第80話 その先を見せてみろ
「う、うそでしょ……パパ!? どうしてここに?」
驚いて振り返ると、両手で口元を押さえたまま、ミレイユさんが立ちすくんでいた。
「お前、ナドンガか……?」
「もうっ! その名前で呼ばないで、パパ! 今の私はミレイユって呼ばれてるんだから!」
父親を前にしても、ミレイユさんはいつもの調子を崩していないように見えた。
だけど、両手は胸の前で強く握られていて、その指先だけがわずかに震えている。
ナドンガって、ミレイユさんの本名だろうな。
えらく勇ましい響きだけど、父親が将軍なら不思議でもない。
「ミ、ミレイユだと!? き、貴様……名前まで捨ててしまったのか」
名前までってことは、彼がこうして生きていることを、ある程度は知っていたんだな……。
さっきまで賑わっていた店内は静まり返り、従業員たちも息を潜めたまま、じっとふたりのやり取りに耳を澄ませている。
俺も親子の話に、むやみに口を挟むのはためらわれた。
こんな巡り合わせ、笑えないにもほどがある。
椅子に腰掛けているネリオは、頬杖をついたまま、周りの反応を興味深げに眺めていた。
この状況でもまるで動じていない。
「あの……ジライ将軍。すみません、俺がここに呼んでしまったばかりに……」
「いや、君のせいではない。ワシが自分の足でここへ来た、それだけのことだ」
将軍はそう言うと、まっすぐミレイユさんを見据えた。
「此奴が屋敷を飛び出してから、ワシはもう息子などおらぬものとして腹を括っていた」
全てを見透かすような鋭い視線を受けて、ミレイユさんは両手をギュッと握り締める。
「……ナドンガ、お前が追いかけていた夢とやらは叶えたのか?」
「パパ、聞いて。私も頑張ってお店をここまで大きくしたの」
「どうなんだ、答えられんのか?」
「……いいえ、まだです」
父親をまっすぐ見つめながら答えた彼の最後の言葉は、いつもの明るい調子とは違っていた。
低く落ち着いていて、彼が男性であることを改めて感じさせるものだった。
「……そうか」
ジライ将軍は黙って店内を見回した。
可愛らしい内装や、こっちを見守る従業員たちを、ひとつひとつ確かめるように。
まるでミレイユさんの努力のすべてを感じ取ろうとしているかのようだった。
ゆっくりと視線を巡らせた後、懇願するような視線を向けるミレイユさんの顔をみて、深く息を吐いた。
「……では、その先を見せてみろ」
「パパ!」
ミレイユさんの嬉しそうな声に、他の客たちもホッと胸を撫で下ろした。
「ユウマ殿、見苦しいところを見せたな。話を戻そう」
「あ……はい!」
ミレイユさんもはっと息をのみ、床に落ちたままだったトレーへ駆け寄る。
それを拾い上げると、周囲の客に申し訳なさそうに頭を下げた。
「皆様、お騒がせして申し訳ありません。すぐに片づけますので、どうぞそのままお過ごしくださいませ」
まだ声の奥には硬さが残っているけど、それでも彼はオーナーとしての顔を崩さず、従業員に片づけを頼んでから俺たちの席へ戻ってきた。
「パパ……これ、好きだったでしょ? 私が作ったの。よかったら食べてみて」
コトリと置かれた可愛らしい皿の上には、スコーンのような焼き菓子と、ほんの少しジャムが添えられていた。
「これをお前が? そうか……頂こう」
「……パパ、ありがとう」
今にも泣き出しそうなミレイユさんは、いつもの柔らかな笑みを俺に向ける。
「ユウマ君もぜひ、どうぞ」
「ありがとうございます、ミレイユさん」
彼は片手でそっと目元をぬぐうと、客たちのテーブルをひとつずつ回って声をかけて回った。
店内に少しずつ穏やかなざわめきが戻った頃、ジライ将軍は皿に置かれた焼き菓子を静かに見つめていた。
「……身内のことで騒がせて申し訳ない。手紙で大体の事情は理解したが、詳しく聞かせてもらえるか?」
「はい……お願いしたいのは、裁判当日まで証人の安全を確保していただきたいということです」
「ふむ、手紙にも書いてあった件だな」
「こちらもご覧になってください」
俺はリュックから報告書の写しを取り出し、ジライ将軍の前に差し出した。
