第27話 青き女
ログハウスを後にしたステファンは、ずんずんと山道を進んでいく。その後ろを付いて行く司令官の、更に後ろをスノウは追いかけた。
辺りは静まり返った森が広がっている。
素人目にはどの辺りが遺跡の発掘現場で、どの辺りがそうでないのかよく分からない。
地面には足のくるぶしの位置くらいまでの雪が積もっていて、その雪の下に何があるのかなんてまったく見えない。ただ雪を踏み鳴らす足音だけを耳にしながら黙って歩いていると、やがて森が開け雪原が現れた。
「この辺りが市街だった所だよ。今は雪が積もっていて分かりづらいけど、街中に上水や下水用の水路が整備されていて、かなり進んだ都市だったんだ」
先頭を歩くステファンが振り返って言った。言いながら、雪の上にかすかに見える道筋をたどって雪原を横切って行く。
この雪だ。発掘作業もオフシーズンなのだろう。立ち入りを禁止する為の赤いポールと、その向こうに雪に埋もれたブルーシートが見えるだけで、あとは何もない。
気が付くと、少し先を歩いていたはずの司令官がすぐ隣りにまで近付いていた。いつの間にか立ち止まっていた様だ。
「司令官?」
「……やはりな」
そう呟いた少女の顔は険しい。唇を引き結んで、まわりを見回している。
(……まさか、セシリアか?)
魔女セシリアの纏う雰囲気に慣れてきて、最近はちょっとした表情の違いで彼女の出現に気付けるようになってきた。
「…どうかしたのか?」
セシリアは立ち止まったまま、前を歩くステファンが十分に離れたのを確認してから口を開いた。
「……わたくしは、この場所に一度来たことがある」
「──ッ⁉」
「随分昔の事で大分記憶も薄れているのだが、あの小僧が言うように、その昔、ここには一つの都市があり、それは一つの国であった…」
「その国は、魔女と何か関係があるのか?」
「ここはルディアが庇護していた地だ」
いつもより低めの声音で、端的に古代の魔女は答えた。
「やはりツラ人が信仰していた“青き女”と言うのは魔女のことなのか?」
「それはおそらくルディアの事だ。ルディアは澄んだ空のような青い髪と瞳をしている」
スノウが夢の中で見たセシリアの生前の姿は緋色だった。髪も瞳も、人間にはあり得ない色だ。
ルディアは青。魔女とは皆、それぞれに違った色をしているのだろうか。
「わたくしがここに来たのは、ルディアと会って話をする為だった。だが前にも話したとおり、結局ルディアを説き伏せることは叶わず、仕方なく、この山の大地深くに封じたのだ。二度と起き上がれぬよう杭を打ってな……」
「杭?」
「目に見えるものではない。呪いのようなものだ。杭を打たれると、肉体から魂が剥がれなくなり、身体を入れ替えることができなくなる」
「──肉体から剥がれなくなる? ルディアには肉体は無いんじゃなかったのか?」
スノウは眉を寄せた。
以前ユリヤは、ルディアには身体は無いと言っていた。だからこそ新しい魂の入れ物として、司令官の身体を求めていると言っていたのだ。その話とつじつまが合わない。
「無いわけではない。身体はある。いくらわたくしでも、魂だけのルディアを完全に封じることなど出来ない。魔術が使えないだけで、魔女は魂だけの方が身軽に動けるのだ」
身軽とは、肉体という実体がない分、建物の壁などを透過できるということだろうか──。
「だから魂を肉体から剥がれないようにして閉じ込めた…」
「さよう。だが肉体をそのまま残しておいては封印を破られる。それゆえ、わたくしはルディアの身体を、一部を残して滅した。あの身体では大した魔術は使えまい。それどころか、動くことさえも出来はしないだろう」
「じゃあ封印が破られたのは、ルディア自身の力ではなく、誰かが地中から掘り起こしたということか?」
セシリアは黙ったままこくりと一つ頷いた。
誰か。
