第59話 「どちらさまですか?」
「ごめん、ヒナタ……俺」
「……やっぱり私、ごめんなさい!」
「え……ヒ、ヒナタ?」
その声は怯えているというより、自分を責めているように聞こえた。
彼女はこっちを一度も振り返らずに、そのまま離れを飛び出して行く。
俺はすぐに立ち上がって後を追ったけど、もうヒナタの姿はどこにもなく、慌てて家の周りや村中を必死に探し回った。
「ヒナター! どこにいるんだ!?」
何度呼んでも彼女からの返事はなく、パンツ一枚の俺は、ただ寒空の下で呆然と立ち尽くすしかなかった。
彼女が出て行ってからすぐ追いかけたのに……もしかしてヒナタって足が速いのか?
「……ユウマちゃん、なんでそんな格好してるの?」
「あっ、ヒナタ……ヒナタを見なかった?」
散歩中のヒルダ婆ちゃんとリリィちゃんに見つかって、それどころじゃなかった俺は、さっき起きたパンツの陰謀を早口でまくし立てた。
「……だから飲み過ぎるんじゃないよって言っただろ? とりあえず服を着な」
「分かった、婆ちゃん……」
その後、村人たちは総出でヒナタを探した。畑も、森の入り口も、村の外れの小道も、思いつく場所は全部回った。
それでも、結局見つかることはなかった。
手紙ひとつ残さず、まるで最初からこの村にいなかったかのように。
「なんでだよ、ヒナタ……一体どこに行ったんだよ」
俺はどうしても諦められなくて、フードを被ってマスクで顔を隠し、髪の色まで変えて、何日も必死に彼女を探し回った。
イノール村近くの街や村を巡りながら少しずつ範囲を広げ、ついには王都まで足を運んだ。
……ここに来たのは、イデルさんの情報を頼りにしたからだ。
「ユウマ……見間違いかもしれないけど、ヒナタちゃんにそっくりな子がいたらしい」
「ほ、本当に……!? 場所を教えてくれ!」
「ちょっと落ち着け、ソイツが勘違いしただけだと思う。話は聞いたけど、あり得ねぇんだよ……」
ヒナタが姿を消してから、イデルさんは街へ出るたびに、彼女の情報を集めてくれていた。
ほんのわずかな手がかりでも構わない――そう頼んでおいた俺に、イデルさんは話を聞かせてくれた。
彼の話を聞くやいなや、俺は村を飛び出す……そして、ついに見つけた。
王都の高級レストランにいたのは、きらびやかなドレスをまとったヒナタだった。
「ヒ……ヒナタ、だよな?」
こっちに来てから初めて目にするような、上質な生地で仕立てられたドレスは、きれいにメイクをした彼女に、驚くほどよく似合っている。
振り返った彼女の表情が一瞬だけ揺らいで、俺はまだ忘れられていなかったと悟った。
「……あの、どちらさまですか?」
「え……?」
けど、次に見た彼女は、さっきのわずかな陰りがすっかり消えたヒナタで、その瞳には驚きも焦りの色もない。
「彼女を混乱させないでもらえるかな?」
「……貴方は?」
彼女の隣には、俺の知らない男の姿があった。
ソイツは厚かましくもヒナタの肩を抱いて、ニヤニヤと意地の悪そうな顔で笑う。
男は、彼女の元夫「カイル・ヴォルフガング」と名乗った。
整った顔立ちに完璧な立ち居振る舞い、さらに王太子補佐という肩書きまで持つ、まるで絵に描いたような人物らしい。
ヒナタを追放した奴じゃないか、どうなってるんだ……。
カイルは優雅に微笑んだまま、堂々と言い放つ。
「私は彼女を取り戻すために、正式に再婚の申し込みをすることにしていてね……ヒナタ、再び僕の妻として、隣にいてほしい」
「はあ? ちょっと待ってください、何をふざけたことを……ヒナタ、これはどういうこと?」
彼女は俺の問いかけにも、膝をついてプロポーズするアホのカイルにも、黙ったまま返事をせず、ただ視線を落とす。
なんで返事をしないんだ……何か事情でもあるのか?
