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司令官はまつろわない2〜逃亡編〜  作者: 綾部みね子
2章

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第20話 黒幕

 この街の寒さは老体にはさぞ辛かろう。

 今日は朝から膝の関節が痛いと言っていたし、そろそろ疲れもたまってくる頃だ。

 今夜は何か身体の芯から温まるものでも食べてもらおう。帰り道に市場に寄って食材を買って行かなければ。

 そう思い立ったが、その前に済ませておきたい用事があり、交差点の角の小さなパン屋に向かった。

 店の前まで来た時、カランコロンとドアに付いた小さな鐘を鳴らして中からひげ面の中年男が出てきた。男はにこにこ、と言うか、なんだかデレデレした笑みを浮かべながら、店内に向けて手を振りつつ歩き去って行く。

 はた目から見ても、かなり気持ち悪い。


(……まさか、あいつまたやらかした?)


 店の中の様子が何となく予想できてウンザリする。

 店内はそこそこ繁盛しているようで、何人か客がいた。しかし全員男で、皆、パンを選ぶフリをしてカウンターに立つレジ係の店員の顔をチラチラと除き見ている。


「いらっしゃいませ~」


 レジ係の店員は紺のお仕着せに白いフリルのエプロンを着た可愛らしい少女で、柔らかそうな金の髪に緑の瞳をして、くるくると良く動き客に愛想を振り撒いていた。

 どうやら客の男たちはこの店員見たさに集まっているようだ。


(……まったく)


 生憎だが、自分はこの店員をただ見に来た訳でも、パンを買いに来た訳でもない。

 真っ直ぐカウンターまで歩いていくと、レジ係の店員に向かって言う。


「必要以上に目立つなって言ってるのに何であんたはそんな格好してんのよッ!」


 一応、人目を気にして他の客には聞こえない声で。


「ソールちゃん! いらっしゃい。来てくれたんだ!」


 レジ係の少女に扮したサンダースは、アホみたいに嬉しそうな顔をしている。


「客じゃないわよッ! あんたが馬鹿なことしないようにクギを刺しに来ただけよ!」

「それなら大丈夫。ばりばり働いてるよ。いやあ結構評判でさ。俺が来てから急に男性客が増えたって店長が喜んじゃって──」

「目立ってんのよそれはッ!」


 アホ“みたい”じゃない。こいつは正真正銘のアホだ。


「大体普通に働いて稼ぐだけでいいのに、何で女装する必要があるのよッ!」


 今回は“仕事”ではない。本当にただ生活費を稼ぐ為に働いている。


「いやなんか、これじゃないと落ち着かなくて……」

「単なる女装趣味かッ!」


 しまった。思わず声を荒げてまわりの注目を集めてしまった。

 ソールは周囲を気にしながら更にサンダースに顔を近付けて声をひそめる。


「とにかく、まだ奴らが完全に諦めたなんて保障はないんだから、ある程度金が貯まったらまた別の場所に移らなきゃいけないのよ! それまで出来るだけ目立たないように行動しなさいッ!」

「……りょーかい」


 つまらなそうに唇をすぼめるサンダースを横目で見やり、ソールはため息を吐いて小声で呟いた。


「なんでよりによって、あんたとセグレトしかいない時にこんなことになるのよ。せめてスノウだけでもいてくれたら……」

「ん? 何か言った?」

「何も言ってないわよ!」


 そう言って、ぷいっとそっぽを向く。それから盛大にまたひとつため息を吐いた。


(ああ、早くスノウに会いたい……)


 彼は無事だろうか。

 今どこにいるのだろう。連絡はまだない。


「そうだソールちゃん。元締めの様子はどう?」

「今は落ち着いてるわ。セグレトの薬が聞いてるみたい。でも、はっきり言って良くないわね。ちゃんとした病院で治療した方がいい」


 だがそれには今の流れ者のような不安定な生活では無理だ。それに今よりも更にカネが必要になるはず。


「いくら元締めでも、やっぱ年には勝てないのか……」

「それに、村を捨てて逃げた時に負った傷が、思った以上に深かったみたい」


 元締めは現役時代、裏社会ではその名の通った凄腕の殺し屋だったらしい。ソールが元締めに拾われた時には既に引退していたので、話でしか知らないのだが、いまだに語り草になるほどだ。その実力は相当なものだったのだろう。

