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アリス・カルスは、ギルドマスターのドム・キャリッジやA級パーティ『籠目』のリーダーとともに、領主邸に招かれていた。
領主邸はファーラドの隣の領都にあり、アリスたちは迎えの馬車に乗ってやってきた。
「アリス様!」
屋敷に入ると、玄関ホールで領主夫人が出迎えてくれる。
「ディア! 久しぶりね!」
「はい。またお会いできてうれしいですわ!」
ディアことクローディア・ソシレ伯爵夫人は三十五歳。昔馴染みのアリスの前で、ディアは少女のようにはにかんで笑った。
「ディアは相変わらずかわいいわねー。元気にしてた? 一番下のクリスティーナももう大きくなったんでしょ。時間があったらまた一緒にダンジョンに潜りましょ?」
アリスはお茶会に誘うような気軽さで冒険に誘う。
ディアもお忍び冒険者をやっていたことがあり、風属性魔法が使えるのだ。
「アリス様、僕と再会したときと全然態度が違いませんか?」
ディアの横からアーサー・ソシレが口を挟んだ。
「あら、アーサーとディアならディアのほうがかわいいもの。当たり前じゃない?」
エトール王国の南部の一角、ファーラドを含む地域を治めるのがこのアーサー・ソシレ伯爵だった。
「ふふ、アリス様ったら。ダンジョン、ぜひご一緒させてくださいませ」
そう言って、ディアは微笑んだ。
(三人の子持ちとは思えないわね)
このふわふわした貴族夫人は、二十年前、婚約者だったアーサーと一緒にお忍び冒険者になるためにファーラドにやってきた。
アーサーの父である当時の伯爵が困って、『完全防御の魔女』と呼ばれ名を上げ始めたアリスに護衛の指名依頼を出したのが出会いだ。
「将来治める土地のことは知らないと! 冒険者をやってみないとファーラドのことはわからないはず!」
と主張するアーサーに、ディアは巻き込まれただけだと二人の家族は思っていたようだけれど、彼女自身も乗り気だったとアリスは知っている。
興味の向くままに行動する二人を、アリスは何度助けたことか。そうして、依頼が終わるころには二人から慕われていたのだった。
「ディアがダンジョンに行くのはいいけれど、この件が片付いてからだよ。危ないからね」
「わかっていますわ」
領主夫妻は笑顔でうなずきあう。
(何年たっても仲がいいわね)
「アリス様、待っていてくださいね」
「僕も絶対に参加しますからね!」
夫妻は同時にくるりとアリスを振り向いて、身を乗り出す。
(息ぴったりね……)
「はいはい。そしたら、さっさと事件を片づけてしまいましょう」
アリスはパンパンっと手を打つと、アーサーを促した。
いつまでも玄関ホールにいたため、控えていた執事が苦笑している。
アリスと一緒に来たドムと『籠目』のリック・メンファは居心地悪そうにしていた。
「領主様と夫人がお忍びで冒険者やってたとき、俺も顔を合わせたけどさ、アリスみたいに遠慮なしにはできねぇわ」
「まぁ、アリスはなぁ……」
リックに囁かれたドムは言葉を濁して頬をかく。――領主夫妻と出会ったときのアリスは元公爵令嬢だが立場は一冒険者だった。それなのに最初から遠慮なしだったから、素性に関係なくアリスの性格だろう。
リックが軽口を叩いたりどついたりするアリスは王妃だし、『王子』とあだ名をつけてからかっていたウィルは国王だから、伯爵なんて目ではない。
知らねぇって強ぇな、とドムは思うのだった。
「あのときに捕縛した者たちは、犯罪組織の中の違法薬物製造班だった」
アーサーは重々しく口を開いた。
アリスに向ける態度はともかく、普段はきっちり領主をやっているようだ。
アリスたちは場所を応接室に移し、リーナたちがさらわれた事件のその後を聞いていた。
「製造班ってぇことは、販売班だとか開発班だとか他にもいるってことですか?」
代表して尋ねたのはドムだ。
「そのようだな。こちらが考えていた以上に『組織』だったようだ」
「ようだ、って、取り調べたんじゃないの?」
「アリス様も尽力してくださったのに、申し訳ありません」
アリスが話しかけるとアーサーは途端に情けない顔をする。
「捕まえたのは末端の者で、指示を出してくるいわば班長のような存在としか会ったことがない、と供述していました。製造班もチーム分けされていて、横の繋がりはない、と」
「班長の所在は?」
「向こうから来るだけで、こちらから会いに行くことはできなかったらしいです。隣領の宿に手紙を預けて連絡を取っていたと聞き出して、その宿に行ってみたらもうもぬけの殻でしたよ」
「まあ!」
アリスが声を上げると、ドムも唸り、
「それじゃあ、組織自体の情報はほとんど得られてないんですか?」
「そうなんだ。しかも、西に移送中に全員殺されてしまったんだよ」
「えっ!」
これには皆が驚きの声を上げた。
「この件は元々、西部の複数の領地が合同で追っていたんだ。だから、ある程度こちらで取り調べたあとは西部に引き渡すことになっていた。引き取りにきたのは、ダヤリー子爵の警備兵だが、道中で襲われて犯人たちだけ死んだそうだ」
ダヤリー子爵は南部との境目に位置する領地の領主だ。ソシレ伯爵領から西部に抜ける街道はダヤリー子爵領を通っている。
「口封じですか?」
「だろうね。明らかに移送馬車を狙っていたそうだから」
「無能ね」
アリスが吐き捨てると、アーサーは、
