第94話 拾った場所
「……なに人の顔ジロジロ見てんだい。アタシの顔に穴でも開けようってのかい?」
俺の向かいに座るヒルダ婆ちゃんは、眉間にシワを寄せる。
相変わらず口が悪い。
「いや、婆ちゃんの美貌に見とれてただけ」
「真面目な顔して馬鹿なこと言ってんじゃないよ。気になることがあるならハッキリ言いな」
「うん……ウタ爺さんのこと、あれで良かったのかなって思って」
他の連中に聞かれたくない話かもしれないと思って、俺はそっと周りを見回した。
「もう、お互い別々の人生を歩いてるんだ。これでいいんだよ」
俺の配慮なんか気にもせず、婆ちゃんは荷台の壁にもたれてぶっきらぼうに言い放った。
「そっか……婆ちゃんがそう言うならそれでいいけどさ」
それ以上、俺は何も言えなかった。
彼女がそう決めたなら、口を出すのも違うような気がしていたから。
「……まあ、気が向いたらセリナ村に遊びに行ってやるさ」
「婆ちゃん……!」
「イタタ……その前に、もう少し乗り心地のいい馬車を用意するのが先だね」
苦笑する彼女は、顔をしかめて腰をさすった。
イノール村が近づくにつれ、舗装された街道は砂利道へと変わっていく。
幌馬車が大きく揺れるたび、眠っていたメイたちも少しずつ目を覚ましていった。
「さあ、ユウマにはしっかり働いてもらわないとね」
村に着いた俺を待っていたのは、大量のパンケーキ武器の注文書と、埃だらけの部屋の掃除だった。
それからしばらく経って、イノール村はいつもの忙しさを取り戻していた。
そんなある日、パンケーキ工場の中に懐かしい声が響く。
「よお、元気にしてたか?」
「オラロワ支部長じゃないですか! いらしてたんですね」
「ははは、粉まみれじゃねぇかよ」
「セリナ村との往復で、こっちはあんまり手伝えなくて。せめて村にいる時くらいはと思って、一生懸命やってます……ゲホッゲホッ」
俺は扉を開けて外へ出ると、全身にまとわりついた小麦粉を払った。
思った以上に量が多く、少し咳き込む。
「おいおい、大丈夫か?」
オラロワ支部長は白い息を吐きながら苦笑して、俺の肩や袖についた粉を手際よくはたき落としてくれた。
「こっちはもう寒いんだな……厚着してきて正解だった」
「ベラティアが本格的な冬に入るのは、もう少し先ですもんね。この時期はもう雪がチラつくこともあるんですよ」
俺たちは、他の村人たちに早めに交代してもらって、ヒルダ婆ちゃんの家へ向かった。
テーブルを囲んでそれぞれ椅子に腰を下ろすと、部屋の暖かさにようやく一息つけた気がする。
「見て、ヒナタ。美味しそう」
「わぁ、本当ですね。どれにするか迷っちゃいます」
目の前に座っているメイとヒナタは、お土産にもらった小さな焼き菓子に目を輝かせていた。
「それで、今日はどうしたんですか? ギルドもいま大変なんでしょう?」
「……まぁな。サディロスたちの事情聴取が進んで、俺が把握してなかったことも出てきたんでな。毎日遅くまで残って、数字と格闘しなきゃならねぇんだよ」
俺がお茶の入ったカップを手渡すと、ひと口飲んだオラロワ支部長は、両手で器を包み込むようにして暖を取った。
裁判が終わった後も彼からの手紙は絶えることがなかったけど、こうして顔を合わせて話せるのはやっぱり嬉しい。
「ほら、キレアーノからの手紙だ。それに全部書いてある」
オラロワ支部長は足元に置いた鞄から一通の封筒を取り出すと、俺の方に差し出した。
「あ……ありがとうございます」
封筒を受け取って封を切ると、キレアーノさんらしく書き出しは丁寧な言葉で始まっていた。
そこには、俺の知らなかった事実が簡潔にまとめられていた。
「……ねぇ、ユウマ。手紙にはなんて書いてあったの?」
お土産のクッキーをほおばりながら、メイが問いかけてくる。
「うん……薬草に麻薬成分が含まれていて問題になっただろ? あれもサディロスの仕業だったって」
「そういや、そうだったな……俺たちが治療院にいたときだろ?」
斜め前に座るエイドは、険しい表情をしている。
今なら笑い話で済むけど、それも煎じ薬で怪我がすっかり治ったからこそだ。
それにあの時はオラロワ支部長とキレアーノさんがいてくれたから、あれ以上俺の立場が悪くなることはなかった。
公平に接してくれたふたりには、今でも感謝しかない。
「書いてあったのはそれだけだったのかい?」
ヒルダ婆ちゃんは、イデルさんが買ってきた新しい茶葉の香りをゆっくりと楽しみながら、クッキーに手を伸ばした。
「いや、孤児院のことも書いてある。サディロスが子どもたちを利用するつもりだったって話だったけど、実はそうじゃないみたいだ」
「少なくとも孤児院では、子どもたちが将来困らないように、かなりの額の寄付と教育者まで送り込んでたらしい。それも全部レブランに手配させてたそうだ」
オラロワ支部長は自分が買ってきたお土産のクッキーには手を付けず、テーブルの上に残されていたパンケーキをひとつ摘まんで口に放り込んだ。
「ほう……それはどういった心情から、そのような行動をとったのでしょうか?」
最近遊びに来ることが増えた魔王の横で、彼の空になったカップにお茶を注いでいたネリオが興味津々で口を挟んだ。
「子どもの頃に苦労したからじゃねぇかと思うがな……レブランの方は、ただ贅沢したかったんだろ。まぁ、その後始末のために、俺はこうしてあちこち謝罪して回ってるんだが」
……マネロンや水増しに使われてたのって、ベラティア周辺だけじゃないのか?
