第69話 生き延びる理由
「うおっ、でっけぇ! 三つ首の魔獣か!?」
「無理だって……俺っちには、やっぱり無理なんだよぉ!」
「あっ、お前ら逃げるな!」
魔王がいると噂される場所へ向かう俺たちは、森の中を進んでいた。
目の前に現れた巨大な魔獣を見た瞬間、勇者候補のひとりが腰を抜かし、そのまま尻餅をつく。
恐怖を煽られたのか、怖じ気づいた別の候補者たちが、一目散に来た道を駆け戻っていった。
逆立ったたてがみの間から覗く3つの顔は、どれも鋭い牙を見せながら別々の方向を睨みつけ、唸り声だけで足がすくむ。
太い前足が地面を踏みしめるたび、鈍い振動が全身に伝わってくる。
「なんだよこれ、大きすぎるだろ。犬っぽいけど……ケルベロスか?」
「我々は獅子獣と呼んでいます。同じ種なら、貴方はもう会っていますよ、ユウマさん」
え……どういうことだ?
「ほら、アトーリオさんの依頼の時に」
「あ……もしかして、バルド?」
「正解です」と言う代わりに、笑みを浮かべるネリオは、すでに手のひらに赤い球体を形作っていた。
「……ネリオ。それ、アイツにぶつける気か?」
だって……獅子獣が大怪我するんじゃないか?
「ええ、もちろん。ユウマさん、少し囮になってください」
「な、なんで? 囮って、死ぬやつだよな!?」
いつもより彼の口数が多いのは嬉しいけど、今はそこじゃない。
球体はじわじわと深い真紅に染まっていって、溜め込まれているエネルギーは、尋常じゃなさそうだ。
ネリオの手のひらから目が離せないまま、俺はごくりと喉を鳴らす。
「この魔獣は気性が荒く、我々も手を焼いていまして。バルドはそれを改善するために、幼い頃から私が育てていたんです」
「へぇ、そうだったのか……って、今はそんな場合じゃないって!」
「大丈夫です。我々の信頼関係があれば生き残れますよ」
「信頼っていう名の盾扱いだろ!」
獅子獣から視線を外さず、それ以上なにも話さなくなったネリオに、俺は仕方なく背中に背負った弓へ手を伸ばした。
「ガウッ!」
構える暇もなく、獅子獣は猛然と地面を蹴り、こっちへ一直線に向かって来る。
避けるだけで精一杯で、とにかく距離を取ることしか頭になかった。
……攻撃に回る隙もないじゃないか。
他の候補者がいるおかげで、俺に向けられる殺気も少しは和らいでいるけど、もし一対一だったらどうなっていたのかと思うと背筋がぞくっとする。
獅子獣の攻撃をどうにか躱し、岩場の陰に隠れた俺は、背中の弓へ手を伸ばす。
でも指先が触れたのは空気だけで、逃げ回るうちにどこかへ落としてしまっていた。
「こんな時に……どうすればいい?」
擦り傷だらけの体の痛みを必死にこらえていると、腰にぶら下げた巾着袋がコツンと手に触れた。
そうだ……これ、作ってきてたんだ!