 だがここ数年急激に体力が落ちて、部屋で寝ている事が多くなっていた。そこにきて先日の事件。


 仕事の依頼主と思われる連中に突如襲撃されたのだ。

 ある程度予測していたソールは、殺し屋ではない普通の村人たちを前もって近くの別の村に避難させ、万全の体制で迎え撃つつもりだった。しかし圧倒的な敵の火力を前に、何とか逃げ延びることは出来たものの村を捨てざるを得なかったのだ。


 今は村からかなり離れた北部の街に、残った組織の仲間と潜んでいる。ここには緊急時に使うアジトがあるのだ。

 だがゴルダ村に比べ長期間滞在できるような備えがあるわけではないし、着の身着のまま逃げてきたのでカネもない。仕方ないのでこうやって地道に生活費を稼いでいるのだ。


(まあとりあえず、何とか生活する事はできてるけど……)


 しかし、また奴らに狙われる可能性は十分ある。

 しかも、老人一人と変人二人の面倒を見ながら、次は逃げきれるかどうか自信が持てない。


「はあ……。出来れば身の安全が保障されて、なおかつ稼げる仕事が、どこかにないかしらね……」


 店内の陳列棚に並んだ、こんがりと良い焼き目のついたパン。その向こうのガラス越しに街の雑踏を眺めながら、ソールは呟いた。




 ◇◆◇




 何の音もしない。


 見渡す限りの白銀の大地に、黒い影のような樹木が並び立つ。

 歩くたび、ぎゅ、ぎゅ、と雪が鳴り、立ち止まると一転、何の音もしなくなる。


 身を切るような寒さの中、防音室にいるような感覚を耳に感じながら、スノウは空を見上げた。

 高い針葉樹の枝葉の向こうに、壮大な星空が広がる。

 気温が下がれば下がるほど空気は澄み渡り、星のひとつひとつがよく見えた。



 アルフ・アーウ国属領、サンクアラ。

 世界の屋根と謂われる霊峰ハーデス山を有し、国土のほぼすべてが亜寒帯気候という地域だ。

 その昔、一つの独立した国だったらしいが、侵略され、現在は『帝国』と一般的に呼ばれるアルフ・アーウ国の一地方となっている。

 とは言っても政治的には統合されておらず、アルフ・アーウ国政府から直接管理されているわけではない。その為、独立国家だった頃からの領主が今も変わらず統治している国だ。

 ハーデス山には古来より氷の女神が住んでいるとの言い伝えが残され、人々の信仰と畏怖の対象だ。

 その山のふもとの森の中に、スノウは立っていた。


「スノウ──」


 呼ばれて振り返れば、分厚いコートを着込んだ少年が暗い森の中に立っている。

 彼の黒髪と黒い目は見事に夜の闇に紛れ、肌の色を隠せば、見つけるのに苦労することだろう。

 ただあまりの寒さに歯がカチカチと音を立ててしまっているので、見失うまでには至っていない。


「もういい加減、中に入ろうよ。寒くて死んじゃうよ!」


 黒髪の少年シュウは、身を震わせながら懇願するように言った。


「あと少しで終わる」


 そう言って、スノウは高い杉の木の根元にしゃがみ込んだ。

 細い釣糸のようなものを木の幹に渡す。釣糸の先端には小さな箱型の装置が付いていて、足に釣糸が引っ掛かるとピンが抜け、小さなランプが光るようになっている。侵入者を報せる為のものだ。


