第22話 生き残った王子
アルフ・アーウ国王一家が惨殺されたあの日、サイファスは普段通り国王の身辺警護の任に就いていた。
王宮近衛隊の指揮官であったサイファスは、国王の一番近いところで御身をお守りするのが使命だ。
ガンルーク二世は臣下に対してとても気さくな国王で、近衛隊の兵士にはもちろん、侍従やその家族に対してもお心を掛けてくださるような方だった。
その日も国王は、王室のご家族とともに、自身に近い臣下とその家族を離宮に招き、夏の休暇を満喫されていた。
サイファスも国王の温情により、十三歳になる娘ヘルミナと、妻の忘れ形見である五歳の息子ヘリオスをともなって離宮を訪れていた。
しかしそこが離宮であったことと、しかも国王自身が休暇中だったということもあり、必要最低限の人員しかいなかった。それが最大の過ちだった。
気付いた時には既に囲まれていた。
大挙して押し寄せた軍勢に、王宮近衛兵は次々と倒れた。サイファス自身も深手を負い、一度気を失った。
次に目が覚めた時には、瑠璃の宮殿と呼ばれた離宮が火の海になっていた。
一瞬、脳裏に娘と息子の顔が浮かんだ。だが、それを断腸の思いで振り払う。
自分は王宮近衛隊だ。何よりもまず王の元へ馳せ参じなければ。
サイファスは傷付いた身体を引きずりながら、必死の思いで走った。
王の居室にたどり着くと、そこにはガンルーク国王と王妃の亡骸があった。
燃え盛る炎の中、サイファスはあまりの絶望に目の前が真っ暗になっていた。自分は立っているのかしゃがんでいるのか、それさえも分からない。
人生のすべてが、ここで終わった──。
そう思ったその時、かすかに子供の泣き声が聞こえてきた。
その声を頼りに行き着いた先は、皇太子夫妻の居室。
祈るような気持ちで室内に入ると、折り重なって倒れる夫妻の無惨な姿がそこにあった。
まるで地獄だ。サイファスは天を仰いだ。
輝ける楽園の住人とまで謂われた王室の方々に、このような惨い仕打ちはあんまりだ。
堪えることもできず涙があふれた。
そして神を呪った。まるで闇の中に迷い込んだような、深い絶望。
しかし一筋の光もあった。
まだ幼いイルーク王子が、夫妻のかたわらに寄り添って泣いていたのだ。
「ああ、王子ッ!!」
幸い、イルーク王子は怪我一つしていなかった。皇太子夫妻が直前に王子だけをどこか安全な所に隠したのだろう。
王子は何が起きているのか事態を飲み込む事が出来ず、母である皇太子妃の身体を揺すりながら泣きじゃくっていた。
「王子‼ こちらへ‼」
既にここにも煙が回ってきている。サイファスは母に抱き付いて離れようとしない王子を強引に引き剥がすと、そのまま担ぎ上げて部屋を出た。
「父上!」
悲痛な叫び声に顔を向けると、娘のヘルミナだった。
ヘルミナは気が動転しているのか上手く歩く事ができず、壁伝いに廊下の先からふらふらと近付いてくる。
「ヘルミナ! ヘリオスは…、ヘリオスはどうしたッ!?」
父の問い掛けに、ヘルミナはびくりと肩を震わせる。
「父上、ヘリオスは……もう……ッ!」
しゃくりあげ、それ以上言葉が出ない。
サイファスが走り寄って肩を抱くと、ヘルミナは大声で泣き出した。
ヘリオス、ヘリオスと声を上げながら。
「一体、誰が、こんな事を──!」
幼い子供までも手にかけるなんて。
そんな惨いことができる権利を、一体誰が持っていると言うのか。
サイファスは奥の歯をぎりりと噛んだ。涙で視界も霞む。
「……父上! 私は聞きました! 賊が、話していたのです!」
「話す? 何を?」
「大公様に報告する、と──!」