それは明らかだ。ここは遺跡の発掘現場。そこら中を掘り返している。
スノウは腕を組んで考え込むと、おもむろに口を開いた。
「……セシリア、一つ疑問がある」
「なんだ?」
「ルディアに一部だけとは言え身体があるのだったら、なぜ司令官を狙うんだ? わざわざユリヤのクローンを造らなくても、自分の身体を複製すればいいじゃないか」
「…くろーんという物が何なのかわたくしには分からぬが、新しい身体を造る際、わたくしたちは自分の魂の一部を分けてそれを造る。杭を打たれると言うことは、それも叶わなくなるということだ」
そうか。魔女は自分の魂を分裂させて分身を造るとセシリアは以前言っていた。
杭を打たれると、肉体から魂を出すことも、分けることも出来なくなるのか。
「ルディアが司令官の身体を狙うのは、司令官の身体なら入れ替えができるということなのか?」
「自分とは別の個体だからこそ成せる術がある。ルディアはそれをしようとしている。だがそれは、わたくしたち魔女の間でも禁忌とされる邪悪な術だ」
「どんな術なんだ?」
そう尋ねると、セシリアはまるでおぞましい言葉でも口にするような表情で答える。
「……魂を捕食するのだ」
その直後、こちらを呼ぶステファンの声が響いた。
「二人ともこっちこっち! 暗いからはぐれないように気を付けて!」
ステファンが振り返って急かすように手招きしている。
セシリアは自分の存在をステファンには知られたくないのか、それ以上は答えないまま無言で少年博士の方に歩いて行ってしまった──。
(……魂を捕食するってどういうことだ?)
セシリアの背中を追いかけながら、スノウは彼女の言葉を反芻した。
魔女たちにも恐れられる邪悪な術。それは彼女が前に言った『同化』とは違うのだろうか。
それに、ルディアは瀕死の身体で動くことなど出来ないとセシリアは言う。だとしたら、ジールの所で会ったあの不気味な老人は、一体何者なのだろう。
あの時スノウの耳には、確かにセシリアの声が聞こえた。逃げろ、と彼女は必死に叫んだのだ。まるで何かに怯えるように──。
ステファンが見えなくなった方向に歩いていくと、少年は高く切り立った崖の下に立っていた。岩肌には大きくひび割れが走り、それは崖に黒々とした横穴を開けていた。どうやら中は洞窟になっているようだ。
「教授ー! いらっしゃいますかー?」
薄暗い洞窟内にステファンの声が反響する。頭上には電球が転々と吊り下がっていて、奥に向かってオレンジ色の光が列を成していた。
「教授ー!」
も〜っと不満顔で洞窟の中に足を踏み入れるステファンに続いて、セシリアも怖がる素振りなどまったく見せず中に入って行く。
洞窟の中は風が当たらない分、外よりも暖かく感じた。かなり擦れてはいるが、壁には独特なタッチの模様のような壁画が描かれている。文字のようにも見えるが、動物や、狩りをする人の姿の様にも見てとれる。
穴の中を少し進むと、円形の広場のような場所に出た。しかし足場はさほど広くはない。広場の中心が大きく陥没しているからだ。ここから先は縦穴のようだ。穴のまわりは、安全の為に後から設置したと思われる黄色く塗られた柵が取り付けられていた。
「あ、教授ッ!」
黄色い柵の反対側に、壁に張り付くようにしてうずくまる人影が見えた。
「そんな所で何してるんですかッ?」
ステファンが人影に向かって声を掛ける。
しかし、その人物はステファンの問いに答える気など無いのか、それともそもそも聞こえないのか、まったく反応を示さない。直径十メートルはあろうかという穴の縁を回ってすぐ側まで近付いたところで、やっと立ち上がりこちらを見た。
「お一人で作業するのは控えてくださいと何度も言っているじゃないですか! もし何か事故があったらどうするんですかッ!」
口やかましく言うステファンを見下ろす形で、教授と呼ばれる男は立ち尽くしている。