「こんなんで役に立つわけ?」


 寒い中、作業に付き合わされたシュウは、ふてくされたような顔をして問うた。


「まあ、念の為だ」


 こんな簡易的な装置でどれほどの効果があるのかは未知数だが、備えあれば、と言うやつだ。

 先ほどからこの森の中の人が歩きそうな場所に、同じような仕掛けを幾つか設置していた。

 隣でシュウはそれを略式の地図に書き込んでいる。仲間内で仕掛けた場所を分かっていないと面倒なことになるからだ。

 そこまでして侵入者を警戒するのには訳がある。

 それはここが、レジスタンス組織“銀狼党”のメンバーが秘密裏に集まる場所であり、帝国が躍起になって獲得しようとしている魔女ツルギの隠れ家がある場所だからだ。


「よし、戻るぞ。そろそろヘルミナが帰ってくる時間だ」


 スノウは立ち上がると森の奥に向かって歩き出した。書きものを終えたシュウも少し遅れて駆け出す。

 暗い森の中は木ばかりで目印になるようなものは何もない。遠くの方でみみずくの鳴く声が聞こえるが、それ以外に生き物の気配は感じられなかった。


「……気持ち悪いトコだね」


 辺りを見回し、寒さに震える身体をかき抱いてシュウは呟く。


「地元の人間もここにはあまり近寄らないそうだ。狼も出るらしいからな」

「ふーん。もしかして、だから銀狼党なの?」

「さあな……」


 少し歩くと、森の奥に小さな明かりが見える。その明かりに向かって近付いて行くと、暗闇から古ぼけた洋館が姿を現した。


 元々は貴族の別荘だったらしいが、人が住まなくなってから随分と時間が経っているのか、茶色く枯れた蔦が館全体を覆うように伸びている。更にその上にうっすら雪化粧を纏った外観は、幽霊屋敷と言うに相応しい様相。

 実際に近隣住民にそう呼ばれていたらしいが、今は銀狼党の中核メンバーがアジトとして使っている。


 屋敷の重たい玄関扉の前には見張り役の男が一人立っていて、人の気配に一瞬身体を強張らせたが、それがスノウたちだと分かると緊張を解いて軽い挨拶をしてきた。

 こちらも軽く会釈を返してから扉を押し開け中に入ると、外気との温度差に固まっていた身体が緩む。

 ゴシックホラーな外観からは想像できないくらい建物の内部は改装されていて綺麗だった。元々は貴族の別荘だというのも頷ける。

 調度品は年代物ではあるが丁寧な造りをしていて、補修され十分に使用できる状態だ。内装も同様に、問題なく人が生活できるようになっていた。


 身体に付いた雪を払ってコートを脱いでいるところに、玄関広間を横切って奥から司令官とヒメルが揃ってやってきた。


「おかえりー」


 司令官は白いブラウスに暖かそうなカーディガンを着て、広間の赤い絨毯の上を歩いてくる。後ろのヒメルはまたあのスカート丈の短いメイド服を着ていて、ロケーションに重厚感があるだけに妙に浮いて見える。


