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司令官はまつろわない2〜逃亡編〜  作者: 綾部みね子
2章

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第28話 青き女2

「喰われたって、どういう事だ?」


 薄暗い洞窟の中でスノウが尋ねると、魔女は氷柱のような冷たく鋭い相貌を返してきた。


「言葉どおりの意味だ。ルディアはその者の魂を喰らったのだ」

「魂を喰われると、人間はどうなるんだ?」

「さあ…、わたくしは食したことがないので、この目で見たことはない。だが、魂の無い肉体はただの人形と同じ。自らの意思で動くことはなく、操られるがままとなるだろう…」


 操られるがまま──。

 ヘンリークは先代国王を弑逆している。

 それが、操られた状態だった──?


「しかし、ヘンリークが操られていると決め付けるにはまだ確証が──」

「そやつの配下の者がツルギを捕らえようと動いているのだろう? それだけで十分ではないか?」


 確かに親衛隊がハインロット司令官誘拐事件に関わっていた可能性はある。親衛隊は国王直属の組織。動かせる人間は国王のみのはず。


「待て。ルディアとは一体何のことだ? 君たちは何を知っている? どこで氷づけの遺体の話を聞いたんだ?」


 話に付いて来れないホルガルドが捲し立てた。彼だけではない。ステファンなど完全に置いてきぼりにされた顔をしている。

 無理もない。しかし説明しようにも、どこからどのように話せばいいのかスノウは迷った。その横でセシリアは、他者を寄せ付けない冷たい表情のまま顔を背けた。


「そなたらには係わりのないことだ。話す必要はない」

「そう言う訳にもいかないだろう。ルディアの情報を得る為には、ある程度事情は説明しないと──」

「そうだ、是非とも説明してくれ! 心配しなくとも君たちを親衛隊に突き出したりは決してしない。私は純粋に研究者として知りたいんだ。君たちは一体何者だ? 何の為にここに来た?」

「何の為にって……──」


 スノウは即答できず口ごもってしまった。

 そもそもの目的は何だったか──。

 わざわざこんな所までやって来た目的は、銀狼党の影の支援者であるローゼス侯爵と、あのやかましい王子を引き合わせる為なのだが、ルディアの事を聞いた後では、そんな事さして重要でもない気がしてきてしまう。


「──そうだ! 向こうでジェイスさんたちが待っているんだった!」


 不意に思い出したようにステファンは言い、ホルガルドに向き直った。


「教授! とにかく戻りましょう」


 しかしホルガルドはステファンの顔を見ようともせず、スノウの答えを待っている。


「教授ッ!」

「少し黙っていろギデラック。まだ話の最中だ」

「ああ~もうッ。遺体の話はあとでゆっくり出来ますからとにかく聞いてくださいッ。サイファス・オズバントという方をご存知ですか?」

「サイファス、オズバント? ……ああ、先代国王の近衛隊長だった…」

「以前にもお会いした事があるということですが、何か話をされたんじゃないですか?」

「話…? そうだな。ずいぶん前に私の所に金の無心に来た…。近衛の職を失ったと言うから、多少の金と使っていない別荘をくれてやったが…」


 金の無心に来た?

 やはり、サイファスから聞いている話と随分違う。

 もしかしてホルガルド本人は、銀狼党の支援者でいるつもりはないのかもしれない。


「それがどうかしたのか」

「え、いや…」


 その話の食い違いにステファンも気付いたのか、困惑気味に続ける。


「そのサイファスさんが、教授のログハウスでジェイスさんと一緒に教授を待っているんです」

「ジェイス? 誰だそれは」

「え、だから、あなたの甥っ子ですよね?」

「そんな名前の甥っ子などいない」

「ええッ⁉ あ、そうか。えっと、ジェイスさんの本当の名前、何だったかな…」


 助けてくれ、という顔でステファンがこちらを見る。


「ジェラルド・イルーク」


 スノウが答えるとステファンは安堵したように続ける。


「それです、それ。そのイルーク王子が待っているんです!」

「何を馬鹿げた事を。イルーク王子は先代国王と共に亡くなられている。サイファス自身が事件後にそう自分で証言しているんだぞ!」

「え、でも、以前お会いした時も、サイファスさんは教授に、イルーク王子を国外に逃した事はお話ししたって──」


 ステファンがそう言うと、ホルガルドは急に勢いを無くして顔を背けた。


「……良く覚えていない。あの時、確かにサイファスが何かごちゃごちゃと言っていたのは記憶しているが…、ほとんど聞いていなかった…」


 考えてみれば、先代国王が弑逆されたと同時に、皇太子夫妻も亡くなっている。

 皇太子妃はこの男の実の姉。当時ホルガルドは、他人の話をまともに聴けるような精神状態では無かったのかも知れない。


「だったら、とにかくジェイスさんに会ってみてはどうですか? ジェイスさんはボクの友人でもありますし、身元は保証します。サイファスさんとも、もう一度お話ししてみては──」

