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逆流者の旗  作者: 秋月 爽良


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第87話 審理開始

「それでは、これよりセリナ村より提出された土地売買契約無効の訴えについて、審理を開始する」


 改めて中央に座る裁判長の声が法廷に響くと、傍聴席のざわめきもようやく収まっていく。

 俺は小さく息を吐いて、正面に立つサディロスを見据えた。

 

 ついさっきまで余裕たっぷりに見えた男も、国王が現れたことで、さすがに少しばかり顔色を失っている。


 ……もう逃げられないからな。


「まずは原告側、代表者の氏名を」

「はい……!」


 裁判長に促されグレオルドさんは立ち上がると、一度軽く頭を下げる。


「セリナ村、村長代理のグレオルド・ヘルダインと申します」

 

 さっきまでの緊張を押し込めるように、背筋をまっすぐ伸ばしたその横顔には、落ち着いた強さが漂っていた。


「では、訴えの内容を述べなさい」 


「はい。本日、我々はサディロス・ゴールドラインさんとの土地売買契約が正当に結ばれたものではないとして、その無効を求めて参りました」


 少しだけ震えたような、でも低く、はっきりとした彼の声は法廷内によく響いた。


「この売買契約が結ばれた当時、私は何者かに襲撃され床に伏しておりました」


 法廷の中にわずかにざわめきが起こって、詳しく事情を知らない者は驚いた表情を浮かべ、お互い顔を見合わせる。


「サディロスさんは十分な説明もないまま、私の息子ラオスに村の代表として署名を求めたのです。しかも、その契約内容は村に著しく不利益をもたらすものでした」


 向かいに立つサディロスは片眉を上げただけで、口元にはまだ余裕の笑みを浮かべていた。


「村側が、その契約内容を正式に承認した事実はありません……以上です」


 拳を強く握り締めたグレオルドさんは、軽く一礼すると静かに席につく。


「ふむ……では被告側、氏名を」


 裁判長に促され、サディロスは口元をねじ曲げながら薄気味悪く笑うと、わざとらしくゆっくりと立ち上がる。


「……サディロス・ゴールドラインです。まったく、ずいぶん大げさな話ですなぁ。私はただ正式な手続きを経て土地を購入しただけですよ?」


 求められてもいないのに、あいつは鼻で笑うようにこっちを見た。


「被告、勝手に発言しないように」


「おや、これは失礼……ですが裁判長、契約後に気が変わったからといって無効を訴え、それが認められるようでは、あまりにも身勝手すぎるではありませんか」


 サディロスの発言に、裁判官たちは眉間にシワを寄せたり、眼鏡を押し上げたりと、それぞれ異なる反応を見せる。


「それに、登記局でも土地の名義変更まで無事に終わっておるのです。こんな裁判など、早く終わらせるべきでしょう。これでも私は忙しい身でして、ははは」


「被告、発言を控えなさい……それを決めるために、今このように審理をしているのです」


 すごい自信だ……いや、自信っていうより、法廷の空気そのものを舐めてるのか。


 裁判長の冷ややかな視線と厳しい言葉に、これ以上はまずいと悟ったのか、サディロスは小さく肩をすくめてこちらにニヤリと笑った。


 裁判長は手元の書類に何かを書き込むと、顔を上げた。


「双方の主張を受け、まずは、この契約が正当な説明と同意のもとで結ばれたかに焦点を絞ります。両者とも、いいですね?」


「はい」


 返事を返しつつ、俺は契約書の不備を持ち出すタイミングを密かにうかがっていた。


「では原告側、息子のラオスさんは出廷されていますか? 可能であれば、本人から直接話を聞きたいのですが」


「……いえ、息子は責任を感じ、この契約の後から部屋に籠もりきりで出てこなくなりました」


 傍聴席のあちこちで小さく息を呑む音と、サディロスが小さく吹き出すのが聞こえる。

 睨み付けると、サディロスは口元を隠しながら肩を揺らしていた。


「そうですか……では原告が主張する契約の無効について、証拠となる物はありますか? 現在は提出されていないようですが」


「ございます、こちらに」


 グレオルドさんは、係の職員にラオスが持ち帰った契約書の控えを手渡す。


「本来なら事前に提出すべきものですが、控えはこれしかありません。私が襲撃されたことを考えると、手元に置いておくほうが安全だと考えました」


