第6話 まさかの救世主!?
「……ねぇ、ユウマ」
「ん……どうした、メイ」
目の前の大きな岩に手をかけて、ようやく登り切ったところだった。
振り返ると、怪訝そうな声を上げたメイが、俺の腰にぶら下がった袋を指さしていた。
「……それ、何なの? さっきからすごい臭うんだけど」
メイは手に持っているハンカチで額の汗を拭うこともせず、口と鼻を押さえながら眉間にシワを寄せている。
彼女の側で鼻を摘まんでいるエイドは、苦悶の表情を浮かべていた。
「これ……オヤツだけど。魔獣用に作ってみたんだ」
ふたりが同時に目を見開いたのが、なんだかおかしかった。
昨夜、教会の厨房の隅を借りて、俺はこれでもかというほど黙々とあるものを練り上げていた。
使ったのは鶏肉に雑穀、それから匂い付けにほんの少しのハーブ類。
それがかなりの異臭を放っている。
犬や猫に大人気の、ご褒美用のペーストみたいなものを想像して作った。
食べてくれる保証なんてないけど、何もせずに挑むよりは、少しはマシなんじゃないかと思う。
シスターもセルジオ神父も鼻をつまみながらだけど、少し離れた場所からこっちを見守ってくれているのには気付いていた。
俺の話を聞いて、快く差し出してくれたこの食材を無駄にはできない。
「……まさか昨夜のうちにこれを作ったのか?」
「ああ、少しは役に立つんじゃないかって思ってさ。臭いは我慢してもらえると嬉しいんだけど」
「……やるじゃない、ユウマ」
鼻をつまみながらも笑ってくれるふたりと、また少し距離が縮まった気がした。
「皆さん、到着しましたよ。こっちです」
案内役として先頭を歩いていたアトーリオさんは、木々に囲まれて薄暗くなった場所を指さした。
「木が倒れているのが見えますか? 魔獣の子は、あの辺りに入って行きました……今のところ親の姿は見えませんが油断は禁物です」
そっと覗き込むと、たしかに魔獣の姿はない。
親はかなり大きいらしいから、いればすぐに見つかるはずだ。
「よし、俺が先に様子を見てくるから、お前たちはここでちょっと待ってろ」
「え? 大丈夫なのか、エイド」
「ああ、任せとけって」
こっちに手を軽く振ると、彼は姿勢を低くして慎重に近づいていく。
そっと魔獣のねぐらを覗き込んで安全を確認した後、俺たちの方へ手招きをした。
「さあ、私たちも行くわよ」
メイに促されて恐る恐る近づくと、倒木の奥の張り出した岩の下に、ぽっかりと空いた穴があった。
中はそれほど深くないみたいで、子どもの魔獣がうずくまっているのが、かろうじて見える。
「……親は今いないみたいね? ユウマ、出番よ」
メイは俺の背中をぽん、と軽く押してくる。
「……なぁ、思ったより大きくないか」
「大丈夫、気のせいだから。ユウマならできるって。頑張って!」
彼女がそう言った瞬間、まるで打ち合わせでもしていたかのように、俺以外の3人は一斉に岩陰へと身を隠した。
……いや、嘘だろ?
「エイド……なんで、俺ひとりなんだよ? さっき任せろって言ったよな!?」
「大丈夫だ、ユウマ。ケガをしてもメイが治療してくれるからな。安心して行ってこい」
黙って俺を見つめるアトーリオさんは、今にも泣き出しそうな顔をしているし、メイとエイドに至っては、もう動くつもりもないみたいだ。
ふたりとも最初からそのつもりだったな……仕方ない、行ってみるか。
俺はため息をつきながら、例のオヤツを取り出してねぐらの方をうかがう。
息を殺したまま、そっとそれを差し出した。
「お、おーい……おチビ。これ食べてみないか?」
俺の声が届いていないのか、魔獣の子どもはピクリとも動かない。
空気が張り詰めたように静かで、足元の小石を踏む音すらやけに大きく聞こえた。
ダメか……やっぱり素人が作ったものなんか、効果はないよな。
一旦メイたちのもとへ戻ろうと、息を殺して後ずさった拍子に、足元の枝を踏んで音を立ててしまった。
パッと頭を上げた魔獣の子どもは、俺の姿を見た途端、慌てて逃げ出そうとする。
「あ、ちょっ……ま、待ってくれ!」
思わず声を張り上げると、ピタリと動きを止めた。
「……もしかして、俺の言葉がわかるのか? いや、まさかな……」
子どもは耳をピクリと動かすだけで、逃げることもせず、その場で固まっている。
「……なぁ、怖がらなくていいって。ほら、これ食べ物だよ。きっと美味しいと思うんだ」
緊張をほぐそうと、ふと思い出した歌を小さく口ずさむ。
CMで流れていてサビしか知らないから、そこだけを延々と繰り返した。
ほんの一瞬でも目が合ったら、逃げられそうな気がするんだよな……。
俺はオヤツをそっと地面に置いて、そのまま目を合わせすぎないように、息を殺してしゃがみ込む。
しばらく待っていると、警戒が少し和らいだのか、魔獣の子どもがゆっくりと一歩踏み出した。
「う、動いた……」
声を上げそうになるのを必死にこらえ、息を呑んで見守っていると、フンフンと俺の作ったオヤツの匂いを嗅いだ子どもが、そのままパクリと一口で食べてしまった。
モグモグと口を動かしながら、どこか物足りなさそうな顔でこっちを見つめてくる。
「……もしかして気に入ったのか? まだあるぞ、ほら」
袋からオヤツをいくつか取り出して放ると、子どもは空中で器用にキャッチして、それもあっという間に平らげてしまう。
可愛いけど、口元から炎が漏れているのはやっぱりちょっと怖い。
「な、なぁ……お前、指輪を持って行っただろ? それ、このオヤツと交換してくれないか?」
「グルルル……」
……今のグルルルは、どういう意味なんだ?