「何だってッ!?」
ヘンリーク大公殿下。ガンルーク国王の弟君だ。
「ヘンリーク様のまわりで不穏な動きがあると噂が出た事はあるが、まさか──! こんな血も涙もないような事を、殿下がなさるはずが……」
「信じてください父上ッ! 私は確かに聞いたのです! 賊は、私が死んでいると思って、仲間同士でそう話していたのです──ッ!」
信じてください。何度もそう言ってヘルミナは父の腕にすがり付く。
サイファスとて娘を信じたい。しかし娘を信じるということは王家の人間を疑うという事だ。
そしてそれが事実であれば、今この腕の中にいる幼い王子の命が危ない。
ヘンリーク大公の狙いが噂どおり王の玉座なら、イルーク王子が生きているという事実は大公にとって非常に都合が悪いはず……。ここを逃れられたとしても、存在が明るみになれば命を狙われる。光輝くご家族が、完全に潰えてしまう。
サイファスは王子を強く抱きしめた。小さな手が、子供なりに精いっぱいの力でしがみ付いてくる。
「──国王陛下……ッ!」
命を懸けて仕えたガンルーク国王。その無惨な最後の姿が目に浮かんだ。
どうすればいい。どうすれば守れるのだ──。
もう火の手は回ってきている。迷っている時間はない。
「…このサイファス、必ずや王子をお守り致します!」
ゆっくりと顔を上げたサイファスは娘に問う。
「ヘルミナ、ヘリオスは…どこにいる……?」
「そして私は、息子ヘリオスの亡骸を皇太子夫妻のお部屋に運び入れました。息子の遺体を、王子のものと見せかける為に……」
目を伏せながら、サイファスは静かに語った。
その顔には、事件の日に受けたと思われる傷跡が今もくっきりと残っている。
「後日発見された遺体は火災による損傷が激しく、状況から判断して皇太子夫妻とイルーク王子だと結論付けられました。近衛の中で唯一生存した私もそのように証言しました。勿論、娘のヘルミナも……」
こうして、ガンルーク国王をはじめとする一家全員の死亡が確認された──。
「王子を守る為とは言え、私は息子の存在を自らの意志で消しました。しかしそれで国王陛下の無念を晴らせるのならと、今まで生きてきたのです……。私は息子の為にも真実を明らかにし、ヘンリークに罪を認めさせなければならない」
ジェイスとヘルミナが出ていった後の室内には、重い沈黙が長く居座っている。
サイファスがジェイスにかける期待も分かるし、ジェイスの戸惑いも分かる。
しかしいずれこうなることを、ジェイスは分かっていたはずだ。
少なくともヘルミナは、父親の作った組織の存在と、いずれ祖国に戻り現国王と対峙せねばならないという事を教えていただろう。
だがどこかでジェイスは、その現実から逃げていたのではないか。
彼が『王子様』の印象からはほど遠い、粗っぽい態度や言葉遣いをするのには、無意識にもそういう思いが現れていたからなのかも知れない。
「我ら銀狼党の名の由来は、ガンルーク国王の異名から来ています。陛下は輝く銀の髪に、オオカミのような水色の目をしていた……。王子は、陛下に良く似ています」
サイファスはサイファスで、失った過去を取り戻したいと願っている。ジェイスの姿に先代国王の姿を重ねて。
その思いも分からなくはない。
だからと言ってスノウに何が出来るかというと、何も出来ないし、する権利もない。
どうするかは本人が決める事だ。
人生の岐路において人間はいつも一人。
たった一人で決断するのだ。自分はそうやって生きてきた。
ふと、誰かが動く気配がしてそちらを見ると、司令官だった。
「ねえ、キズのおじさん!」
(キズのおじさん?)