 ちらりと視線だけサディロスへ向けるグレオルドさんは、それだけ言うと澄ました顔で席に着く。


 裁判長はパラパラと契約書の控えを(めく)ると、一瞬だけ眉をしかめ、右隣の裁判官に手渡した。


 渡された控えは、そのまま順に他の裁判官たちの手にも回されていく。

 内容を確認した彼らは、ヒソヒソと小声で話し合うと、小さくうなずき合った。


 裁判長は彼らの意思を確かめ、真っ直ぐこっちを見た。


「セリナ村が主張する不利益について、議論が必要なようです。被告側は、これと対になる契約書の原本を持参していますか?」


「ええ、もちろんです」


 サディロスは、待ってましたと言わんばかりに、係の職員を無視して自ら裁判官に手渡そうとしゃしゃり出てくる。


 だが、すぐに警備に止められ、それでもニヤニヤと笑いながら持論を垂れ流し始めた。


「そもそもですな、ラオスさんはもう成人しているのです。グレオルドさんが村長代理としての職務を果たせないのなら、息子の彼が村の代表となったとしても、おかしな話ではないでしょう?」


 芝居がかった大げさな身振り手振りで話すサディロスは、傍聴人まで味方に引き込もうとしていた。


「セリナ村は世襲制と聞いております。襲撃については気の毒に思いますが、ラオスさんに村を代表して契約に来たと言われれば、それを信じるほかありませんからな」


 グレオルドさんの表情は驚くほど静かだった。

 ただ、怒りを我慢しているのか、拳を膝の上でギュッと握り締めていた。


「嘘だ! ソイツは俺に、村のみんなを雇ってやるって約束した! 親父、そんな奴に負けんな!」


「……ラオス! お前、どうしてここへ!?」


 聞き覚えのある声が法廷内に響き渡って、傍聴席の後ろで、フードを被ったままのラオスが立ち上がって叫んでいた。


「……おかしいとは思ってた。ソイツが俺に言った条件は、村の連中が稼ぐ額の3倍だった。本気で考えれば気づけたのに……」


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら、必死に訴えかける彼の姿に、誰ひとり笑う者はいなかった――サディロスを除いては。


「俺が悪かった、親父! だから……絶対に負けんな!」


 裁判長が短く指示を出すと、係の職員と警備がラオスの元へ向かう。

 涙で顔をぐしゃぐしゃにした彼は、そのまま支えられるように法廷を出て行った。


「……グレオルドさん、大丈夫ですか?」

「ラオスが、なぜここに……」


 呆然と立ち尽くす彼をゆっくりと席に座らせ、落ち着くように何度も話しかけた。


「……ユウマ、いけるか?」

「もちろん。ラオスさんのことも心配ですから、さっさと終わらせましょう」


 オラロワ支部長が、法廷のざわめきに乗じて、こっそり声を掛けてくる。


「この後は俺が引き受けますから……グレオルドさんは、ここで休んでいてください」

「あ、ああ……ありがとう」


 裁判長も想定外だったのか、すぐには口を挟まなかった。


「……静粛に」


 絞り出されたその一言でさえ、落ち着かない傍聴人たちを完全に鎮めるには足りなかった。


「静粛に。静かにしなさい」


 木槌でカンカンと激しく叩き付ける音と、裁判長の制止する声が法廷内に響き渡ると、徐々にざわめきが収まっていく。


「裁判長、先ほどのラオスさんの発言は、正式なものではありませんからな。記録から除外していただきたい」


「……それを判断するのは被告ではなく、裁判官です。席に着きなさい」


 記録に残るかは分からないけれど、さっきのラオスの言葉は、この場の全員の記憶にしっかり刻まれている。


 もう、なかったことにはできないんだ。


 サディロスが不機嫌そうな態度を露わにして、ドッカリと音を立てて席に着くのを見計らって、俺は軽く片手を挙げる。


「原告側からひとつよろしいでしょうか? サディロスさんに質問したいことがあります」

「発言を許可します、まずは氏名を述べてください」


「はい、ユウマと申します」


 俺は立ち上がってサディロスをじっと見据えた。

 

「先ほどサディロスさんは、『これが契約書の原本だ』と自信満々に仰いましたが……それ、本物なんですか?」


 奴のニヤけた面は一瞬真顔になって、目を大きく見開いたかと思うと少しずつ眉間にシワが寄っていく。

 

 その様子を見て、俺は口元が緩みそうになるのを必死でこらえていた。

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