「いや、会う必要はない。帰ってもらってくれ」


 ステファンの言葉を遮って、ホルガルドは再びその場にしゃがみ込むと、刷毛を取って手を動かし始めた。


「教授ッ!! もう、分かんない人だなー」

「そもそも私は、サイファス自身が信用できない。また私から金をせびるために、どこからか王子に似せた男を連れてきているだけかも知れないからな」


「いい加減になさいッホルガルド──‼」


 不意に洞窟内に凛とした女性の声が響いた。

 当然この場にいる女性はセシリアしか居ないのだが、スノウにはその声がセシリアのものではないとすぐに分かった。


「あの子は間違いなくイルーク王子ですッ。お疑いになるのでしたら、貴方もご自分の目でご覧になったらいいわッ。あの子の目は、マリーさんにそっくりですものッ!」


 ユリヤだ。間違いない。彼女に会うのは久しぶりの様な気がする。

 しかし、その瞳は真っ直ぐホルガルドを居抜き、以前のようなどこか悲しげな色は見えない。


「な、んだって……? 君は一体……?」


 一方のホルガルドは信じられないという表情でしゃがみ込んだまま、すっかり雰囲気の変わってしまった少女の顔を見上げた。


「……ユリヤ?」


 ホルガルドに見事に言い当てられたユリヤは一瞬だけ狼狽えたようだった。

 出てくるつもりは無かったのに、ホルガルドの頑なな態度に思わず顔を出してしまった。そんな表情でホルガルドから視線を逸らした。


「ギデラック、君の友人は何という名前だったか」

「え、あ、ツルギ・ハインロットです」

「……そうか、ハインロット。ユリヤ・ハインロットッ。私としたことが何故すぐに気付かなかったんだ…!」


 合点がいった表情でホルガルドは言った。

 そう言えばジェイスはハインロット家の遠い親戚と言う話だから、母親の実家であるローゼス侯爵家が、ハインロット家と家系的に繋がっているということなのだろう。


「ああ、その髪と瞳はユリヤと同じ色合い。もしかして君は、ユリヤの血縁者なのかッ?」


 ホルガルドは、相手がユリヤ本人だとは考え付かなかったようだ。

 それもそうだ。

 恐ろしいほど整った容姿を持つユリスでは見た目から正確な年齢を判断することは難しいのだが、おそらくホルガルドとは同年代のはず。そしてユリスとユリヤは双子の兄妹。

 もしホルガルドがいま目の前にいる少女をユリヤ本人だと認めてしまったら、自分とそう年齢が変わらないはずの女性が、まったく歳をとっていないことになる。

 それにユリヤは既に故人。それを知っているのであれば、本人ではなく血縁者だろうと考えるのは当然だった。

 むしろそう勘違いしてくれるのならこちらにとっては都合がいい。

 まったく事情を知らない人間に魔女のことまで話したところで、そう簡単に信じてはもらえない。

 余計な不信感を抱かせるよりは、とにかくこの男をジェイスたちの待つあのログハウスに連れて行くことを優先した方がいいだろう。

 このままユリヤに司令官のふりをしてもらえば、先程のセシリアとの会話も誤魔化せる。そう思ったスノウはその考えを耳打ちするつもりで、ユリヤにそっと近付いた。

 しかしそれより早くユリヤはぐっと身体に力を込めると、意を決したようにホルガルドに向かって一歩進み出た。


「いいえ。血縁者などではありません。私はユリヤ・ハインロット本人です」

「おい、ユリヤッ!」

「ごめんなさいスノウ。あなたの言いたい事は分かります。でも彼ならきっと信じてくださるわ。私たちの知るすべてをお話ししましょう」

「しかし…」


 スノウはそれ以上何も言えずに黙った。どういう訳か、ユリヤの落ち着いていて柔らかい雰囲気の微笑みには、セシリアとはまた違った力がある。

 スノウが黙ったままでいると、ユリヤはもう一度ホルガルドに向き直り、困惑したまま立ち尽くすその男に微笑みかけた。


「お久しぶりですねホリー。以前お会いしたのはイルーク王子が誕生された時のことだったから、もう二十年以上昔のことね」


 ふわりと目を細めるユリヤに、ホルガルドは返答できずに惚けている。それを見て、ユリヤは口元を隠しながらくすりと笑った。


