第23話 出かけよう
雑然とした室内。
机の上には古文書やら文献やら、何かの研究レポートの束やら。
うず高く積み上げられたそれは、そこそこ広いはずの部屋の視界を狭めている。
カーテンの隙間から差し込む光はもうかなり明るくなっているのだが、室内は物音ひとつせず、しんと静まり返っていた。
部屋の隅には小さなソファーが二つ、センターテーブルを挟んで向かい合っていて、その一つには薄茶色の髪をした少年が毛布を被って眠っている。
枕がわりのクッションに頭を乗せた少年は横向きに小さくなって、スヤスヤと静かな寝息を立てている。その優しそうな眉や口許は、彼の育ちの良さがうかがえた。
チャンチャンチャーンッ! チャララチャララ、チャンチャンチャーンッ!
突然、室内にけたたましい音楽が流れだし、少年は顔をしかめた。そのあまりの騒がしさに毛布をかぶるが、設定上そうなっているのか、音楽はさらに音量を増し安眠を妨げる。
「う~ん……もうッ、うるさいよフローレンスッ!」
我慢できずに起き上がった少年は向かいのソファーを見るが、そこは乱れた毛布があるだけでもぬけの殻だ。
「あれ……」
どこへ行った?
だが何となく相手の行動が予想できた少年は、自分の寝ているソファーの背面側を覗いてみる。
「はあ〜…やっぱり……」
思ったとおり、フローレンスは覗いた先の床に寝転がっている。
伸びっぱなしの赤毛は寝る前に整えるなんて事はしないので乱れ放題。
今が盛りの乙女であるはずなのだが色気は限りなくゼロに近い。それがフローレンスという女だ。
なんでこんな所で寝ているんだ。
少年は首を傾げた。
しかもその寝相と言ったら…。
正面に開脚して柔軟体操をしているうちに寝てしまったような格好。
何よりこれだけ大音量で音楽がなり続けてるにも関わらずぴくりとも動かない。
「ねえッ! フローレンスッ! 起きてよッ! ねえッ! アラームを止めて!」
けたたましい音楽は彼女が寝たまま握っている携帯電話から鳴っていた。
彼女曰く、この音楽はかつて日本という国でテレビ放送されていた時代劇ドラマのテーマ曲らしい。確か暴れん坊将軍とかなんとかいうタイトルだと言っていたけどよく知らない。
「──ってゆーかなんで毎朝同じ時間に鳴らすくせに自分は起きないんだよぉーーッ‼」
少年は文句を口にしながらフローレンスの身体を激しく揺すった。
しばらくそうしていると、やっとフローレンスの重い瞼がピクピクと動く。
「ふあ〜〜。ああ、ステファン君。おはようゴザイマース」
寝ぼけた顔で大あくびをするフローレンス。
「おはようじゃないよ、うるさいから早く止めてよッ!」
「へあ?」
「へあ、じゃないよ早くこの音楽を止めて‼」
「いえいえ、これはただの音楽ではありまセーン。クライマックスで流れる重要な曲で、吉宗がツバを返したのを合図にイッキに──」
「そんな事いいから早く止めてーーッ!!」
ステファンと呼ばれた少年が半ギレになりながら命じると、やっとフローレンスはアラームを止めた。
はあ~本当に勘弁してほしい。
「すいまセーン。毎朝起こしてもらって助かりマース」
「もしかしてぼくを起こす為に鳴らしてるの、そのアラーム⁉」
「間接的にワタシも起キルことにナリマース」
「直接起きる方法考えてよッ!!」
いたって平然と他力本願な同僚にステファンは怒鳴った。
「まあまあ、そんな事で怒らナーイデ。今日はせっかくの休みナンだから出かけマショー」
そんな事ってお前が言うなと言ってやりたかったが、昨日も深夜まで古文書とにらめっこしていたせいで気力がわかない。
それよりも彼女の言うとおり、久しぶりの休日を心身のリフレッシュにあてたほうがよっぽど建設的かもしれない。
「はあ……、そうだね。気晴らしに街に行こうかな」
こんな陰鬱とした所にとじ籠ってばかりでは気が滅入る。
「フローレンス。管理課へ行って二人分の外出許可証をもらってきてよ」
「がってんデス!」
そう言うとフローレンスは直角に曲げた両腕を大きく振りながら走って部屋を出て行った。
フローレンスってば、こういう時ばかりえらく素直に言う事を聞くんだから。
フローレンスが出ていったドアをじと目で睨んでから、ステファンは大きく伸びをし、肩を押さえながら首を回した。
「ああ、だるい〜。全然寝た気がしない。仕事のしすぎかなぁ…」
いくら研究の為とはいえ、労働条件が悪すぎる。教授に環境改善を願い出ようかな。
ステファンはそう独りごちながら毛布を畳み始める。
すると不意に、センターテーブルに置いていた携帯電話が鳴った。
誰だろう。休日に。
電話を手に取るのも億劫に感じたが、画面に表示された名前を見た途端、ステファンは動揺した。
「え、嘘ッ! ツルギッ?」
それは思いがけない人物だった。
どうしよう。すぐに出たいけど、でも…心の準備が……!
