第29話 本当の目的
「あんたが出てくるなんて珍しいな……」
行きに登ってきた山道を下りながら、スノウは自分の前を同じようにして歩く女性の揺れる髪を見つめていた。
声を掛けても、彼女は足元を注意深く確認しながら歩き続けるだけで、こちらを振り返ることはない。
彼女、──ユリヤと言葉を交わしたのは、初めて魔女という存在の恐ろしさを目の当たりにしたあの海岸での夜以来だ。
「そうですか? 別にあなたを避けていたわけではありませんよ。たまたま必要がなかっただけのことです」
ユリヤは特に動揺することもなく背中で答えた。
「どうだか……」
低い声で返すと、彼女は小さく肩を動かしクスクスと笑う。
その貴婦人然とした仕草は、司令官には見られないものだ。
「あら、もしかして寂しかったとでもおっしゃるの?」
「そんな感情は元から無い」
スノウは表情もさることながら声さえも揺るがせることなく答えた。
「あなたという人は……。ツルギ以外の人間に対してはずいぶんと冷たいのですね」
ユリヤは視線だけを振って寄越すと、やれやれとあきれるように眉の端を下げた。
「別に司令官以外の人間に冷たくしてはいないし、司令官を特別に甘くもしていないが…」
殺し屋という職業上、スノウは誰に対しても深く関わらないよう一定の距離を取るようにしている。それは司令官に対しても例外にはしていない。ただあの少女は行動があまりにも予想の上を行くので、他の人間よりも目についてしまうというだけだ。
「ふふ…まあ、そういうことにしておきましょう」
そう言って、ユリヤが含み笑いをする。
しかしスノウは少しも面白くなどなくて、むしろユリヤの態度が少々癪に障り、むっとして眉間にしわを寄せた。
それから数秒、二人とも無言で歩き続けたが、ふと思うところがあり、スノウは口を開いた。
「……俺は、あんたの真意が分からない」
「真意?」
暗い中でもわかる琥珀色の目を見開き、ユリヤはそこで歩みを止めた。
司令官とまったく同じその姿に向かって勘繰るのは気が引けたが、ユリヤと二人だけになるというチャンスは、これ以降無いのではないかという思いがよぎり、スノウは足を止めた。
「真意とはどういうことです?」
「あんたには本当の目的があるんだろう? 司令官の身体にいつまでも寄生している本当の目的が──」
「本当の目的だなんて…、私が何か企んでいるとでもおっしゃるの?」
「違うのか…?」
少しでもおかしな表情をしないか彼女をじっと見つめる。
正直、半分かまかけだ。確信があるわけではない。だがユリヤが語った自身の過去の出来事の中には、疑問に思う点が一つあるのだ。
「あんたは俺に司令官を守れと言った。俺がレイの生まれ変わりで、それが運命なんだから抗うなと……。俺は結果としてそれに従った。あんたは俺をあの海岸でセシリアに引き会わせて、まんまと騎士に仕立て上げた──」
ユリヤは話の内容に納得がいかないのか、司令官のそれと比べると弱々しい印象の眉をひそめた。さも悪意があるかのような言葉をスノウが選んでいることに納得がいかないようだ。仕立てるだなんて、と小声で反論している。
スノウには以前から、ユリヤの過去について気になっている事があった。
ユリヤは魔女ルディアに身体を奪われないようにする為に、自らの身体に火を放った。
そしてその後、身体を失った状態のまま、司令官をすぐそばでずっと見守っていた。
幼い頃の司令官が遺伝子研究所から逃げ出したあの夜も、ユリヤはその様子をすぐ近くで見ていたのだ。
だからこそユリヤには分かったんだろう。あの時、少女を見下ろす殺し屋の男が、レイの生まれ変わりだということが──。
それ以来、司令官と一緒に自分もずっとユリヤに監視されていたのだろう。思えばユリヤは最初から自分のことを知っている様子だった。
だがそこに、セシリアはいなかったのではないか。その場にいたのなら、セシリアだってレイの魂に気付くはずだ。気付いたのなら、あそこまでレイに懸想してるセシリアのことだ。何か行動を起こしていても不思議ではない。
だがあの時点では何も無かった──。
おそらく、セシリアが司令官の身体を使って現れたのは、少女が誘拐されかけたあの海岸での夜が初めてなのだろう。
つまりセシリアとユリヤは、ずっと一緒にいた訳ではない──。
ユリヤが肉体を捨てた後、おそらく二人は一度離れているのだ。
セシリアは、元いた大いなる流れという場所にいたのではないか。
ではユリヤは──?
