第86話 開廷の刻
「……失礼致します。まもなく入廷の時間となります」
控え室の扉が軽くノックされ、俺たちの合図を待って係員が顔をのぞかせた。
その声に、部屋の空気はさらにピンと張りつめる。
「え……もう時間なんですか? もう少し書類に目を通しておきたかったんですが」
「そうですな。まさか、ヤツらがこのようなことまでしておるとは」
俺とグレオルドさんは、持っていた調査書の束をまとめると、キレアーノさんへ手渡した。
「おい、そろそろ行くぞ」
まだ呆然として動けない俺たちに、痺れを切らしたオラロワ支部長が立ち上がり、声を掛けてきた。
扉を抜け廊下に出ると、制服を着た護衛たちが、少し離れた場所で見守ってくれているのが見える。
ここまで無事に来られたのも、ジライ将軍が気を回してくれたからだ。
もしもに備えて、彼なりにできる範囲で手を打ってくれているんだろう。
「……ユウマさん」
廊下を法廷へ向かう途中、キレアーノさんが俺に小声で話しかけてくる。
その瞳が、さっきの調査書の話の続きを求めているのはすぐに分かった。
「大丈夫です……まずは契約の件から、ですよね」
「ええ」
法廷で必要なものは、キレアーノさんとオラロワ支部長が、もうすでに用意してくれている。
俺はまず、自分の言葉でセリナ村の契約をひっくり返すことだけ考えればいい。
「検問所に関わっている高官たちも、傍聴しに来ています。馬車が停まっていましたから」
隣を歩くキレアーノさんは、周囲を見渡して声を潜めた。
「やっぱ気になるんですかね……?」
「おそらく。サディロスは都合が悪くなれば切るだけの、ただの駒でしょう」
はっきりと言い切ったキレアーノさんの声は、淡々としていた。
「おい、キレアーノ。裁判前にユウマを脅かすなよ」
「そんなつもりはないが?」
俺たちのやり取りを見つめていたグレオルドさんが、ほんの少し笑みを浮かべたのは久しぶりで、なんだかほっとした。
……セリナ村の人たちにも、その笑顔を見せていてほしい。
法廷へ向かう途中、廊下の反対側からサディロスが姿を見せる。
仕立てのいい服に身を包み、相変わらずでっぷりとした腹を揺らしながら、髭を整えたその顔には、まだ余裕が浮かんでいた。
「キレアーノさん……向こうはひとりなんですね」
「ええ、負けるわけがないと思い込んでいるのでしょう」
まるで自分に不利なことなど、何ひとつ起きないと信じているみたいに。
その傲慢さが余計に腹立たしい。
「ククク、あの澄ました顔がいつまで保てるんだろうな?」
「そうですな……私の村をめちゃくちゃにした分のケジメは、きっちり取ってもらいましょうか」
サディロスは俺たちに気づくと、片眉を上げ、不気味な笑みを浮かべた。
俺はヤツの余裕たっぷりの笑顔を見て、胸の奥で嘲った。
開廷を前に、俺たちはサディロスと並ぶように扉の前へ立つ。
その場にいた者たちが口を閉ざし、やがて目の前の扉が開くと、俺は息をひとつ呑んで法廷へ足を踏み入れた。
「うわ、広い……こんな感じなんだ」
傍聴席にはまだ空きはあるものの、すでに多くの人たちが座っていた。
セリナ村の主要な面々はもちろん、少し離れたところにはヒナタとヒルダ婆ちゃん、それにイデルさんの姿もある。
「え……魔王まで来てる!?」
腕を組んで眉間にシワを寄せるエイドの隣に、涼しい顔をした魔王が座っている。
メイとアトーリオさんは俺の姿を見つけると、ネリオと3人で小さく手を振った。
大丈夫、みんなそばにいてくれる……そう思うと、不思議と心が落ち着いた。
「キレアーノ、貴族も傍聴に来てるな」
「サディロスと取引をしている者もいるからな。自分の名前が出るんじゃないかと、ヒヤヒヤしているだろうよ」
彼の言う通り傍聴席の端には、上等な衣服に身を包んだ一団がふんぞり返るように座っていた。
「……あの一角だけ、妙に警備の者が多いようですな」
「あ、ほんとですね」
グレオルドさんが指差した席は、他の席から少し離れていて、妙に厳重に囲まれていた。
原告側の席に着くと、奥の部屋から出てきた裁判官や職員たちも席につき始め、ざわめいた傍聴席も少しずつ静まっていった。
「……皆さんお静かに。それではこれより、セリナ村から提出された、土地売買契約無効の訴えについて――」
右端に座っていた裁判官の男性が立ち上がって、書類を片手に声を張り上げる。
「おい……おい! あれって……!」
誰かの驚いた声をきっかけに、傍聴席の後方がどよめいた。
それは次第に大きくなって、じわじわとこの法廷内全体に広がっていく。
何事かと振り返った人々は、次の瞬間、慌てて立ち上がった。
俺も、その人物を目にした瞬間、思わずその場で固まってしばらく動けなくなった。
……なんで、国王がここにいるんだ?
開かれた扉の向こうから、数人の護衛を従えた国王が、静かに法廷へと足を踏み入れているところだった。
以前のような派手な装いじゃなく、落ち着いた色の服を身にまとって現れた王は、それでも一目で高貴さが伝わる気品を漂わせている。
傍聴人たちは慌てて頭を垂れ、深く礼をとった。
俺たちも慌てて立ち上がり、国王へ向かって深く頭を下げる。
「……ユウマさん、護衛の後ろにジライ将軍がいます」
「え……あ、本当ですね」
「……これでサディロスの背後に高官がいようが、国王と将軍の前じゃ、もう誤魔化しがきかなくなったな」
オラロワ支部長はニヤリと笑う。
「なんだか出来すぎてる気がして、逆に怖いくらいですよ」
キレアーノさんは俺の肩に手を置くと、軽く首を左右に振る。
「そうではないのです、ユウマさん。これは避けられないことなんです。悪は罪を暴かれ裁かれる……それがこの世の道理なんです」
「はい……!」
俺たちは改めて国王へ向かって、深く礼をとった。
国王はあの用意されていた席へ、ゆっくりと進んで行く。
立ち上がっていた裁判官たちも、胸に手を当てて深く礼をした。
「……陛下、本日はこのような場へお越しいただき――」
「ああ、よいよい。ワシのことは気にするな」
軽く片手を挙げて気さくに応える国王は、魔王討伐戦で会った時よりもずっと表情が和らいでいた。
王とジライ将軍は席に腰を下ろすと、ゆっくりと法廷内を見渡す。
その視線と一瞬交わった気がして、俺は思わず息を呑んだ。
「グレオルドさん、大丈夫ですか……?」
隣の彼は険しい表情のまま、深々と頭を下げ続けていた。
村の苦しい状況を訴えても無視されたことや、あの子どもたちのことを思えば、頭を下げること自体が苦痛なのかもしれない。
サディロスでさえ、あの余裕たっぷりだった顔が引きつっていた。
チラリとキレアーノさんを見ると、彼は俺の視線に気づき、軽く首を横に振った。
彼が呼んだのではないとすれば、俺たちが思っていた以上に、この件は上層部にまで届いているということだ。
もう、ただの契約争いでは済まない。
少なくとも、この裁判が王の耳に入るほどには大事になっている……。
「それでは、これよりセリナ村より提出された土地売買契約無効の訴えについて、審理を開始する」
裁判官は改めて席につくと、厳しい表情で法廷内を見回した。
もうやられっぱなしじゃない……ここでサディロスを法廷に引きずり出した意味を、しっかり形にする。




