第79話 『もふもふのしっぽ』にて
まだ薄暗く、少し肌寒くなってきた朝の空気の中で、リュックの口紐を引き締める。
これで準備は整った……俺は、肩紐に腕を通しそっと背負った。
「おや、えらく早いじゃないか。もう行くのかい?」
背後から声をかけられて振り向くと、ヒルダ婆ちゃんが腕を組んで、ニヤリと笑っていた。
「……まだ寝てると思ってた。ベラティアに行って、会わなきゃいけない人たちがいるからさ」
小さく改良された手投げ弾を腰のポーチに入れ、胸元には短剣を忍ばせる。
俺がこれからやろうとしていることも、彼女は全部分かってる。
この村を出たら、しばらくはここに戻ってこられないことも。
顔を合わせるのはこれが最後になるかもしれないって、そう思って見送りに来てくれたんだろうか。
「ふん、せいぜい頑張りな。ネリオも付いていくんだろ?」
「はい、とても興味がありますので」
頼ってばかりは良くないと思いつつも、やっぱり彼が一緒に来てくれると心強い。
「今度は前みたいなヘマはしないから。うまく出し抜いてやるつもりだよ」
数日前、村のみんなの前で頭を下げたあの瞬間が、ふと頭に浮かぶ。
俺を信じて金を貸してくれるって言った彼らの思いを、絶対に無駄にしたくない。
「……ユウマ、間に合ってよかった。これ、持って行って」
「ヒナタ、早起きして作ってくれたのか?」
手渡された包みはまだほんのり温かくて、急いで用意してくれたことが分かる。
「ありがとう、3人でいただくよ」
「……イデルも準備ができたみたいだよ。ほら、遅くなる前にさっさと行きな」
「うん、行ってくるよ。ネリオ、急ごう」
イデルさんが手綱を握る幌馬車の荷台に乗り込むと、いつの間にか村人たちが見送りに集まってくれていた。
「ユウマ、気を付けてな」
「うん、行ってきます」
大きく手を振りながら、俺たちはイノール村を後にした。
◆
「……そろそろベラティアに入るぞ? 準備はいいかふたりとも」
「うん、大丈夫。準備はできてるよ」
ガタゴトと揺れる荷台の中はまだ腰が痛くなるけど、そっと外の様子をうかがうと、懐かしい街並みが目に飛び込んでくる。
門のそばでは、リントさんをはじめとした門番たちが、列に並ぶ人たちの身分証や荷物をチェックしていた。
「よし、止まれ。身分証はあるか?」
「はい、これです。それと後ろにも、ふたり乗ってます」
門番とイデルさんがやり取りする声がして、土を踏みしめる足音が俺の背後を通り荷台の後ろへと回る。
ゆっくりと開かれた厚めのカーテンの隙間から眩しい朝日が差し込み、思わず目を細めた。
「なんだ、えらく暗いな……おい、アンタたち、よく顔を見せてくれ」
荷台の中をのぞき込む門番の男の顔は、逆光に照らされ陰になっていてよく見えなかった。
俺とネリオは口を閉じ一言も話さず、少しだけ顔を上げると門番へニッコリと微笑んで見せた。
「……女がふたりだな。よし、行っていいぞ」
再び荷台の中が暗くなると、ゴロゴロと幌馬車の車輪がゆっくりと回り始め、門付近のざわめきが少しずつ遠ざかっていく。
俺は息を大きく吐き出して身体の力を抜くと、顔色ひとつ変えない隣のネリオの方をそっとうかがった。
「無事に騙されてくれて良かったです。まあ、この完璧な女装を見抜けるとは思っていませんが」
自慢げに笑うネリオは、きれいに引かれた口紅の端をほんの少しだけ吊り上げる。
元々中性的で整った顔立ちをしているけど、魔族だからなのか、メイクをすると一層映える。
男だとわかっていても、思わず見惚れてしまうほど綺麗だった。
この状態で街中を歩かせるのも、逆に目立ってマズいかもな……。
「俺は念のためだけど、ネリオは女装する必要なかっただろ……さっきも気付かれるんじゃないかって、ヒヤヒヤしたよ」
「いえいえ、こんな機会は滅多にありませんから。貴重な体験です」
面白がってるだけじゃないのか……?