既に身体のないユリヤは、司令官がいなければ現世に影響を及ぼす術を持たない。だから少女の側を離れないのかと思っていた。だがそれは、司令官の存在があればこその理由だ。
ユリヤが人間としての生を終えた時、司令官はこの世に存在すらしていない。ジール総督によってユリヤのクローンが造られるまでには、若干のタイムラグがあるのだ。
じゃあ何故、ユリヤはセシリアと共に大いなる流れに行かなかったのか。
魂だけでは誰にも気付いてはもらえない。何もすることができない。にも関わらず現世に留まり続けた理由が、何かあったのだろうか。
「あんたの役目が大いなる流れとやらにいたセシリアと、司令官とを繋ぐパイプ役だとしたら、その役目は既に果たされたわけだ。後のことはセシリアに任せればいい。なのにあんたはいまだにここにいる。それは何故だ?」
「ツルギの事が心配だからです」
にこりとユリヤが微笑む。
「確かに今はそうかもしれない。だが最初からそれが理由じゃないだろう? そもそもあんたが司令官や俺の存在に気付いたのは偶然だったはずだ。死んだ後もずっと『現世』にいたから。……何故だ? 自分の肉体は潔く捨てたあんたが、なぜ未練がましくこっちに残っていたんだ? 何かやり残したことでもあったのか? ユリスに対して…」
「確かにユリスのことも心残りではありますが、それはもう解消されました。イルムガードを離れる前に、ツルギが私に身体を貸してくれましたから。ユリスには、私の言葉でちゃんとお別れを言ってきました」
「だったらなおさら理由がないぞ。ルディアを封印するまでは安心できないのかも知れないが、司令官の人生に無駄に干渉するべきじゃない」
「ツルギの人生に干渉するつもりはありません。すべてが終わったら、私もセシリア様と一緒に大いなる流れに参ります」
「すべてとはルディアを封印するまでか?」
ユリヤは答えなかった。相変わらず柔らかい笑みは浮かべているが、頷きはしない。
「なぜ答えない」
違うのか? ユリヤにとっての終わりは、ルディアを再び封印することではない──?
「──そうだわ。あなたに一つ良いことをお教えいたしましょう。……忠告、と言った方がいいかしらね…」
話をはぐらかす気なのか、ユリヤはそう言って話題を変えた。その手には乗るまい、と一度は考えたが、忠告という言葉に思わず耳を傾けてしまう。
「セシリア様はどんな手を使ってもあなたに絆を与えようとなさいますよ。何度か未遂に終わったようですが……」
『絆』とは、魔女から騎士へ魔力を渡すことだと以前セシリアは言っていた。『未遂に終わった』とは、その話を聞いた直後の事を言っているのだろう。しかし何度か、という表現はおかしい。セシリアに絆を与えると言われたのは、一度だけだ。その時全力で拒んで以来、彼女は同じことを二度と言ってきていない。
随分と困惑した顔をしていたのか、ユリヤは少し同情するような顔を見せた。
「セシリア様だけではありません。ツルギも同じことをするでしょう。セシリア様に何を吹き込まれたのか、あなたを繋ぎ止めようと必死なようだから」
「なにッ⁉」
何度か、とはそういうことか。司令官が起こした夜這い事件(とは思いたくないが)。あれも裏でセシリアが糸を引いていたのか。
「あなたがおっしゃるように、あなた自身が意図せず魔女の騎士となるに至ったのには私にも責任があります。だから私は、セシリア様のように無理強いはいたしません。今後も嫌ならばはっきりと拒むことです。ただあなたがレイの生まれ変わりである以上、セシリア様は簡単には引き下がってくださらないでしょう──」
「何とかしてくれッ。セシリアだけじゃない。司令官だってこの先、何をしてくるか分からないぞッ!」
「あら、役得ではないの?」
からかうようににっこりと笑うユリヤをスノウは睨み返した。
冗談じゃない。セシリアはレイの残像を見ているだけ。それに司令官が引っ張られているだけだとしたら、そんな理由で身体を重ねたところで満たされるものなんてない。
「ふふっ、怖い顔。そうね、あなたはそういう人ではない。──わかりました。無駄かもしれませんが、二人には私から話しておきましょう。“もう少し時間が必要だ”って……」
「ユリヤッ!」
くすくすと笑いながらユリヤが再び歩き始め会話は打ち切られた。そういう事じゃないと更にしつこく食い下がりたかったが、何だか自分で自分が情けなく思えて言うのをやめた。若い娘だったらまだしも、女でもない自分が何を言っても格好が悪いだけだ。
