とさないように荷物こっちに置いてね!」
船に辿り着いた。朝のと全く変わらない光景。でも変わったとするならば、僕らが二人一組で運んだ紙袋筆頭の商品たち。
それは今日一日の“思い出”をカタチに宿した幸せそのものだ。
「さ、帰ろうか。私たちの島に」
錨を外して。
エンジンをかけて。
太陽が沈みかけだから、安全のために扉も閉めて。
エアコンのために窓も閉めて。
そして助手席を空けて、僕ら二人は並んで座って。
今、出発する。
帰るのだ、島に、家に。
今日はお出かけだった。
きっと、他のどんな家族よりも家族らしい。
そんな暖かなお出かけの日。
『もっと三人で話したい』という僕の願い事。
これは今日この場所だけじゃなくて、ずっと続いていくものだから。
僕は今日が終わる寂しさよりも、明日が始まる嬉しさを、胸に抱いていたのだった。
「出発〜〜……しんこー!」
風香の号令を皮切りに、円海さんはハイテンションで、美しい夕方の海を突き進み始める。
◇
「……、ねぇ。誠くん、ごめん私買い忘れがあったから外に出てくるねー!風香ちゃんによろしく!」
「え、あ、はい。いってらっしゃい!」
太陽は沈み切ってもうすっかり夜。
買い物が終わって無事に家に帰れた僕らは、すぐに荷物を整理してお風呂を沸かして食事の準備を進め始めた。
そして今、もう美味しそうな匂いを放つ夜ご飯は作り終わり、風香が先にお風呂に入っている。
僕が寝床の支度をしているとそんなことを円海さんは言って、その勢いのまま外へ出ていってしまった。
「……買い忘れ……。こんな、夜に?」
あまりの速さに、いってらっしゃいしか返せなかったが、よくよく考えてみれば少しおかしな違和感に気づく。
都会ならともかく、この島はもうどこも店じまいする時間だし、今日行かなくても明日行けばいい。
なのにわざわざ走っていったのはそれほど緊急性があったのか、考えてみたけどそれが何か見当もつかなかった。
「……ついていこう」
独り言。買い忘れというぐらいなら荷物持ちは必要だろう。幸い、風呂には入ってないし、猪も出るらしい夜中に出歩くのは一人じゃ危険だと思った。
だから、風呂から上がった風香が心配しないように、今日交わしたばかりの風香の携帯にメッセージを残して僕は靴を履く。
玄関を開けた。
家の前の空きスペースには、もうすっかり見覚えのある車が駐車していた。それは中に人が乗って出発する直前というわけでもなくて。
「……?歩いていったの?」
この家は人里離れた山を超えた向こうにある。
だから円海さんが街のほうに行く時はいつも車だ。
でも今はそうじゃない。
目的地は街じゃない?
それならばさらに一人で行くには危険だ。
僕は少し嫌な予感がして、家から離れるように、走り出していた。
見失うことはなかった。
遠くの方に、何かを手にした、円海さんの姿が見えていた。
その行先はやはり町とは違う、海の方だった。
◇
(……止まった。……ここ?)
いったいどうしてこんなことをしているのだろう。
僕は円海さんが歩いた軌跡を足音を立てないように辿っている。
なんでそんなコソコソするような真似をしたかといえば、彼女のその姿がいつもと違って、すごく寂しそうで、悲しそうで、声をかけたらなぜかいけない気がしていたから。
でもこんな黙ってついていくのはよくない。きっと理由を話せば怒りもしないし、向かってる先のことを話してくれる。
頭ではわかっていつつも、僕はなぜか勇気が出なくて、隠れるようにその先を望んでいた。
そして、円海さんは、ある丘の上。
昏い海が見える広い草原で立ち止まる。
「───ね、──」
ボソッと円海さんは、何かの前で、何かを呟いた。
でも僕は視界の悪さと距離のせいで、それがなにをしているのか全くわからない。
進む、べきか。
迷う。
この先を見てもいいのか?
