第49話 赤き魔力の真実
ヒルダ婆ちゃんの家のリビングで、俺たちはテーブルの上に放置された朝食のパンケーキを見つめながら、ネリオの言葉にただ呆然としていた。
彼はパンケーキをひとつ摘まむと、片手で重さを量ったり窓から差し込む光に透かしてみたりと、奇妙な動作を繰り返した後、確信したように頷く。
「……やはり、魔力の気配がしますね。とても静かに流れている……ヒナタさん、あなたには魔族の血が流れているでしょう?」
「どういうことですか……ヒナタは普通に暮らしてる人間です。だよな、ヒナタ?」
「……あの、私」
「ヒナタ……?」
どうしたんだ……様子がおかしい。
ただ、この世界は回復魔法士に魔獣、そんなものが普通に存在してる場所だ。
彼女に魔族の血が多少流れていたとしても、あり得ないことじゃないのかもしれない。
ヒナタの震えが、包み込むように握っていたカップに伝わって、カチカチと音を立てる。
彼女は俺の方を見ようともしない。
「わ、私にですか……私に、魔族の血が流れているって、本当なんですか?」
「ヒナタ、落ち着いて。ネリオさん、詳しく説明してもらえませんか?」
「ええ、間違いないと思います。このパンケーキには、魔力が込められていますから……私の手元を見ていてくださいね」
ネリオはそう言って、パンケーキを手のひらに乗せ、もう片方の手をかざした。
彼が糸を引くように手を動かすと、それに合わせるように、渦を巻いた赤く小さな球体がふわりと現れる。
「ご覧ください、これがヒナタさんの魔力です。実に、綺麗な色をしてますね……まるで高貴な彼女の心を表しているようです」
手のひらの上でふわふわと浮かぶ真っ赤な球体は、中心に近づくほどまばゆく輝いていて、その透き通るような輝きは、俺がこれまでに見たどんな宝石よりも美しかった。
「ネリオさん……その強さと冷静さ。それに見透かすようなその視線。あなたは、一体何者なんですか?」
彼は意外そうな顔をして俺に微笑むと、赤い球体をそっとパンケーキに戻す。
「実は、私にもヒナタさんのように、魔族の血が流れていましてね」
魔族……だからバルド親子を飼育してたのか。
彼ならあり得そうだとは思ってたけど、まさか本当にそうだったなんて。
それに、パンケーキに魔力が入ってるかどうか、手で重さを量って確かめてたよな……引くほどハイスペックすぎないか。
もっと詳しく聞いてみたい――俺はネリオの話の続きを聞こうと、身を乗り出す。
ふと隣を見ると、ヒナタの顔色は真っ青になって、何かに怯えるように小刻みに震えていた。
「ヒナタ……なあ、大丈夫なのか?」
「ユウマ、私ね……ずっと嫌われてたの。カイルにも、屋敷の人達にも……」
カイル、屋敷……何のことだ?
