第93話 判決
「……ワシなんぞのために頭を下げるな、ウタ兄。お人好しなのは相変わらずだな」
そう言って苦笑するサディロスの顔には、この法廷で見せていたあの嫌味な表情は微塵もなかった。
「被告、勝手な発言は控えるように」
「ああ、悪いな。だが、少しぐらい大目に見てもらえると助かるが」
裁判長はサディロスをじっと見つめた後、左右の裁判官に確認を求めるように小声で話し掛ける。
「……許可しましょう。しかし、質問には素直に答えるように。それが条件です」
「いいだろう。だが、くだらん話に付き合う気はない。よく考えて口を開くんだな」
ああ言えばこう言うって、まさにこういうことを指すんだろうな……しかも、すごく偉そうだ。
裁判長は呆れた顔で大きくため息をつくと、そのまま沈黙した。
サディロスは口元に皮肉な笑みを浮かべた後、ウタ爺へと視線を移す。
その眼差しは不思議なほど優しかった。
「サディ……やっぱりお前じゃったか。この木彫りのブローチと、ほれ、その耳の形。チラッと見えた時に、ワシはすぐ気がついたぞ?」
たしかにヤツの耳は片側が少しだけ歪んでいて、特徴的な形をしていた。
「ずいぶん調子がいいな、ウタ兄。5年前にワシが村を訪ねた時は、気付かなかっただろ」
「おお、そうじゃったのか……それは悪かったな、サディ」
眉を八の字にして申し訳なさそうにウタ爺が答えると、サディロスの瞳が一瞬潤んだように見えた。
でも、5年前って……俺を連れてセリナ村に行くよりもずっと前に、あいつは村を訪れていたのか。
「……ウタはここ数年で、記憶が曖昧になることが増えた。思い出せなくとも、仕方のない時もあるだろう」
それまで黙ってふたりのやり取りを見守っていたグレオルドさんが、口を開いた。
「そうか、ワシのことを忘れたわけではなかったのか……お互い年を取ったな、ウタ兄」
しみじみと呟いたサディロスは、寂しげに笑った。
俺も村に滞在していた時、同じ話を繰り返すウタ爺の相手をしたことがあった。
あの時は苦笑いするしかなかったのに、今はそれさえも切なく見える。
「被告、先ほどの証言について、何か述べることはありますか?」
「……ウタ兄の言う通りだ。それに今さら隠すつもりもない」
裁判長の問いかけに、サディロスは不満げに眉をひそめながらも、あっさりと認める。
法廷の傍聴人たちも息を呑んで、ヤツの次の言葉をじっと待っていた。
「先ほどの証言では、被告がこの国へ来た経緯までは明らかになっていません。それについて説明できますか?」
「……さっきウタ兄が言ったように、ワシらは隣の国からこの国へ逃げてきた。当時、祖国は戦ばかりしておったからな」
サディロスはすぐには答えず、しばらくして、ようやく重い口を開いた。
「それは、戦乱を避けるためですか?」
「さあな。親の考えていることまでワシには分からん……戦争が起これば被害を受けるのは国民だろう。だが生活苦で暴動が起きるようになると、真っ先に狙われるのは金を持っているヤツだからな」
「……なるほど。たしか、隣国で発生した飢饉により、戦争は終結せざるを得なかったのでしたね」
そうだったのか……どんな目に遭うか分からないから、逃げ出したんだ。
「それで、この国へ来た後、あなた方はどうなったのですか?」
「どうもこうもあるか。戦が終われば、ワシらはあの憎たらしい国から追われる側になった。仲間も家族も、みな散り散りだ」
密入国という一言では片づけられない事情に、その場の誰も口を閉ざし、サディロスを咎められる雰囲気じゃなかった。
「……その結果、被告は隣国を恨むようになったということですか?」
裁判長だけは落ち着いたまま、それでもわずかに間を置いて、次の問いを投げかけた。
その一言で、サディロスの顔つきが変わる。
「恨むだと……そんな生ぬるいもんで済むわけがないだろ」
今までサディロスが押し殺していたものが、そこで初めて剥き出しになった。
「裁判長、ここで一点、被告に確認してもよろしいですか」
「……許可します」
重苦しい空気が漂う中、キレアーノさんはその機会を逃すまいと手を挙げた。
「被告は先ほど関与を否定されましたが、検問所付近では、子どもたちが村人に目撃されています。この件に無関係だと言い切れますか?」
たしかにそうだ……この件だけはキレアーノさんも首を捻っていた。
「……」
「被告、先ほど約束したはずです」
裁判長に促されて眉間にシワを寄せるサディロスは、観念したように大きく息を吐いた。
「……あれは隣の国の孤児だ。こっちで引き取って育てさせている。ワシが関わっていると分かれば、あの子たちが元の場所に戻されると思ったからな」