「それにしてもなんです、その格好は。まるで皇太子夫妻のご婚礼の日みたい。あの日は本当に驚いたわ。ホリーったらぼさぼさの格好で現われるんですもの。私があなたの髪を綺麗に整えなければ、誰もあなたが侯爵様だなんて思わなかったでしょうね」

「な、なぜ知っているんだ? それは……、あの日の事はユリヤと私だけしか知らないはず──」

「ええ、知っています。私がユリヤ本人なのですから」

「ふざけないでくれ! そんなはずがない! 彼女は──、ユリヤは死んだんだッ!」


 憤慨してホルガルドは叫んだ。当然の反応だ。簡単に信じられるような話ではない。


「ええ。あなたの言うとおり私は死にました。でもそれは肉体の死であって、本当の死ではありません」

「何を訳の分からないことを──!」

「私たちには死というものがないのです。例え肉体が亡んでも思念だけは残る……」

「な……、何が、残るって……?」


 垂れ下がった長い前髪の後ろでホルガルドの深い青の瞳が揺れた。


「思念。または魂とでも言いましょうか。肉体はただの入れ物に過ぎません。古くなれば自由に入れ替えができるのです。それが私たち魔女の特性──。私も、そしてこの身体のもともとの持ち主であるツルギも魔女。ハインロット家の当主となる者はみな魔女として生まれるのです。しかし私より以前の当主たちは、生きている内に魔女である事に気付く者はいませんでした。ただ私だけは、我がハインロット家の始祖である魔女に、直接自分が魔女であることを告げられました。先程あなたに傲慢な態度をとっていたのはその始祖、魔女セシリア様です。セシリア様も私と同じく魂だけで生き続けているお方──」

「確かハインロット家は我が家と並ぶ古い一族。もし君のその話が本当だとしたら、始祖という女性は身体も無いまま大昔からずっと生き続けていると言うことになるが?」


 そんなことが現実に起こる訳がないだろう。と言うようにホルガルドは口元を引きつらせるが、ユリヤはあっさりとそれを肯定する。


「その通りです。魔女の魂は同化や分裂をする事はあっても消滅することはありません。ですからあなたがこの穴の底から見付けた女性も、氷の中でずっと生きていた」

「な、何のことだ…?」

「あなたが青き女と呼ぶ氷づけの遺体も、私たちと同じ魔女。──ルディアという名の魔女です」

「ちょっ、ちょっ──ちょっと待ってくださいッ‼」


 完全に蚊帳の外に置かれていたステファンが不意に口を挟んだ。


「いきなり魔女とか言われてもボクには理解できません。話を戻すようですが、とりあえず今のあなたはツルギとは別人だってことですか? ツルギは、ツルギはどうなったんですかッ⁉」

「ステファン、心配しなくていい。司令官はちゃんと彼女の中にいる。今の司令官はユリヤに身体の主導権を譲っているだけなんだ」

「主導権を譲る? ……多重人格みたいなことですか?」

「まあ似たようなものだな」

「そんなッ! いつからそんなことに──ッ?」


 司令官の身を案ずる思いからなのだろう。ステファンが心配そうな顔で今はユリヤとなった少女を見つめる。

 その視線の先のユリヤは、微かな笑みを少年に返すと、再びホルガルドを見上げた。


「ホリー、どうか信じてください。私は真実だけを述べています」


 ホルガルドは押し黙った。

 ただ黙ってユリヤを見返した。

 しばらく沈黙し、それから微かに口を開き小さな声を絞り出した。


「君は、本当に……ユリヤなのか?」


 柔らかくユリヤが微笑む。ホルガルドの顔付きが少し変わった気がした。


「ならば教えてくれ、君は何故、死を選んだ?」


 その言葉に、ユリヤは悲しげに少し眉を下げた。


「魔女に身体を奪われないようにする為です。特に、目覚めたばかりのルディアは新しい身体を求めていました」

「新しい身体? 肉体は……ただの入れ物……だから、私がここから遺体を掘り出したから、君が狙われた…。そうなのか……?」


 ユリヤは俯いた。そうだとは答えない。だがそうではないとも言わない。


「あの時、肉体を持つ魔女は私だけでした。いずれ必ず、私の肉体を狙ってルディアはやって来るはずだとセシリア様はおっしゃいました。しばらくしてその言葉どおり、私の所にアルフ・アーウ人の役人がやって来たのです」