今にも候補者に襲いかかりそうな獅子獣に向かって、大声で叫ぶ。
「おい、お前! 俺は絶対に村に帰る。エイドの怪我も、必ず治すって約束したんだ!」
ピタリと動きを止めた獅子獣が、睨みつけるようにゆっくりこっちへ向きを変える。
その口元から、大量の炎が漏れ出していて、もし噛まれたら火傷程度じゃ済まないだろう。
依頼の時は可愛かったのに、バルドもいつかはこうなるのか。
だけど同じ種類なんだろ……なら、今回だってきっと大丈夫だ。
「ネリオ、まだか!?」
「……もう少しです、ユウマさん!」
ネリオの手のひらにある球体は、もう赤を通り越して白く眩しい光を放っていた。
「お前は……これでも食ってろ!」
俺は袋から改良版の魔獣用オヤツを掴み出し、獅子獣めがけて思い切り投げつけた。
奴の頬に当たってポトリと落ちたオヤツは、獅子獣の足元へ転がった。
自分のつま先に当たった小さな物体が気になったのか、真ん中の首がフンフンと匂いを嗅ぎ始める。
一瞬ピクリと身体を震わせたかと思うと、今度は三つの首が奪い合うようにして食べ始めた。
ひとつの首は炎で地面を焦がし、別の首は鋭い牙で土を深く抉っている。
「よし、たくさん作ってきたから、これも食べろ!」
放り投げたオヤツを空中で器用にキャッチする姿は、その凶暴ささえなければ可愛らしいペットそのものだった。
「……お待たせしました。ユウマさん、どこかへ身を隠してください」
ネリオの声が響いて慌てて岩の間へ駆け込むと、彼が放った球体が一気に速度を上げて獅子獣へ飛んでいくのが見えた。
辺りを包む真っ白な光と、気を抜けば飛ばされそうな風に、目を閉じて衝撃に耐える。
やがて静けさを取り戻すと、俺はそっと頭を上げ周囲を覗き込んだ。
ネリオの攻撃を受けた獅子獣は四つん這いのまま微動だにせず、3つの頭のうちのひとつは白目をむいていた。
それでも胸はゆっくり上下していて、どうやら気絶しているだけらしい。
「……なぁ、倒してないよな?」
「いえ、気を失っていますね」
スタスタと獅子獣に歩み寄り、鼻先を涼しい顔でポンポンと叩く彼は、やんちゃなペットを優しくなでる飼い主に見える。
「ユウマさん、いい働きでした。囮としては満点です」
「……その褒め言葉、全然嬉しくない。まぁ、それなりに役に立ったならいいけど」
俺の不満げな顔を見て、ネリオは意外そうな声を上げた。
「これでも褒めているんですよ。あなたの声が、獅子獣の注意を完全に引きつけてくれました」
「……つまり、俺がうるさかったってこと?」
「はい、よく通る声でしたから」
ネリオは落ちていたオヤツを拾って、俺に手渡すと、指先についた匂いを嗅いで、眉間にシワを寄せる。
「なんだよ、それ……褒めてるのか貶してるのか、どっちだよ」
ズゥン――。
それまで四つん這いで踏ん張っていた獅子獣の膝が折れ、巨体がゆっくりと崩れ落ちていく。
「……す、すげぇ!」
「あのデカい魔獣を倒したぞ!」
俺たちの背後で、候補者たちの歓声が上がる。
だけど安心できたのは、ほんの束の間のことで、本当の戦いはそこからだった。
森の奥から、ぞろりと現れる異形の群れ。
牙をむき出しにした魔狼、空を飛ぶ翼のついた蛇――。
まるで獅子獣の咆哮が、戦いの始まりを告げる合図だったかのように。
「……さっきのが前座なら、コイツらが本命ってわけか?」
思わずつぶやいた俺に、隣のネリオが問いかける。
「ユウマさん、まだ動けますか?」
「キツイけど、動くしかない。完全に囲まれてる……」
候補者のひとりで長身の男性が、魔獣たちを睨みつけながら、先頭へ歩み出る。
「……ここは俺に任せてくれ」
彼の鎧に刻まれた無数の傷が、これまで多くの修羅場をくぐり抜けてきたかを物語っていた。
「お前ら、隊列を乱すな! 一気に突っ切る!」
だが現実はそう甘くなく、報奨金に目がくらんだのか、まともな剣技すら身につけていないヤツだっている……案の定、すぐに隊列は崩れた。
「うわあっ!?」
「ぎゃああっ!」
魔獣の爪で引っかかれ、噛みつかれ、逃げ出し──ひとり、またひとりと脱落していく。
もはや戦いというより、一方的に狩られている見世物のようだった。
そんななか、ネリオだけは冷静で、迫ってくる魔獣を舞うような動きで躱し、指先で触れただけで吹き飛ばす。
俺に襲いかかる魔獣の攻撃を躱すと、ヤツの肉球に光る紋章がちらりと見えた。
……ネリオが密会していた、フードの男と同じじゃないか?
「ユウマさん、よそ見をしているとケガをしますよ? ほら、貴方の後ろ」
一瞬ネリオと視線が交差すると、彼は表情ひとつ動かさず指を差した。
反射的に振り向くと、紫色の鋭い爪が、俺の目の前の空間を切り裂いていた。
「うわっ、危なっ……!」
……ネリオが教えてくれなかったら、やられていた。
「助かった、ネリオ──って、ネリオ!?」
俺が必死に呼びかける声に返事はなく、彼の姿は煙のように消えていた。
残された俺とうずくまる候補者たち……そして迫りくる魔獣たち。
「ネリオのヤツ……どういうつもりだ!」
ネリオという最強の味方が消えた今、俺たちは魔獣の群れに囲まれつつあった。