「では、孤児院にいる子どもたちの中には、人身売買の形で売られてきた者が多いのですか?」
ふたりのやり取りに、法廷の空気は静まり返り、傍聴人たちも息を潜めてその返答をじっと待った。
「全員ではないが……あの子たちを育て、いずれは祖国への復讐を果たすために働いてもらうつもりだった。その教育に掛かる金は惜しまん」
サディロスの口にした言葉には、まるで「それの何が悪い」と言わんばかりの、開き直ったような強さがあった。
「では被告は、隣国への復讐を考えていたということですか?」
「そうだ。あの国を、内側から腐らせてやるつもりだった……麻薬を使ってでもな」
裁判長の問いかけに吐き捨てるように答えるサディロスは、もう取り繕う気配すら見せない。
「ふん、この国でぬくぬくと生きているお前たちに想像できるか? 祖国に追われ飢えに苦しみ、仲間が次々と死んでいく。木の根やその辺の雑草を食べながら、それでも生き延びなければならない惨めさを」
できるわけない……俺にはサディロスが見てきたものも失ったものも、きっと本当の意味では想像できない。
法廷の誰も、もうその告白から目を逸らせなかった。
◆
傍聴人たちは、今か今かとその瞬間を待っていた。
裁判長はゆっくりと息を整え、椅子に座り直してから目の前の書類に視線を落とす。
「……以上を踏まえ、土地売買契約に関する訴えについて、判決を下します」
その声に、ざわめきかけた法廷が再び静まり返った。
「土地売買契約については、被告サディロス・ゴールドラインによる不正な関与が認められ、正当性を支える根拠も失われています。よって、セリナ村と被告の間で結ばれた土地売買契約は無効とします」
短く息を呑む音が、あちこちで重なる。
「……なお、検問所の設置経緯、ギルドを通じた不正、孤児院および子どもたちに関する件については、改めて調査が必要です。関係書類の保全と被告らの拘束については、追って指示を出します。以上」
裁判長が木槌を力強く叩き付けると、法廷内は一気に歓声で湧き上がった。
手を取り合って喜ぶセリナ村の人々がいる一方で、傍聴していた貴族の中には、慌てて使用人に指示を飛ばす者もいた。
「……ユウマさん、ありがとう」
「いえ、こちらこそ。少しでもお役に立ててよかったです」
隣に座っていたグレオルドさんは、疲れたように笑うと片手を差し出してくる。
俺はしっかりと両手で握り返し、何度も勢いよくブンブンと振った。
「おう、お疲れさん」
「オラロワ支部長、それにキレアーノさんも。ありがとうございました」
後味の悪い結末ではあったけど、取り繕うのをやめたサディロスの横顔を見ると、これでよかったのかもしれないとも思う。
俺にできるのは、ここまでだ……子どもたちのことは国に任せるしかない。
「みな静かに! 陛下が退出されます!」
俺たちは慌てて姿勢を正し、国王とジライ将軍がゆっくりと法廷を出て行くのを見送った。
◆
「それでは皆さん、お気を付けて……とは言っても、あなた方を狙う人間は、もういないと思いますが」
「キレアーノの言う通りだな。もう変装しなくて済むんじゃねぇか、ユウマ」
「ははは、そうですね。でも、あれはあれで楽しかったです」
裁判所を出ると日は高く昇り、昼食の時間をとっくに過ぎていた。
オラロワ支部長の冗談で力が抜けたのか、審理の途中は静かにしていた腹の虫も、グウグウと鳴り始める。
「では、私はここで。今後の経緯については、手紙でお知らせします」
キレアーノさんが軽く頭を下げ、背を向けると、もう二度と会えなくなるわけでもないのに、なぜかせつない気分になる。
「……とりあえず、契約は無効になりましたな」
隣でグレオルドさんがしみじみとつぶやく。
「ええ。でも孤児院や子どもたちのこと……本当に大変なのはこれからでしょうね」
「そんな暗い顔すんじゃねぇよ。少なくとも村の土地は取り返せたんだ。まあ、俺もこれから忙しくなるけどな」
オラロワ支部長は腕を組んで壁に寄りかかり、珍しく茶化しもせずにいる。
「ユウマー、みんな出発するって!」
「あ、うん。すぐ行くよ!」
振り返ると、いつものイノール村の仲間たちが、穏やかな笑みを浮かべて俺を待っていた。
「また会いましょう、皆さんお気を付けて」
俺たちは、セリナ村の人たちが乗り込んだ馬車が見えなくなるまで手を振り続ける。
小麦畑や粉挽き場の件で、きっとまたすぐ顔を合わせることになるだろう。
「……よし、出発するぞ」
オラロワ支部長に別れを告げ、俺たちが乗り込むと、イデルさんの幌馬車はイノール村へ向けてゆっくりと走り出した。