この書類は、ここへ来る前にオラロワ支部長やキレアーノ調査官から送ってもらっていたものだ。
彼がそれを手に取ってじっくり時間をかけて読み始めると、元々深かった眉間のシワがさらに濃くなっていく。
「セリナ村については、すでに国王へ報告してある。たいそうお心を痛めておられるようだ……証人の件も含め、軽くは扱えぬな」
「裁判に向けて捜査を進めたいものの、キレアーノ調査官では身分上の問題があるようなんです」
「ふむ、なるほどな。軍を離れた身ではあるが、かつての威光が役に立つなら喜んで使わせてもらおう」
国王の右腕だった将軍には、軍だけじゃなく王宮内にも太いパイプがあるそうだ。
何より魔王との事件を経て真に改心した、という人間的な説得力が彼にはある。
「では、護衛の件もワシに一任してもらえるか?」
「……はい! お願いします」
「裁判までそう日もなかろう、早速取りかからねばな。ふふふ……腕が鳴るわい」
ジライ将軍は焼き菓子をきれいに平らげると、カップのお茶を一気に飲み干した。
その瞳はやけに生き生きとしていて、それがまた頼もしく感じられる。
結果的に、魔王討伐戦に参加して良かった……カイルに感謝しないとな。
「……ではワシはこれで。やることが山積みなのでな」
「あ、はい。お気を付けて」
背中には年齢を感じさせるものがあったけれど、その歩みは迷いなく、彼は息子の待つカウンターへまっすぐ向かっていった。
「……パパ、もう帰るの?」
「ああ」
将軍が懐から財布を取り出して会計を済ませようとすると、ミレイユさんが慌ててそれを止めた。
「いいのよ、パパ。今日は私がご馳走するから」
「お前は経営者だろう。身内だからとひいきするのはダメだ。きちんと受け取りなさい」
従業員が満面の笑みでお代を受け取るのを見届けると、ジライ将軍は入り口の扉へ向かった。
ノブに手を掛け少しだけ戸を引きかけたところで、彼はちらりと後ろのミレイユさんを振り返る。
「……良い店ではないか。また来る」
「パパ……!」
「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております、お兄様」
従業員たちの可愛らしい声が響く中、ミレイユさんは去っていく父親の背中を見えなくなるまでじっと見つめていた。
やがて店内では、ミレイユさんと色違いの制服を着た従業員や客たちが、ほっとしたように拍手を送る。
「オーナー、私、ハラハラして見てました。でも仲直りできて良かった……」
「ありがとう、心配してくれて。でももう大丈夫よ」
そんな彼女たちの会話が耳に入ってきて、俺はそれまで黙っていたネリオの方をそっと見る。
「今日はずいぶん静かだったな、ネリオ」
「ふふ、口を挟む雰囲気ではなかったでしょう? でも、興味深いものはしっかり見られましたから」
彼はそう軽く返して、何杯目かわからないお茶をひと口含んだ。
「もう外もすっかり暗くなってきたな……寄りたい所があるから、先に宿へ行っててくれないか?」
「おや、この私に秘密ですか?」
「周りに誤解されるような言い方はやめろ。それに、そんな顔をするな」
もう少しここに残ると笑ったネリオを置いて、俺はミレイユさんに丁寧に挨拶を済ませると、慎重に店の扉を開けて外へ出る。
俺の居場所はイノール村になったけど、ここへも帰ってきたかった。
村へ行けたのもセルジオ神父のおかげだったし……これも神の思し召しってやつなんだろうか。
足早に歩いて教会へたどり着くと、講堂の中にはもうロウソクが灯っていた。
懐かしい顔を見つけて声を掛けたら、最初はこの格好もあって信じられないという顔をされたけれど、すぐに無事を喜んでくれた。
「遅くなってすみません。ようやく戻りました」
「君が無事に帰ってきたなら、それで十分です」
変わらないセルジオ神父の温かさが胸に染みる。
もっと話していたかったけれど、名残を惜しみながら教会を後にし、俺はイデルさんやネリオが待つ宿へ向かった。
明日、いよいよセリナ村へ出発する――。