「ノワイス公爵がこの件の指揮をとってらっしゃるのですが、公爵も大変お怒りのようですよ」
「でしょうね」
と、アリスは旧知の顔を思い浮かべる。
ベンジャミン・ノワイスは、西部の港湾都市マダラスク市を含む領地を治める公爵だ。西部で最も発言力があり、エトール王国全体で見ても重鎮である。
アリスの異母兄クリストファー・カルセンス公爵と友人で、公爵令嬢アリスティーナ時代に面識があった。実家を出てファーラドに来たアリスを尋ねてきたこともある。
(お兄様が教えたんでしょうけど)
エディの修行の旅の途中で、マダラスク市に滞在したときにも、ベンジャミンは極秘で会いに来た。エディと話したかったのだろう。
(エディはベンジャミン様に気に入られたみたいだから、心強い味方になってくれるでしょ)
アリスはベンジャミンの仏頂面を思い浮かべた。
真面目で融通がきかない男だ。犯人をみすみす殺させてしまったなんて聞いたら、烈火のごとく怒るだろう。
(烈火というよりは吹雪かしらね)
アリスはダヤリー子爵の無事を祈った。
「あちらのことは公爵に任せるとして、こちらはこちらで調べることがある」
アーサーがそう言うと、ずっと黙って座っていたディアが、アーサーに書類を手渡した。人払いをしているため、ディアがアーサーの側近のようなことをしている。
書類を受け取ったアーサーはそれをそのままドムに渡した。
「特命依頼ですか? アリスと『籠目』に?」
「えっ?」
アリスもリックも驚くが、だからこの場に呼ばれたのか、と納得もした。
「今回捕まえた製造班が過去に拠点にしていたダンジョンがわかった。捜査員の案内と護衛を頼みたい」
アーサーはアリスたち三人を順に見た。
アリスもリックも姿勢を正す。
「承知いたしました」
「もちろんよ」
この場で決められることを決め、場はお開きになった。
「アリス様、少しだけお付き合いくださいませんか?」
ディアに誘われて、アリスに断る選択肢はない。
先に帰るドムとリックを見送り、アリスは伯爵邸に残った。
中庭を臨む大きな窓がある明るいサロンに通される。
「アーサーも一緒だと思っていたわ」
「ふふっ。ずいぶんごねられましたけれど、今回は諦めてもらいましたの」
伯爵家で出されるものはどれも一級品だ。紅茶とケーキを堪能しながら、アリスは尋ねた。
「あたしに何か話があるの?」
「ええ。私たちは先日王都に行ってきたので、そのお土産をお渡ししたくて」
ディアはそう答えると、侍女に文箱を持ってこさせて、それから皆を退室させた。
「王都って、もしかして立太子の式典?」
「はい。アリス様のお子様の晴れ舞台に駆けつけないわけにはいかないでしょう?」
ディアもアーサーも、アリスの素性を知っている。
出会ったばかりのころは知らなかった二人だけれど、親しくなってからアリスが話したのだ。
「我が家の息子二人はエディアルド殿下の学友に選ばれましたのよ」
「まあ、本当!? それはうれしいわ。フレデリックもルーカスも、昔からエディと仲良くしてくれてたものね」
ソシレ伯爵家の長男フレデリックは十四歳。次男のルーカスはエディと同じ十二歳だ。アリスが何度か伯爵邸にエディを連れてきたことがあり、そのときに三人で一緒に遊んでいた。
(エディの味方はウィルとお兄様くらいだと思っていたけれど、そんなことなかったわね)
「でも、学友ってことは二人はずっと王都の屋敷にいるの? ディアは離れて暮らすのは寂しくない?」
「アーサーだけ領地に住むって案も出ていたんですけど、離れたくないと泣きつかれましたわ。私は王都と領地を行ったり来たりするつもりですの」
「アーサーったら……」
呆れたアリスだったけれど、自分もウィルに縋られた経験があるため、複雑な心境だ。
「お互い苦労するわね」
「うれしい苦労ですわよ」
「ええ? うっとおしくならない?」
「ふふっ」
かわいらしい笑顔を返されて、アリスは「ごちそうさま」と肩をすくめた。
「ああ、それで、お土産でしたわね」
はっと思い出したディアは、アリスに文箱を差し出す。
「こちらをどうぞ」
「ありがとう!」
アリスは礼を言って受け取り、蓋を開ける。
「これは……!」
街中で売っている姿絵だった。
「印刷物で申し訳ありません。でも、きっとそのうちきちんとした肖像画が届くのではないかと思いまして、取り急ぎ王都の街で人気のものを買い集めてきましたの」
アリスはディアの言葉を聞きながら、視線は箱の中身から逸らせない。
立太子式の様子を描いたものだった。
大聖堂の祭壇を背景に、礼服にマントのエディとウィルがいる。跪いたエディに、ウィルが王太子の証の首飾りをかけていた。
線画に淡く彩色されており、モノクロで粗い印刷の新聞の写真よりも綺麗だった。
似ているとは言い切れないため、画家は実際に大聖堂で見たわけじゃないのだろう。しかし、荘厳な雰囲気が表現されていて、王と王太子が神々しく見える。
二枚目、三枚目は別の場面が描かれていた。
バルコニーから手を振るエディの絵に、アリスは指を滑らせる。
「立派になって……」
少し前まで泥だらけになって森を駆け回っていたのに。
「ええ。さすがアリス様のお子様ですわ! この国は次代も安泰ですわね」
太鼓判を押すディアに、アリスは笑顔を向ける。
「ソシレ伯爵家の令息が学友なんですもの、当然よ」
二人の母親は顔を見合わせて笑ったのだった。




