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もう一人、カウンターに身を乗り出した者が……カウンターの隅でギターをつま弾いていた流しの男だ。
いつの間にかギターの音は止んでいた。
「おいおい、親父、まさか話しちまうつもりじゃないだろうな」
ドスの効いた声で恫喝する様子から、俺はこの男がただの流しなどではなく、この小人の親父を監視するために寄越された見張りなのだと気づいた。
しかし親父はそんな恫喝におびえたりする様子などない。
「そんな目くじら立てなさんなって、ワシはただ、娘のようにかわいがっていたあの子の思い出を話そうってだけなんだから」
「本当だろうな」
「ああ、お前さんが困るような話は何にもしないさ、お前さんはいつも通り、そこでギターでも弾きながら、ワシを見張っているがいいさ」
流しの男はあまり賢くはないのだろう。
「そうか」とつぶやいて、再びギターをつま弾き始めた。
実際に小人の親父が話してくれたのは、ハーランに関する思い出話をいくつか、それもかいつまんで話してくれただけだ。
「あの子がこの街に来たのは、まだ十七だったか、本当にひよっこの頃だ」
そんな言葉から始まり、まだ年若かったハーランがこの街にある音楽学校に入るために上京してきた頃のことをいくつか話してくれた。
「あの頃は、あいつもあか抜けない田舎娘でな、学校が終わった後で稼げる夜の仕事を探しているって、ウチの店に面接に来たんだよ」
さらにいくつか、そこから十何年の間、ハーランがこの親父を「お父さん」と呼んで、親しくしていたのだという自慢話を聞かされた。
それは俺が初めて聞く『知らないハーラン』だった。
俺とハーランは夫婦だが、お互いの過去をあまりにも知らない。
ハーランは口数の多い性質ではなかったし、こと自分の過去の話となるとあまり多くを語らなかった。
俺のほうは転生前の記憶があまりにもあいまいで、彼女に話して聞かせるような過去など何も覚えていない。
そんな俺がハーランの過去を根掘り葉掘り聞きだそうなんて申し訳なさすぎる。
だから俺たちは、お互いの過去にはできるだけ触れないようしていた。
それに比べて、この親父はハーランの過去をよく知っている。
――夫である俺よりも詳しく。
親父は稚い田舎娘だったハーランが歌手への夢に届かず、この街の場末の酒場付きの歌手に落ちぶれてゆくまでを事細かに語ってくれたが、その中にはハーランがいま現在どこにいるのかを示すような情報は何もなかった。
流しの男はすっかり退屈したのかギターを弾くのをやめて自分の爪の先を爪楊枝で丁寧にほじくっている。
クドゥームは大した釣果も得られないと早々に諦めたのか、親父に勘定を頼んだ。
「なんだい、もっと聞いて行かなくていいのかい」
親父はそう言いながら、カウンターの裏で勘定書きを作ってクドゥームに見せた。
彼はそれをちらりと見ると、素直に自分の懐から何枚かの札を取り出して親父に渡した。
親父はそれを受け取りながら、ふっと思い出したように言った。
「そうだ、あんたたちにはちょっとしたサービスをしてやろう。なにしろワシも久しぶりにハーランの話ができて楽しかったんでな、その礼だ」
親父は振り向くと、酒瓶の並んだ棚から自分の背丈ほどもある深緑色のソーダガラス瓶を抱えた。
ぴっちりと蜜ろうで封をされたそれは、どうやらワインの壜であるらしい。
「カレボルニア・ワインだ。ハーランの故郷の酒だ。それにそっちの兄ちゃん、カレボルニアの人間なら懐かしいだろう、あとで飲むといい」
クドゥームはその酒瓶をそっけなく受け取った。
「おお、当たり年の赤でねえか、これはありがたくいただくわな」
「ああ、ぜひ楽しんでくれ」
そうして俺たちは、土産のワインを抱えて表へ出た。
通りは相変わらず猥雑に散らかり、ゴムを焼くたき火の匂いが残っていたが、おおむね静かであった。
クドゥームは手の中にあるワインの瓶をちろりと眺めた。
「安物だ。だが、これが重要なヒントになる」
俺は聞き返す。
「ヒントだって? この安ワインが?」
「そう、この安ワインが」
クドゥームはワインの瓶を脇に挟み、ポケットから煙草のパッケージを取り出した。
「吸うか?」
「いや、俺はけっこう。それより、このワインがヒントってどういうことだよ」
「まあ待て、落ち着けって」
クドゥームは勿体つけるみたいにゆっくりとタバコに火をつけた。
ゲロとゴムの焦げる匂いの中に吐き出された一条の煙は、かすかにミントの匂いがした。
「さて、このワインだが」
くわえたばこのまま、クドゥームはワインの瓶をクルクルと撫でまわした。
「サオスコーストにあるワイナリーで作られたものだな、そこへ行く」
「そこにハーランがいるのか?」
「おそらく」
「しかし、さっきの親父はそんなこと……」
「口に出しては言わないさ、あの店には『監視人』がいたからな」
「じゃあ、どうやって……心で会話する魔法でもあるのかい?」
「は! そんな便利な魔法があったら、この世界に言葉なんか存在しないだろうさ。しかし残念なことに俺たちは心だけでわかりあうことなんかできない、だから言葉を交わすし、誤解も生まれる」
「じゃあ、親父の話の中にヒントが?」
「そんなわけないだろ、あの監視人はバカそうだったが、会話に怪しいところがあればさすがに気付くだろうさ、もっと簡単なことなんだよ」
クドゥームはワインの瓶を小脇に抱えると大股で歩き出した。
俺がその後を追うと、ひどく静かな声で解答を与えてくれた。
「なんのことはない、親父が寄越した勘定書きには『ふ る さ と』と書いてあった。手の動きで怪しまれないようにするには、それだけ書くのが精いっぱいだったんだろうよ。で、最後に寄越したのが『ハーランの故郷でとれた』っていうこのワインだ」
「なるほど、だけどそれは偽の情報かもしれない」
「まあ、そういう可能性もある、その場合は俺たち二人が無駄足を踏むってだけだ」
「それでも、あの親父を信じると?」
「ああ、まあ、何ていうのかな……国営警備兵の勘ってやつだ。あの親父は嘘なんかついちゃいないだろうさ」
「なんでそう思うんだよ」
「目が……ハーランのことを話すときの目がな、まるっきり娘のことを思う父親の目だった」
「そんなことで……」
「ああ、そんなことだ、だから勘なんだよ」
クドゥームは歩幅をさらに広く踏んで、俺に背中を見せた。
「勘じゃ信用できないっていうんなら、ついてこなくていい。それでも俺は行く」
肩幅が大きく張り出した背中を眺めながら、俺は思った。
(もしかしたらこの男は、『娘のことを思う父親の目』ってのを知っているんじゃないだろうか、おそらく、自分もそんな父親だから……)
別に証左も根拠もないけれど、なぜだかそんな気がする。
知っている、これは俺の勘ってやつだ。
「待てよ、俺も行く……いや、つれて行ってくれ!」
俺が小走りに駆け寄ると、クドゥームは振り向いてうれしそうな声で言った。
「そう言うと思ったぜ、さっそく『飛龍』の手配をしよう」