薄汚れたジャンパーに、すそのほつれた作業ズボン。伸びた前髪に目元は隠され、無精髭があごの輪郭を覆う。頭髪こそ高貴さの漂うブロンドだが、全体の風貌は、お世辞にもジェントルマンとは言えないものだった。
この男が本当にジェイスの叔父、ローゼス侯爵なのだろうか。
「──……」
無精髭の男は無言のままこちらを見て、続いてステファンに視線を戻した。その目の動きに、日頃から世話を焼いている少年博士は素早く気付く。
「ああ、この人たちですか? 彼女はツルギ・ハインロット。ぼくの学生時代の友人です。彼の方は、え、えっと~」
「部下のロウです」
何と紹介しようか迷っている様子のステファンに代わって、スノウは自分から名乗った。正直に殺し屋などと紹介されても困る。しかし、事前に申し合わせたはずの、研究用機材の納入業者という設定を無視してしまって大丈夫なのだろうか。
そう思って見ていると、無精髭の男は一言も発することなく再びしゃがみ込んで、元の作業を始めた。
「こちらがホルガルド教授。ツルギたちの言うローゼス侯爵だよ──」
と紹介されたにも関わらず、ホルガルドは刷毛のようなもので壁を撫で続けている。
「あの~教授。ちょっと手を止めてもらえませんか? この人たちも用があってここまで来てるんですから、もうちょっと誠意を見せてくださいよ」
「私は用はない」
ぴしゃりと遮断するようにホルガルドは言った。
なるほど、あっさりとステファンが部外者であることを明かした理由はこれか。
規則を破って部外者を施設内に入れたところで、この男は気にも止めないという事を少年はわかっているのだ。
「も~、教授は誰に対してもこうで……。教授! 一緒に行きましょう。教授の休憩室の方であなたの甥っ子さんが待っているんです」
「私に甥なんかいない。作業の邪魔だ。悪いが帰ってくれ」
「教授ッ!」
ステファンの声にホルガルドは答えもしない。
「……すいません。やっぱりジェイスさんたちを直接ここに連れてくるべきでした」
こちらに振り返ってからステファンが申し訳なさそうに頭を掻いた。
(甥なんかいない? どういうことだ?)
ローゼス侯爵は、いつか王子が帰還することを信じて銀狼党の黒幕になったんじゃないのか。
サイファスから聞いた話と食い違っている。そう思っていると、不意にセシリアがステファンの脇を通り抜けて進み出た。片膝を付く侯爵の背中を冷たく見下ろし、鋭い口調で言った。
「あんな腑抜け王子などどうでも良い! それよりも即刻答えよ。そなた、この穴の中から掘り出したものをどこへやった⁉」
「えッ? ちょ、ツルギ? どうしたの?」
ステファンは突然のことに訳が分からず困惑した声を上げた。ホルガルドは不審げな表情で、やけに尊大な態度の少女を睨み上げる。
「答えよッ、“青き女”はどこへやった⁉」
「ちょっと待って、急に何言ってるのッ?」
セシリアのあまりの剣幕におろおろするステファン。その肩を掴んで少年を抑えてから、スノウはホルガルドに向かって言った。
「ローゼス侯爵。俺からも頼む。教えてくれ、あんたはここから何かを掘り出したんだろう。それは今どこにあるんだ?」
ホルガルドはのっそりと立ち上がると、こちらの様子を探るようにじっと見つめてくる。
「どこでその話を聞いた? あれの存在を信じる者など、学会はおろか、この研究所でもいないのに……」
「──教授? 一体何の話ですか?」
ステファンはますます困惑し、不安げにホルガルドやセシリアの顔をきょろきょろと窺っている。
「教えてくれ。ここには確かに『いた』はずだ…」
もう一度そう尋ねると、ローゼス侯爵はふーっと息を吐き出し、手に付いた砂をぱんぱんと払い落とした。
「もう二十年以上前の話だが……、当時研究所の代表だったヴィクトル教授が、この穴の底から氷づけになった女性の遺体を発見した。その遺体は四肢はおろか胸部から上の部分しか残っていなかったが、調べてみるとかすかに生命反応があったのだ」
