DAY5 殺害
「海斗」
世界が軋む音の中。
渡乃原舟は、静かに僕を見た。
星々の異様な光が彼女を照らしている。
その姿は神秘的で。
幻想的で。
――ひどく、綺麗だった。
「……もう、時間がない」
空の裂け目が広がってゆく。
その向こう側。
深海の奥で、巨大な“何か”が蠢いている。
見てはいけない。
理解してはいけない。
本能が絶叫しているのに、視線が吸い寄せられる。
あれはきっと世界の終わり。全ての生命を等しく終わらせれる。そういったモノ。
「先輩……」
「聞け」
彼女は僕の肩を掴む。
細い指。
なのに、驚くほど力強い。
「今ならまだ間に合う」
「……何が」
「私を殺せ」
即答だった。
「儀式の核は私だ。供物たる私が死ねば、浮上は止まる」
「でも……!!」
「海斗!!」
彼女の声が響く。
初めてだった。
彼女が、こんなにも必死な声を出すのは。
「もう猶予はない!! 見ただろう!? 空間が裂け始めている!! あと数分もすればルルイエは現実へ完全浮上する!!」
ミシ、ミシ、と。
夜空が割れる。
星々が近付いてくる。
校舎の窓ガラスが次々に砕け始めた。
なのに破片の落ちる音はしない。
音が死んでいる。
世界の法則が壊れ始めている。
「嫌です」
気付けば、そう言っていた。
「嫌だ……」
「海斗」
「やっと、普通に笑ってくれるようになったのに……!!」
喉が震える。
視界が滲む。
「やっと、先輩が生きたいって思ってくれたのに!!」
「……」
「そんなの、そんなの!!」
彼女を殺す理由になんて。
なる訳がない。
なのに。
――ゴォン。
空から、“鐘”みたいな音が響いた。
裂け目がさらに広がる。
深海が見える。
都市が見える。
沈んだ巨石群。
狂った幾何学建築。
そして。
その中心で。
ゆっくりと、何か巨大な影が身を起こし始めていた。
「――ッ」
理解した瞬間、脳が焼ける。
見ただけで狂う。
そういう“存在”だった。
「海斗」
舟先輩が、そっと僕の頬に触れる。
その手は、震えていた。
「……怖いんだ」
「え」
「本当は、怖かった」
彼女は、泣きそうに笑う。
「死ぬのも。独りなのも。全部」
その言葉に、胸が引き裂かれそうになる。
「でも」
彼女は空を見る。
裂けた夜空を。
その向こう側を。
「私は、ここで終わらなきゃいけない」
「……」
「だって私は、“向こう側”に近付き過ぎた」
その声音は静かだった。
諦めではない。
覚悟だった。
「君は優しかったよ、海斗」
彼女は笑う。
夕暮れの教室で見せたみたいな。
少しだけ寂しい笑み。
「だから、最後くらい。君に殺されるのは、悪くないと思った」
「やめてください……」
「君ならきっと、私を怪物じゃなく、“渡乃原舟”として殺してくれる」
「やめろ……」
「ありがとう」
その瞬間。
彼女は、自ら僕の手を取った。
そして。
そっと、自分の首へ導く。
「――ッ!!」
白い首。
細い。
壊れてしまいそうなくらい。
なのに。
僕は知っている。
この首を、何度も折ってきたことを。
夢の中で。
百回以上。
「嫌だ……」
「海斗」
「嫌だ!!」
涙が零れる。
何で。
何でこんな事に。
もっと別の道があったんじゃないか。
助ける方法が。
救う方法が。
そう思うのに。
空の裂け目は、もう限界まで広がっていた。
世界が、終わる。
分かってしまう。
理屈じゃない。
本能が理解している。
今ここで彼女を殺さなければ。
本当に全部終わるのだと。
「……大丈夫」
舟先輩は、優しく言った。
「私は、最初からその為にいた」
そして。
彼女は目を閉じる。
まるで。
眠るみたいに。
「おやすみ、海斗」
その瞬間。
僕は――
彼女の首を、捻った。
ゴキリ。
嫌になるほど、軽い音だった。
「――ぁ」
舟先輩の身体が、小さく揺れる。
力が抜ける。
崩れ落ちそうになった彼女を、僕は反射的に抱き留めていた。
「……先輩」
返事はない。
けれど。
彼女は、微笑んでいた。
寂しそうに。
けれどどこか、安堵したみたいに。
その顔を見た瞬間。
胸の奥で、何かが決定的に壊れた。
「――あ」
空が、閉じていく。
裂け目が。
星々が。
深海が。
全部。
ゆっくりと遠ざかっていく。
まるで最初から何もなかったみたいに。
屋上には静寂だけが残る。
夏の夜風が吹く。
遠くで、誰かの笑い声が聞こえた気がした。
世界は、救われた。
なのに。
僕の腕の中には。
もう、二度と目を開けない少女がいる。
美しい、人外じみた美貌の少女。今は動かない、手折られた白百合の一輪。
「……っ」
呼吸が上手く出来ない。
涙が止まらない。
喉が痛い。
胸が苦しい。
なのに。
そんな僕を嘲笑うみたいに。
空には、満天の星が瞬いていた。




