第81話 もうひとつのお願い
翌朝早く、俺とネリオを乗せた幌馬車は、順調に街道を進み、セリナ村へ向かっていた。
御者台では、イデルさんが手綱を握っている。
道中、イデルさんが襲撃を受けた時の話を始めたのをきっかけに、俺はセリナ村での出来事を少しずつ話していた。
「あの時は、サディロスも一緒に村へ行ったんだ。アトーリオさんって人も一緒に」
「ああ、あの指輪の方ですね、よく覚えています」
ネリオの言葉に、俺は小さくうなずいた。
「そっか……ネリオも知ってたんだっけ」
「どうした、ユウマ。さっきから元気がないな」
イデルさんはチラリとこっちをうかがう。
目が合うとすぐに視線を逸らし、まっすぐ街道の先を見つめた。
「うん……セリナ村を出てから1年近く経ってるだろ? 連絡もとってなかったし、ちょっと不安で」
自分で始めたことだし、今さら逃げられないのは分かってる。
それでも、会いたい気持ちと臆病な気持ちが混ざり合って、胸の奥が落ち着かない。
「それは行ってみりゃ分かるだろ。悩むのはそれからにしたらどうだ?」
「そうだよな……ここでグダグダ言ってても仕方ないか」
気を遣ってくれたのか、イデルさんもネリオもそれ以上何も聞いてこなかった。
「……よし、着いたぞ。ここに来るのは事前に連絡してたんだろ? あんまり心配すんな」
顔を上げると、目に飛び込んできたのは以前と変わらない景色と、すでに収穫が終わった小麦畑だった。
村の中へ入っていく幌馬車を、畑仕事の手を止めた村人たちが珍しそうに眺めている。
「あ……あれは、マイロさんかな?」
村人の誰かが知らせたのか、彼はグレオルドさんの屋敷から出てきて、俺たちが近づくのをじっと待っていた。
以前と違い、マイロさんの周りには他に誰の姿もなく、胸をざわつかせた。
「ようこそ、セリナ村へ。今日はどのようなご用件でしょう?」
「……あの、マイロさん。俺です、ユウマです」
荷台からそっと顔を見せると、彼は一瞬息を呑んで、さっきまでの硬い表情を一気に緩めた。
「ユウマさん、お久しぶりです! こんなに早くいらっしゃるとは思っていなくて、驚きましたよ」
「ご無沙汰してます、その節は本当にお世話になりました」
あれ……マイロさんって、こんな感じの人だったっけ?
その変化に少し気圧されて、俺は思わず言葉を急いだ。
「あ、こちらはイデルさんとネ――」
屋敷の中から、ゆっくりとこっちへ歩いてくるその姿が視界に入った瞬間、胸が詰まって言葉を失った。
「……ユウマさん、よく来てくれた」
「グレオルドさん、あなたも――」
それ以上は何も言えず、涙を堪えるしかない俺を、彼らは相変わらず優しい笑顔で受け入れてくれた。
「ハハハ、泣くには早いでしょう。涙もろいのは相変わらずですな」
あっという間に時間が巻き戻ったような感覚に、目頭が熱くなった。
「ここで立ち話もなんですから、奥へ行きましょう。さあ、どうぞ」
俺たちは連れ立って懐かしい廊下を歩く。
通されたのはグレオルドさんの執務室で、以前と何も変わっていなかった。
「あの……俺のせいで、申し訳ありませんでした」
襲撃のきっかけを作ってしまったことがこの1年間、ずっと頭から離れず、今はただ謝ることしかできなかった。
「まぁまぁ、もう良いではないですか」
「でも……」
「貴方ひとりでしたことではないでしょう。それに、ユウマさんの計画に乗ると決めたのは我々です。感謝こそすれ、恨みに思う者などこの村にはおりません」
グレオルドさんの言葉が胸の奥にじんわりと染み込む。
責められる覚悟でここへ来たのに、返ってきたのは思いもよらないほど穏やかな声だった。
「……俺は、グレオルドさんの手紙にあった、『機会を待て』という言葉を胸に刻んで、ここまで来ました」
「手紙ですか……私は出した覚えがないが」
「……でも、アトーリオさんが持ってきましたよ?」
グレオルドさんの表情がわずかに曇る。
「……それは、私が書きました」