ヒナタの肩に触れようとした瞬間、ピリッと静電気に似た軽い痛みが指先を刺す。
ガラスを引っかくような音が頭の中に響いて、身体が押さえつけられているような感覚に襲われた。
俺たちが座っている椅子が揺れ始め、テーブルも壁もガタガタと震えて、窓ガラスには細かな亀裂が次々と入る。
「な、なんだこれ……一体どうなってるんだ? ポルターガイストか?」
ネリオは俺を見てニヤリと笑うと、立ち上がって彼女のそばへ一歩近づいた。
「……これはいけませんね。今にも強い感情が吹き出しそうです」
「ネリオさん、なに悠長なこと言ってるんですか!? これ、彼女が……?」
「ええ……とりあえず、ヒナタさんのことはあなたにお任せしますよ」
そう言って彼は手を前に差し出し、パチンと軽く指を鳴らす。
その瞬間、あれほど圧し掛かっていた気配がふっと消え去って、揺れていた部屋もテーブルも嘘のように静まった。
「……魔力が乱れると、周囲にも影響が出ますよね? 私は少しばかり、そういった事態を整えるのに長けているだけですが」
乱れた気配を整え終えたのか、ネリオはまた椅子に腰掛けた。
彼女は肩を激しく上下させ、荒い息を吐きながら、声も出さずに大粒の涙をぽろぽろとこぼす。
「ヒナタ、ヒナタ……大丈夫だよ、落ち着いて」
そっと彼女の背中をさすると、小さな肩がビクリと跳ねる。
ヒナタは泣きながら俺の方を見て、何度も頷いた。
「……やはり、観察に値する反応でした。彼女の感情は、本当に純粋だ」
俺たちの様子をしばらく眺めていたネリオは、ぼそりと呟いた。
「ネリオさん、観察って……もう少し、別の言い方しませんか?」
彼は飄々とした態度で「すみません」と笑って、再びパンケーキを手に取って香りを楽しんでいた。
……変わってるけど、なんか憎めないんだよな、この人。
「もし差し支えなければ、ヒナタさんの事情も聞いてみたいのですが……」
でも好奇心が強すぎる……しかも空気を読むのが苦手なタイプだ。
彼の言葉に呆れたけど、俺はヒナタの過去については何も知らない。
聞いてみたい……でも、無理はして欲しくない。
ヒナタは、震える手を膝の上でしっかりと握りしめていた。
呼吸は落ち着きを取り戻しつつあったけど、辛い記憶に耐えているようにも見える。
「ヒナタ、無理しなくていい」
「大丈夫……私、未だに思い出すだけで苦しいの」
彼女の声は、今にも消えそうで、か細く震えていた。
「ちょっと待ちな、アンタたち!」
「うわあっ!」
突然、ヒルダ婆ちゃんがノックもせずに扉を開け、大声を張り上げたから、ネリオを除く俺とヒナタのふたりは、心臓が飛び跳ねるほど驚いて思わず叫ぶ。
「婆ちゃん、驚かせないでくれよ!」
「何言ってるんだい、ここはアタシの家なんだから、どうしようと勝手だろ」
そう言われると、ぐうの音も出ない。
「アンタたち、ヒナタに無理させるんじゃないよ……ユウマ、奥に連れて行って休ませておやり」
「あ……うん、分かった。ヒナタ行こうか」
残念そうな表情を浮かべたネリオを、婆ちゃんに任せることにして、ヒナタの部屋へ向かった。
ベッドに横たわった彼女は、何かを言いかけては黙り込み、俺をヤキモキさせる。
ヒナタの一挙一動に、すっかり振り回されっぱなしだ……まあ、それも楽しいんだけど。
「何か言いたいことがあるんだろ?」
「うん……私に魔族の血が流れてるって聞いても、嫌いにならない?」
「そんなことで嫌いになるわけないだろ……むしろカッコイイと思うよ」
「本当?」と、ヒナタは嬉しそうに頬をほんのり赤らめる。
少し会話すると安心したのか、次第にウトウトし始め、やがてぐっすりと眠り込んだ。
いつか、彼女が過去のことを話したくなる時がきっと来る。
それまで俺は、ただ待つだけだ。
そっと部屋の扉を閉め、静かにリビングへ戻った俺は、お茶をひと口飲んで心を落ち着けた。
「……つまり、ヒナタの魔力でパンケーキが爆発したってことですね、ネリオさん」
「ええ、そういうことになりますね。彼女の力は私と同じく赤、つまり炎を操るんです」
「魔力って……なんの話だい、そりゃ」
「婆ちゃん、説明はあとでするから、少し待ってて」
大切な話をしていると気付いているのか、ヒルダ婆ちゃんは不満げな表情も浮かべず、口をつぐんで俺たちのやり取りに聞き入っていた。
彼女のこういう気の利くところは、すごく尊敬する。
「……俺が持ってた短剣が、珍しい趣味だって言ってましたよね? それに、自分に厳しいって」
ヒナタのパンケーキも気になるけど、これもずっと聞けずに気になっていた。
ネリオはカップをテーブルに置くと、首をかしげながら不思議そうに俺を見つめる。
「だってそうでしょう? 魔獣を興奮させる薬を、わざわざ武器に塗るなんて――」
今日、何回驚けばいいんだろう……その後のネリオの言葉は、もう俺の耳に届かなかった。
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