第48話 パンケーキは爆弾の味
呼吸を乱しながら、俺は速度を急激に落として立ち止まる。
「どこだ……ヒナタ! どこにいるんだ!」
なかなか彼女を見つけられないことに苛立ち、辺りに忙しなく視線を走らせる。
「いた、あっちだ……! あれ……まさか魔猪か!?」
村の端でヒナタの姿を見つけ、一瞬だけ息をつく。
だけど、その向かいで白い息を吐き出している魔獣を見つけた瞬間、鼓動が大きく跳ねた。
俺は深く息を吸い込んで、そのまま全力で地面を蹴って駆け出していた。
「待ってろ、ヒナタ!」
村の端の家の前を通り過ぎると、前脚で土を軽く掘り返しながら唸る魔猪の姿がはっきり見えた。
ヤツは、今にも飛びかかりそうなほど身を低く構えている。
ガクガクと身体を震わせながら、ヒナタはゆっくりと俺の方へ振り返った。
「……ユ、ユウマ。助けて」
俺の姿を見て、張り詰めていた感情の糸が切れたのか、大きな瞳から大粒の涙がぽろぽろと溢れ落ちる。
あの場所は、昨日魔鼠に突撃されて、柵がボロボロになってたところだ……しかもあんなデカブツじゃ、すぐに破られる!
「ヒナタ、すぐ行く! 動くなよ!」
新人君の短剣も、ヒルダ婆ちゃんから借りた鎌も、今は持ってない。
俺の手にあるのは……ヒナタが作ってくれた、小さなパンケーキだけだった。
どうする……今ここで守らなきゃ、誰が彼女を守るんだ?
壊れかけた柵を挟んで、パンケーキを握ったまま、ヤツを睨み付ける。
俺の頬を撫でるように吹いた一瞬の風に、魔猪が気を取られたその隙を突いて、大きく腕を振りかぶった。
「この野郎! お前は……これでも食ってろ!」
少しでもヤツの注意をそらせれば、その間にヒナタを連れて逃げられるかもしれない。
手にしていたパンケーキを、渾身の力を込めて魔猪めがけて投げつける。
すぐに俺は、ヒナタに向かって勢いよく走り出した。
「走れ、ヒナタ!」
「あっ……わ、私――」
俺の声に反応したのか、魔猪がこっちへ走り出す。
その瞬間、時間を稼ごうと投げつけたパンケーキが、運良くヤツに直撃した。
――ドゴオォォン!!
「ブギィィィッ!?」
派手な爆発音と魔猪の甲高い鳴き声とともに、身体が吹き飛ぶほどの爆風が巻き起こって、俺たちふたりは弾き飛ばされた。
「うわぁっ! ヒナタ!」
「キャアァァァ!」
間一髪で彼女のもとにたどり着いた俺は、ヒナタを包み込むように抱え込んだまま、すぐそばの納屋へと吹き飛ばされる。
「うっ……イタタ。ヒナタ、大丈夫か!?」
「ユ、ユウマ……これ、どういうこと?」
頭を上げると、藁が敷き詰められた空間に砂埃が舞い、驚いた鳥たちの騒ぎ立てる声が響いていた。
彼女が大怪我していないことに安心したけど、頭を打っているんじゃないかと心配で仕方なかった。
藁がクッションの役目をしてくれて、助かった……これがなかったら、俺たちも無事じゃなかったかもしれない。
たとえ偶然だったとしても、その運の良さが逆に背筋を寒くさせる。
この世界で怪我をすることの意味を、再確認する出来事だった。
「ヒナタ、立てそうか……?」
「う、うん……大丈夫」
ゆっくりと立ち上がると、身体はまだ少しだけフラついていて、壁に手を突いて支えなければならなかった。
目を凝らすと、魔猪は少し離れた木の根元で、ぐったりと横たわって微動だにしない。
「なあ……俺が投げたパンケーキが当たって、こうなったのかな?」
「私にも分からない……これって、ほんとに現実なの?」
事態が飲み込めずに、わけも分からず呆然とするヒナタと顔を見合わせる。
「ア、アンタたち……大丈夫だったかい!?」
「あ、ああ……うん。なんとか」
ヒルダ婆ちゃんや爆発音に驚いた村人たちが、俺たちのもとへ慌てて駆け寄ってくる。
みんなが騒ぎ立てているその後ろから、真っ白なローブをまとったネリオが、軽やかな足取りでゆっくりと近づいてくるのが見えた。
その顔は落ち着いていたけど、面白いものでも見つけたかのように好奇心で輝いていて、心配そうに覗き込む村人たちとの対比がなんとも異様に映った。
「……おやおや、これはずいぶん派手にいきましたねぇ」
「ネリオさん……俺も驚きましたよ」
気がつけば、ネリオはあの時からずっとこの村に滞在していて、いつの間にか馴染んでいる。
ただ俺としては、戦闘能力の高い彼がいてくれるのは、すごく頼りになるし助かっていた。
それにあの短剣のことも、なかなかタイミングが合わなくてまだ聞けてない。
「おい……魔猪のヤツ、まだ生きてるみたいだぞ!?」
「ヨネ婆ちゃん、仕留めてくれよ!」
ピシュッ──ズドッ!
