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逆流者の旗  作者: 秋月 爽良


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第92話 今さら、もう遅い

「ウタ爺さん……?」


 立ち尽くすウタ爺に、法廷内の全ての人の視線が集まった。

 

「お前、サディじゃろ。ワシじゃ、ウタじゃよ。小さい頃、よう一緒に遊んでやっただろうが」


 サディって、サディロスのあだ名だよな……?


 警備に押さえつけられていたサディロスは、ぴたりと動きを止めた。


「……ウタ。あの男を知っておるのか?」


 グレオルドさんは傍聴席の方へ振り向いて、小さく声を掛けた。


「原告側及び傍聴人は、勝手な発言を慎むように」

「……ああ、申し訳ない。村の代表として謝罪させてもらう」


 グレオルドさんはウタ爺のそばにいた村人たちへ指示を出すと、椅子に腰を下ろして深く息をついた。


「代理、ワシはあの子のことをよく知っておる。サディが悪さをするはずがない」

「ウタ爺、落ち着けって。話は後で聞くから――」


 村人たちが慌てて座らせようとしても、ウタ爺はそれを振り払い、なおも言葉を続けた。


 サディロスのことを何か知ってるのか……だとしたら、聞かないわけにはいかない。

 

 キレアーノさんと視線を交わしたその横で、オラロワ支部長も小さくうなずいていた。

 俺はふたりの意図を察して、軽く手を挙げる。


「裁判長、原告側から提案があります」

「……何でしょうか」


 裁判長はもう落ち着きを取り戻していたけど、警戒心が言葉に滲み出ていた。


「今、発言した男性を証人として――」

「さっさと判決を出せ! 小僧の話など聞く必要もないだろうが!」


 サディロスが目を見開き、俺の言葉を遮るように裁判長を怒鳴りつけた。

 ヤツの側に控えていた警備たちがすぐに両脇を固め、力ずくで押さえつける。


 もう二度と暴れさせまいと、彼らはぴたりと張り付いたまま、そばを離れない。


「……被告は静かにしなさい。今度こそ退廷させますよ?」


 裁判長が注意すると、サディロスは悔しそうな表情を浮かべつつも、渋々口を閉じた。


「……それで、原告側の提案というのは?」

「はい、先ほど発言したセリナ村のウタさんを、証人として申請します」


 孤児院の水増しが判明した途端にサディロスが暴れ出して、その直後にウタ爺がサディと呼んだ。

 俺たちが見落としていたものが、もう少しで一本の線で繋がろうとしている気がする。


 ……自分の勘を信じたい。


「その理由を述べてください」


「はい。検問所が建てられている土地は、水はけが悪く開発には向いていません。それにあの場所が選ばれたことと、廃坑を利用した密輸の疑いについては、まだ曖昧なままです」


「ふむ……続けなさい」


 孤児院の不正が明るみに出た時の取り乱しようも、あの呼びかけに見せた反応も、ただ廃坑を利用したいだけでは説明しきれない気がしていた。


「先ほどウタさんは、被告を『サディ』と呼び、昔の彼を知っている口ぶりでした。被告があの土地を選んだ経緯と、この一帯との関わりを知る証人として申請します」

 

 言い終えた瞬間、サディロスの視線が鋭く俺へ突き刺さる。

 唇の端がぴくりと引きつり、押さえ込んでいた怒りが顔に滲み出ていた。


「……裁判長」


 押さえつけられたままのサディロスが、絞り出した一言は、驚くほど落ち着いていた。

 

 いつもの胡散臭い言い逃れとも、芝居じみた余裕とも違う。

 妙に生々しい苛立ちだけが、そこに剥き出していた。


「……被告、発言を許可します」


「その年寄りに喋らせる必要はない。土地の売買も全てワシが仕組んだ。そこにいるレブランにも、ギルドを利用するために協力させていた」


「わ、私は何も知らない! 脅されて仕方なく協力しただけなんです!」


 証言台の手すりを掴み、その場で必死に訴えるレブランの言い訳に、もう誰も耳を貸そうとはしなかった。


 サディロスはその様子に、見下すような、これまでで一番ひどい笑みを浮かべる。


「水増しについてはワシは指示しておらんがな……土地の件はこれで十分だろう。これ以上、何を聞く必要がある」


 サディロスは目だけを血走らせたまま、最後の意地を守るように吐き捨てた。

 たぶん今、この法廷で一番レブランに腹を立てているのはヤツなんだろう。


 もうここは、土地の売買だけを裁く場ではなくなっていた。

 ただ証言台にしがみついたレブラン副部長だけは、逃げ場を失って立ち尽くしていた。


 ◆


「これからどうなるんでしょうか……?」

「さあ、分からねぇな。あとは裁判官たちの判断次第だ」


 思わず漏らした俺の問いに、オラロワ支部長は肩をすくめた。

 裁判長たちは小声で何度も言葉を交わし、その顔にはもう隠しようもない疲れが浮かんでいる。

 