スノウは胸中で首を傾げた。どうやらサイファスのことらしい。
司令官は中央のソファーに少し近付いて、既に座る者の消えた場所を見つめながら言った。
「ジェイスねぇ、とっても料理が上手なんだよ」
一方話しかけられたサイファスは何を言われているのか良く分からず、目をみはった。
「それにすっごいキレイ好きで、うちのキッチンはいっつもピカピカなの!」
やっぱ一番の変人はあの家政婦王子だよね。と隣でシュウが小さく呟く。
「司令官?」
困惑気味にヒメルが少女に声を掛けた。一体何を言いたいのか分からないのだ。
それはスノウも同感だった。
「あたし、今のジェイス好きだよ。ちょっとガラ悪いけど…。でも何だかんだ文句言いながら、いつも美味しいごはん作ってくれる……」
そう言ってにっこりと微笑むと、司令官はくるりと身をひるがえし応接間の扉に足を向けた。
「あたしジェイスと話してくる!」
まわりがあっけに取られる中、司令官は部屋を出て行った。
「…つまり、何が言いたかったわけ?」
「さあ……」
ヒメルとシュウが揃って首を傾げる。スノウも少女が出て行った扉を無言で見つめた。
先程、束の間見せたあの悲しげな表情は何だったのだろう。彼女自身の感情か、それとも彼女以外の魔女のどちらかなのか……。
◆◇◆
ジェイスが部屋で寝転がってベッドの天蓋を見上げていると、扉の向こうからヘルミナの声がした。
「ジェイス様! そこにいらっしゃいますか?」
今は返事をする気にならない。
しかしヘルミナは尚もこちらに言葉を投げ掛けてくる。
「お気持ちは分かりますが、あの場でのあのような態度は王子として相応しくありません!」
王子として……。
自分は今までだって、王子として過ごしていたつもりは一度もない。
「ジェイス様! 言いたいことがあればこのヘルミナに言ってください!」
言えない。
口を開けば、ヘルミナを傷付けるような言葉を吐いてしまいそうで、ジェイスは口を開くことも出来なかった。
ヘルミナは自分と同じ歳だった弟を、あの日、目の前で失っている。彼女から感じる主従関係を超えた愛情は、弟に向けられるべきだった感情だろう。
ヘルミナは自分に、弟の面影を見ているのだ。
だが、だからこそ余計に、彼女はジェイスが王子の身分を取り戻すことを望んでいる。それに人生のすべてを捧げることが自らの義務だとさえ思っている。
それは仕方のない事だと理解していたつもりだった。でも本当はその思いが、ジェイスには重くてたまらなかったのだ。
「ヘルミナ。ジェイスは中にいるの?」
「はい……。でも、いくらお呼びしても返事がなくて……」
「大丈夫。私に任せて」
扉の向こうでツルギとヘルミナの話し声が聞こえた。
あいつ何しに来たんだ。
ツルギは来て早々、ガチャガチャと鍵の掛かったドアノブを捻ってから言った。
「ジェイス、そこにいる?」
答えなかった。
何だか自分だけがひとり悪者みたいに思えた。
いや、悪者よりもっと幼稚な、ただの駄々っ子にさせられた気分だ。
黙ったままでいると、しびれを切らしたツルギはさらにドンドンッと扉を叩いた。
「ここを開けろなんて言わないから、返事だけしてよ!」
「──なんだよッ! 何しに来たんだよツルギまでッ! サイファスに連れ戻して来いって言われたのかッ?」
ジェイスはベッドの上で上半身だけを起こし、苛立った声を上げた。
「言っとくけどなあ! オレは逃げてる訳じゃねえ! 少し時間が欲しいだけだ! 誰だっていきなりあんなこと言われりゃあ混乱すんだろーがッ!」
そうだ。
今は時間が欲しいんだ。色々考える時間が。
しかし待っていても扉の向こうからの返答がない。
「……ツルギ?」
急に声がしなくなり、不審に思ったジェイスは呟くように言った。
だが、やはり何の音も返ってこない。
「ツルギさんッ!? 何を──ッ!?」
急に慌てたようなヘルミナの声がしたかと思うと、突然扉の向こうで銃声が響いた。
バンバンバンッと続けて三発。あまりの事にジェイスは飛び上がり、ベッドのスプリングがきしんだ音を立てた。
「なッ──!?」
その直後、取っ手が吹き飛んだ扉をばんっと蹴破ってツルギが現れ、満足げな表情で言った。
「よし! 突入成功!」
ジェイスは身体が硬直してしまいすぐには言葉が出なかったが、何とか唾を飲み込んだ。
「よしじゃねえッ! 何やってんだお前はッ!!」