「生命反応ッ、生きていたって事ですか⁉ あり得ないッ、穴の底って、六千年前の遺跡ですよ⁉ いや、それよりもッ、胸部までしかないのに⁉ 信じられない‼」
驚愕の表情でステファンが言った。セシリアは驚くことなく険しい顔でホルガルドを見据えている。
「それで、その遺体は今どこにあるんだ?」
スノウがそう尋ねると、ホルガルドは両手を広げて見せた。
「分からない。消えてしまったんだ。忽然と──」
「消えたッ⁉」
「ああ。だから誰も信じなかった。私は必死に訴えたが、当時研究者としては駆け出しだった私の証言など黙殺された。その後ヴィクトル教授は学者では無くなり、結局事実は闇に葬られた……」
身体の多くが無い遺体。それはおそらく動けないはずのルディアだろう。
それが忽然と消えた──。
「今となってはあれが現実の出来事だったのか、証明する方法が私にはない……。だが決して幻ではなかった。確かにいたんだ。私は今もその事実を裏付けるものを探しているのだ…」
「……教授は、その氷づけの遺体が“青き女の神”だとお考えなのですか?」
「私はそう思っている。今はまだ謎だらけだ。なぜあの時、あの状態で生命反応があったのか……。六千年前に特別な処理がされていたのか。それとも我々とはまったく別の生命体なのか……」
「そんなまさかッ──!」
ステファンは到底信じられないのか、ひきつった笑いを浮かべて言葉を飲み込んだ。
「消えたんじゃなくて、誰かが持ち出したんじゃないのか?」
「持ち出したッ⁉ 遺体ですよッ⁉」
ステファンがひきつった表情のまま噛み付くように言った。混乱しすぎて、何に驚いていいのか分からないような顔だ。
「動くはずの無いものが消えたのなら、そう考えるのが普通だ」
「そりゃあまあ、確かにそうですけど……。でもなんで持ち出す必要があるんですか?」
「それは分からないが、何か利用価値があったんだろ。侯爵、あんたとその教授の他に、遺体の存在を知っていた者はいないのか?」
「他に……?」
そう言ってホルガルドは少し考えるような仕草をしてから口を開いた。
「いや、いない。私とヴィクトル教授だけだった」
「そのヴィクトル教授というのは、どうして学者を辞めたんだ? 遺体の存在を信じて貰えなかったからか?」
「違う……」
それだけ言ってホルガルドは急に言葉を途切れさせた。何か言い難いことなのだろうか。
「……本当に知らないのか?」
「なんのことだ?」
試すようにこちらを注視してくるホルガルド。
「ヴィクトル教授が学者でなくなったのは、即位されたからだ」
「即位?」
「先代国王とその御一家が亡くなられた為、王弟であったヴィクトル教授が即位された。だから学者の身分は無くなった…」
「──⁉」
先代国王に代わって即位した、王弟……。確か名前は…
「その教授って、もしかして…」
「ヴィクトル・ヘンリーク国王陛下だ」
現国王ヘンリーク。
「じゃあ、遺体を持ち去ったのはヘンリーク──!」
「滅多なことを言うな。陛下がそんなことをなさるはずがない。当時の陛下は研究者だ。遺体を持ち出したところでどうすると言うのだ。そんなことをする理由がない!」
ホルガルドは眉をひそめてスノウの言葉を否定した。彼は風変わりと言われてはいても王家にゆかりのある貴族。君主を疑われてはさすがに黙ってはいられないのだろう。
「理由など問題ではない。そんなもの考えるだけ無駄だ。そやつに意志があったかどうかも分からんのだからな」
その場を、水を打ったように静めたのはセシリアだった。
「……どう言うことだ?」
予想外の言葉にスノウが尋ねると、セシリアは底の見えない縦穴に落ちていくような暗い声音で言った。
「そやつは喰われたのだ。青き女に、魂を──……」