 法廷内は静けさに包まれていて、証言台から下ろされたレブラン副部長は、別の席に座らされたまま、焦点の合わない目で宙を見つめていた。

 

 やがて結論が出たのか、裁判長は目の前の書類をまとめ、額に浮いた汗を手の甲で拭った。


「……ゴホン。本件は当初、土地売買契約の無効を求める訴えから始まりましたが――」


 そこで一度言葉を切り、法廷内を見渡す。


「原告側の提案を受け入れ、セリナ村のウタさんに証人として証言台へ上がっていただきます」

「止めろ! ワシが全部仕組んだと認めただろうが! それで十分なはずだ!」


 警備や裁判長にたしなめられても、サディロスはもう止まらなかった。

 

 そこまでして、ウタ爺に何を話されるのが嫌なんだ……?


「被告はすでに十分発言しました、それは理解していますね? また騒ぐようであれば、証言が終わるまで発言を禁じ、拘束を続けます」


「ぐうぅ……くそっ!」


 全部認めたから終わりにしろと喚くサディロスに、裁判長が発言の制限を冷たく言い渡す。

 さっきまで怒号に揺れていた法廷も、その一言でようやく形だけは取り戻した。


 サディロスがなおも身をよじって怒鳴ろうとすると、背後に回った警備が肩を強く押さえつける。

 もうひとりは剣の柄に手をかけたまま、無言でその場に立った。


 それでもヤツの喉は低く唸り続けていたが、先ほどのように大声を張り上げることはできなかった。


 警備に押さえ込まれているあいだに、ウタ爺はゆっくりと証言台へ上がる。

 ざわめきの余韻がまだ残る法廷で、その背中がやけに小さく見えた。


「証人、氏名を述べてください」

「うむ、セリナ村のウタじゃ」


「ではウタさん、貴方が被告について知っていることを話してください」


 ウタ爺は手のひらの小さな木の欠片をそっと握りしめ、証言台の手すりにもう一方の手を置く。

 押さえつけられたまま目をそらすサディロスを、じっと真っ直ぐに見つめた。


「……この子は、サディで間違いない。この木彫りのブローチも一緒に作った。昔、隣の国からきた貴族たちの中におった子でな、セリナ村の川の上流に、仲間たちと一緒に住んでおった」


 予想していなかった事実に、法廷の空気が張りつめる。

 誰も口を開かず、ウタ爺の声だけを待つように耳を澄ませていた。


「当時の村長からは身分が違うから関わるな、余計なことは知るなと、よう言われとったが……ワシは時々、こっそり会いに行っておったんじゃよ」


「……それは、何のためにですか?」


 裁判長の問いに、ウタ爺さんは少し困ったように眉を下げた。


「ヒルダリゼに会いにじゃよ。あの子とサディは、よう一緒におったからの」


 その名が出た瞬間、サディロスの肩がびくりと揺れる。


 ヒルダリゼって、まさか……そんなことってあるか?


 チラリと傍聴席に視線を向けると、小さく手を振りながらヒナタが微笑んでくれる。

 彼女の隣に座る女性は、ふん、と鼻を鳴らすように顎を上げた。


 婆ちゃん、だから高価な望遠鏡持ってたんだ……。

 あれ……でもウタ爺の彼女って華奢で儚い感じって言ってなかったか?


「……戦が終わった後、あやつらは急におらんようなった。何度も家に行ってみたが、ワシはそれきりサディにもヒルダリゼにも会ってはおらん」


 ウタ爺さんは一度言葉を切ると、深く息を吐いた。


「サディが何をしたかは、もうろくしたワシにはよう分からん。じゃが、どうか許してやってくれんかの」


 証言台で頭を下げるウタ爺の姿に、法廷内は凍りついたように静まり返った。


「……バカ野郎。今さら思い出したところで、もう遅いんだよ」


 震える声で放たれたその言葉は、サディロスの口からこぼれ落ちたものだった。

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