村人の声に振り返ると、櫓の上からヨネさんが矢を放ち、魔猪を一撃で仕留めていた。
魔獣は矢を頭に受け、力が抜けたようにゆっくりと、その大きな身体を地面に横たわらせる。
ヨネさんはニコリと笑って、軽く手を上げた。
「彼女は弓が得意って聞いてたけど、ここまでのレベルなのか……」
この村の女性たちが弓を操って、勇ましく魔獣を迎え撃つ光景が一気に浮かび上がる。
ヨネさんに指導してもらえれば……それも現実として可能かもしれない。
焼け焦げて抉れた地面や、吹き飛んだ柵の破片をぼんやり見つめながら黙り込む俺のそばで、ヒルダ婆ちゃんは落ち着きを取り戻し始めた村人たちに、テキパキと指示を出していた。
「アタシは隣村へ連絡するから、アンタたちは部屋に戻りな。ユウマ……ヒナタのこと頼んだよ」
「分かった、婆ちゃん……ヒナタ、行こう」
ヒナタが作ってくれたパンケーキが、どうして爆発したのか……もし食べてたら、今ごろ吹き飛んでいたのは俺だった。
村人たちが解散していくなか、ヒナタを支えながら歩き出すと、ネリオも微妙な距離を保ちながら後ろをついて来る。
ちらりと彼を盗み見ると、ネリオは俺の視線に気づいて片眉を上げた。
ふっと口元を緩める、その笑みには……何か含みがあるようにも見える。
あの顔、なにか知っていそうだけど……あとで聞いてみるか。
ネリオの存在をひしひしと背中で感じつつ、黙り込んだまま、ヒルダ婆ちゃんの家へ向かった。
「ヒナタ、そこに座って……本当に怪我はしてない?」
「……うん、大丈夫。ありがとう、ユウマ」
「飲み物でも作ってくるから。ネリオさんも一緒にどうぞ」
「では、ご相伴にあずからせていただきます」
見た目は若く、20代に見えるのに、ご相伴なんて言葉を使うんだな……。
俺は台所に向かい、茶葉をポットに放り込むと、暖炉で沸いていた湯を注ぐ。
こんな原始的な生活でも、慣れてしまえばどうってことはない。
そんなことより、毎日食えるか、そっちの方が重要だ。
出来上がったお茶を模様も形も違うカップに注ぎ、テーブルの上に静かに置いた。
「ちょっと薄いですけど、どうぞ。ヒナタも飲めば落ち着くと思うよ」
小さく頷くヒナタは、ぼんやりとした視線をゆっくり落とし、その暖かさに縋るように両手でカップを包み込んだ。
「……どうして私の作ったパンケーキが爆発したの?」
「それは……俺にも分からない」
蚊の鳴くような声で、今にも泣きそうな彼女に、掛ける言葉が出てこない。
「……理由として考えられるのは、ヒナタさんの中に魔族の血が流れているからでしょうね」
ネリオはそんな衝撃的なことをさらりと言い放ち、驚きで彼を見つめる俺たちに、にこやかに微笑み返した。
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