「む、無理にとは言わないけどさ! 嫌なら……今のは忘れてくれていいし」
刺激しないよう取り繕うみたいに独り言をこぼしながら、それでも怖さでつい目を逸らしてしまうあたり、やっぱり俺は意気地なしだ。
魔獣の子供は、そんな俺に興味をなくしたように背を向け、ねぐらの奥へと引っ込んでしまった。
「やっぱりダメか……こうなったら、親が戻ってくる前にみんなで探すしかないな」
しばらくして砂利を踏む足音が近づいて、また子どもが姿を表すと、俺の前にぽとりと何かを落とす。
それは銀色に輝く、小さな輪っかだった。
「あ……それって、もしかして指輪? 持ってきてくれたのか……ありがとう」
思わず頭を下げたけど、まさか通じるとは思わなかったし、ましてや返してくれるなんて。
俺はそっと指輪を拾い上げ、服の裾で汚れを拭うと、待っている3人の方へ振り返る。
「おーい! 指輪、見つけたぞ!」
「ホントか!? いいぞ、ユウマ。早くこっちに戻って来いよ!」
ズンッ……。
エイドたちの喜ぶ声が聞こえて、魔獣の子どもに声を掛けようと振り返った瞬間、地面がぐらりと揺れた。
「……あれ、地震か?」
風が吹くのとも違う、湿った息を何度も吐くような重い音が、奥からゆっくり近づいてくる。
目の前の魔獣の子どもは、それを待っていたみたいに嬉しそうな鳴き声を上げた。
「ユウマ! 早くそこを離れろ!」
エイドの叫び声に慌てて振り返ると、ねぐらの入り口を塞ぐように、巨大な影がぬうっと近づいてきていた。
「わ、分かってるよ……」
分かってる……逃げなきゃいけないことくらい、頭では分かってるのに、足だけが言うことを聞かない。
子どもによく似た顔立ちのまま何倍にも膨れ上がったような巨体が、もうすぐそこまで迫っていて、視界に入っただけで息が詰まった。
「ユウマ!」
メイの声が聞こえても、返事を返す余裕なんてない。
「ガアアァァ!」
耳をつんざく咆哮がねぐらを震わせて、そこでようやく、固まっていた身体に焦りが戻った。
ああ、完全に怒ってる……留守の間に見知らぬ奴が子どもの前に居座って、得体の知れないものまで食べさせていたら、怒るに決まってる。
「……お、俺、指輪をこのおやつと交換しに来ただけなんだ」
あの巨体が少しでも脇にずれてくれれば、入り口へ走れる……ひとまず落ち着くんだ。
そう考えながら、震える指で残りわずかなオヤツをひとつ取り出した。
「あ、あの。よかったらこれ……お近づきのしるしにどうぞ」
そっと放ったそれを、親の魔獣は一口でぺろりと平らげた。
食べてくれた……だったら、まだ道はある。
俺は魔獣との距離を測りながら壁際へじりじりと身を引いて、残り少ないオヤツを少しずつ離れた場所へ投げていく。
右端の視界では、親を刺激しないように声も出さずに、エイドたちが固唾をのんで見守っていた。
「あと、もう少し……そっちだ。頼むから、行ってくれ」
最後のひとつをできるだけ遠くへ放り投げた瞬間、俺は背を向けて入り口へ駆け出した。
動物に背中を見せたらダメだって聞いたことはあるけど、そんなことを考えていられる余裕なんてない。
「グウゥゥゥ!」
背後から低いうなり声が追いかけてくる。
怖くて振り向けないまま、死に物狂いで走った俺の前に、盾を構えたエイドが飛び出してきた。
ガアァァン――!
俺を庇うように差し出された盾が、親の一撃を受け止めた音が辺りに響き渡る。
エイドにしがみつくようにして振り返った瞬間、足から力が抜けて、その場にへたり込んだ。
「立て、ユウマ!」
「はぁっ、はぁっ……む、無理だって!」
盾越しに見える景色だけが、やけにゆっくりと流れていく。
「白き息吹よ、この手に集え。癒しの力を敵を退ける力へ変え、氷塊となって撃ち抜け……!」
メイが詠唱する声が聞こえて顔を向けると、彼女の手のひらが青白く光っていた。
「……アイスメイデン!」
次の瞬間、指先ほどの大きさの欠片が五つ、弾かれたように彼女の手のひらから飛んでいく。
それは親の魔獣の体に当たって、軽くポンポンと音を立てるだけで、むなしく地面へ転がり落ちた。
小さいくせに妙に丸く整っていて、綺麗な形をしていた。
あれ、丸くするの難しいんだよな――そんなことを考えてしまうくらい、頭のどこかがまだ現実に追いついていなかった。
俺たち、ここで死ぬのか……エイド、鈍くさくてごめんな。
巨体の魔獣が、今度こそ俺たちを押し潰そうと脚を振り上げる。
ああ、終わった――足が振り下ろされる瞬間、目をぎゅっと閉じた。
「……あの、大丈夫ですか?」
衝撃と痛みの代わりに聞こえてきたのは、不思議なくらいよく通る声だった。
目を開けると白銀のローブをまとった青年が、片手で魔獣の脚を受け止めたまま、こっちを覗き込んでいた。
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