「……ヴォルフガングさん。その再婚の申し出……もちろん彼女も納得しているんですよね?」
「もちろんだとも。私は次期伯爵だからね、嫌がる女性なんているはずがないよ」
やっぱり馬鹿だ、こいつ――ヒナタの様子がおかしいのに気づいてない。
「まあ……こんな場所で何してるのかしら」
「やだ、マナーのなってない平民ね」
高級そうなレストランの貴族たちは、ひそひそと話しながら、完全に『俺=場違いな庶民』と決めつけていた。
「ほら、周りに迷惑がかかるだろう? ここは君のような人間が来る場所じゃないんだよ」
「大きな声を出したことは謝罪します……しかし、私も彼女を探してここまで来ました。なぜ彼女がここにいて、貴方と共に行動しているのか、教えていただけませんか?」
俺の言葉遣いに少し驚いたのか、彼は一瞬だけ意外そうな顔をした後、口の端をつり上げる。
勧められた席に腰を下ろすと、カイルはまるで世間話でもするように、ヒナタの実家の名を口にした。
「……リリアーナ公爵家? それが……ヒナタの実家なんですね」
カイルは銀のトングで角砂糖をひとつつまみ、カップのお茶に落とす。
スプーンを手に取ると、その裏表に曇りや傷がないかをしつこいほど確かめてから、ゆっくりとかき混ぜた。
ヒナタと彼が再会したのは、やっぱり俺が彼女を追いかけ損ねたあの日の直後。
村を出た彼女は事故に遭い記憶を失って、親切な人に保護されたらしい。
そしてカイルの都合のいい嘘に騙されて、ヒナタはここにいる。
今、彼女の本物の記憶を知っているのは、俺だけだ。
頭を抱えながらも、俺は座っていた椅子から静かに立ち上がった。
隣で目を伏せるヒナタの指先が、ほんの少し震えていることに気付いていたから。
「……帰ろう。決めるのはヒナタ自身だけど、俺と一緒に村に帰ろう」
そう言って差し出した手は、すぐにはとってもらえなかった。
だけど、顔を上げた彼女の瞳が揺れたのを見て、何としてでもヒナタをイノール村へ連れ帰ると決めた。
「なに勝手なことを言っているんだ、君は。彼女がついて行くわけないだろう?」
「……逆にお聞きしますが、ヴォルフガングさんが彼女にしたことを、私が知らないとでも思っているんですか?」
「なっ……わけのわからないことを。言いがかりはやめてくれ」
周りの貴族たちがクスクスと笑っているのが聞こえるけど、ある程度の事情は知っているのか……人の噂話が好きな人間は、どこにでもいるからな。
図星なのか、言葉を詰まらせる彼を横目に、俺はヒナタを説得することに全力を注ぐ。
「ヒナタ、帰ろう。俺が悪かったよ」
「あ、あの、私……」
彼女は俺の顔から視線を外して、おそらく後ろで憤慨しているカイルをちらっと盗み見る。
ヒナタの手を取ると、彼女は戸惑いながらも立ち上がった。
俺はそのままの勢いで、レストランを出ようと足を踏み出した。
「待ちたまえ! このまま彼女を行かせるわけにはいかない」
「……じゃあ、貴方がしたことを全部ヒナタに話す。そのあとは彼女が決めればいい」
「ユウマ君の話が本当かどうかなんて、誰にも分からないだろ?」
こいつ、厚かましいな……周りの客の様子で、お前が嘘をついてるって証明されてるんだよ。
「ふん……明日、この王都で武闘大会がある。それに出場しろ。勝った方が彼女を手に入れるってことでどうだ?」
「……彼女は商品じゃない、ふざけるな」
ヒナタの手を引いて歩き出そうとする俺の左頬に、パシッと軽い衝撃が走る。
周囲の客がざわつき始め、驚いて足元に目をやると、白い革の手袋が落ちていた。
「では君に決闘を申し込む、明日の武闘大会でだ。安心しろ、試合では木剣を使う」
「な……勝手に決めるな! そんなの受けるわけ――」
見下すような視線を向けるカイルは、俺が言い終わらないうちに、わざとらしく周囲に響く大きな声を上げた。
「明日、ここにいるユウマ君と、ヒナタ嬢を賭けて一騎打ちすることとなった! 一世一代の見ものだ、楽しみにしていてくれよ、ウワハハハ!」
「ちょっ、お前、何言ってるんだ――!」
俺の叫び声は周囲の貴族たちの歓声と、芝居がかったカイルの笑い声にかき消されて、この場にいる誰にも届かなかった。