わざわざ僕らに買い忘れだと嘘をついて、秘密裏に来た場所だ。
それには理由があるに違いなかった。
その秘密を知りたいなら正当に尋ねればいい。
また今度ここにくればいい。引き返すなら今しかない。知らないフリでいられるのは今しかない。
……それでも。
それでも僕は好奇心に負けてしまって、静かにそこへ近づいた。
「──玲。今日はね、お出かけをしたよ」
聞こえた。
聞こえてしまった。
円海さんが、僕じゃない誰かに、人じゃない誰かに、話しかけているのを。
それになぜか聞き覚えのある名前で呼んでいたこと。
そして、見えてしまった。
──それが、石で作られた、二つのお墓であること。
「前にね、あの家に男の子が来た話をしたでしょ?その子……誠くんっていうんだけどね、風香ちゃんと一緒にお出かけをしたの」
彼女はひどく優しい声で、その墓の前でしゃがみ込み言葉を伝う。
あぁ、円海さんのその声色はとても聞き覚えがあった。
今日一日中聴いていた、子供に向ける、“母”の声。
「ふたりとも、とっても良い子でね。荷物も持とうとしてくれたりして、お昼ご飯に私のリクエストに合わせてくれたりして、こんなに歳が離れてるのにしれっと会話に混ぜてくれたりして。……“家族だ”って言ってくれて。私、楽しかったよ」
僕は、体が固まる。
この言葉は聞いていいのか、やっぱり引き返すべきだったんじゃないか。
僕らのことを、彼女はその人に伝えている。
でも、その人の正体を僕は知っているから。
彼らからすれば、僕は“家族”なんかじゃない。
そう呼ばれる資格なんてないのだ、いまにも逃げ出したい気持ちになる。
「……ふふ、もし、もしね。玲もいたら、すぐに仲良くなれるだろうなぁ。だって、私たちは、私たちも“家族”なんだから」
「──っ」
僕は息が漏れ出る。
一瞬見えた円海さんの表情。
話している間もずっと笑顔だけは崩さなかったのに、その単語を発した時、泣き出しそうな、顔をしていた。
そうだ。
僕は知っている。
十年前のこと。
親戚の叔母さんの夫が、仕事中に亡くなったこと。
六年前のこと。
親戚の叔母さんの娘が。
病に伏して──亡くなったこと。
そうして叔母さんは一人、故郷から遠く離れた、辺鄙な離島──千草島に囚われ、生きていること。
……
「玲。聞こえてるかな、聞こえてるといいなぁ。……私は、あの子達を導いてみせるよ」
しばらくぽつりぽつりと一日の内容を話して、二人分の墓を掃除して、何かを供えて、手を合わせて。
そして放った静かな誓い。
それはじっと立ち尽くしていた僕には、真似できないほど芯があって、優しくて、覚悟のある言葉だった。
途中、何度もその後ろ姿に声をかけようかと、足音で気づかせようとかと思った。
でも僕にはやっぱり勇気がなくて。
死んだ者に対して、悲しむ人間にかけられる言葉なんて僕が持つわけがなかった。
逃げてきた僕に、弱い男に。
だけど誰かの助けがなくとも、彼女は泣いているばかりじゃなくて、立ち上がって前を向いて、笑顔を戻して。
明日を誓える強い人間だった。
──それを、とても眩しいと思った。
「……じゃあ、また来週ね。ばいばい、蒼介、玲」
夫と娘の名前を呼んで、彼女は立ち上がった。
僕は無意識にそれよりも先に、この場から離れる選択をする。
今、会ってはいけない。
なんて話したらいいかわからない、なんと話しかけられるかわからない。
僕の歪んだ顔を見てどう思われるのだろう。
急いで、急いで、急いで帰って。
僕は家に辿り着く。
風香は風呂から上がっていた。
顔を自然に隠せた僕に「どこまで行ったの?」と聞かれ、「見失ったから一人で散歩して帰ってきちゃった」と嘘をついて。
──僕は今見たことをすべて、洗い流してしまおうかと、湯船に浸かって考えたんだ。
◇
綺麗になったお墓の上に、“誰か”が座っていた。
その子は誰の目にも見えなかった。
世界がその存在を許さなかった。
朧げな姿形を、わずかばかりの力で模って。
そして誰の目にも見えないけれど、誰の目にもなって、世界を観測する。
そして、ひとりごとをつぶやいた。
「……さがさ、なきゃ。私の、夏を」
言葉は風にさらわれて、もうその“誰か”は墓の上から消えてしまった。
なにやら不穏な展開………シリアスだ……。
ま、それもまた夏ですね。