ツルギと言う少女に対してこれほど不毛な質問はない。
長年彼女に振り回され続けてそれを十分に分かっていたジェイスは、問い掛けた質問を一度引っ込めると、ベッドの上にあぐらをかいて頭を抱えた。
「も~ッ!! なんでお前はいつもやること成すこと無茶苦茶なんだよッ!!」
「無茶苦茶じゃないよ。ちゃんと考えてるよ」
「どこがだッ!!」
「これはあたしの気持ちを表してるの」
「気持ちッ⁉」
気持ちって何だ。こんな強盗みたいな部屋の入り方に、どんな気持ちが込められてるって言うんだ。
「ジェイスがどんなにあたしを拒絶しても、あたしは蹴破ってでもそれを開けてみせるってこと!」
「はあ!?」
何だそれ。意味が分からない。
銃声を聞きつけ、サイファスたちが部屋の前に集まって来た。開け放たれたドアの前に立ち尽くすヘルミナに、何が起きたのか尋ねているが、そんなの自分が聞きたいくらいだ。
「いいんだよジェイスはジェイスのままで。王子様になる必要なんかないよ! だってずっとジェイスだったんだもん!」
「そんな単純な話じゃねえんだよッ!」
オレはオレだと、この現実を突っぱねられたらどんなに良いだろう。
「単純だよ! だって生きてるのはジェイスなんだから!」
ツルギは目の前まで近付いてくると、少し声量を落として語りかけるように続けた。
「どう生きるかは、生きてる人間が決めることだよ。あたしはそう教えてもらった。だからジェイスは、ジェイスの思うとおりにやっていい。死んだ人間を気にする必要なんか無いよ。キズのおじさんだってきっと分かってくれる。ヘルミナだって本当は、ジェイスの思うとおりに生きてほしいって、そう思ってるはずだよ!」
そう言われ扉の方に目をやれば、ヘルミナが泣きそうな顔でこちらを見ている。
「ヘルミナ……」
そんなはずない。ヘルミナは望んでいるはずだ。自分の主人が王子として王宮に戻ることを。いずれこの国の国王となることを……。
「ジェイスのお母さんだってきっとそうだよ。ただ生きててくれるだけで嬉しいって、そう言うはずだもの…」
正直、母親の記憶はほとんど無い。自分にとって母と言える人は、あの人。
「……それ、ユリヤさんに聞いたのか?」
ツルギは否定とも肯定とも取れない顔で微笑んだ。
「昔、ユリヤさんが同じ事を言ってくれたんだ。生きてるだけでいい。王子にならなくたっていいんだって……」
その言葉だけで、どんなに心が軽くなったことか。
王子としての価値しかないと思っていた自分を、どれほど癒してくれたことか。
ヘルミナが愛情を注いでくれればくれるほど、もし自分が王子でなかったらこんな風に接してくれるのかと不安になった。
弟は死に、代わりに生き残ったのは、血の繋がりなどない他人。それでも自分に尽くしてくれるのは、自分が王子だからだ。王位を継ぐつもりはないと言ったらその瞬間に離れて行ってしまうのではないか。そう思うと怖かった。
そんな不安を、あの人は全部受け止めてくれたんだ。
本当の親子になれたらどんなに幸せだろうと思っていたあの人は、もういない。
だから自分で決めなければ。どうするべきか。どうしたいのか。
ヘンリークのやったことなど、自分は幼すぎて覚えていない。憎いかと聞かれれば確かに憎い。だがヘンリークに両親を殺されなければ、自分はツルギには出会えなかったし、何にも縛られないイルムガードでの生活も無かった。だから、復讐とは少し違う。
守りたいんだ。今あるものを。
国王の親衛隊がツルギを捕えようとしているのだったら、自分が国王となってそれを止めさせればいい。共にこの国で、何にも怯えることなく過ごせるように──。
長い沈黙の後、ジェイスはベッドから立ち上がるとツルギの目前に立って彼女の手を取った。
「……オレ、やるよ。銀狼党はオレの為の組織だ。けど、目的はオレの為じゃない。お前を守る為だ」
ツルギは目をぱちぱちとしばたたかせてこちらを見上げる。きっと、こっちの気持ちなんて分かっていないんだろう。
ふと扉の方を見ると、鋭い目つきをした殺し屋の男と視線が合った。
あの男に対しても、はっきりと宣言しておこう。
ジェイスはツルギの方に顔を戻すと、母と慕った女性と同じ瞳をしっかりと見つめながら言った。
「オレがお前を守る。お前を帝国になんて渡さない」
もちろん、他の誰にも。




