第70話 退路を作れ
……なんとか、この場を切り抜ける手はないか?
じわじわと迫る魔獣たちの向こうに、人ひとりが通れるほどの隙間が空いた、大きな岩場が見えた。
「おい、動けるやつは下がれ! あの岩の穴から抜けられそうだ!」
「えっ……あ、分かった!」
俺の指示で、まだ動ける候補者が、怪我人を支えつつ岩場へ向かう。
でも全員が素早く動けるわけもなく、誰かひとりが転べば、別のやつが足を取られて巻き込まれる。
ここで止まってしまったら、もう誰も助からない。
俺と数名の候補者たちは、背後の連中を守る形で踏みとどまった。
……倒せなくていい、逃げ切るまで魔獣を近づかせなければいい。
オヤツは多めに作ってきたけど、獅子獣に結構使ってしまった……どうにかこれで気を引きたい。
「これ食ってみろ、美味いぞ」
群れの中心に向けて、まずは、わしづかみにしたオヤツを投げ込む。
今度は視線を俺たちから逸らすように、魔獣たちの頭上へ放り投げた。
「やっぱり美味いんだな……いいぞ。そのままこっちを見るな」
魔獣たちは我先にとオヤツを奪い合っていたけど、その隙を縫うように、一匹が候補者の背へと飛びかかるのが視界の端に映った。
「くそっ、間に合え!」
候補者のひとりが懐の短剣を鞘から引き抜いて、魔獣に向けて投げつける。
「ギャウゥ!」
「う、うわぁ!」
背中に短剣が刺さった魔獣が悲痛な叫び声を上げると、それに驚いた候補者は、自分が襲われかけていたことに気づいてへたり込んだ。
「走れ! 止まるな!」
ほかの候補者に助けられ、なんとか立ち上がった彼は、全速力で岩場へと駆け出した。
「おい、アンタ。もう、ほとんど逃げたみたいだ。俺たちも行こう」
「わかった……俺も、もう手持ちが少ない」
最後まで残っていた候補者に促され、少しずつオヤツを放り投げては、ジリジリと歩み寄る魔獣たちから距離をとった。
「これでオヤツは最後か……」
全て投げ尽くしてしまった俺には、空っぽの巾着袋と、ローブ神からもらったスキルしか残っていない。
「……おい、お前ら。俺はヒナタたちとパンケーキ焼くって決めたんだ。それ以上俺たちに近づくな!」
どんな言葉でも強気で言えば、意味不明な内容だって、勇気が湧いてくるもんだろ。
俺の訴えかけるような叫び声に、魔獣たちは一瞬だけ動きを止めた。
――パオォーン!
そう感じた瞬間、森の奥で聞き覚えのある唸り声が上がる。
地響きのような振動に、俺を含め、周囲の候補者たちは一斉に騒ぎ出し、みんながキョロキョロと周りを見回した。
「お、おい、アレ……こっちに向かってる。早く逃げろ!」
ここにいる魔獣たちでさえ、太刀打ちできそうにない大型の魔獣が、ここに突っ込んで来る。
「今のうちだ! 行け、早く!」
ぐるりと周りを囲む魔獣の気がそれた隙に、候補者のひとりが機転をきかせ大声で叫んだ。
武器を構えて残っていた候補者たちも顔を見合わせ、魔獣たちの間をなんとかすり抜け駆け出した。
岩場の穴は人が一人やっと通れるほどの狭さで、気持ちばかりが急く。
この先の道が本当に魔王のもとへ続いているかなんて、誰も気にする余裕はなかった。
「あと少し……頼む、急いでくれ!」
――パオォォン!
俺の番がもうすぐ来るという瞬間、魔象が、森の木々をなぎ倒しながら飛び出してくる。
土色の分厚い皮膚、槍みたいに伸びた二本の牙、丸太みたいな脚が地面を踏み鳴らすたび、足元の土が震えた。
なんとか間に合うか……!?
「おい、急いでくれ!」
まだ通り抜けていない候補者が、焦って他のヤツの背中を押す。
魔象は、そんな叫びなんか眼中にないと言わんばかりに、真っすぐこっちへ突っ込んで来ていた。
巾着袋の中身はほとんど空で、残っているのは砕けた欠片が少しだけ。
せめて目くらましにでもなれば……そう思って、俺は残り全部を魔象めがけて投げつける。
ぱらぱらと砕けたオヤツは風に乗り、魔象の額や鼻先に当たる。
それでも一瞬だけ鼻をひくつかせただけで足取りは止まらず、量が少なすぎて奴の気を引くほどじゃなかった。
「これは最後まで取っておきたかったけど……」
腰に下げたパンケーキ爆弾を手に取った俺は、ピン代わりのヒルダ婆ちゃんのヘアピンを引き抜き、勢いよく魔象へと投げつけた。
――パンッ、パパンッ!