ユリヤの腹の内を探るつもりでけしかけた話題だったが、逆にやり返されてしまい、スノウは苦虫をかみつぶすような気持ちでログハウスを目指した──。
◇◆◇
パチン、と暖炉の中で薪が弾けた。
火は明々とゆらめいて、ぼんやり見つめていると何だか妙に落ち着く。
何故こんなにも落ち着くのだろうかと考えて、火はゴルダ村を思い出すからだと言うことにシュウは気付いた。
昔はよく、皆でかまどの火を囲んで食事をしたものだ。
殺し屋の仲間の中で、一番料理の腕が良いのはソールだ。
詳しくは知らないが、ゴルダ村に来る前はどこかで下働きをしていたらしい。その時に覚えたと言う料理の腕前はかなりのもので、色々な香草の使い方を知っている。
その次はスノウだろう。意外なことに、あれで料理は結構上手い。
いや、意外ってこともないか。スノウは元から何でも器用にこなす男だから、料理だけ下手って言うのもおかしな話だ。
それに比べて、これでもかってくらい下手クソなのはサンダースだ。
自分でもそれは自覚しているようだが、どうも改善する気は無いらしい。
こちらが不味いと文句を言うと、無理して食べなくていいからな、なんて言って、人の分まで取り上げて食べてしまうのだ。
アイツ、もしかして他人より多く食べる為にわざと不味く作ってるんじゃないか。
ゴルダ村は広大な草原の真ん中にあり、電気はおろかガスも水道も通っていない。様々な文明の利器が生活にあふれたこの時代に、伝統を守る為、あえて昔ながらの生活を営む村だ。
シュウたち殺し屋が何故わざわざそんな不便な村に暮らしているのかと言うと、このゴルダ村が隠れ住むには都合が良いからだった。
村の元からの住人であるゴルダ族と呼ばれる人たちは、昔は家畜の放牧をしながら草原を移動する民族だったらしい。
今は農耕もするようになって一ヵ所に定住しているが、それでも井戸が渇れるようなことがあれば、水を求めて村ごと移動することもある。そのため急に村人の姿がその場所から消えてしまっても、あまり不審に思われないのだ。
そういう村を、元締めはわざわざ探したと言う話だ。
確かに、伝統的な暮らしを今も守る先住民族が、裏で殺し屋稼業を営んでるなんて考え付く人はなかなかいないだろう。
元からの住人ではないシュウは、村での生活に慣れるまでには苦労をしたものだ。
井戸水の汲み上げ方から、火のおこし方、すべて初めて経験する事ばかりだった。だが慣れてしまえば居心地もそんなに悪くない。
商店もないし、病院や映画館もない。何もなくて何も起きない。
だがあの村には、確実に自分の居場所がある。
そう思えるだけで、不思議と心が休まるんだ。
シュウにとってあの場所は、そんな所だ──。
「スミマセーン、シュウさん。ちょっといいデースカ?」
草原の真ん中に立って乾いた風を頬に受けていたシュウは、不意に現実に引き戻された。
問い掛けてきたのは変わったイントネーションを操る赤毛の考古学者フローレンス博士で、奥の見えないビン底眼鏡の位置を手で直しながらこちらの顔を興味深そうに覗き込んでくる。
「なッ、なんだよ!」
「ずっとアナタと話したいと思っていたのデース。アナタ、日本人デースヨネ?」
「だったらどうだって言うわけ? 別にそんなの珍しくもないでしょ?」
少しムッとしながら答えると、赤毛女はより一層身を乗り出して来て言った。
「いえいえ、そんなことアリマセーン。今や純粋な日本人は珍しいと言われてイマースから!」
「何で僕が純粋な日本人だって分かるんだよ」
「分かりマース! ワタシ日本研究にかけては第一人者(のつもり)デースから! 黒髪に黒目、そして身体が小さいのが日本人の特徴デース!」
赤毛女はそう言って、事もあろうにシュウの頭を上からポンポンと触れながら嬉しそうに笑ったのだ。その手を鬱陶しげに払いのけたシュウは、乱された真っ直ぐな黒髪を直しつつフローレンスを睨み付ける。
「うるさいなッ、チビじゃないし。それに僕が小さいんじゃなくて、そっちが規格外なんじゃないの、この大女!」
それを聞いていたサイファスが不快げに眉間にしわを寄せ、ごつごつとした腕を組みながら口を挟んだ。
「失礼ですぞシュウ殿。確かにフローレンス殿は女性にしては身長が高めではありますが、大女と言うほどでは──」
「うっそ、これだけあれば十分大女でしょッ?」
「お前それ自分がチビだってこと認めてないか?」