記憶の食い違いに戸惑っていると、静かに控えていたマイロさんがおずおずと口を開く。
「申し訳ありません……」
彼は深く頭を下げ、消え入るような声で告げた。
「なんだと? どういうことだ、マイロ」
「これ以上ユウマさんを巻き込むのは危険だと判断したからです……」
眉間にシワを寄せるグレオルドさんは言葉を詰まらせ、その後しばらく黙り込んだ。
「……分かっています。どんな理由であれ、私のしたことは許されることではありません」
頭を下げたまま、マイロさんは言葉を途切れがちに紡いだ。
「代理、私を補佐役から解任してください」
「何を言い出すんだ……マイロ」
どうしよう、とんでもない方向に進んでる……しかも、こんなことになったきっかけは自分だ。
「ふたりとも落ち着いてください。マイロさんだって、俺を傷つけようとしてやったわけじゃないでしょう?」
この空気をどうにかしなければと、俺は焦っていた。
「越えてはいけない一線を越えてしまいました……これは私の油断と慢心のせいです。ですから――」
グレオルドさんもさっきから黙り込んだままで、重たい沈黙だけがじわじわと広がっていく。
ここに到着するまであんなに不安だったのに、今はそんなことどこかに吹き飛んでしまっていた。
「あの手紙があったおかげで、俺はまた、ここへ来られました。それに今日は裁判のこととは別で、お願いがあるんです」
「ふむ、お願いですか……マイロ、お前の言い分は後で聞く、それでいいな?」
「……承知しました」
とりあえず話は後に回せた……あとは、これで空気が変わってくれたらいいんだけど。
俺はリュックから書類の束を取り出し、向かいに座るグレオルドさんに差し出した。
彼はしばらく目を通していたけど、徐々に驚きの表情へと変わっていった。
「これは……この村の小麦を、全てそちらで買い取るということですか?」
「ええ、俺が住んでいるイノール村では、小麦がいくらあっても足りないんです。セリナ村の特産ですし、質がいいのも知っています。ですからお願いに来ました」
さっきまで辛そうに伏し目がちだったマイロさんも息を呑んだ。
「イノール村……たしか、南の方にある村でしたな」
「代理、今はパンケーキ武器で話題になっています」
セリナ村から小麦を仕入れれば、常態化している仕入れの問題を解決できる。
そう思って、彼らにこの契約を申し込んだ。
それに、この村にも安定した収入源になるはずだ。
「小麦の品質によって、出来が左右されるんです。特にヒナタ印の商品には、最高級の素材を使って、品質の安定した物を作りたいと思ってます」
グレオルドさんとマイロさんは、顔を見合わせる。
「我々にとっては願ってもない申し出ではあるが……本当にウチの村で構わないのかね?」
「もちろん、ここ以外に思い付きませんでした。今年の収穫済みの小麦も、買い取れるだけ買い取ります」
目を瞬かせるグレオルドさんの横で、マイロさんはすぐに部屋の外に控えていた村人へ声を掛ける。
「誰か、今期の小麦の帳簿を。それと、担当者も一緒に来るように伝えてくれ」
「は、はい!」
慌ただしく数人が駆けていく足音が廊下に響く。
やっぱりマイロさんはこうでないと。
「はぁ、はぁ……お、お待たせしました」
帳簿や書類を抱え、執務室へ入って来たのは、見覚えのある村人たちだった。
俺の顔を見て一瞬驚いたような表情を浮かべたあと、軽く頭を下げる。
テーブルの上に広げられた書類の束へ目を走らせるマイロさんは、すでに仕事用の顔をしていて、いくつかの項目を指差しながら俺に説明を始める。
「……分かりました。今期の分は全てイノール村で引き取ります。それから、品種や畑をもう少し増やせると嬉しいんですが」
「増やすのは問題ありませんが、どの程度ですか?」
「最低でも3倍。できれば5倍でお願いします」
「ご、5倍!?」
その声をきっかけに、さっきまで張りつめていた執務室の空気が、今度は別の意味でざわめき始めた。