「役人?」

「その時の私にはそれぐらいしか分かりませんでした。今なら、役人ではなく、国王親衛隊だと分かるのですけれど…。その時の私は、イルーク王子をお預かりしていました。だから初めは、王子を捕えに来たのかと思ったのです。ですから、咄嗟に王子だけを逃がしました」


 だがその者達の目的はジェイスではなかった──。

 そのお陰でジェイスは生き延びる訳だが、親衛隊は本当にイルーク王子の存在に気付いていないのだろうか。他国の軍隊に苦もなく潜り込めるような特殊部隊を持ちながら。


「──でもその方たちの狙いが私自身だと気付いた時、セシリア様の言葉を思い出しました。目的は私の肉体であると。そしてそれを絶対に渡してはならない。だから私は自らの身体に火を付けました……」


 セシリアに聞いてはいたが、実際に本人から聞くと改めて凄まじい最期だと思う。

 だが既に自分が魔女であることも聞いていたというのだから、肉体が焼失しようとも完全に消えることはないと分かった上での行動だ。

 ──ただ人間としての生は確実に終わる。

 その覚悟、その恐怖は、どれほどのものだっただろう。


 薄暗い洞窟内に依然として存在する底の見えぬ穴は、まるで中からこの世のすべての闇を吹きだしているのではないかと思わせるほど不気味だ。

 ホルガルドはその闇の中に何かを見出そうとするかのように俯いていたが、ふと顔を上げ口を開いた。


「……イルーク王子が生きているというのは本当に、……事実なんだな?」


 その青眼は、目の前の、少女の姿をしたユリヤにひたと向けられている。


「ええ、本当です」

「何故? どうやって?」

「近衛隊長のオズバントが密かに助け出したのです」

「あの男は王子の…、王家全員の最期を見たと自分で証言したんだぞッ?」

「それは敵をあざむくための嘘です」

「嘘ッ? 何故嘘なんかッ! ……まさか、敵というのは──! 本当に、そんなことが……。その為に王子は君の所に⁉」


 ホルガルドの顔から血の気が引いていく。

 敵をあざむくため。そう、敵は身内。

 その言葉だけで、察しがついたようだ。


「ねえホリー。いつまでもこんな所に籠ってないで、王子に会ってもらえないかしら。両親を失ってずっと一人だったあの子に、家族の温もりを与えてほしい。そしてあの子の目指す未来に、手を貸して差し上げてほしい…」


 ホルガルドの受けた衝撃は相当なものだったのだろう。宥めるようにユリヤに語りかけられても、頭を抱えたままじっと動かない。


「……しかし、しかし……、真実を知らなかったとは言え、私はずっとここで、外の世界を避けてきた……。オズバントの声に耳を貸さず、あまつさえ、王を守れなかった痴れ者と、見下してさえいた! 何もせず殻に閉じこもっていたのは自分の方なのに……! 今さら、今さらどんな顔をすれば良いのか──!」

「今からだって遅くはないわ。王子の肉親は、現国王を除いてはあなただけ。あなたはあの子にとって、一番近い肉親なの。どうか立派に育ったイルーク王子を見てあげて。ほんの小さな子供だったあの子は今、亡くなった時のマリーさんと同じ年になるのよ……」


 少し悲しげに、だが優しい声でユリヤは語りかけた。その言葉が、ホルガルドの中の壁を崩したようだった。


「あッ! 教授ッ? どこ行くんですかッ⁉ 教授ッ⁉」


 ホルガルドは急に洞窟の出口に向かって走り出した。あっという間に通路の奥に姿が消え、遠ざかっていく足音だけが聞こえてくる。


「まったくいつも突然なんだから〜」


 そう愚痴るように言いながらステファンが後を追って姿を消した。





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