すーはーと深呼吸して気を落ち着かせてから、ステファンは通話ボタンを押した。
◇◆◇
属領国サンクアラの街は、時間が止まったような中世を思わせる古い石畳の街道の両脇に、これまた時間が止まったような古い建物が並ぶ、落ち着いた雰囲気の街だった。
街道沿いの建物は商店が多く、それぞれ赤や黄色、青色といった、イルムガードではあまり見ない鮮やかな色の外壁をしている。
ヒメルはそれらを見ているだけで楽しい気分になっていたが、街自体は人通りもまばらで、商店も活気溢れるというほど賑わってはいなかった。
行き交う人達は皆俯き加減で、どことなく元気がない。街全体が閑静と言うか、物静かと言うか…、
「なんか寂れた街だね」
そう、かなり寂れた感じが……
「──って、シュウ君。はっきり言い過ぎ。もうちょっとマイルドに表現してよ」
まったく遠慮のないシュウの言葉に、ヒメルは慌てた。
防寒着をしっかり着込んで歩くヒメルとシュウの少し後ろには、ファー付きのコートを羽織り、毛糸の帽子を被った司令官がいる。
「確かに〜。あんまり人がいないね。なんでだろ。寒いから?」
白い息を吐き出しながら更に後ろを振り返って、司令官がヘルミナに向かって尋ねた。
「まあこの時期ですからね。冬は元々、出歩く人は少ないですよ」
ヘルミナは紺色のウールのコートに、首元をもこもことした毛糸のマフラーで覆った姿で、いつものように背筋をピンと伸ばしながら答える。
ヒメルは一応彼女に気を遣ったつもりなのだ。ここは属領とは言えアルフ・アーウ国内。ヘルミナは永くイルムガードで過ごしていたそうだが、元々はアルフ・アーウ国人だ。祖国の街を寂れてるなんて言われていい気はしないだろう。しかし見ると、本人は特に気にしていないようだった。
何故ヒメルがサンクアラの街を歩いているかと言うと、山を下りて街に行こうと司令官に誘われた為だった。
そこにどうしてシュウとヘルミナがいるのかと言えば、それが副官が外出する際に出した条件だったからだ。
毎日屋敷の中に閉じ籠っていてはストレスが溜まると散々わめいた司令官に、副官は渋々だが外出の許可を出した。
始めは自身が同行するつもりだったようだが、例の侯爵の件で色々と忙しいらしく、シュウとヘルミナがその代わりを務めることになったのだ。
「でもさ〜、ここ一応目抜き通りだよねえ。それでこの状況って…」
そう言って、シュウが通りを見渡す。
正確には目抜き通りから一本脇に逸れた通りなのだが、それでも中心街には違いない。だが辺りは閑散としていた。
「庶民の生活が、それだけ困窮しているのです…」
深刻な顔で告げるヘルミナの言葉にヒメルは眉を寄せた。
「困窮してるってどういうことですか? サンクアラは帝国の属領ですよね。私、国際情勢には疎いんですけど、帝国ってわりと豊かな国だと思ってました」
「そうだよ。お金があるからいろんな国にしょっちゅうケンカふっ掛けてるんでしょ?」
ヒメルの疑問に司令官も同調する。ケンカふっ掛けるって言い方はどうかと思うが。
「確かにアルフ・アーウはそうやって繁栄してきた国です。サンクアラも属領として過去に参戦したこともあります。ですがヘンリークが国王になってからは、ガンデルク侵攻戦を最後にどの国とも戦争していません」
「あれ? そうだっけ?」
「あんた共軍の指揮官でしょ? 敵の情勢くらい把握してないの?」
とぼけた顔をする司令官にシュウが言葉でつつく。
「あ〜、あたし興味の無いことには記憶力を割かないことにしてるから~」
「それ威張れること?」