軽快な破裂音と共に、火花がパチパチと飛び散って魔象の足の周りを跳ね回る。
「マズい、間違えて、花火用のやつを持ってきた……」
「……パオ?」
それでも、ヤツの気を引くには十分だった。
「ほ、ほら、それ綺麗だろ? ちょっと落ち着こうか?」
魔象の足元を指差しながら、腰に下げている別の爆弾を手探りで探す。
こっちはたしか、煙幕タイプだったはずだ……。
「うわっ! なんだ!?」
掴んだ爆弾のピンを引き抜こうとした瞬間、足を岩に引っ掛けて転んだ候補者が、俺の背中にぶつかってきた。
俺の上に重なるように倒れた彼の身体が手に当たって、掴んでいたはずの爆弾が俺の手を離れ、コロコロと転がっていく。
「おい、早くどいてくれ!」
のしかかっている彼の身体を叩いて促すけど、ふたりとも焦っているからか、上手く立ち上がれない。
その間に花火の火は消え去り、鼻先で弄んでいた魔象は、俺たちふたりに気付くとこっちへ突進してくる。
「パオォーン!」
雄叫びを上げ、俺たちごと地面を踏み潰そうと足を振り上げる。
「もう、ダメか……!」
振り下ろされる魔象の足が目前に迫り、俺は覆いかぶさっている候補者の体を両手で掴んで、必死に横へ転がって避けようとした。
「ギャウッ!」
獣の鳴き声が響き、横から銀色の巨大な塊が飛び込んできて、魔象の胴に体当たりすると、その巨体をぐらりとよろめかせた。
「グワァァァッ!」
「え……た、助けてくれたのか? どういうことだ!?」
俺にのしかかったまま離れない彼の体の隙間から、その後ろ姿が見えた瞬間、俺は思わず名前を叫んだ。
「……まさか、バルド!?」
「ガウッ!」
魔象に食らいつくように組み付いているのは、あの時の面影をそのまま残したバルドだった。
体は少し大きくなっているけど、頭はまだ三つに増えてない。
一瞬こっちを振り返ったバルドは、魔象を押し返すように、さらに深く森の奥へと押し込んでいく。
「……そうか、今のうちだってことだな!」
バルドの意図を察した俺は、岩場の方へと振り向いた。
「おい、まだ入り口に残ってるヤツらは、さっさと入れ! あのデカいのが戻ってきたら、今度こそ潰されるぞ!」
腰を抜かしていた候補者の腕をつかんで、ほかの連中の背中を押す。
人ひとりがやっと通れる狭さの穴に、土埃と汗と血の匂いが詰め込まれていった。
「危ねぇ! 崩れる!」
最後のひとりが身を滑り込ませた途端、頭上の岩が鈍い音を立てて一気に崩れ落ちる。
慌てて後ろへ飛び退いた俺の目の前には、穴を塞ぐように積み上がった岩の山だけが残った。
「ダメだ、重すぎてビクともしねぇ!」
「俺はここに残る! どうにかして追いかけるから、先に行ってくれ!」
そう叫んで皆を先にやると、俺は辺りを見回しながら、抜けられそうな別の道を探した。
森の奥では、魔象とバルドの咆哮がぶつかり合っていて、木々がバキバキと折れる音が響いている。
「……必ず来いよ! 待ってるぞ!」
「分かった、早く行け!」
幸運なことに、俺たちを囲んでいた他の魔獣たちは、魔象の出現でその場から逃げ出していた。
「この辺に抜けられそうな場所はないか……?」
思った以上に捜索は難航して、俺だけが取り残されたまま、時間だけがむなしく過ぎていった。
「……帰りたくなってくるな。バルドは大丈夫なのかな」
まさか助けに来てくれるなんて……考えてみても、どうやってここが分かったのかは見当もつかない。
「ネリオが寄こしたのか……あいつならやりかねないな」
そう口にして小さく笑うと、不思議と胸の奥に温かい火が灯る。
「……俺は絶対に帰るんだ」
草を踏みしめる音に振り返ると、身体を血に染めたバルドがゆっくりと近づいてきていた。