「見回りご苦労様。変わったことはあった?」

「いえ、特には。ヘルミナは帰って来ましたか?」

「うん、さっき帰って来たよ。食糧とか日用品とか、たくさん買って来てくれた」


 ヘルミナはこの館での生活に必要なものを揃えるため、今朝から街に下りて買い出しに行っていた。


「え、じゃあ僕が頼んだもの買ってきてくれたかなあ」

「シュウ君、ヘルミナさんに何を頼んでたの?」


 待ちきれない様子でヘルミナの姿を探すシュウに、ヒメルは問い掛けた。


「雑誌。今日発売日なんだよね。“週刊日本刀”ってやつ」

「なにその雑誌。しかも週刊?」

「懸賞当たってるかどうか確認しないといけないから今週号は外せなくて…」

「殺し屋が懸賞とか応募するんだ。意外と健全!」

「さっきヘルミナが、スノウたちが帰ってきたら話したい事があるから応接間に集まって欲しいって言ってたよ」


 シュウとヒメルのちぐはぐコンビが後ろで何か言っているが、そんなどうでもいい掛け合いなど無視して司令官は言った。


「話したいこと?」

「あ、噂をすれば」


 司令官が振り返った先につられて視線を移せば、ヘルミナがジェイスを連れて広間にやってきたところだった。

 どうやらジェイスを呼びに行っていたらしい。


「ちょうど皆さんお揃いですね。どうぞ応接間の中へ──」

「話したい事というのは?」

「部屋の中で話します。ここは少し冷えるので。皆さんにも関係する話ですので、腰を落ち着けて話したいとのことです」


 どうぞ、と手で応接間へ入るように促しながらヘルミナは言った。




 室内は暖房がきいていて玄関広間よりも更に暖かかった。

 部屋の左奥には白髪に褐色の肌をした老年の男が立っている。

 老年とは言っても体つきはがっしりとしていて、左目の下から右頬にかけて大きく刻まれた傷が更にいかつい雰囲気を醸し出している。

 男の名はサイファス・オズバント。ヘルミナの実の父親で、前国王時代に王宮近衛隊長だった人物だ。

 この洋館に来て最初にヘルミナから紹介されたのがこの男だ。

 銀狼党は彼が立ち上げたものらしく、今もリーダーとして党員をまとめている。

 どうやらユリスはヘルミナを通して以前からこの男と繋がりがあったようだ。


「おお、皆さん。お忙しい中集まっていただいて申し訳ない」


 サイファスは両手を広げながら、いかつい顔に精いっぱいの笑顔を浮かべた。

 彼は元々近衛兵士。つまり軍人だ。

 厳格な性格で人にも自分にも厳しいのだと娘のヘルミナは語っていた。だが同時に、幼い王子を身を挺して守ったことや、何の関係もない自分たちを自らの陣営に無条件で引き入れたことと言い、非常に情に厚い人物であるとスノウは分析している。


「ジェイス様、奥へどうぞ」


 ヘルミナの先導でジェイスは部屋の中央のソファーに座った。後の者たちは特に示されなかったが、スノウは入り口から入って右手の、サイファスから一番遠い位置の壁に寄り掛かった。


「それで、話というのは?」


 スノウが尋ねると、サイファスはぐるりと全員の顔を見回しながら話し出した。


「皆さんもご承知のとおり、我々銀狼党はレジスタンス組織でしてな。準備が整い次第、現国王政府に対する抵抗活動を本格的に開始しようと思っております。ですがその前に、我々にとって重要な人物の存在を皆さんに話しておきたいのです」

「重要な人物?」

「銀狼党の黒幕、とでも言いましょうか」


 黒幕と聞いて、ヒメルやシュウ、司令官までもが身を乗り出すようにサイファスの顔をうかがう。


「それは……、実はローゼス侯爵なのです!」

「ローゼス候爵ッ?」


 豪華というよりは趣深い調度品でまとめられた応接間に、はっと息を飲むような声が溢れた。




 ──のも束の間。


「……って誰?」


 ヘルミナ以外の全員がそれぞれ困惑した表情で白髪の老人に向かって聞き返した。聞いたこともない名前だったからだ。

 問われたサイファスは目をぱちくりさせてから、はははと恥ずかしそうに笑う。


「いやあ、申し訳ございませんでした。つい我々の感覚で喋ってしまいましたな。皆さんはご存じなくても当然です。ローゼス侯爵はサンクアラの領主を務める我が国の有名な高位貴族です」


 そう言ってひとしきり笑ってから、サイファスは話し出した。


「レジスタンス組織として銀狼党を旗揚げした折り、私はローゼス侯爵の元を訪ねました。イルーク王子がご無事であることをお伝えする為です。すると侯爵は、我々を支援すると申し出てくださったのです。もちろん侯爵というお立場でレジスタンスを支援するなどあってはならぬこと。絶対に秘密にしなければならないのですが──」

「なあ、そのローゼス侯爵ってのは、なんでレジスタンスなんかを支援してくれんだ?」


 ジェイスがソファーからサイファスを見上げながら問うた。


「それは……」


 サイファスは何故か少し言い淀んだ。だがすぐに穏やかな口調で続けた。


「侯爵家の現在のご当主が、王子のお母上であるマリエルダ皇太子妃の弟君だからです」

「……お母さんの弟ってことは、つまり叔父さんってこと?」


 ジェイスと同じくソファーに腰かけた司令官が尋ねると、サイファスが少女の方に顔を向け頷いて答えた。


「おっしゃるとおり。サンクアラ領主ホルガルド・ローゼス様と王子は、叔父と甥の関係にあります」


 叔父という言葉に、ジェイスは少し驚いた表情をした。どうやら叔父がいるという事実は初耳だったようだ。


「良かったねジェイス! 家族がいたんだ!」

「はい。ローゼス候爵は王子にとって唯一頼れる親類。そこで王子には是非、直接本人に会っていただきたいのです」

「会うったって、いきなり……」


 ジェイスは困惑した様子で口ごもった。


「あの~、水を差すようで申し訳ないのですが〜……」


 不意にヒメルが遠慮気味に手を挙げた。それとほぼ同時に、シュウが眉をひそめながら不満げに口を挟む。


「なんか話が見えないんだけど──」


 そしてその次に発せられた二人の声は完全にシンクロした。


「「──王子って誰のこと?」」




 その場に一瞬、虚を付かれたような沈黙が生まれた。





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