暖炉の前に置かれた肘付きの椅子に偉そうに頬杖を付いたジェイスが、ニヤニヤと笑みを浮かべながら言った。
随分偉そうにしているが、こいつは先程ついよそ様の家で煙草に火を着けそうになり、それを家来のおっさんに咎められ、寒い寒いと言いながら外でぷかぷかやっていた、なんとも肩身の狭い王子だ。
「うるさいうるさいッ、チビって言うなッ。だいたいまだ第二次成長の途中なんだよッ。僕が一年でどれくらい背が伸びてるか知らないくせに、チビって断定する発言はやめてくれる⁉」
「知るかよ。その分じゃ、あと1メートルぐれえ伸びねえとオレらを越えるのは無理じゃねえの?」
「はあ〜ッ、今なんセンチあると思ってるわけ? そんなに伸びたら2メートル越え確実なんだけどッ!」
シュウがそう言うと、身長に関しては絶対の優位性を感じているらしいジェイスが、からかうように笑った。
「そんなにあるようには見えねえなあ。あんまりちびっこいからてっきりミリ単位だと思ってたぞ」
「このチンピラぁ…殺し屋にケンカ売るなんて度胸あるじゃん!」
「おやめくだされ二人とも!」
咄嗟にサイファスが割って入ってきた。ケンカをしている場合ではないと言いたげな表情だ。確かに、そんな場合じゃないってのは分かる。でもここは自分だって譲れない。
チビじゃないし。まだ伸びきってないだけだし。
「安心してよおじさん。別に本気でやろうってわけじゃないよ。この人一応王子だし、後でスノウに何言われるか分かんないしね。でもちょっとどつくくらいは多目に見てよ」
「言ったな? 上等だ! やってみろてめえ!」
「そんなことヨーリ、ワタシに日本人の研究させてクダサーイ!」
これだけ険悪な雰囲気を漂わせて睨み合っているのに、その間にまったく関係の無い形で混ざろうとするフローレンス。場の空気を読む気は一切ない。
「邪魔すんじゃねえ妖怪女!」
「あなたコーソ、ワタシの研究の邪魔しないでクダサーイ! この少年はワタシのものデース!」
まるで獲物を狙うようなフローレンスの視線にシュウが身構える。
「ちょっと、この人なにッ? 目付きがヤバいんだけど‼」
状態は三つ巴。
もはやどうすることもできないと悟ったのか、サイファスは天を仰いだ。
そんな時である。
「マリーッ!!」
突然、ばんっと部屋の扉を突き破るように乱入してきた人影に、シュウをはじめ、その場の全員があっけにとられた。
その人影は真っ直ぐ室内を横切ると、他の者には目もくれず、叫び声を上げながらジェイスめがけて突進して行く。
「どわぁッ、何だてめぇはッ⁉」
いきなり首に張り付いて来た物体にジェイスが顔を歪めた。
良く見ると、伸び放題の金髪を無造作に束ねたむさ苦しいオッサンだ。
ジェイスは必死に引き剥がそうともがいているが、力が強くて離れない。その内に、男は更に無精髭の生えた頬をジェイスの顔にゾリゾリと擦り寄せた。
「私が、私が間違っていたよ〜〜!!」
「やめろ気持ちわりぃーーッ!!」
一旦その場を離れたシュウは、絡み合う男たちを遠巻きに眺めながら呟いた。
「なに、この状況……?」
突然現れた得体の知れない男からチンピラ王子への、明らかに一方的なアプローチ。見ていて気持ちの良いものではない。
するとシュウと同様にジェイスの側を離れて様子を眺めていたフローレンスがのんきな声を上げた。
「オーウ! これぞまさに感動の再会デースネ!」
「なんと! では、あの方がッ?」
サイファスが驚いた様子で尋ねると、フローレンスはこくこくと頷いた。
「ハイ! ホルガルド教授デース!」
「やはりあの方がローゼス卿! しかし、以前お会いした時とは印象が大分違うような…」
「じゃあこの人が例の侯爵さま? なんか侯爵さまって言うか、ただのむっさいオッサンにしか見えないけど……」
「どうでもいいから助けろよお前らーーッ‼」
ジェイスはもがきながら助けを求めているが、シュウはもちろん助ける気はない。面倒だし。
サイファスを見ると、胸がいっぱいです、とかなんとか言ってちょっと泣いてる。
「もーっ、教授! いきなり走り出さないでくださいよぉ──」
そう言って開け放たれた扉に現れたのはステファンだった。しかし室内で繰り広げられるボーイズラブと見まごうばかりの抱擁シーンを見るやいなや、安心したように言った。
「…なんだ、ちゃんと会えたんですね。良かった良かった」
「コラーッ‼ 良かったじゃねえッ‼ 誰か助けろーーッ‼」
しかしやはり誰も、助けようという者はいなかった。




