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 行く当てなどなく、俺は手近なグロッサリー・ストアに飛び込んだ。

 薄暗い店内には、小さな袋に詰めた菓子や、ちょっとした軽食や、たばこや、こまごまとした日用品が乱雑に並ぶ。


 店主は立派なひげを蓄えたノームで、これがドアに近い場所に小さないすを置いて座っている。

 ヒマつぶしのためなのか、安っぽいざらざらした紙に印刷したクロスワードの本を片手に持っている。

 そのクロスワードのマスから目をはなさず、彼は不愛想につぶやいた。


「いらっしゃい」


 俺は狭い店内を意味もなく歩き回って、ノームのオヤジが見ているのと同じクロスワードの本を見つけた。

 手に取ってパラパラとめくってみるが、こちらの世界の文字を読み書きすることのあやしい俺には少々手に余る。


 俺はクロスワードの本を棚に戻し、その隣にあったヌード雑誌を手に取った。

 もっともこの世界には写真の技術がないのだから、ヌードといっても似姿絵である。

 しかも多種族入り乱れて暮らす世界なのだから、ヌード雑誌というよりはモンスター図鑑のような趣だ。


 俺は二~三ページめくっただけでその雑誌に飽きて、これも棚に戻してしまった。

 あとはやることといえば、店番のオヤジをひやかすことぐらい。


 俺はオヤジに向かって声をかけた。


「この店に氷はあるかい?」


 オヤジは胡乱気な目をこちらに向けて口の中でもごもごとつぶやいた。


「いや、何に使う気だい、水割りでも作るのか?」


 冷凍技術のないこの世界で、氷属性魔法だけは日常の役に立つということもあって規制が緩い。

 もちろん許可制ではあるが、こうしたストアの店員であれば自分の店で氷を売るために制限付きで氷属性魔法の使用を許可されていることが多いのだ。


 しかしこのオヤジは、どうやら無許可であるらしい。

 表にちらりと視線をやって誰もいないことを確認してから、さらに落とした声で言った。


「1キロ100デラーだ」


 俺はクドゥームの財布を開いてみた。

 中には50デラー札が一枚入っているっきりだ。


 俺は苦笑した。


「おいおい、随分とボったくるじゃないか」


 ノームのオヤジは渋い顔で俺の言葉に答えた。


「死んだ父ちゃんの口癖だったんだ、国営警備兵《ポリ公》からは搾り取れるだけ搾り取れってな」


「おいおい、俺は国営警備兵じゃないぞ」


「嘘つけ。その財布に捺してある刻印、それはポリ公の印だ」


 言われて俺は財布を見た。

 手垢に磨かれてピカピカになった革の表面に、なるほど確かに、大樹をデザインした焼き印が捺してある。


「この財布は俺のもんじゃないよ」


 俺は財布を振ってみせる。

 オヤジの目が一瞬、ギラリと光った。


「じゃあ、その財布をどうしたんだい?」


 こういう時に何でもかんでも正直に話してしまうのが賢いやり方じゃないってことを俺は知っている。

 何より時間がかかってしょうがない。

 相手が望む言葉を、ウソのない範囲で、これが鉄則だ。


「ちょっとイケ好かないトカゲ顔の国営警備兵がいてな、そいつのポケットからちょっと借りた」


 不信の色でぎらついていたオヤジの目の色が変わった。


「ホウ、借りたのか」


「そう、拝借してきたんだ」


「若いのになかなかやるな」


「で、警備兵からは搾り取れるだけ搾っとけって意見には、俺も大賛成だ。これで買えるだけ、こぶし程度の大きさの氷でいい、売ってくれ」


 俺は50デラー札をオヤジのちっぽけな手の中にねじ込んでやった。

 オヤジはその札と、俺の顔をしばらく交互に見比べていた。


「その、言いにくいんだがな、ウチにはそんな大量に氷を作る技術はない。何しろ、ちょっと耄碌した俺のおふくろが作るんでな」


「ああ、そんな大量に欲しいわけじゃない。男に虐待された知り合いの女のな、腫れた顔を冷やしてやりたいだけなんだ」


「それっぽッチの氷のために、これはちょっともらいすぎだ」


 オヤジは傍らにあったチョコ・バーをひょいととって俺に投げてよこした。


「あんたはそのチョコを買った、氷はオマケだ。ただし、ウチのおふくろは耄碌しちまって呪文を言うにもちょっと時間がかかるんでな、あんたはそこで、そのチョコを食いながら俺の代わりに店番していてくれ」


 ノームのオヤジはバタバタと店の奥へ引っ込んでしまった。

 だから俺は、さっきまでオヤジが座っていたちっぽけな椅子に腰を下ろして、ぼんやりと外の風景を眺めた。


 いかにマムナッタンが大都会であろうと、人通りの少ない道はある。

 その一つがこの通りだ。


 この一角は移民街なのだろう、たまに通るのは背の小さなノームばかり、それも年寄りばかりだ。そういえばこの店も、袋菓子やら雑誌はこの辺で仕入れたのか普通のサイズであるのに、歯ブラシやら文具類といった日用品は手の小さなノーム向けのサイズのものだ。

 向かいにある食料品店の店頭には見事な豚の頭がぶら下がっていて、ますます異国感を醸している。


 この世界の人間は獣と豚頭の獣人(オーク)の区別がつくらしいが、俺にはその感覚がない。

 胴体から切り離されて白目をむいた豚の頭を眺めていると、どうしても悪い想像が頭をよぎる。


 店の奥には人と同じ大きさの大きな鶏が丸裸に剥かれてぶら下がっているが、あれは本当に鶏だろうか……鳥に似た何かの魔族の羽をむしってぶら下げたら、ちょうどあんな感じなのでは……。


 もちろん、ハーランとは夫婦として暮らしていたのだから、彼女の裸の姿は知っている。

 まるっきり鶏の体ではなく、柔らかく膨らんだ胸元や、そこからつながる体の線はもっと人間に近い形をしたものだった。


 知っている、知っていながらなお……俺は押し寄せる不安にうめいて彼女の名を呼んだ。


「ハーラン」


 別に彼女の居場所を知ってどうするつもりもない。

 彼女が俺というヒモを養うことに疲れて逃げ出したのだとしたら、追い詰めて捕まえたりするつもりなどない。


 だが彼女は裏社会の女だ。

 自分が何をどうやって金を稼いでいるのか、俺にすべてを話してくれたわけではないのを知っている。

 ときどき彼女の身には余るほどの大金を抱えて帰ってきていたのも知っている。

 だが、俺はあえてそれに気づかぬふりをしてきた。


 そうした『裏の仕事』の代償を払わされたのだとしたら……誰にも知られぬうちに肉屋の鶏肉よろしく大きなフックに吊るされてただの肉塊にかえられてしまったのだとしたら……。


「くそっ!」


 俺は大きく首を振って嫌な想像を頭の中から追い払った。


 ハーランは生きている、きっと生きているとも。

 だからこそ俺は、彼女の行方を追っている。


 やがてノームのオヤジが人の頭ほどもある氷の塊を抱えて戻ってきた。

 オヤジはその氷と、50デラー札を俺に差し出した。


「ほらよ、ツリだ」


「いや、だったらチョコ・バーの代金を」


「バカ、あれは店番代だ、つまりバイト代だ、とっときな」


 俺はオヤジに礼を言って店を出た。

 時間的にもちょうど一時間、俺はあの安ホテルへと戻った。


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