第84話 埋もれた境界線
村の外れへ向かう途中、俺は前を歩くグレオルドさんとトワ爺の背中を見つめていた。
ふたりとも、必要なこと以外ほとんど口を開かない。
さっきの村長のことが、まだ尾を引いているんだろうか。
少し息が整ってくると、その沈黙が妙に気になってくる。
「あの、おふたりともどうしたんです? さっきから黙り込んで」
声をかけると、グレオルドさんは足を止めないまま、深く息を吐いた。
隣を歩くトワ爺も、難しい顔で農具の柄を握り直す。
「……どうも腑に落ちんのです」
「腑に落ちない、ですか?」
グレオルドさんは伏し目がちに口を開いた。
「……親父は酒が好きでして。茶が美味いと言ったことも、ああやって何杯も飲む姿も、今まで一度も見たことがないのです」
「そ、そうなんですか……?」
「ワシも知らんのう。彼奴が茶をあんなに嬉しそうに飲むところなど、記憶にない」
思わず口元が引きつった。
「でもほら、食の好みが変わることもあるでしょうから……」
苦し紛れに取り繕ってみたものの、自分でもかなり無理があると思う。
あの村長の様子を思い返せば、ふたりに疑われても仕方なかった。
ローブ神、そこはちゃんと合わせといてくれよ……!
「……おい、見えてきたぞ」
村人のひとりが声を潜めて指差した先に、土台がほぼ出来上がった建設中の施設があった。
日の光を浴びたその輪郭は、遠目にもはっきりと分かる。
その少し先には、隣国との境を示すように、ところどころに国旗がはためき、石を積み上げた塀が続いていた。
「あれが検問所ですか……」
「ええ。我々を近づけさせないように、入り口の近くには見張りまで立っておるのです」
目を凝らすと、たしかに施設の前には人影があった。
ただの建設現場なら、村人が近づくことをそこまで警戒する必要はないはずだ。
あの警戒ぶりは、やっぱり妙だ。
「怪しすぎますね……それで、本来の目印がありそうな場所はどの辺りなんですか?」
「もう少しで着くと思うがの。ワシも子供の頃は、この辺りでよう遊んだもんじゃ」
先頭を歩くトワ爺は、懐かしそうに目を細めた。
荒れた地面に伸びきった雑草をかき分けながら、俺たちは検問所から少し離れた斜面へ回り込む。
「うむ、着いたぞ。ここじゃ」
案内されたのは、塀のすぐそばに広がる森の一角だった。
近くには川が流れているらしく、木々の向こうからかすかな水音が聞こえてくる。
「この辺りなら、あちらからは木々に紛れて見えんだろう。皆、少しずつ掘り進めるぞ」
「……あとは、目印が深く埋まっていないことを祈るばかりですね」
俺たちは持ってきたロープを十字に張りめぐらせ、地面に印をつけた。
これに沿って掘り進めれば、おそらく最小限の労力で済むはずだ。
村人たちは手にしていた鍬や鋤を構え、それぞれ手分けして地面を掘り始める。
乾いた土のにおいが立ちのぼり、石に当たる鈍い音があちこちで小さく響いた。
「ユウマさんは休んでいてください」
「いえ、俺も手伝います」
交代で休憩を挟みながら掘り進め、初日は夕方まで土と格闘することになった。
もちろんネリオも参加してくれたけど、派手に魔術で吹き飛ばして、見張りに気づかれても困る。
何より本人が鍬を使ってみたいと言い出したので、作業は思った以上に地道なものになった。
「ユウマ、これを届けたらいいんだな?」
「うん、お願いします」
俺は村に戻ってすぐ、イデルさんにオラロワ支部長への手紙をお願いした。
そして次の日も、その次の日も、俺たちは土を掘り返し続けた。
土台となる土地そのものを崩せれば、サディロスの計画は根元からひっくり返せる。
そう思った矢先、少し離れた場所から弾んだ声が上がった。
「ありました! こっちです!」
村人のひとりが、深く土に埋もれた古びた杭を指差す。
慌てて駆け寄ると、グレオルドさんはしゃがみ込み、土のついた表面を手で払った。
「よし……この周囲を広げましょう。ユウマさんも、よろしく頼みます」
「はい」
杭を傷つけないよう気をつけながら、周囲を慎重に掘り広げていく。
思った以上に土は固く、埋まっていた時間の長さをそのまま物語っているようだった。
「これか……かなり時間が掛かってしまったのう」
「ええ……本当にここにあったんですね。村長さんの言う通りでした」
見切り発車で手紙を届けてもらったけど、嘘にならずに済んで良かった。
「ユウマさん、暗くなってきたようですし、そろそろ村へ戻りましょう」
見上げると、辺りはもう暗くなりかけていた。
ふと検問所の方に視線を向けると、妙に人影が多いことに気がついて思わず足を止める。
「今日は松明の数が多いですね……毎日遅くまで作業してるみたいですけど」
「……ふむ、そのようですな」
電気のないこの世界で、夜遅くまで外で作業をするのは珍しい。
日が落ちてから外をうろつく危険は大きくなるし、魔獣や獣に襲われるかもしれない場所で、わざわざ無理をする者はそう多くないだろう。
「……あれって子どもに見えませんか?」
「たしかに……しかし、なぜ子どもたちがあんな場所にいるんでしょうな」
背の高い伸び放題の草をかき分け、俺たちは吸い寄せられるように検問所へと近づいていく。
目を凝らすと、裾はほつれ、服もボロボロで、靴さえ履いていない小さな子どももいるようだった。
両手と両脚をロープで縛られた子どもたちの顔は、生きる気力さえ失ったように、やつれて見える。
彼らは、ほとんど窓もない馬車の荷台に次々と押し込まれていった。
ガラの悪い男が一言声を掛け、扉を閉めて鍵をかけると、馬車はランプの灯りを頼りに静かに暗闇へと走り出す。
「グレオルドさん、これって……」
「……」
隣で黙り込む彼は、きっと俺の言いたかったことを理解しているだろう。
彼だけじゃなく、今ここにいる村人たちも。
キレアーノさんはこの事実を知っているんだろうか……。
裁判までもう日がないから、今さら手紙を届けたとしても、調査するには時間が足りないだろう。
冷静に頭が働く自分に歯痒さを感じながら、何もできないのが情けない。
どうか無事でいてくれ……そう願って拳を握るしかなかった。
「……まずは村へ戻りましょう。ここで下手に動けば、気付かれるかもしれません」
低く囁くような声で、グレオルドさんが心配そうに俺の顔を覗き込む。
悔しいけど、その通りだ……今、こんな事実を突きつけられるなんて。
暗闇の向こうを見据えながら、少し斜め前を歩くグレオルドさんの手が、松明の明かりに照らされて強く握られているのが見える。
セリナ村の人たちにとって、この検問所はもう、ただの建物なんかじゃない。
普段は冷静な彼が見せたその仕草に、俺はこの戦いを一刻も早く終わらせようと、心の中で固く誓った。




