第72話 今はまだ、このままで
魔王の戸惑った態度に違和感を覚えた俺は、これ以上争う必要性を感じなかった。
「……なぁ、少し話さないか?」
そう提案すると、魔王は眉をひそめる。
「貴様、今さら何を言っておるのだ。戦いとは、互いの意思表示のはずだろう?」
「俺は戦うために来たんじゃない……いや、来たんだけど」
「……わけの分からんことを言うな」
「いや、そういうことじゃなくてさ」
さっきまでは、一撃で倒される未来しか想像できなかった。
でも魔王のあの反応を見ていると、話せばわかり合えるんじゃないかと思う。
「お前、本当にこの戦いがしたかったのか?」
そう問いかけると、魔王はその意図を探るようにじっと俺の目を見つめる。
眉間のシワが消え、無表情に変わった顔からは、彼の心の内を読み取ることはできなかった。
「……それに、復活はしていないって言ったよな?」
「ああ……確かにそう言った」
魔王の言葉が嘘じゃなければ、国王が嘘を吐いてるってことだ……でも、それならなんで戦ってるんだ?
「こんなふうに戦うのは、誰かに命じられたからか……魔王としての使命なのか?」
もう少し近くで……コイツの表情を確認したい。
俺は、彼の本心を知りたくて、一歩ずつ距離を詰めていく。
「……貴様、それ以上近づけば、どうなるか分かっているのか?」
近づいてくる俺に、慌てた様子の魔王はわずかに後ずさる。
「……そもそも戦いなど望んでおらん。だが、人の王が兵を送ってくるのだから、仕方なかろう」
「はあ? なんでだよ、それ」
魔王側がただ迎え撃っていただけなら、話がかみ合わないのも分かる。
だけど、それが真実だと決まったわけじゃない。
でも……そうだとしたら、話がおかしくないか?
「ちょっと待てよ……それが真実なら、魔獣が村を襲うのは何でなんだよ、矛盾してるだろ」
問い掛けた途端、魔王の耳が赤く染まった。
「わ、我ひとりでは、全ての魔獣の相手はできぬのだ。此奴らは人間に構って欲しいだけだ……と思う」
「どういう理由だ、それ……それに、なんでちょっと自信がないんだよ、飼い主だろうが」
太ももに熱を帯びた重みを感じると、いつの間にかバルドが頭をすり寄せていた。
口元から炎が少しだけ漏れていて、地味に熱い。
「ほ、ほら見ろ……此奴もそう言っておる」
バルドは寝転がってゴロゴロと喉を鳴らしながら、腹を見せてくる。
「あのなぁ……お前ら、表現が過激すぎるって。それに、なんだか顔が赤いけど、大丈夫か?」
「む……そ、それは、飼い主としての責任を果たせていないという事実が――」
ボソボソしゃべるから、最後のほうが聞き取れないんだが。
「何だよ、ハッキリ言えばいいだろ」
「わ、我が責任を放棄していたという事実が、恥ずかしいのだ」
ヤケクソ気味に言葉を吐いた魔王は、そっぽを向き、ますます顔を赤らめた。
あまりの純真さに、俺は思わず呆気にとられる。
「お前、案外いいヤツなんだな」
「な、何を言っておるのだ……即位したばかりとは言え、我は魔族の王だ」
魔王はチラチラとこっちの様子を窺いながら、どこか嬉しそうにしていた。
へぇ、王になったばかりなのか……まだ若そうだしな。
「大体の事情は分かった。だけど、国王はなんで嘘吐いてるんだろうな?」
「それについては、心当たりはないが……」
魔王は少し迷うように視線を伏せ、俺にだけ聞こえるくらいの声で話し始めた。
地面に大きな体を横たえるバルドに、俺たちふたりは背を預けながら長い時間語り合った。
いつの間にか辺りはすっかり冷え込んで、バルドが静かに寝息を立てている。
「……じゃあ、そろそろ俺は帰る。信じてもらえるかは分からないけど、国の方には俺から上手く伝えとくよ」
「そうか……手間を取らせて悪いな」
自分の服に付いたバルドの毛を払うと、布地はすでに焦げていた。
口から炎が漏れ出てたし、火の属性なんだろうけど……毛まで熱を含んでるんだろうか。
立ち上がった魔王の背は高くて、180センチくらいはありそうだった。
ほんの少しだけ、猫背ではあったけど。
「その……握手というものをしてみたいのだが」
彼は躊躇いがちに右手を差し出してくる。
背後でバルドがぐう、と気の抜けた寝息を漏らした。
「き、貴様が嫌なら、無理にとは言わぬが」
「……お前、さっきまで魔王っぽかったのに、急に初心者みたいなこと言うんだな」
差し出した手を引っ込めないあたり、彼は本気で言っているんだろう。
「……し、仕方あるまい。こういうものは、やったことがないのでな」
俺は苦笑しつつ、その手を取って強く握り返す。
「ユウマだ。よろしくな、魔王」
「う、うむ……よろしく頼む」
魔王は一瞬だけ眉をぴくりと動かすと、俺の手をじっと見つめた。
「どうかしたか?」
「ふむ。お前が望むなら、そのスキル……消してやってもよいぞ?」
息を呑んだ……スキルのことは話してないのに。
「お前、なんでそれ知って――」
「ふん、これでも一応魔王なのでな。神が与える者ならば、我は奪う者だ」
このスキルから解放される……天から降ってきたような申し出に、俺の心臓は大きく跳ねた。
どうする……受けるか?
誘惑に揺らぐ俺の頭の中では、セリナ村の人たちの顔が次々と浮かんでは消えていく。
「ありがとう……でも、やめとく」
少し前なら喜んでお願いしただろうけど、今はまだやらなきゃいけないことが残ってる。
魔王は返ってくる言葉を最初から予想していたのか、表情ひとつ変えなかった。
「ほう……そうか」
「うん。これからまだ、このスキルが必要になるからさ」
それにこの力があったから、いろんな人に助けられて、ここまで来ることができた。
もしも今、消えてしまったら……きっと俺は後悔する。
誰かのために使いたいと思える、今の自分を肯定したい。
「望まぬ力を受け入れるとは……面倒なヤツよ。不要になれば、いつでも引き受けてやろう」
「なんでちょっと欲しがってるんだよ……」
「ふふふ……」
魔王が薄らと浮かべたその微笑みは、不思議と目を奪われる。
ネリオもそうだけど、魔族ってみんな顔立ちが整っていて、つい目で追っちゃうんだよな。
ヒナタも本当に綺麗だし。
「……じゃあ、本当に帰るから。あと、もう少し魔獣を制御した方がいいんじゃないか? お前ら、だいぶ誤解さ――」
――ヒュンッ。
別れの言葉を告げた瞬間、俺の頬を黄色い何かがかすめて、鋭い痛みが走る。
魔王はそれを難なく素手で受け止めると、そのまま後方へと弾き飛ばした。
「なんだ、今の……」
「ふむ、また厄介そうなのが来おったな」
「あー惜しい、もうちょっとだったのに! ユウマ、ソイツから離れて!」
驚いて振り返るより先に、懐かしい聞き覚えのある声が辺りに響き渡った。