「まあ、イルムガードとアルフ・アーウは現在も国交が回復していませんから、この国の内情まではご存知なくても仕方ありませんよ」
ヘルミナがすかさず司令官にフォローを入れる。やっぱり自分が秘書として仕える先生のお嬢さんだからだろうか。
「そうだとしても知らないって致命的じゃない? 軍人として」
「知らないんじゃないよ。必要がないから脳内から削除したの!」
「そりゃあずいぶんと都合の良い頭デスネ!」
自信満々に胸を張る司令官にシュウは呆れ顔で吐き捨てる。そんなやり取りを苦笑いしながら眺めていたヘルミナは、良い機会だと思ったのか自国について説明を始めた。
「アルフ・アーウには属領が三つあります。一つはここサンクアラ。それから私と父サイファスの生まれた地であるグラール。そして最後に属領となったファルです。グラール以外は自治が認められていますが、共通しているのは本国であるアルフ・アーウに税を収めなければならないという事です。その税が、ここ数年上がり続けているのです。重税はそのまま国民の生活を圧迫します…」
どうやらヘルミナはサンクアラとは違う属領の出身らしい。どうりでさきほど平然としていた訳だ。
よく考えれば、彼女の褐色の肌や彫りの深い顔立ちは、南方系の人種が持つ特徴だ。北部に位置するサンクアラの人々が持つそれとは違う。
「何それ。属領は本国に搾取されてるってこと? 侯爵様は何してんのさ」
シュウの明け透けな質問にヒメルもそのとおりだと思い、うんうんと頷く。
「ローゼス侯爵は発掘作業に没頭されている為、お屋敷に帰ってくることはほとんどないそうで、領地に関する業務はすべて侯爵家の者が代理として取り仕切っています。ただ代理という立場では、国王政府に奏上したところで取り合ってはもらえないのでしょう……」
「領主の仕事そっちのけで発掘作業ばっかりしてるってこと? ヤバくない侯爵様」
「サンクアラの現状を知らないのかも! 侯爵様の代理の人に連絡して貰えないんですかッ?」
「お屋敷には先日父と共に行きました。しかし、侯爵家に仕える者でも候爵様には連絡が取れないらしく困っているようでした。もともと候爵様は他人を寄せ付けない人らしいのです。ただ、そこまで頑なに他人を拒むようになったのは、マリエルダ皇太子妃を亡くされてからだとか。発掘にのめり込むようになったのも、やはりその頃とかで……」
「皇太子妃って、侯爵様のお姉さんでしたっけ……。なんだか可哀想な方ですね……」
ヒメルは同情の気持ちを込めて呟いた。
自分は兄妹と死に別れた経験はないが、とても悲しいだろうなと思う。しかも事故や病気ではなく殺されたのだ。候爵さまにはきっと、消化したくてもしきれない感情が暗く心を支配しているのだろう。
「そうなると、やっぱり直接会いに行くしかないってことか。その遺跡の中ってどうなってるの?」
「詳しくはわかりませんが、山の斜面にある施設で、周りは高い塀に囲まれています。出入りはゲートを通らないといけません。ゲートを通るには親衛隊による許可証の確認と荷物検査を受けなければなりませんが、学者や発掘作業員以外に許可証が発行されたことは今までありません」
見てきたのかそれとも父親に聞いたのか、ヘルミナは険しい顔でシュウの問いに答えた。
「ってゆーか、最初に援助の話を取り付けた時はどうしたの?」
「父が一人で発掘施設の方に直接会いに行ったそうです。親衛隊が配備されたのはその後らしいので、施設内に入ったのはその時一度きりです。その後何度か候爵様を訪ねては追い返されるということを繰り返すうちに、父は親衛隊に警戒されるようになってしまい、活動もかなり制限されるように……」