「あの……レブランは他にも何かしてたんですか?」
俺が尋ねると、オラロワ支部長は渋い顔をする。
「あり得ねぇことに、死傷した冒険者の遺族に払う補償金にまで手を付けててな……実際には支給してない金を支払い済にして、自分の懐に入れてやがった」
「ひどい……」
「本当だわ」
悲しそうに目を伏せるヒナタの横で、メイもうなずきながら、その手はお菓子に伸びていた。
「頭を下げて回って、最後に寄った家がここから近かったんで、顔を出したってわけだ……悪ぃが泊めてもらえると助かるんだが」
「大したもてなしはできないが、それでも良けりゃ泊まっていきな。ユウマもセリナ村に行く用事があるし、ついでにベラティアまで送ってやるといい」
「おお、悪ぃな」
ヒルダ婆ちゃんの許可が出ると、オラロワ支部長は安心したように表情を緩めた。
彼は少し冷めたお茶を飲み干すと、勢いよく立ち上がった。
「よし、せっかくここまで来たんだ。武器を作ってるとこを見せてもらってもいいか?」
「じゃあ俺が案内しますよ。こっちです」
俺とオラロワ支部長は、ヒルダ婆ちゃんの家を出て、工房までの道を連れ立って歩く。
「グレオルドさんからも手紙が届いたんです。息子のラオスさんがあの一件以来、ようやく腹を決めたようだって書いてありました。次の村長になるつもりで真面目に働いているそうですよ」
「そうか、そりゃ良かったな。あのときはずいぶん驚いたが」
セリナ村とサディロスの契約は、今や国境の問題にまで発展して、国はその対応に追われている。
貧しい村の土地争いだと思っていたものが、いつの間にか国を揺るがす話にまで膨れ上がっていた。
でも俺はいまだに、「ワシのことを忘れたわけじゃなかったんだな」ってサディロスが呟いた言葉が頭から離れずにいる。
愛された記憶に裏切られたことが、人を壊してしまったのかもしれない。
もしウタ爺が、あのとき気づいてたら……今さら考えても仕方ないのは分かってる。
それでも、サディロスを止められた最後の一線だった。
その日は、結局夜遅くまでオラロワ支部長と話し込んで、ふたりでイノール村を出発したのは2日後のことだった。
「……じゃあ、行ってくるよ」
新しく購入した馬車の手綱を握り、俺はゆっくりと馬を走らせた。
オラロワ支部長は、お土産に渡した新作「ロシアンルーレットパンケーキ」を胸に抱え、満足そうな顔で目を細めていた。
「ありがとな、ユウマ」
「また遊びに来てくださいね」
ベラティアに着いてオラロワ支部長を降ろしたあと、俺は門番のリントさんに挨拶をして、教会やミレイユさんの店にも顔を出した。
そして再び馬車を走らせると、俺はこの世界で初めて硬貨を拾った場所へと立ち寄る。
あの時、掲示板の下に落ちていたたった1枚の硬貨を、今でも大事にしまっていた。
なんとなくポケットから数枚の硬貨を取り出して、そっと同じ場所に置いた。
どうしてこんなことをしたくなったのか、自分でもうまく説明はできない。
ただ、何もせずに通り過ぎる気にはなれなかった――。
―― Fin ――