「ふたりとも着いたぞ。俺はこのあと、いつもの市場に寄っていくから。用が済んだら宿に来いよ」
馬車の速度はゆっくりと落ちて、広い通りの角で止まった。
「イデルさんありがとう。じゃあ、行ってくるよ」
俺はスカートの裾を軽くたくし上げ、転ばないよう気をつけながらゆっくりと荷台を降りる。
目的の店は、ここから少し歩いた先の裏路地にある小さなカフェ。
ネリオは帽子を被り、俺は顔を隠すように日傘をさして、そそくさと店へ向かった。
「……あ、あった。早めに来て良かった、まだ空いてる」
白く塗られた扉を押し開けると、カランカランと小気味良い音が店内に響く。
従業員らしい真っ白なエプロンをつけた女性が出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、お嬢様。おふたりでございますね、お席にご案内いたします」
「あの、店長のミレイユさんはいらっしゃいますか? 久しぶりに来たので少し話がしたくて」
「さようでございましたか、ミレイユは現在、オーナーを務めております。呼んでまいりますので、お席で少々お待ちくださいませ」
女性は柔らかく微笑むと、俺たちを席に案内したあと、注文をとってそのまま急ぎ足で厨房の奥へと消えた。
突然の申し出にも、嫌な顔ひとつせず丁寧に対応してくれるあたり、彼の教育が行き届いているんだろう。
「お待たせいたしました、ミレイユでございます。ええと……前にお会いしたことがあるかしら?」
「俺ですよ、ユウマです。今日は事情があってこんな格好でお邪魔してます」
一瞬固まった彼は、目を大きく見開き息を呑む。
「うそ……ユウマくん、あなた生きてたの? 姿が見えなくなって、ずっと心配してたんだから」
彼が驚くのも当然だろうな……最後にここへ来てから、もう1年近くになる。
「すみません、なかなか戻って来られなかったんです。ミレイユさんは、オーナーになったんですね。ついに念願の自分のお店じゃないですか」
「うふふ、そうなの。ここを買い取って、従業員も少し増えたのよ。でもまた来てくれて嬉しいわ、今日はふたりでお買い物かしら?」
彼は以前と変わらない天真爛漫な笑顔を見せ、俺と、隣で黙って微笑むネリオの顔を順に覗き込む。
その笑顔が、これから俺がやろうとしていることを一瞬忘れさせてくれるようで、なんだか心が温まった。
「実は待ち合わせしてるんですけど、他に良い場所が思いつかなかったので……そろそろ来る頃だと思います」
「まあ、そうだったのね。じゃあお相手が到着したら、こちらへご案内するわ」
「失礼します……オーナー、少しお時間よろしいですか?」
こうしてまた話せるのが懐かしくて、ついふたりで話し込んでいると、従業員の女性がミレイユさんの背後から控えめに声をかけた。
彼女の話を聞いたミレイユさんは顔を上げると、店の入り口辺りへ視線を向ける。
「ありがとう、後は私が対応するわ……ユウマくん、もしかして待ち合わせの方って、年配の男性かしら?」
「あ、はい。そうです」
従業員の女性をカウンターへ戻らせると、彼はいつもの柔らかな笑みを浮かべた。
「そう、良かったわ。お店の外で行ったり来たりしてる男性がいるって、他の子たちが不安がってたの」
「ああ、すみません。たぶん気後れしているんだと思います。ネリオ、ここで待っててくれ」
俺は待ち合わせの相手を迎えに、席を立って店の入り口へ向かった。
「……ジライ将軍、こっちです、こっち」
扉をそっと押し開けて声を掛けると、最初は訝しげに俺の姿を上から下まで眺めていた彼は、驚愕の声を上げる。
「ユ、ユウマ殿か……!? その姿は一体――」
「まぁまぁ、いいじゃないですか。それより早く中へ」
なかなか動こうとしないジライ将軍の背中を押して、無理矢理店内へ押し込んだ。
彼は入り口で立ち止まり、可愛らしい店の内装に目を白黒させていた。
「お帰りなさいませ、お兄様。ようこそ、『もふもふのしっぽ』へ」
「お、お兄様……!? ワ、ワシはこういった場所は苦手で……」
前回会った時の厳つい姿とは違い、今の将軍は、仕立ての良い服を身につけた裕福なお爺ちゃんといった風情だった。
決まり文句の挨拶にもしどろもどろで、魔王戦で見せた貪欲な姿とは正反対に見える。
「さあ、席に着きましょう、将軍」
「ワ、ワシはもう将軍ではないのだが……」
彼を席へ案内しようと歩き出した途端、小さな悲鳴と、トレーが床に落ちる派手な音が店内に響いた。
「う、うそでしょ……パパ!? どうしてここに?」