「あのおじさんが表立って動けない理由ってそれが原因?」
「それと、私たちも気を付けなければいけません。国王親衛隊は国内の反乱分子を常に見張っています。どこに奴らが潜んでいるかわかりませんから」
「えッ! まさかつけられてるなんてことないですよねッ?」
ヘルミナが脅かすように言うものだから、ヒメルは思わず怖々としながらあたりを見回した。
「ああ、それは大丈夫。誰もいないよ。僕が保証する」
平然とした様子でシュウが言う。彼がそう言うのだから心配はないだろう。聞くところによると、こういう感覚は副官よりもこの少年の方が優れているらしいのだ。まだ幼さの残る顔をしながら、心強い存在である。
「副官はどうするつもりなんでしょうか?」
「どうって?」
ふと出かける前の副官の様子を思い出してそう言うと、聞いていた司令官は小鳥のように首を傾げて問うてきた。
「その親衛隊の警備を掻い潜って、どうやって遺跡の中に入ったらいいのか…」
「ああ、それなら大丈夫。あたしに考えがあるから」
ニヤッと笑って司令官が言う。
「えッ? どういうことですか?」
司令官の言い方は、いかにも当てがあるという様だ。
ヒメルは思わず顔を上げた。
「知り合いがいるんだ。これから会う約束してるの。サンクアラで遺跡発掘してるって前に言ってたから、もしかしてと思って連絡しておいた」
「えッ!?」
それならそうと出掛ける時に副官に説明すればいいものを。と思ったヒメルは、口をパクパクさせながら声を出そうとしたものの、気が急いてうまく喋れない。
「なんでそれスノウに言わないのさ」
良かった。代わりにシュウが言ってくれた。
「ええー、そんなの面白くないじゃん。それに、まだ未確定要素多いから、言うには早いかなと思って…」
なんて言ってまったく悪びれない司令官。
司令官ってもしかして、人を振り回して楽しむタイプなのかな。
「あ、おーいツルギ! こっちこっち!」
突然名前を呼ばれ、本人のみならず、ヒメルもヘルミナもシュウも、何事かと声の方を振り返える。
振り返った先には二人の人物が立っていた。
「……?」
誰だろう。ヒメルは謎の二人組を上から下まで観察した。
一人は男性。と言うか少年と言えるほど若い男の子だった。たぶん司令官と同じくらい。
柔らかそうな髪はミルクティーみたいな色で、はしばみ色の瞳が印象的。声を掛けてきたのも彼だ。
もう一人は背の高い大人の女性で、赤毛のボサボサの髪を一つに結わえ、ビン底のような分厚いレンズの眼鏡をしている。
「ステファン! 久しぶりだね。元気だった?」
司令官がその二人組に駆け寄りながら言った。
「うん元気。いきなり電話してくるから何かと思ったよ。サンクアラに来るなら来るって言ってくれたらいいのに」
「ごめん。急に決まったんだ。──フローレンス! 相変わらず頭ボサボサだね!」
「お久しぶりデース」
司令官が少年に続けて後ろに立っていた赤毛の女性に声を掛けると、赤毛の女性は片手をさっと上げて答えた。
司令官と二人組以外、ぽかんとして成り行きを見守っている。
「急にってなに、仕事で? イルムガードってサンクアラに駐在武官なんて置いてた?」
「ああ、軍は辞めた」
「はあッ!?」
ステファンと呼ばれた少年は顔を強張らせて言葉を失い、初めて司令官以外の面々をぐるりと見回した。
「……と、取り敢えず店の中に入って…、じっくり事情を説明してもらおうか……」
これから司令官に振り回されるだろう少年が、静かにそう言った。




